第3話 裸ワイシャツ(未遂)
女の子受けの良い料理とはなんだろうか。
これが例えば男友達であれば悩みはしない。嫌いな人が滅多にいない鉄板のカレーライス。
食べ盛りの男子に優しい唐揚げや豚カツ。簡単に外れのない安牌を選択出来る。
しかし相手が年頃の女子となれば話は別だ。
お洒落な方が良いのか。ボリュームとかあり過ぎると良くないのか。
分からない。正直分からない。
元カノはむしろキッチンを占領して手料理を振舞うタイプだった為参考にならない。
外食なんてした覚えがない。何故ならデートは毎回彼女が手作り弁当を作ってきてくれたからだ。
思い出すと地味に死にたくなってくるので紡はこれ以上記憶を探るのをやめた。
そして思考は最初に戻る。
女の子受けの良い料理とはなんだろうか。
答えは簡単だ。
本人に聞く。これが一番である。
「みくは夕飯は何が食べたい?」
「紡に任せる」
終わった。
任せられてしまった。
正直女子受けの良い料理なんて紡には分からない。
もうここは嫌いな人が滅多にいない超王道カレーライスで良いだろう。下手にお洒落感を狙って滑るよりずっといい。
困ったら奇をてらうことなくシンプルに直球勝負が紡の信条だ。
「えーちゃん今晩はカレーライスと中華スープ、それにサラダをお願い」
≪かしこまりました≫
「えーちゃんが作るの?」
みくが首を傾げる。そのさり気ない仕草が可愛いと紡は思う。
≪はい、基本的に赤羽家の台所は私が預かっていますね≫
「僕も父さんも料理はからきしだからね」
男二人。えーちゃんがいなければまともな食事などありつけない。
今は男一人だが。
「みくはカレーは好き?」
「好き」
「良かった」
本当に良かった。
カレーライス最高。カレーライス最強。
≪お風呂の準備が出来ましたので、お食事が出来上がるまでに温まってはいかがですか?≫
「流石えーちゃん気が利くね」
と言いつつ紡はまだ入る気はない。お風呂は来客に先に譲る気だ。
「よければ先に入ってきたらどう?」
「でも……」
「僕のことは気にしなくていいから」
「いやえっと、着替えがないの」
確かにそうである。
もちろん赤羽家に女性物の着替えなど準備してはいない。
≪速達で使い捨ての女性用下着なら準備できますが≫
「なにそれどこ需要の物なの!?」
思わず紡が声を荒げた。
≪徹夜明けの女性職員だとか、急なお泊り等意外と女性に人気なサービスのようです≫
「あー、なるほどね。それはどの程度で届くの?」
≪十五分程ですね。ゆっくり湯船につかればあがるころには届くでしょう≫
「なら彼女のサイズの物をお願い」
「私のサイズが分かるの!?」
≪入室時のメディカルチェックで身長体重スリーサイズその他は調べています。大丈夫です。安心してください、本人以外は閲覧できないようにプロテクトが掛かっています≫
みくの驚きの声にもえーちゃんは淡々と対応する。
「今着ている服とかは洗濯して乾燥させれば明日の朝には着られると思うし、問題はお風呂上りに着る服か……」
「何か貸してもらえるの?」
「――っ」
一瞬だけお風呂上がりの火照った彼女の体を自分のワイシャツで着飾った姿を妄想したのを許して欲しい。紡だって健康な男の子なのである。
「紡?」
非常に純粋なみくの瞳が向けられて胸が痛くなった。
主に罪悪感で。
「ジャ、ジャージとかどうかな」
「うん、それを借りるね。ありがとう」
落ち着かない。
そわそわする。
一つ屋根の下。自分の意中の異性がお風呂に入っている。
その事実がどうも紡の平常心を奪う。
≪リラクゼーションBGMでもお流ししましょうか?≫
「お、お願いするよ」
落ち着いた曲調のBGMが流れ始める。流石はえーちゃんセンスが良い。
≪紡様そんなに緊張しなくても、私がいる限りラッキースケベ的展開は起こらないと思いますよ≫
「それじゃまるで僕がそういうのを期待してるみたいじゃないか!!
