8話 ステージの終わりは、激しく苦い思い出
それではっとし、目を開けたが、既に会場に人はいなくて。
俺は、誰かによって、タオルを敷かれた上に寝かされていた。
額には、冷たいタオル。
一体どうなったんだろう、そう思い体を起こそうとしたが。
激しい痛みで、それをキャンセルしてしまう。
「ぐぅ!痛い……。」
誰もいない空間に、自分の声が。
「!文君!気づいたんだ!」
遠くから、杏が俺の様子を見て、駆けつけてきた。
もうステージの衣装を脱ぎ、いつもの地味な姿であった。
俺に駆け寄り、痛むと知っていながらも俺を優しく抱き締めた。
温かい涙が、俺の背中を伝う。
「来てくれたんだ!」
その言葉だけで、彼女の全てを感じ取れる。
自分を見に来てくれて、ありがとう。
自分の意志を受け止めてくれて、ありがとう。
全てが伝わる。
「何で泣いてるんだよ。よかったじゃないか。むしろ、泣きたいのは俺だ。この酷い体の痛み、これは治るのに時間かかりそうだ。」
「だって!だって!!文君がこんなにボロボロで。でも、来てくれて。私、私……。うう!」
声を掛けてやる。そんなに泣かなくてもと。
彼女はどうも嬉しいらしく、涙が止まりそうになかった。
俺は、仕方ないと、何も言わずに、優しく頭を撫でてやる。
安心したのか、嗚咽も聞こえなくなる。
「……文君。聞いて。私……。私、あなたのことが……。」
安心したついでに、決心もついたんだろう。言葉を紡ぎ出す、俺を救う一言を。
「私、あなたのことが、大好きです!いつもいつも。私を守って、私をかばって、そして今日は、私のために来てくれた!これ以上、もう何も言えない!!だって、大好きなんだもん!」
「……。」
俺は黙したまま。けれど、笑みを浮かべていた。
それだけでよかった。彼女は、それだけでも、十分よかった。
また、涙を流す。嬉しくて、嬉しくて。
俺はそんな彼女を、優しく撫で続けた。
いつしか、彼女は火照ったような顔になってくる。
そうなったら、その後何をするのかもう分かっている。
口付けだ。
互いを見つめ、やがて、唇と唇とが触れ合いそうに。
「にゃぁああああああ!!文彦君キスしようとしてる!!にゃぁん!私も、私も私も!!」
「うげっ!」
その時になって、はははは、何て空気の読めない女の子なんでしょう。
マリが会場の向こうから登場した。羨ましさに、体をうずうずさせている。
土煙を上げるスーパーダッシュで俺に突撃してくる。
「文君、あの女の子は?!」
「いやいやいやいや!!そうじゃなくて、に、逃げろっ!!あいつは今、新幹線並みの運動エネルギーを持っている!!!ただじゃ済まないぞ!!」
「愛のタックル!!ドォォン!!」
杏が聞いてくるが、弁明するよりも、逃げることを言う。……言葉に偽りはない。
あいつが俺を担げるほどの筋力を持っていることから。
突撃をまともに喰らったらそれこそ命に別状が。
「きゃぁああああ!」
でも動いてくれなかった。このまま、俺と杏は死んじゃうのか?!
その時……。
「天の光満ち満ちて、悪を討ち、善を守らんとする。我誘うは、黄泉の門なり。さあ、深遠の果てへ還れ、招かれざる者よ!」
『ヘブンズ・ジャッジメント!』
どこからか、聞き覚えのある声が聞こえる。というか、こんなタイミングで。
こんなことしようとするのは、猫神以外いないのだけれども。
しかし、『ヘブンズ・ジャッジメント』とはまた、派手な。
猫神の呪文の詠唱が終わると、天井に光が集結し、燦々と照る。
やがて、球体となってすごいスピードで落下してくる。
「ぶにゃぁああああ!!」
……マリに。
ズゥゥゥン!ドゴォオオオオオオン!!
直撃したと思ったら、今度は大爆発をする。
逃げることができないが、幸いにも、こちらには衝撃が届くことはなく。
被害はなかった。
「ちっ!外したのじゃ!!我も鈍ったものよの!7代目を燃やし尽くしてやろうと思うたのにじゃ!!」
舌打ちをしながら、マリと同じように遠くから登場。
そのついでに、物騒なことを言う。
待て、俺もろとも杏を殺すつもりだったのか?!
