第8話 ターニングポイント②

 灰蜘蛛は白銀の強さをよく知っている。

 彼はただ強いだけじゃない。

 万能なのだ。

 接触致死系の能力の為、対人戦での威力は絶大。

 範囲攻撃も得意だ。敵の無力化から武装解除まで難なくこなす癖に守るのも苦手じゃない。索敵も出来て精神系の能力に対する抵抗も出来る。

 いったいどのような能力ならそんなことが可能なのか、長い付き合いの灰蜘蛛ですら知らないがその強さは誰よりも理解している。

 知識ではなく、体験として。

 銀翼の主戦力として常に前線で共に戦ってきたのだ、嫌と言うほど白銀の化物さ加減を見てきている。

 結論から言えば。

 今の銀翼の全戦力を投入しても白銀一人に潰されるだろう。

 灰蜘蛛は懐から銀色のケースを取り出す。

 片手で収まる程度の大きさの長方形の飾り気のないシンプルなケースだ。

 中には錠剤が入っている。

「こいつを使っても勝てる確証はねぇ。いや、なんなら敗色濃厚だろうな」

 灰蜘蛛はケースを懐に戻し、辺りを見渡す。

 都市部の工場地帯にある廃棄された建物の一室だ。

 壊れた機械が並び、壁にはヒビが入り、窓ガラスは割れている。

 窓の外の景色は壮観だった。

 外殻の内側に投影された擬似太陽が照らす眩しい世界は、汚染された空気と塵や埃の舞うスラム街とはあまりにも違う。

 スラム街には光は届かない。

 大気に漂う有毒ガスが太陽の光を阻み、地上にまで届かないのである。

 それに比べて都市部は偽りの太陽光とはいえ、これだけ輝いている。

 空気は綺麗だし、外殻の内側に投影された青い空と白い雲は美しい。

 天を貫くようにそびえ立つ高層ビルの数々。

 太陽の光を一身に受けてのびのびと育つ樹々の緑。

 どれもがスラム街にはないものだ。

 そしてその全てが能力者の犠牲によって成り立っている。

 能力者を廃絶した社会によって形成されている。

 許せない。

 絶対に許すことは出来ない。

 地面に落ちたガラスの破片に灰蜘蛛の顔が映り込む。

 パーカーのフードを深く被っていて顔の詳細は見えないが、その鋭く光る眼光だけは嫌に反射した。

 誰もいない筈のこの廃工場に二人分の足跡が近付いてくる。

「もう死んでるものかと思ってたぜ、なんで生きてやがる。……梟っ!!」

 灰蜘蛛の殺気を含んだ怒声が工場内を震わせる。

 対して梟は落ち着いた様子で静かに返答した。

「白銀を連れてきました」

「正気かテメェ? 寝返ったか? お前の連れてきたそいつは単体でウチをぶっ潰せる正真正銘の化物だぜ?」

「貴方と白銀は話し合うべきだと愚考しました」

「あん!? 今更何を話し合うってんだ!!」

「よう、久しぶりだな。灰蜘蛛」

 灰蜘蛛と梟の険悪な雰囲気をぶち壊すかのような軽い声色で白銀は二人の会話に割って入る。

 名前の元となったとても目立つ白銀の髪の毛。癖のあるその髪先は湿気を吸ってあらゆる方向に跳ねている。

