第10話 白峰吹雪の休日
ナノマシン適性検査に合格し、手術を受け。適合者となった。
ただ彼女には悩みがあった。
内容は優秀ではあるが実戦では弱いというものだ。
実のところ、彼女は弱くない。ただ、事情があって先日訪れたスラム街で見た白銀という男の強さを目の当たりにし、さらに学校ではナノマシン手術を受けていない赤羽紡という生徒に実技で完封され自信を喪失していたのである。
比べる相手が悪すぎる。
白銀はスラム街最強の個人戦力を持つ怪物で、その強さは恐らく現役の
だから彼女は弱くはない。
しかしそれで満足する彼女でもない。
弱いならば強くならなければならない。弱いからこそ、努力するのだ。
ちなみに白銀は確かに彼女を雑魚と形容したが、それは使い物にならないという意味の雑魚ではない。彼はそこそこ強いが実戦経験が足りず、判断が遅いから総合的に見て現状弱い。という意味で雑魚と形容したのだが、言葉足らずな彼の意思が吹雪には伝わっていない。
彼女はもしかして自分は雑魚なのではないかと真剣に悩んでいるのだ。
そして悩んだ末に訓練の質と時間を増やした結果。疲労がたまって休めと師匠に怒鳴られてしまった。
休息も修行の一環だと。
確かに一理ある。
最近の吹雪は詰め込み過ぎによる自分の成長の行き詰まりを感じていた。
ここで一回リフレッシュしてリセットするのは間違いではないだろう。
なので今日は全力で遊ぶぞと意気込み、珍しくお洒落なんかもして街に出た訳だ。
自慢の長い黒髪をいつも通りポニーテールにしているが、ゴムではなくシュシュにしたり。
いつもはパンツスタイルなのを珍しくスカートにしてみたり。
動きやすいスニーカーを好む彼女がブーツにしてみたり。
薄化粧をした彼女はもとの素材の良さも相まって歩けば何人かが振り返る程の美しさとなっている。
ただ街に出て困ってしまった。
何をして遊べばいいのか。
冗談でもなんでもなく、修行に没頭し過ぎて遊び方を忘れてしまった。
かつて自分は休日何をして遊んでいたか思い出せない。
「私は休日をエンジョイすることさえ出来ないのか……、なんかショック……」
ガチ凹みである。
肩を落とす吹雪だが、耳を澄ませば聞き逃せない声が聞こえた気がした。
「……?」
耳に意識を集中する。
「離してっ!!」
「黙ってついてこいっ!!」
嫌がる女性の声と力強い男性の声だ。
見過ごすことは出来ない内容だった。
声の位置を探る。
下だ。
吹雪は橋の上にいて、橋の下のトンネルから声が聞こえた気がした。
迷わず飛び出すと橋の手摺を飛び越えて、5メートルはあるだろう高さから飛び降りて膝の力だけで軽々衝撃を吸収した。
ナノマシン手術で人間離れした身体能力を手に入れ、さらに訓練し、鍛えあげた肉体だからこそ出来る芸当である。
トンネルの先に複数人の男が一人の少女を連れ去ろうとしている現場を目撃した。
許せない。
吹雪は一瞬で間合いを詰め、少女の手を掴む男の腕を払い。体勢を崩した男の足を払った。
男は面白いように地面に転び、顔面を打ち付ける。
「ぐえっ」
潰されたカエルのような声が吐き出た。
「こんな真昼間から少女を連れ去るとは正気か貴様ら」
「誰だお前っ!!」
男が叫ぶ。
「通りすがりの正義の味方だ」
凛とした声で言い放つ。
「ああ!?!?」
「嫌がる女性を無理やり連れて行くのは立派な犯罪だ。そして私は機嫌が悪い。私情が入って手加減が出来ないかもしれない。痛い目を見る前に逃げることをお勧めする」
「この小娘を連れてかないと俺たちの命がないんだよっ!!!!」
金髪の男が大きく拳を振り上げる。
隙だらけの大振りな動きだ。
適合者として身体能力を強化され、訓練で鍛え上げられた吹雪からしたら止まって見える。
一瞬で屈んで拳を躱し、そのまま半回転して男の足を払う。
あまりにも速く滑らかなその動作は、男からしたらまるで目の前から消えたように見えたことだろう。
「ぐえっ!?」
足を払われて宙を開いた男は何が起きたかも分からず、尻から落ちて情けない声をあげる。
「どういう事情があるかは分からないが、多少痛い目を見ないと分からないらしいな」
屈んだ状態から立ち上がり、長いポニーテールの髪を翻して凛とした振る舞いで吹雪は言い放つ。
そしておろおろしている少女を庇いつつ、吹雪は油断なく男達を睨み付けた。
「クソ!! こっちには時間がないんだよ!!」
男の一人が手のひらを吹雪に向けて怒鳴る。
普通の様子じゃない。
何かしてくる。
この光景に見覚えがある。そう、これは以前スラム街で見たことのある光景だ。
