第9話 ターニングポイント③

 雨宮は想像する。

 紡が正社員として働き、自分と一緒に外殻をメンテナンスする未来を。

 彼と笑いながら仕事帰りに居酒屋で飲み、自宅に帰る毎日を。

 そんな暖かくて優しい実現したかもしれない未来は訪れない。

 彼女は能力者だから。

 能力者は都市部では幸せになれない。

 少なくとも、今のままでは。

 だからこそ。彼女は迷わない。

 決行の日は今日だ。

 計画の時間は近付いている。

 長年準備してきた。

 それだけの為に長い年月を費やした。

 だからこそ止まれない。

 やめられない。

 やらねばならない。

 迷いはとっくの昔に捨ててきた。

 真実を知ったその日に。




 雨宮雫あめみやしずくは都市部で生まれた。

 彼女は生まれた直後に両親から捨てられる。

 理由は簡単だ。

 彼女が能力者だったからである。

 たったそれだけの理由で。

 彼女の人生は終わりかけた。

 真冬の雨の日。人気のない公園のトイレで、タオルケットに巻かれた赤子が捨てられた。

 それが彼女だった。

 偶然それを見つけて拾ったのが、当時都市部に裏取引で忍び込んでいたアカシという男である。

 能力者の地位向上と自由の獲得を目指して設立した組織、銀翼のリーダーだ。

 アカシは野良の能力者を集めて鍛え上げ、戦力としていた。彼が偶然通りかからなければ間違いなく雨宮雫の人生はそこで終わっていただろう。

 能力者は都市部で殆ど人権を持たない。

 体内に発信機を埋めつけられて、勝手に能力を発動すればすぐに守護者ガーディアンが駆けつけて捕まる。

 職業選択の自由もなく、生まれながらに未来が限られてしまう。

 さらに毎年とある検査を受け、不合格ならば強制入院。検査に合格するまで病院に収容され、そのまま人生を病院で終える能力者も少なくない。

 能力者を忌避し、差別する者も都市部には少なくない。それどころか大多数が能力者を良く思ってはいないのが現実だ。

 危険な力を持つ犯罪者予備軍。それが一般人における能力者の印象なのである。

 その為、能力者は政府の管理から逃れて自由を求める。体内の発信機を外科手術で取り除き、自由を手にした能力者を野良の能力者と呼び、犯罪者として政府に登録される。

 そういった外科手術は違法で、その殆どがスラム街にて行われている。だから都市部で生まれた能力者も手術する為に都市部を離れてスラム街に向かい、その多くが手術後にもスラム街に残るのだ。