酷い奴。
にしても、哀れだな、マリ。いい娘だったんだけどな。
仕方ない、この際だ、骨が残っていたら、拾ってやろう。
で、お墓を作ってやろう。
俺はこっそり思い、1人気づかれないように手を合わせた。
「にゃがぁあああああああああああああ!!!」
ドォォォン!!
崩れてきた資材や瓦礫を、蹴りで飛ばし、マリは復活する。
ボロボロの制服だが、元気はあるようで、尻尾を逆立てていた。
何てタフな奴……。一瞬哀れんだのを、俺は撤回する。
ん?
マリの様子から、何かを感じる。それは、激しい怒り。
猫の耳は怒りに震え、尻尾の毛は逆立ち、異様なほど膨れ上がっていた。
「?!なぬ?!我の猛攻を耐え抜くとは、何年ぶりか?!」
「ふしゃぁあああああああああああああああああああ!!」
その姿に、猫神は驚いていた。
傍ら、その様子すら隙と見抜いたマリは、咆哮し突っ込んでいく。
いつものマリの姿はそこにない。あの、愛らしい猫のマリは。
今のは、獣。
「ぐにゅぅ!!抗うか!!」
負けじと抵抗する、猫神。しかし、ぶつかり合っても、力で押されている。
「うなぁあああああ!!文彦君は、私のものだよぉおおお!!!うなぁああああ!!」
ガギィィイン!!
ぶつかり合う音は、金属のような音であり。
叫ぶマリは、それでも俺にぞっこんだった。
「ぬぅ!こやつめ、やりおる!見くびっておったわい!にゃら、我も本気を出すとしようかの!」
「……はぁあああああああああああああ!!」
猫神は、このままではいかんと、気を集中する。
その流れは物凄く、そこはやはり、神様と言われるだけはある。
物体を動かすほどの風を、生み出していた。
「うにゃぁああああああ!!」
「ぶげっ?!」
が、マリはその流れに乗り、遠心力を利用したパンチを食らわせた。
……マリ、戦いなれているのだろうか。
気を集中したそれだけでも隙とするなんて。
猫神は体勢を崩してしまう。
挙句……。
「お、おのれぇええええ!!我を侮辱しおって!!お、覚えおるのじゃ!!今日のところは、これぐらいにしといてやる!!」
崩れたら、そそくさと負けの捨て台詞を残して、走り去ってしまう。
うは……猫神も、意外と弱いんだな、と内心してやったりな気になる。
走り去ったなら、静寂が戻る。
マリの尻尾は落ち着きを取り戻し、元の細く、しなやかな尻尾に戻っていく。
くるりと振り返り。
「にゃぁあああん!文彦君にダイブぅうう!!」
目を輝かせて、俺にダイブしてくる。
「切り替え早っ?!」
……としか、俺は言えなかった。
後は、猫耳娘に成されるがままである。強烈なスキンシップ。
それを間近で見る杏は、驚きからやがて怒りにその表情を変えていた。
「文君!!どういうこと?!」
「あー、これは、だな……。勘違いと言うか、何と言うか……。」
問い詰められるが、俺にはどう言おうか判断がつかず、言葉がたどたどしくなる。
これは、彼女の怒りに油を注いでしまった。
あまりにはっきりしない俺の言葉に、彼女は顔を真っ赤にする。
恥ずかしさではなく。
「はっきり言えない関係だなんて……不潔よ!!!文君の不潔!!大嫌い!!わぁあああああああん!!」
「!うおっ、ちょっと?!」
もう弁解の余地はない。彼女は激怒と。
恋人がいたという勘違いから来るショックに、とうとう泣き出してしまい。
そのままの勢いで逃げ出してしまう。
ああ、いつか見た光景。それも何度目だろう?
俺は、待ってくれと手を伸ばすものの、その姿はもう遥か彼方。
がっしりと捕らえられ、身動き1つできない俺は。
最終的にはその手を力なく下ろしてしまう。
トホホ……。
またフラれてしまったよ、猫2匹によってね。
そう考えると、俺の瞳から涙が溢れてきた。
マリからの強引なスキンシップが続く中、俺は終始涙を流し続けた。
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