 その一束を指先で摘まんで回して遊びながら、緊張感のない足取りで姿を現したかつての相棒は彼の記憶にある獰猛な姿とは似つかない。

「へらへら笑いやがって、研いだ牙はどこに忘れてきやがった白銀。俺の知ってるお前なら梟はもう既にこの世にはいない筈だ」

「いつの話してるんだお前。そんな考えなしにポイポイ人を殺せるかよ。それよりも喜べよ、こいつ優秀なんだろ?」

 白銀は挑発的に言いながら梟を指差す。

「白銀」

 灰蜘蛛が腰掛けていた瓦礫から立ち上がった。

 そしてゆっくりとした動作で一歩ずつ白銀に歩み寄る。

「何故俺を裏切った」

「お前が寧々を使ってくだらないことをしようとしたからだ。アカシさんがいたら止めていた筈だ」

 アカシとはスラム街で行き場をなくした白銀と灰蜘蛛を拾って育てた銀翼のかつてのリーダーだ。

「お前は目先のことに囚われて、大局を見ようとしねぇ。あの読心術の小娘には利用価値があった」

「読心術の小娘じゃない。寧々だ」

「聞け、白銀。これは能力者に必要なことだ。邪魔すんじゃねぇ」

「俺にはお前が暴走してるようにしか見えない」

 互いの距離が縮まる。

 灰蜘蛛が足を止めた。

 手を伸ばせば届く距離。そこで両者は睨み合う。

 一触即発の空気は何がきっかけで爆発するか分からない。

 梟は固唾を飲んで見守る。

「白銀、俺はスラム街を救い能力者を解放する。邪魔をするならお前でも容赦はしねぇ」

「誰に向かって言ってやがる。お前が一度でも俺に勝ったことがあるのか?」

 ない。

 断言出来る。

 灰蜘蛛が純粋な戦闘で白銀を上回ったことはたったの一度だってない。

 それだけの規格外の強さを白銀は持っている。

「そいつは今日までの話だ」

 灰蜘蛛は懐からケースを取り出して、中身の錠剤を口に投げ込む。

 直後、それを見た梟が叫ぶ。

「リーダー!! それはまだ早いっ!!!!」

「早くねぇよ、ここで使わないでいつ使うってんだ?」

 白銀は訝しみ。

 思考し。

 思い当たり。

 そして怒鳴った。

「灰蜘蛛!! お前、それはっ!!!!」

「ああ、そうだ。白銀。お察しの通り、AXLアクセルだ」

 灰蜘蛛は笑う。

 薬の効き目はすぐに形になった。

 数秒後、工場地帯の一部が爆発する。

 灰蜘蛛の能力によるものだ。

 しかし、その能力の威力と規模は白銀の知るそれを遥かに上回っている。

 もはや別物と言っても過言ではない。

「俺の能力は知ってるよなぁ!? 白銀ぇっ!!」

 叫びつつ、灰蜘蛛は指先からそれを拡散した。

 彼の指先から伸びるのは燃え上がる炎の糸だ。その糸は粘着性があり、強度があり、そして常に燃えている。

 蜘蛛のように糸を出し、そして燃やし尽くすことから付けられたその名は、灰蜘蛛。

 この糸は触れた物を燃やすだけではなく、爆発する。糸だけであれば爆発の規模は極小規模だが、糸の塊であったり、糸で作った巣を爆発させればその威力はかなりのものになる。

