第17話 この世の肥溜めみたいな場所 その6
円卓は中央が大きくへこんでボウルになっていて、ガラスのカバーが被せられていた。カバーの上部には白い霞が溜まっており、ボウルの底には街の模型が組まれているのだった。
街の様式は定則の世界で言う、中世のものだった。石造りの領主の館を中心にして、木造民家が展開している。街自体はボウルの片側に寄っており、もう片側には草原と森が広がっている。そこではミニチュアの羊が放たれ、草を食んでいた。
ボウルの世界は活気に溢れていた。人の雑踏が聞こえ、獣の嘶きが響き、熱気に風が渦巻いている。それもそのはず。ボウルの中では数百分の一に縮尺された人間が、生活を営んでいるのだ。
ある者は農服を纏い、ある者は宗教指導者として、ある者は鞭を打たれて、ある者は為政をしていた。このボウルの中には、もう一つの世界があった。
「どうしたの? 早く入りなさい。仕事が待っているわよ」
ククルーテはガラスカバーの頂点にあるコルク栓を抜くと、中に入るように定則たちに促した。
『ワー! ククルーテ様だ! 新たな啓示を下さるぞ! ワー! 我々に進むべき道を示してくださるぞ! ワー!』
ボウルから人々の歓声が上がる。定則たちは後退り、エニスクすらその一歩を踏み出そうとはしなかった。
「これは一体何ですか?」
定則が聞くと、ククルーテは扇子を取り出し口元を覆う。そして馬鹿を見下すようにくすくすと笑いを漏らした。
「何って……高貴なるものの国家ですわよ。ボウルの中に、人を一人ずつ送り込んで、一から創り上げましたの。ここがあなた方の仕事場ですことよ」
「ここは人工次元で、国じゃないでしょう? あなた方の国に連れて行って、そこで雇ってもらえるんじゃないですか? こんなジオラマの中で何しろって言うんですか」
ククルーテはボウルの中の世界を、『ジオラマ』と言った定則を睨み付けた。
「あなた意外とおバカさんですわね。奴隷に格下げですわ。あなた方はこの国で生きる事が仕事ですの。ずべこべ言わず入りなさい。難しい事を考えるのが、私どもの仕事ですの。どうすればいいかは教えてあげますわ」
「給料は……どうなっている……」
「それは私の仕事ではないですわ。中の人に聞きなさいな」
「この女からイッキリーと同じ匂いがするぞォォォ!」
定則は堪らず絶叫すると、エニスクの腕を掴んで急いで広間を出ようとした。
しかしエニスクは未だに諦めきれないでいるようだ。踏ん張ってその場に留まると、ククルーテに質問をした。
「あのう。良く分からないんですじゃが。儂はその……将来性のあり、誇りを持て、栄えある場所で働きたいんですじゃ。その……ここにはそれがないように思えるんじゃが……」
「これだから雑種は――」
ククルーテはやれやれと首を振って見せると、円卓に列席する人々の周りを、踊るかのようにくるくると回った。
「お忘れかしら。私たちは外の世界では名を馳せた、高貴なる者たちです事よ。その命を実現する将来性、その命を受ける誇り、その命を果たす栄え。すべて満たされているでしょう? と言ってもあなた方はお馬鹿さんですからね。百聞は一見に如かず。お手本を見せて差し上げましょう」
ククルーテはエニスクを手招きし、共にボウルの中を覗き込んだ。そして街や草原、森の造形物について、説明を始めた。
「あの建物は私が創りましたことよ。ちょっと古い文献を読んで、その通りに創らせましたの。上手くいって、中にいる人が天風にさらされることはなくなりましたわ」
それまで黙っていたククルーテの仲間たちも、にわかに席を立って説明に参加する。彼らはガラス越しに中を指さして、自らの偉業を誇るようにもったいぶって話した。
「あの作物は儂が授けてやったんじゃよ。どうじゃすごいじゃろう」
エニスクの顔が引きつる
「あ……お言葉を返すようですじゃが、中で育ててるエンゴ芋が農業革命を起こしたのは、数百年前ですじゃ……」
「見てくれあの草原を。俺の提案で三圃式農業を採用した。おかげで中の人々は、土地を有効活用することが出来るようになったんだ」
「ソロモンでは次元の揺らぎを季節に反映させるディラック式農業を習ったんですじゃが……今時三圃式なぞ……あの……」
「あの川は僕が設計して引かせたんだ。どうだ凄いだろう。こう指でずずずいってな」
「それは……おすごいですのう」
エニスクはもう何もかもどうでもよくなったのか、口を挟むのを止めた。
ククルーテはエニスクの呆れた声を、感嘆と捉えたのだろうか。彼女はオペラのように舞いながら、賛美の言葉を吐き始めた。
「そう凄いでしょう! 私たちがこの中の人々を導いて差し上げているのよ! そして様々な困難を乗り越えてきましたわ! ルーモ風邪が流行った時も、私たちの知恵で乗り越えましたわ! 今後いかなる問題が起きようとも、私たちは乗り越えることが出来ます。これこそが約束された将来、そして誇り、栄えではないでしょうか! 私たちは常に正しき答えを出せる絶対者ですのよ!」
真理は下らないと言いたげに、鼻で息を吐いた。
