第6話 微睡の昼過ぎ

 彼女の知る世界は酷く狭かった。

 よく分からない機械が沢山備え付けられたベッドと机と椅子。窓ひとつない壁で覆われたその狭い空間が彼女の知る世界の殆どであった。

 日に二度の検査と一度の運動時間に部屋を出て、殺風景な廊下を歩き。終わったらまた部屋に戻る。

 そんな毎日が物心ついた頃からずっと続いていた。

 それしか知らなかったから、それ以外を体験したことがないから不満はなかった。

 ただ、知識として知っている空と海をこの目で見ることが出来ないのは残念だとは思っている。

 その程度のものだ。

 彼女の世話をして検査の手伝いをし、運動の手引きをするのは一人の男性であった。

 ずっとその男性である。

 もしかしたら他にも沢山の人が居るかもしれないが、彼女と関わりがあったのは彼だけなので少なくとも彼女の世界では彼しか存在しなかった。

 痩せこけた体躯に、しわがれた頬。目元には深い隈があり、剃り残しのある口周りは酷くだらしがない。

 ただ優しく温かな雰囲気で笑うのが印象的な、そんな男性であった。

 彼はよく彼女の話し相手になってくれた。

 彼女にとって人とのコミュニケーションとは彼と対話することを意味していたのである。

 彼からは沢山の知識を教わった。生きる為の知識。必要のない知識。そういったものを彼は彼女に与えてくれた。

 知るたびに少しずつ、彼女の中で外に対する興味が蓄積されていった。知らなければこの狭い部屋で終わっていた筈の彼女の世界は、見たこともないものに対する憧れで広がっていったのだ。