 しかし、白銀の知る糸の爆発には廃工場を一撃で吹き飛ばす威力は備わっていない。

 強化されている。

 薬によって強引に。

「来い白銀!! 流石のお前でも全力で来ねぇと死ぬぜ!?!?」

 爆発によって舞い上がる瓦礫や機械の破片に囲まれ、後先考えない背水の陣で灰蜘蛛は挑む。

 荒れ狂う廃工場の爆心地で、白銀は右手を振るう。

 それだけで。

 たったそれだけで暴風が彼を中心に周囲を薙ぎ払い、舞い上がった破片も飛んできた炎の糸も全てを一瞬で吹き飛ばす。

 工場だった場所には荒れ果てた地面と何本かの鉄骨だけが残った。

 その中心で白銀は立っている。

 周囲の工場は爆破の衝撃で崩れ、穴が開き、そして飛んできた建物の破片や機械の残骸が壁に刺さっていた。

 まるで大災害でも発生したかのような光景に、自分の風を操る能力で必死に身を守っていた梟は息を呑む。

 これだけの爆発を起こした灰蜘蛛に、ではなく。薬で爆発的に強化された灰蜘蛛と互角以上の力を見せる白銀にだ。

「その程度か灰蜘蛛。薬使ってこの程度なら話にもならないぞ」

「心配すんな、こんなの挨拶にもならねぇよ」

 声がして、瓦礫が爆発する。

 灰蜘蛛が自分を下敷きにした瓦礫を爆発で吹き飛ばしたのだ。

「次はもっと強めにいくぜぇ」

 灰蜘蛛がそう言うと、言い終わるよりも早く白銀を中心に蜘蛛の巣状に炎の糸が光輝いた。

 彼に気付かれることなく足元に炎の糸による罠を仕掛けたのである。

 直撃すれば無事では済まないだろう。

「食らいやがれ」

 空気が爆ぜ、地面が揺れ、熱気が肌を焼く。

 爆風が地面をえぐり、舞い上がった土が雨のように降り注いだ。

 爆発させた本人が驚く程の威力。人一人を殺すにはあまりにも過剰な攻撃だが、灰蜘蛛は相手が死んだとはほんの僅かも思っていない。

 思っていなかったが。

 それでも。

 傷一つなく、涼しい顔でその場に立っているのは予想外であった。

「期待を裏切らない化物っぷりだな、おい」

「……いくら強化したってお前の能力は俺には届かない」

 白銀はそう言うと手のひらを地面に向けた。

 何度も見た光景。

 どういう理屈かは分からないが、あそこから大気を弾いた白銀は飛ぶ。

 空気が弾ける音が鳴り響き、地面が衝撃で弾け、そして目の前に白銀が一瞬で飛んでくる。

 白銀お得意の移動方法だ。

 灰蜘蛛も馬鹿正直に待っている訳ではない、知っていれば対処も出来る。

 白銀の伸ばした手のひらが僅かでも接触すれば灰蜘蛛は抵抗出来ずに一瞬で意識を失う。

 そういう能力を彼は持っている。

 僅かな油断も隙も見せられない。

 あらかじめ仕掛けていた炎の糸による巣が、白銀の伸ばした腕を絡みとる。

「爆ぜやがれっ!!」

 自身に爆風が直撃することも厭わず、灰蜘蛛は起爆した。

 それが爆発するよりも速く。

 白銀が能力を発動する。

 大気が震え、そして止まった。

 静寂が辺りを支配する。

 灰蜘蛛の仕掛けた巣はその全てが一瞬で凍り付き、爆発せずに終わった。

 白銀と灰蜘蛛の周囲一帯も凍り付き、霜が奔っている。

 灰蜘蛛が凍らなかったのは彼が直前に自分の周囲を炎の糸で守ったからだ。それも半分以上が凍ってしまっているが。

「なんつー威力だ。めちゃくちゃだぜ」

 嘆くように灰蜘蛛は肩をすくめる。

「諦めろ、お前は俺に勝てない」

「だろうな」

 灰蜘蛛は潔く認めた。

 しかし。

「勝てないがそれでも構わねぇ」

 灰蜘蛛は空を見る。

 偽りの空を。

 外殻に覆われ守られた美しい空を。

「……時間だ」


 言うと同時、空が割れた。


 空に亀裂が入り、亀裂は一瞬で広がっていく。

 そして遂に砕けた。

 空が。

 いや、外殻が。

 砕けて落ちて、外の世界がその姿を現す。

「嘘……、だろ……」

 その光景を呆然と見ていた白銀から魂の抜け落ちたような声が口から零れた。

 それだけ衝撃的な光景だったのだ。

 ガスで覆われた薄暗い空。大気は汚れ、無数の塵や埃が舞いまるで砂嵐のように視界を阻む。

 その奥に巨大な影があった。

 それを白銀は知っている。

 その影の正体を知っている。

「灰蜘蛛!! お前、まさかっ!!!!」

「いいのか白銀、止めなくても? あれはお前じゃないと止まらねぇぜ?」

 早くいかないと手遅れになる。そういう意味を込めて灰蜘蛛は笑う。

「ふざけやがって、全て破滅させるつもりか!?!?」

「俺と口論している余裕はあるのか? なぁ、白銀」

「クソがっ」

 吐き捨て。

 白銀は飛ぶ。

 空に突如出来た空洞。その奥にある巨大な影に向かって。




 ――時刻は遡る。


 赤羽紡と雨宮の運命の分岐路まで。

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