憎たらしいが頼りになるあの男の声が脳裏に響く。
「なに呑気に突っ立ってんだ!? 相手が何かしようとしたらそれより先に攻撃して止めろ。死にたいのか!?」
実戦経験が浅い。反応が鈍い。判断が遅い。何かされてからでは致命的に手遅れだ。何かされる前に先手必勝で何もさせるな。それが出来ないからお前は雑魚なんだ。
何度も言われた言葉。
脳裏にこびりついている。
不愉快だが。
悔しいが。
その通りだ。
確かに白峰吹雪は致命的に遅かった。
今までは。
だが、いつまでも致命的な弱点を抱えたままの彼女ではない。
「食いやが」
男が何かをするよりも速く。
彼の顎を何かが打ち抜いて、男は一瞬で意識を手放した。
「れ……」
手のひらを向けたまま、男は無防備に前に倒れた。
「こんな街中で能力を使うとは正気か!?」
「こいつなんで能力を使うと分かって……っ!?」
やはり予想通り能力者だったようだ。
吹雪の奇襲は間違ってなかった。
「貴様ら登録されている能力者じゃないな!? 野良の能力者は都市部には入れない。都市部で能力を使うなんて、それも一般人に!! 重犯罪だ!!」
吹雪はいつのまにか持っていた長い槍を構える。
どうやら槍の柄で男は顎を打ち抜かれたらしい。
「こいつ!? 適合者か!?!?」
男達が騒めく。
「逃げるぞ!!」
「クソったれ!!」
脱兎の如く男達は走り去る。
追って捕まえることは難しくないが、それは吹雪の仕事ではない。
人目の少ない橋の下のトンネルとはいえ、これだけ騒げば
あとは本職に任せておけばいい。
それよりも、昏倒している男の拘束と連れ去られそうになった少女のメンタルケアの方が大切だ。
「もう大丈夫だよ。安心して、怪我はない?」
少女は頷く。
良かった。見たところ本当に外傷は見当たらない。
それにしても美しい少女だった。
同性の吹雪ですら息を飲むほどの美しさである。
雪のように白く、絹のようにきめ細かい肌。妖精を思わせる銀色の髪。そして澄んだ海色の瞳。そのどれもが彼女が絶世の美少女であることを雄弁に物語っていた。
「助けてくれてありがとう。貴方は?」
「私は
人懐っこい笑顔で吹雪は人を安心させるような声色で言う。
「私はみく。助けてもらって嬉しいけど、でもまたあいつらは私を狙ってくるし、貴方に迷惑が……」
「大丈夫。気にしなくても構わない。その為に私は訓練してるし、何が来ても君を守れるくらいの実力は……」
言葉の途中でナノマシン手術を受けていないのに、適合者として強化された自分と同等かそれ以上に実技をこなす赤羽紡。能力デバイスを使用し、己の全力を持ってしても倒せなかった相手を赤子の手を捻るように容易くねじ伏せた白銀。の姿を思い出して、言葉が詰まるが。
「備えているつもりだ。……備えていると思う。…………備えていると、思い、たい……っ」
結果なんとも弱々しい答えになってしまった。
「えっと、とりあえず
気を取り直して吹雪は胸を張った。
その時だった。
空気が変わる。
明らかな異変を肌で感じ取った。
何か致命的なことが。取り返しのつかない何かが。
明確に終わってしまった。という言葉に出来ない曖昧な感覚だった。
吹雪は慌ててトンネルから飛び出る。
周囲の人は誰もが口を半開きにして、空を見上げていた。
異様な光景であった。
吹雪も同じように空を見上げる。
美しい空。眩い太陽。いつもある空は確かにそこにある。
しかし一箇所だけ違っていた。
ひび割れ、剥がれ落ちたその空は穴が空いており。
その向こうには太陽の光を通さない厚いガスの層と、塵や埃で見通しの悪い薄汚れた本物の空があった。
外殻の外。
荒れ果てた荒野と汚れた大気の世界。
そこには化物が蔓延っている。
人類は化物に敗北したからこそ外殻というシェルターを作って狭い都市部に楽園を作った。
そこは平和であった。
長い歴史で、この外殻が都市部を守り続けていたからだ。
ただ、平穏を約束していた外殻は消えた。
たったいま。
無くなってしまった。
当然の如く。
穴から何かが雪崩れ込んでくる。
確認するまでもない。
外の世界の化物だ。
その奥に、おぞましい眼光を光らせた巨大な影が見える。
アレが都市部で暴れれば都市部は壊滅的な被害を受けるだろう。
吹雪は戦って死ぬ覚悟を決めた。
命の限りを尽くして、一人でも多くの人命を守る。
その為に適合者になったのだ。
そうして日常と平和は終わりを告げ。
破滅と絶望が始まった。
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