第18話 この世の肥溜めみたいな場所 その7
ククルーテが表情を引きつらせて、定則へと近づいていった。彼の前でスカートをたくし上げ、ヒールを履いた足を差し出した。
「あなた。ちょっとあなた。あなたのしたことは大変な侮辱ですわよ。今なら許して差し上げますわ。取り消した上に謝罪をし、賠償として私の靴をお舐めなさい」
「何でそんな事しなきゃならないんだよ! ルガマーテさん。こんな事言いたくないですけど、御宅の娘さん、危ないハーブをキメてハイになってますよ! 早いとこ病院に連れて行ってあげて! 出来れば閉鎖病棟をお勧めします!」
定則は懇願したが、ルガマーテは悲しい笑みを浮かべる。そして飛びかかるように手を構えて、定則ににじり寄っていった。
「定則様。申し訳ありませんが、娘の言う通りにして頂けないでしょうか? 娘の言う通り、靴をしゃぶり、ボウルに入り、働いて下さいまし」
「はぁ!? あなた何言ってるんですか!? 百歩譲って彼女は正常でマトモだとしますよ! もうそれでいいですよ! 俺たちはイカれているから、この世界から出て行かせてください! 頼むよ! 見逃してくれ!」
「娘の……為なんです……娘の……為なんですゥ!」
ルガマーテは喉から悲鳴を絞り出すと、定則に掴みかかった。足を払ってこけさせると、頭を鷲掴みにしてククルーテの足元に持って行こうとする。
「こんな所に思わぬ伏兵がいたぞォォォ! この益虫に擬態した寄生虫がァァァ! テメェもイカレたガンギマリかァァァ!」
定則は跳ね除けようとするが、ルガマーテの力は強く、定則の唇は徐々にガラスの靴に近づいていった。
ククルーテは口元に手の甲を当てて、哄笑を上げた。
「さ。早くなさいな。間違っても小汚い唇をつけてはなりません事よ、舌の先を伸ばしてお舐めなさい」
ルガマーテが定則の頬を指で挟みこみ、無理やり舌を出させようとした。その痩躯から想像もできない握力で頬を押し潰され、定則の唇を割って舌がはみ出して来た。
そして――
「旦那に何しやがんだコノヤロウォォォ!」
イエナがルガマーテの脇腹を、思いっきり蹴り上げた。
ルガマーテは抵抗すらできず、紙切れのように壁へと吹っ飛ぶ。壁に叩き付けられた饅頭のように張り付くと、重力に引かれてずるずると落ち始めた。
「テメェ人の獲物を横取りするとはどういうつもりだ!? 首にちゃんとアタシのマーカーがあんだろ! それに手を出すなんて――ハッ! さては貴様ホモなのか! ホモなんだな! ホモだったのか! 上等だ! 旦那は私だけのものだ! 私と勝負しろォォォ!」
イエナは絶叫すると、ルガマーテが床にへばる前にタックルを食らわせた。そのまま壁を突き抜けて、城の外へと飛び出していった。
定則は解放されると、埃を払って立ち上がった。今度こそはと、エニスクの腕を引いて立ち去ろうとした。
「行きましょうエニスクさん。真理ィ! エターナルノッカー用意しとけぇ!」
だがエニスクは視線を俯かせて、その場に佇んだ。
「ボン。それでも儂にとっては良い待遇かも知れん。職探しも疲れたし、頭の悪い雇い主にどやされるのは嫌じゃ。それに……それに……儂、雑種じゃし。他の食い扶持があるかどうか……よしんばあったとしても、儂馬鹿にされるかもしれんし……今までの頑張りを馬鹿にされるのが一番つらいんじゃ……じゃからこの創られた世界で、微睡むのも悪ゥないかも知れん……」
エニスクはすっかり消沈し、疲れ切った顔で肩を震わせていた。そしてついに堪え切れず、瞳の端から涙をこぼした。それは今まで彼女が歩んできた、苦行の道が垣間見えるほど、痛ましい光景だった。
「エニスクさん。こいつら外の社会で生きたくないだけなんです。そのくせその社会をそっくりそのまま、自分が支配できる形で再現しているんですよ。恥ずかしいったらありゃしない。差別とか理不尽とかは、ここは外と同じです。違うのは都合のいい支配者だけです」
定則は慰めるようにエニスクの肩をさすると、手を引いて外へと歩き始めた。
ククルーテはその背中に、罵声を浴びせた。