 何のために自分は生まれて何のために毎日この狭い世界で生きているのか。彼女には分からない。

 彼女を管理する者達は明らかな目的があって彼女を検査しているように思える。

 そこに悪意を感じなかったから大人しく従っていた。

 いつか外の世界を見てみたいと夢見ながら、それも叶わぬかもしれないと薄々気付きつつ。それでも何かが出来る訳でもない。

 そんな日々が続いた。




 ゆっくりと体を起こす。

 どうやらうたた寝をしていたらしい。

《お目覚めですかみく様》

「おはよう……」

 ソファで座ってくつろいでいたところから記憶がない。

 紡を送り出してからソファに座ってえーちゃんと話していて、そのまま寝落ちしてしまったようだ。

 ソファはそれを感知してみくの体を支えるようにベッドの形に形状を変えていた。

 寝心地が良すぎる。

「私どのくらい寝てたの?」

《二時間程度ですね。今は昼過ぎです。みく様、そろそろお食事はどうですか?》

 きゅー。っと可愛らしいお腹の音が鳴る。

 恥ずかしいのか少しだけみくの顔が赤く染まった。

「お腹空いた」

《そのようですね。何かご希望は有りますか?》

「オムライスっていうのが食べてみたい」

 ふと思い出した記憶。

 もう会うことが出来ない彼がよく好んでいたらしい食べ物だ。

《任せてください。赤羽家ではオムライスは人気でしたからね。よく作っていました》

「紡がオムライス好きなの?」

《もちろん紡様もお気に召していたようですが、赤羽家でオムライスが多いのはむしろお父上の要望ですね》

 みくはオムライスを食べたことがない。

 えーちゃんの話では紡もその父親も好きな食べ物だという。

 期待が高まる。

「楽しみ……」

《では出来上がるまでしばらくお待ち下さい。なにか映画でもご覧になりますか?》

「ううん。それよりもっと紡の話を聞きたい」

《あー、構いませんけど。紡様には内緒ですよ?》




 梟が目を覚ますと、そこは真っ暗な場所だった。

 どうやら座らされているようだが、両手足の自由がきかない。恐らく椅子に両手足を縛り付けているのだろう。

 目隠しも猿轡もない。

 ということは見られても騒がれても困らない場所だということだ。

 情報を引き出された挙句に殺される未来が容易に想像出来た。

 梟は拷問されても黙って死ぬことを心に決める。

「随分長いこと寝ていたみたいだが、お目覚めの気分はどうだ?」

「悪くはありませんね。両手足が自由なら文句なしなんですが」

「悪いがそいつは外せない」

「かの有名な白銀しろがねが私如きを警戒するとは光栄な話ですね」

「いや俺としてはお前が縛られてようがいまいが一緒なんだがな」

 その言葉が誇張でもハッタリでもないことはよく知っている。

 かつてこの白銀という男は梟の所属する組織をたった一人で半壊させた実績があった。

 単純な強さで比べるならば、白銀はスラム街最強の能力者だろう。

「こいつを連れてくにあたってお前を無力化しないといけなくてな」

 そう言って白銀が呼んだのは一人の少女であった。

 見た目10歳前後の幼い姿だが、彼女の持つ能力はスラム街ではあまりにも有名だ。

「彼女が噂の白銀お抱えの秘密兵器ですか」

 個人では最強の戦闘能力を持つ白銀が、スラム街で組織に並ぶレベルの圧倒的な影響力を持つ理由のひとつ。それが彼女だ。

 彼女の能力は読心術。人の心を読む能力。

 非常に希少な能力で、精神系統では最高クラスだ。

「なるほど確かに彼女を使えば私の意思に関係なく情報を引き出せる」

 そう言い終えるや否や、梟は大きく口を開き。

「奥歯に仕込んだ毒ならもう外してある。舌を噛み切ろうとしたらそれより早く歯を砕く。まさか出来ないとは思わないよな?」

「………………噂に違わぬ優秀さですね」

「そりゃどうも」

「なら手早く済ませて殺すといい。情報を抜かれて逃げ帰ってもどうせ殺されるだけですからね」

 梟は観念したかのように笑って言う。

 しかしその目は常に脱出の機会を探っているように思える。

 油断ならない男だ。

寧々ねね、どうだ?」

 白銀の問いに寧々と呼ばれた少女は静かに首を横に振った。

 梟の位置からでは彼女の顔は暗くて確認する事が出来ない。

「そうか。仕方がない、残念だが次を当たるか」

 おかしい。

 彼女に思考や記憶を読まれたとして、梟の頭にはしっかりと計画の全容と目的や細かな手段まで入っている。

 梟は組織でそれだけの立場の人間だ。

 何も知らされていない下っ端とは持っている情報量が違う。

 それを手に入れて次を当たるという言葉には繋がらないだろう。

 ということは。

「なるほど読心術も万能ではないようですね。読むには条件付きですか?」

「条件付きつーか、相性だな。寧々の能力は相性が良い相手にしか機能しない」

「随分とあっさり教えてくれるのですね」

「別に隠してる訳じゃないしな」

 白銀が手でもう戻っていいと合図すると、寧々と呼ばれた少女は静かにその場を離れる。

「私に拷問してみないのですか?」

「嫌だよ面倒臭い。お前死んでも言わないって顔してるぜ?」

 確かに梟は何をされても言わない自信がある。

「そんなことに時間を使うより、寧々の相性に合う奴を探してくる方が早い」

「さてそうでしょうか?」

「あん?」

 梟の挑発的な声色に白銀は苛立った声で睨みつける。

「殆どの手下が計画の全容を知りません。知っているのはリーダーと幹部と一部の優秀な部下のみです」

「ならリーダーか幹部探すだけの話だ」

「うちの組織も馬鹿じゃない。かなり貴方を警戒してますよ、貴方はそれだけの影響力がある」

「……何が言いたい」

 梟はニヤリと薄気味悪い笑みを浮かべた。

「私と取引しませんか?」

 白銀は黙って数秒考え込み。

 一度溜息を吐いてから口を開く。

「いいだろう。乗ってやるよ。……詳しく話せ」

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