第13話 困ったものですね

 フランチェスコは久しぶりに自室のベッドで目を覚ました。サラサラとした手触りのシーツは寝心地がよかった。


 もちろん、留学先の隣国でも上質の品々に囲まれて生活はしてきたが、こちらに比べて暑い国であった為、夜でも熱い風が吹いてくるなど、どうしても慣れない生活ではあった。


 適度な湿気を帯びた朝の風が、部屋の中通るのがなんとも心地よい。気持ちの良い朝を迎えられたのは、ひとえに侍従のお陰なのだと改めて思う。


「おはようございます。フランチェスコ様」


 隣国にも連れて行った侍従は、フランチェスコの好みをしっかりと把握してくれているため、寝起きのお茶も爽やかな香りのする一杯を用意してくれる。


「どうぞ」


 トレイに乗せられ手元に出されたカップは、程よい温度にいれられたお茶が、申し分ない量注がれていた。

 色も透明で美しい色が出ている。


「ありがとう」


 カップを手に取り優雅に口に運ぶと、ゆっくりとお茶を口に含む。朝にふさわしい爽やかな香りが鼻から抜ける。ゆっくりと喉を上下させれば、口の中から喉にかけて温められて、体の中から目が覚めるようだ。


「エドアルド様はお目覚めになられたかな?」


 交換留学として、帰国の際に一緒に入国した隣国の王子、エドアルドはフランチェスコの屋敷に滞在していた。

 王宮に部屋を用意しようとしたのだが、いきなり見ず知らずの人々しかいない所に行きたくないと駄々をこねられた結果である。


 人見知りなのかと言えばそうでも無い。そんな印象の王子である。屈託のない笑顔を向けてきて、王子とは思えないほどのスキンシップを仕掛けてくる。

 フランチェスコは最初の頃、エドアルドの渦状なスキンシップにかなり戸惑った。肩を組むのが当たり前で、歩く時は腰に手を回してくるほどだ。気候のせいなのか、やたらと服を脱ぐ。それも平然と人前でもするのだ。フランチェスコは何度心の中で止めてくれと叫んだことだろうか。


 しかし、エドアルドもその回りの者たちも、何も気にしていないのだ。大らかな国柄とは言え、王子がそんなことでいいのかと、フランチェスコは心配する毎日だった。

 流石に気候が違うから、エドアルドもやたらと脱ぐことはしない。こちらの服を着るわけではないが、それなりに肌の露出を抑えた服装をしてくれる。


 着替えをし、朝食を共にとるためにエドアルドの部屋に向かった。

 侍従が快く通してくれたので、起床しているものだと思っていたのに、エドアルドはまだ夢の住人であった。


「……エドアルド…殿下……あ、朝で、す」


 なぜ?なぜ故自分が起こさなくてはならないのか?振り返れば、エドアルドの侍従はニコニコと人の良い笑顔を浮かべているが、仕事を一つこちらに押し付けてきたのではないか?

 昨日は一日ゆっくりしていたはずだ。疲れていることは無い。


「………っん」


 猫のように背中を伸ばし、エドアルドが上掛けの中からその姿を出てきた。


「!!!!!」


 エドアルドの姿を見て、フランチェスコは声が出せなかった。いや、声を出さなかった事が素晴らしい。


「エドアルド…で、んか…」


 なぜ、なぜ裸なんだ?

 フランチェスコは逃げ出したかった。

 なぜそんなに見せたい?


「ああ、おはよう」


 爽やかで、それでいて蕩けるような笑みを浮かべてエドアルドがフランチェスコに挨拶をしてきた。が、フランチェスコはエドアルドを直視出来ない。


(頼むから、隠してくれ)


 寝起きはかなりいいのだろう。

 胡座をかく姿勢で、寝台の上に座るエドアルドはかなり目覚めもよくご機嫌な様子だった。


 どこもかしこも。


「エドアルド殿下、おはようございます」

「堅苦しいな、エドでいい」

 エドアルドはご機嫌だ。


 ニコニコしていて、嬉しそうにフランチェスコを見つめている。


「エドアルド殿下、朝食の前にお支度を…」


 振り返ってエドアルドの侍従に支度を促そうとしたら、フランチェスコは突然寝台に引きづりこまれた。


「フランがしてくれるのか?嬉しいな」

「なっ、何の話ですか」

「もちろん、朝食前の身支度だ」


 自分の手が、ご機嫌なエドアルドへと導かれて、フランチェスコは驚愕した。


「なっ、何事ですか?」


 いのいやいや、朝からなにするつもりでいるんだこの殿下は。そのご機嫌でいて、凶悪な代物を握らせてくるとか朝からどんなスキンシップをするつもりなんだ。そんなものは夜のうちにすませておけ。

 とは、絶対に口にはできない。

 だがしかし、フランチェスコが強制的に握らされてしまったこちらの代物は、どうしたらいいのだろう?王族なんだから、この手の者は専任の侍従が対処するものでは無いのか?