「いい加減におし! あなたさっきから黙って聞いていれば、好き勝手言い放題言ってくれましたわね。ですが良くお聞きなさいな! あなたのような不躾な輩も、そこの雑種も、どうせ外に出たところで、碌な偉業も果たせず死ぬに決まっておりますわ! オ~ホッホッホッホ! 皆さんごらんなさいな! 負け犬共がお帰りですわよ!」
「それの何が悪いんだ! 少なくとも俺には大事な物を、大切にする事ができるぞ! それすら出来ないくせに何言ってんだ! いい加減にしろよド下種野郎ッ……」
定則は足を止め、振り返りざまにククルーテの頬をぶった。突然の事に彼女は対応できず、床に倒れ込む。そして頬に手を当てつつ、定則を睨み上げた。
「ぶちましたわね……この私を……ルガマーテにぶたれた事もない……この私を……」
「ああ! ぶったさ! さぁ次はお前の番だ! いいよ来いよ! 腹なんてツマランとこ殴るなよ! 顔にこいよ顔に!」
定則はククルーテを助け起こすと、自分の頬を差し出した。
ククルーテはお望み通りと、定則の頬をぶった。
定則の顔は横に振れたが、すぐにククルーテに向き直りもう一回頬をぶった。
「二度も……二度もぶちましたわね!」
ククルーテは涙目になって定則に凄む。今度は定則がせせら笑う番だった。
「おら来いよ! とことん付き合ってやる! どちらかが根を上げるまでな! 感謝しろよ! お前が唯一持ってる、ツマランプライドで勝負してやるんだからな!」
「きぃ~!」
ククルーテがやけになって、定則の頬をぶつ。負けじと定則もぶち返す。やがて二人は上から下への取っ組み合いを始め、城内の床を転がり始めた。
エニスクは止めに入るべきか、それとも見守るべきかと、その場で迷い出す。その後ろで真理がノッカーを打ち鳴らしながら、二人の応援をしていた。
次第に定則の頬に青痣が浮かび、ククルーテのドレスがほつれていく。
定則の口の端から血が滲み、ククルーテのドレスが千切れた頃――城の鉄扉が外から開け放たれた。間を置かず城内に、青い制服を着た男たちがなだれ込んでくる。
男たちはエターナルノッカーに似た武器を持ち、統制のとれた動きで円卓を取り囲んだ。彼らは武器をククルーテたちに向けて警戒していたが、差し当たっての危険はないと判断したのだろう。ノッカーを下げると、掴みあう定則とククルーテを離れさせた。
今度は赤い制服を着た者たちが三人、城内に入って来た。
三人のうち一人は、ルガマーテに肩を貸している。あれからイエナにこっぴどくやられたのか、身体はズタボロになり、衣服はヨレヨレで酷使した雑巾のようになっていた。
当のイエナはと言うと、別の赤服に取り押さえられている。赤服の持つノッカーのリングを、首輪の様に嵌められて抑えつけられていた。
最後に残った体長格らしき赤服の男が、城内をぐるりと見渡した。そして反応に困って、乾いた笑みを浮かべた。
「アークランド次元治安維持局の者だ……あ~……私有地で獣が暴れていると、異次元110を受けて来たんだが……これは……その……『エライ』所に来てしまったようだな……」
どうやらイエナに襲われたルガマーテが、地球で言う警察を呼んだらしい。思わぬ援軍の到着に、ククルーテはほつれた衣服を正すと偉ぶった哄笑を上げた。
「ほ~ら見なさい! ここは偉い所ですのよ! 正義は私たちにありですわ! さァ次元公僕のみなさん! この無礼者を召し取りなさい!」
赤服はククルーテを無視すると、無線機らしき物を取り出して手短に言った。
「失踪者発見。あ~上流階級の失踪者がほぼここにいる。すぐ応援を寄越してくれ」
『本部了解。すぐに応援を向かわせる』
途端に円卓を囲う人々が騒めきだす。
ある者は逃げようとし、ある者は無関係を主張し、ある者はなおも自らの偉業を誇って応援を取り消させようとする。
赤服たちは青服の隊員に、抵抗者の確保を命じた。
通信からわずか数秒足らず、城内は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
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