≪違うんですか?≫
「違うよっ!? でも落ち着かないんだ!! 仕方がないだろう!?!?」
紡は基本的に紳士だ。いや紳士であろうと常に気張っていると言い換えるべきか。
しかしそれと同時に健全な男の子でもある。
どう頑張っても意中の女の子がお風呂に入っていれば意識しない訳がない。
これはスケベ心の有無とは関係なくだ。
一つ訂正しよう。
流石に紡にも多少のスケベ心はある。
だから落ち着かないのだ。
ソファに深く預けてBGMに意識を集中する。
こういうときは意識を逸らすに限るのだ。
思ったよりも疲れていたのか。
死ぬと決めた覚悟がそれなりの精神的負担になっていたのか。
紡の意識は深く沈んでいき。
浮上することなくそのまま途絶えた。
おかしい。
どうしてこうなった。
これは夢だ。
年頃の男の特有の欲望に塗れた夢だ。
ふにっ。という柔らかい感触が紡の肘に当たる。
彼女の胸だ。意外とある。どうやらみくは着やせするタイプらしい。
これがノーブラの胸の柔らかさなのか。意図せず全神経を肘に集中してしまう。
「んっ、うん……」
どうやら彼女はまだ夢の世界らしい。
感触で分かる。現実逃避はやめよう。
これは夢ではない。
事実としてソファで寝ている紡にみくが抱き着くようにして寝ている。
それはもうぐっすりと寝ている。
そういえば寝落ちしてしまった為にみくにどこで寝てもらうか伝え忘れていた。それで彼女は寝る場所に困って紡の隣に落ち着いたのだろう。
そんな訳ない。
冷静に考えて向かいに誰も座っていないソファがある。わざわざ紡と同じソファを選ぶ理由はないのだ。
「むにゃ……」
みくが身動ぎするたびに柔らかくてすべすべな何かが形を変えて紡の腕に密着する。
紡に至っては理性を保つのに精一杯だ。
悪魔的誘惑過ぎる。
目の前のこの可愛い生き物を抱きしめることを我慢しているその強烈な理性を称えるべきだ。
≪状況を説明いたしましょうか?≫
その声で我に返る。
そうだ、この家にはえーちゃんがいるではないか。
彼女に聞けば昨晩紡が寝た後に何があったのか教えてくれることだろう。
「お、おねひゃいしましゅっ」
緊張とこわばりから変な声が出た。
≪昨晩お風呂上がりのみく様はソファで寝落ちする紡様を発見しました。私は起こすことを提案したのですが、疲れて熟睡しているのを起こすのは可哀想だというみく様の判断で放置した次第です≫
「それでなんでみくが僕の隣で寝てるのさ!?」
≪みく様は寝る場所に困ったようで、私が紡様の向かいにあるソファで寝ることを提案したのですが……≫
「でも僕の隣にいるよ!?」
≪はい。真夜中に寝ぼけた彼女はぬくもりを求めて紡様を抱き枕代わりにしたようです≫
「く、か、……かわいい。じゃなくて、これどうしよう!?」
≪あまり騒ぐとみく様を起こしてしまいますよ?≫
「うっ、ぐ……っ」
慌てて口を塞ぐ。
≪別に紡様は寝ていただけですし、悪いことをした訳でもないので放っておかれては?≫
「ばか! 悪いことしてなくたって寝起きの男の子の一部分はセクハラだよ!!」
紡の大きな声に反応してみくが起き上がる。
「―――――――――っ!?!?!?!?」
声にならない紡の悲鳴が部屋に響き渡った。
みくが半目で紡を見つめている。
紡は絶望的な表情でみくを見つめている。
沈黙がしばらく続き。
「うるさい」
紡を抱きしめたみくはそのまま再び深い眠りに落ちていった。
≪どうやら寝ぼけていたようですね≫
紡に反応がない。
≪あら、紡様も色々限界で意識が落ちたようですね≫
顔をゆでだこのように真っ赤にして紡は意識を手放した。
目覚めれば再び同じ状況になる。これが問題の先延ばしでしかないことに目覚めた紡は気付くことだろう。
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