第20話 この世の肥溜めみたいな場所 ラスト
定則は家に帰ると、まず湯船のメイジを便所に移した。それから浴槽にこびり付いた藻や、餌のカス、糞尿を念入りに掃除する。満を持して熱いお湯を張ると、身を浸して今日の疲れを溶かしていく。
「は~……疲れたぁ~……今日も滅茶苦茶だったなァ~」
手の平でお湯を掬い、顔を念入りに洗う。すると顔面に鈍痛が走った。
「っ痛……あのアマ結構力があるじゃないか……でもまぁ……エニスクさんとの約束も守れたし……イエナも無事捕まったし……今日はいい日だ」
込み上げる嬉しさに、鼻歌を奏で始める。
しばらく定則は湯気を目で追いながら、ゆっくりとくつろいだ。
不意に鼻が異臭をかぎ取った。
定則は鼻歌を止めると、眉根を寄せた。
「ン……何の匂いだ? 入浴剤なんて使ってない――」
定則は湯船を見下ろして、絶句した。
今まさにお湯が変色し軽く渦巻いて、別次元への境界へと変わろうとしていたのだ。慌てて湯船から這い上がろうとするも、境界の向こうから魔の手が伸び、定則を湯船に引き留めた。
「に・が・し・ま・せ・ん・こ・と・よ」
声と共に境界が水柱を上げ、ククルーテが飛び出してきた。破れた服を仕替えたらしく、真新しいドレスを身に纏っている。しかし頬は打たれて赤いままで、一度泣いたのか眼も充血していた。
ククルーテは浴槽の縁に屹立すると、定則に蹴りを食らわせて、湯船から出られないよう牽制した。
「あ~……ここまで来るのに苦労しましたわ。でもボーダーランドに仕えているだけありますわね。ルガマーテも少しは役に立ちましたわ」
「あのキンタマヤロォォォ! 真理! お前他に賃金滞納している家来いないか! あの腐れジジィもう一度叩き込んでやる!」
定則は脱衣所に絶叫する。だがククルーテが定則の顎を摘まみ、無理やり自分の方に向けさせた。
「さて。こんな所に長居はしたくありません。ひとまず示談と生きましょうか」
ククルーテは嗜虐心をそそられるように、ニヤリといやらしい笑みを浮かべた。
「まず私が受けた物的損害ですわ。サークルの解散と皮膚と髪の乱れ、そして靴を舐めなかったことによる汚れの残留、更に押収された円卓の弁償ですわ。そして精神的苦痛と屈辱、心的外傷を被りました。恒久的な謝罪と、人生を使った賠償をしてもらいますわ」
「何言ってんの? 常識と良識と道徳をママンの子宮に忘れたのか!? お前の場合は違うな! 精子に含まれていなかったんだろうな!」
定則はククルーテに掴みかかろうとする。しかし彼女は蹴りを浴びせて、定則を湯船の中に突き落とした。
「ひとまず私が求めたら謝罪をすること。そして私の奴隷として生涯仕えること。これで手を打って差し上げましょう」
「手を打つ前に頭打ったんじゃないのか!? ここは病院じゃないぞ? 黄色い救急車呼んでやろうか? それとも天からお迎えを呼んでやろうかこのメスブタァ!」
喚く定則の目の前に、ククルーテがブーツを乗せた。そして腰から馬を打つ棒のような鞭――馬上鞭を取り出して、定則の頬を一撃した。
「しゃぶれ。この豚野郎」
「真理ィィィ! 俺はもうキレたぞ! この腐った娼婦バビロンに送り返してやるゥゥゥ!」
定則はそう宣言すると、ククルーテに殴り掛かろうとする。
時同じくして、再び湯船が変色し、軽い渦を巻き始めた。
今度飛び出してきたのは、イエナだった。派手に暴れたのだろう。身に纏う洋服は引き裂かれ、布切れとして身体にひっかかっているだけだ。彼女は首から千切れたリングの破片を引き剥がすと、歯を剥き出しにしてククルーテを威嚇した。
「出てけ。人の旦那を誘惑するな」
「お前何脱獄してんの!? ややこしくなるでしょ! 大人しく留置されて来いよ!」
ククルーテはイエナの剣幕を鼻で笑う。
「変わったペットですこと。ですが躾がなってませんねぇ。トイレの場所はお分かりかしら? ほぅら。試しにそこでして見せなさいな」
イエナが雄叫びをあげて、ククルーテに掴みかかっていった。風呂場で激しい取っ組み合いが始まる。浴槽が割れ、お湯が零れた。鏡とガラスが砕け、そこら中に散らばる。風呂の入り口では、異界の化け物が上から下への掴みあいをしている。
定則は這うようにして、風呂場の窓から外に出た。
定則の常識が壊れようとしているのに、外の世界はいつもと変わらなかった。
寒風が吹いており、街灯の明かりが無人の道路を照らしている。隣には幼馴染の家があり、入浴中の真智が関わり合いになりたくないよう窓を閉めた。
定則は他に求められる助けを知らず、天を見上げた。そこには満月が爛々と輝いていた。
「神様……いるんだろ……いなきゃこんな奇跡(ミラクル)続かねぇもんな。いやよ。文句があるって訳じゃねぇよ。普通の両親を持てて、治安の良いとこに生まれて、隣人に恵まれてさ、俺すっげえ幸せだよ。だけどよ……だけどよ……いくらなんでもこれはやり過ぎなんじゃないかなぁ? 俺という肉じゃがにカレールーをぶち込むんじゃねぇよ! 肉じゃががカレーになっちゃうだろ! 俺の要素が消えるだろォォォ!」
風呂場がより騒がしくなる。どうやらイエナを追って、次元治安維持局が現着したようだ。
「逃亡者発見! 捕獲せよ!」
「何だ!? 力が出ないぞ! 薬がばら撒かれている!?」
「ククルーテ貴様か! だからボルゴと殴り合えるのか!」
「ていうか貴様薬物使用法違反で逮捕状が出てるぞ! 次元を超越してな!」
「依存性のある薬を洗脳に使うなァァァ!」
定則は現実から逃げるため耳を塞いだ。
「俺が何をしたっていうんだァァァ!」
彼女はイカ〇た雁木真理 水川 湖海 @Koumi-Minakawa
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