「ルーモ風邪の特効薬って、つい最近特許が切れたんだよね。早速使ってるんだぁ」
定則は次第にここがどういう場所か分かってきた。冷や汗を流しながら、じりじりと円卓から距離をとる。定則にとってボウルの中の世界は、放射性廃棄物よりも危険なものだった。
「よーするにだ……円卓の中に時代遅れの世界を創って、現代技術を使う事で偉ぶってる訳なんだな……見栄だ……見栄のカタマリだ……正気の沙汰じゃないぞ!」
定則の感想に、ククルーテは床に扇子を叩きつけた。
「まぁ。何てこと仰いますのこの猿が」
「猿だァ!? ついに本性を表しやがったなエセお嬢様が! 俺たちはミカちゃん人形じゃないんだぞ!? テメェらの見栄の為に人生なんぞ捧げられるか! 大体中の奴らは何なんだ!? まさか攫ったわけじゃあるめぇな!」
「さぁ。知りませんわ。ただ私たちの評判を聞いて、認められたいといらした方々ですのよ。高尚な私たちに認められ、そして重用され、この世界の歴史に名を刻むためにね。彼らは外でつまらない人生を歩むより、ここで栄光の生涯を遂げる事にした賢き者たちですわ」
『ククルーテ様万歳! ククルーテ様万歳!』
ボウルから再び歓声が上がる。
定則は中にいる人々に関わる気すら失せた。
「承認欲求のカタマリか!? 何のために生きてるんだそいつらは! 現実と空想の区別すらつかないパラノイアが、映画の俳優やってるようなもんだぞ!? よーく分かったママゴトの邪魔したみたいだな! 現実世界でママンが呼んでいる! 夕焼け小焼けでもう会わねぇよ! 俺ァ帰るぞ!」
定則はエニスクをもう一度引っ張った。しかしエニスクは動かなかった。彼女は疲れ切った眼差しを、じぃっとボウルに注いでいる。どうやらこの創られた世界に、夢を重ねているようだった。
「お待ちなさい」
さらにククルーテが引き留めてくる。ルガマーテが素早く動き、定則の前に立ちはだかった。その眼は今までの優しさを失っていないが、使命感に燃えて闘志に輝いていた。
真理がかけた迷惑もあり、定則はルガマーテを押し退けるような真似は出来ない。だからいらいらとククルーテを振り返った。
ククルーテはゴミ箱に投げたゴミが、狙いを外れて床に落ちた時のような顔で定則を見ていた。
「せっかく高貴たる私が誘って差し上げているのよ。それを無下にするのは失礼じゃなくって?」
定則は久々にキレた。
「高貴高貴ウルセー奴だなお前は! 下卑た欲求の追及者がよぉ! 素直にチンチンでも追いかけたらどうだこのドスケベが! 大体お前ら偉いっつっても、外の次元じゃ偉くも糞もないんだろ! だからこんなところで閉じ籠ってるんだろ! 言ってみろよ! お前ら外の世界で何してるんだよ! エェ!?」
定則の啖呵に円卓を囲う数人が、気まずそうに視線を反らした。どうやら図星らしい。
しかし残りは、自らの威光を誇るように胸を張る。
「馬鹿めが! 儂はアイレム国の国王、ランペスカーなるぞ!」
「僕はな、ジャレコランドの凶悪な魔獣を追い払った勇者、アーガスだぞ!」
「テクモワールドで飢饉を救った、リュウ・ケンデンとは私のことだ!」
彼らは口々に自らの偉業を誇り始める。
ククルーテはその虎の威を借り、笑みを浮かべて定則をより見下した。
だが重要なのはそこじゃない。定則には分かっていた。
「じゃあこんなところで何をしてるんだよ! 偉いんだろ! 出来る事があって認められて、偉くなったんだろ! 何してんだよ!」
その言葉で、城内がしんと静まり返った。
誰も言い返すことができず、それどころか痛い所を突かれたように、視線を俯かせた。
「私知ってるよー。アイレム国の王様、王子に執政権取られたの。ジャレコの勇者は暴力が過ぎて、追放されたんだってね。テクモの農水産博士は時代遅れになって、見向きもされなくなったんだよねー。持つもんもってれば必要とされるのに、馬鹿だよねー」
真理が誰にと言う訳でもなくそう嘯く。
偉業を語った三人が、槍のような視線で真理を突き刺す。だが図星なのか、怒りに身体を戦慄かせるだけで、真理に飛び掛かろうとまではしなかった。
それは定則の怒りをすっかり虚しさに変貌させ、口から怒号ではなく寂しい言葉を出させた。
「すげぇ事やったのは尊敬するし、俺も見習いたいよ……そんな人が……そんな人たちが……こんなつまらない事で、自分の偉さを認めさせようと懸命になってんのか……自分の誇りまで捨てて……これ以上の恥晒しはねェな……」
円卓のある大広間は、痛々しい沈黙が支配してしまった。
ルガマーテはどうしていいか分からず、定則の前に立ちはだかりつつもおろおろしている。
円卓に並ぶ人々は、互いの出方を窺うように、アイコンタクトを交わし合っていた。恐らく定則を言い負かせるほどの偉業を為した者が、彼を一喝するのを待っているのだろう。だが逃げてここにいること自体が、その偉業を曇らせているのだ。
名乗りをあげる者はいなかった。
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