「恐れながらエドアルド殿下?この手のことは夜のうちに済まされるのが懸命かと」


 目を合わせて進言してみると、意外なまでにエドアルドは笑顔であった。


「ならなぜ昨夜来てくれなかった?」


 予想の斜め上の答えを貰って、フランチェスコは顔を引き攣らせた。


 そうじゃない!


 なにを勘違いしてくれているんだ。

 自国から連れてきていないのか?それともこちらで手配を忘れたことを遠まわしに咎めているのか?いずれにせよ解せぬ。なぜ、自分が相手をする前提なんだ?あちらにいた時にそんなことをした覚えはないぞ。

 ご学友とそんな戯れしていたのか?


「エドアルド殿下、このようなことはっ…」


 しかし、困ったことにフランチェスコの右手には、エドアルドの分身がいらっしゃる。

 朝っぱらからなんの罰ゲームだというのか?

 こんなこと、普通では考えられない。

 そう、エドアルドは交換留学で来ているのではないか。なにを学ぶつもりなんだ?いや、フランチェスコに、何を学ばせるつもりなんだ?

 こんなことの対処は全く未知の世界である。


 率先してこの対処をする訳には行かない。

 あくまでも交換留学なのだ。

 正しく学業を習得して頂かなくてはならない。フランチェスコは頭の中で目まぐるしく考えた。この状況をどう打開すればいいのか。

 引き寄せられた体勢のせいか、片膝だけが寝台に乗り、不安定極まりなかった。

 おかげで体勢を変えることも出来ず、前を向けばエドアルド、下を見ればエドアルドの分身と、自分の右手だ。


「……っあ、あの…エドアルド殿下」


 至極ご機嫌なエドアルドと目が合い、フランチェスコはただただ戸惑うしかない。

 なぜ、なぜ故にこの御仁は見つめあったままこのようなことが、できるのか。朝なのに。

 いや、朝だからなのか?

 なんにしても、フランチェスコにとって未知の経験がいま達せされようとしている。


「友人同士でするものではないのか?」


 そう言ってエドアルドはフランチェスコを引き寄せた。片膝だけが寝台に乗っていたフランチェスコは、バランスを崩してエドアルドの、胸に倒れ込むような体制になってしまった。


「……うっ」


 エドアルドの素肌にしっかりと顔を埋めることになり、フランチェスコは狼狽えた。

 不敬極まりないではないか。

 しかし、体勢を立て直そうとも、フランチェスコの右手はしっかりとエドアルド自身を握っている。体勢を整えるために力を入れることは出来ない。

 そして左手は、体勢を崩してしまったがために、エドアルドの背中に周り、まるで縋り付くように爪を立てないようにエドアルドを掴んでいた。

 これはまずい。


「エドアルド殿下っ、危ないではないですか」


 目線を上げ、フランチェスコが抗議すると、エドアルドは笑っていた。


「そんなに怒ることはないだろう」


 自分の意思では身動きのできないフランチェスコは、爽やかな笑顔を向けるエドアルドを凝視するだけである。

 今更ながら、握らされたとはいえ、右手を離せばいいのだとフランチェスコは思い至った。何をいつまでも律儀に掴んで差し上げているのか。

 そうだ、離そう。

 手を離せばいいのだ。

 フランチェスコは、右手を解放し、改めてエドアルドと向かい合った。

「エドアルド殿下、さっさとトイレに行ってください」

 フランチェスコは、できる限り真面目な顔をして言った。

「うっ」

 エドアルドはフランチェスコの顔を見て、これ以上のじゃれあいが不可能だと感じ取った。

「お早く」

 フランチェスコがもう一度言うと、ようやくエドアルドはトイレに行った。しかし、何故裸のままなのか。

 自室だからなのだろうか?それにしても無防備だ。

 フランチェスコはこちらの部屋の警備について、今更ながらに考えるのであった。

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