 環境が良くなくても。

 技術が遅れていても。

 それでも息苦しい都市部に比べればそこには自由がある。

 一度自由を手に入れた能力者が都市部に戻りたがるのは珍しいことなのだ。

 都市部ではそれほどまでに能力者の地位は低い。能力者が産まれれば家の品位が落ちると考える極端な思考を持つ者が少なくない数いるくらいに。

 雨宮家もそういった一家であった。

 能力者を家から出すくらいならなかったことにしよう。

 そうやって捨てられたのだ。

 雨宮雫は。

 この憎しみを。

 悲しみを。

 絶対に忘れない為に雫はあえて雨宮の苗字を捨てずに使い続けている。

 いつか復讐してやると心に誓って生き続けた。

 スラム街で、銀翼の一員として。

 雨宮は諜報や潜入に長けた能力者だった。その才能をアカシに目を付けられ、幼い頃より特殊な訓練を積んだ彼女は立派な工作員として成長した。

 故に銀翼内部でも彼女の事を知っている人物は極一部に限られる。

 例えばリーダーを継いだ灰蜘蛛は知っていて、戦闘員としか見られていなく途中で組織を抜けた白銀は彼女を知らない。

 ある日、雨宮に任務が命じられる。

 アカシからの依頼だ。

 曰く、都市部に移り住んで外殻メンテナンスの仕事に就き。情報を集めろという内容だった。

 とても長い任務になる。

 彼女は能力者であることを隠し、偽りの戸籍で最初から都市に住んでいる一般市民になりきらなければならない。

 何年も下積みして信頼を勝ち取る必要のある忍耐が求められる任務だ。

 雨宮は快諾して任務を開始した。

 彼女は外殻のメンテナンスという職に就くために、長い時間をかけた。その時間の経過はアカシの死亡。そして灰蜘蛛にリーダーを引き継ぐという大きな変化さえあった。

 新たなリーダーである灰蜘蛛は潜入調査している雨宮に計画の重要な役割を与えた。

 それは外殻を破るというあまりにも大きすぎる計画だ。その重要な役割を雨宮は喜んで受けた。

 彼が求める能力者解放という未来と、そして現在能力者が犠牲になっている真実を知って、断るという選択肢はなかった。

 何より、雨宮家に復讐が出来る。それが何よりも嬉しかった。

 ただひとつ誤算があったとすれば、一緒に働く赤羽紡との時間が思いのほか彼女にとって楽しい時間だったということだ。

 このまま二人で外殻の管理をしながら毎日を過ごすのも悪くないと思えるほどに。

 薄汚れた世界ばかり見てきた雨宮にとって、純粋に困っている人を助けたいという願いだけで守護者ガーディアンを目指す紡は眩しい存在であった。

 能力者を廃絶する社会で、彼という存在はあるいはそんな歪な世界を変えてくれるかもしれないという淡い期待を抱かせるには十分で。正直彼が不適合者として退学し、夢に破れなければ最後まで計画を遂行するか悩んでいたかもしれない。

 しかし結果は残酷だった。

 彼は適合試験に受からなかった。

 ナノマシン手術を受けることが出来なく、適合者としての未来は閉ざされた。

 彼ほど適合者として守護者ガーディアンになっても信頼出来る相手など見たことがないのに。

 やはり都市部は腐敗している

 一度浄化しなければ能力者に救いはない。

 灰蜘蛛の考えは正しかったのだ。

 能力者の犠牲に成り立つこの世界に終止符を打つのは他でもない銀翼だ。

 そしてその為の最も重要な役割を雨宮は担っている。




「今日はなんか様子が変ですね。疲れているんですか?」

 作業中。ふと思い至ったように紡はそう呟いた。

 一緒にいるのは雨宮しかいないので、雨宮のことだろう。

「疲れているか……。確かに疲れているかもしれないね。長い仕事だったから」

「長い仕事?」

「君は知らなくていいことだよ」

 薄暗い室内。そこに二人分の声と、工具の音が響く。

 冷却装置の真下にある狭い空間、そこで二人は照明の僅かな明かりを頼りに工具を使って温度計を交換している。

「そういえば赤羽くん」

「はい」

「この部屋の強度は都市部でもトップクラスに頑丈であることは知っているね?」

「そりゃ外殻の重要装置の一つですからね。核の爆破にも耐えられる構造だって話は聞いてますよ」

「その通りだ。だからこの部屋は都市部が半壊しても最後まで残っていることだろう」

 突然の話題に何が言いたいのか分からずにぽかんとする紡に雨宮は心の中で謝った。

 彼に気付かれないように懐に忍ばせたスタンガンを背後から首筋に当てる。

「え?」

 振り向く前にスイッチを入れた。

 一瞬眩い光が放たれ。

 そして紡の意識は寸断された。

「ごめん、赤羽くん。でもここにいれば死ぬことはないから……」

 そう言い残し雨宮は立ち去る。

 外殻を致命的に破壊する為に。

 その為に何年も費やして準備してきたのだ。

「能力者を開放する為に……っ」

 自らを鼓舞するかのように雨宮は呟く。

 こうして外殻は雨宮の手によって致命的に壊れた。

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