第16話 この世の肥溜めみたいな場所 その5

 執事は開いた門の中に、もったいぶって両掌を向けた。

 真理は珍しくため息を吐くと、ずかずかと門へと歩んでいった。それを許しにして、定則、イエナ、エニスクが続いた。ルガマーテはやはり後詰めで、この次元の持ち主にも拘らず、まるで場違いな客のように身を縮めていた。


 門の先には柔らかな赤絨毯が、城の奥まで延びていた。両端には白亜の彫像が並べられ、連立する柱には高そうな絵画がかけられている。

 定則は眩しさに天井を見上げる。綺麗なアーチを描いており、ガラス細工を幾千と組みあわせたシャンデリアが吊ってある。それはステンドグラスを通って着色された光を乱反射し、絢爛と光り輝いていた。

 やはり王城なだけあり、内装も豪華なものだ。定則は歩を速めて真理に並ぶ。

「なんだかんだ言ってお前も王族なんだな……こんなとこ顔パスなんてよ」


 その時。

 あの雁木真理が。

 笑顔を歪めて。

 苦笑いの様なものを浮かべた。


「ん~ん。これは関係ないよ。しょせんククルーテのお遊びだからさ。私もういい年してるから、あんまり関わりたくないんだ。けど一応友達だからね」

「それは……どういう事――」

 一行が廊下の最奥に到達すると、十人が並んで入れるほどの鉄扉が立ちふさがった。表面に竜と虎のレリーフが掘られ、縁を金で飾ってある。扉の脇には執事が二人控えており、真理の足に合わせて扉を観音開きにした。


 巨大な円卓を構えた、大広間が一行を出迎える。円卓を十数人の男女が取り巻いているのだが、彼らの年齢と背格好はまちまちだった。ある男は壮齢で、溢れんばかりの筋肉を鎧で包み、頬の切り傷を指でなぞっていた。ある女は老齢で、深紅の分厚いローブを身に纏い、入歯なのか口をもごもごとさせている。皆に共通する事は、その装いが一目で分かるほど高価という事だけだ。

 彼らは円卓の中央を覗き込み、真剣な表情で侃々諤々の議論を交わしていた。


「いや聞いてくれ。まず食糧問題を解決せねばならん。この国全体の問題だぞ」

「それより魔獣の討伐を優先しなければならん。先日から数十人が犠牲になっている。これ以上は生産力に関わるぞ」

「だからこそ技術の発展をすべきではないのかね。新しい治金技術を試すべきではないのか!?」

 定則たちの登場に、円卓を囲む一人の少女が椅子から腰を上げた。歳は定則と同じほど。マーメイドラインと言う、腰を絞め、尻が膨れたドレスを纏っている。ドレスの裾には大胆なスリットがいれてあり、そこから白い足がすらりと伸びていた。

 顔は人形のようだ。それには二つの意味があり、精緻で鼻立ちが整っている事と、作り物のように無機で無表情という事だ。

 どうやらこの少女がククルーテらしい。


 ククルーテは真理を見て嬉しそうに相好を崩す。しかしすぐに不純物である定則たちに気付き、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「あら。いらっしゃい真理。席は開いていますわよ。それとおかえりなさい、ルガマーテ」

「ただいま。ククルーテ」

 ルガマーテはすっかり萎縮して、肩の間に首を埋めている。そして悪さを弁明する子供のように、どう話を切り出すべきか迷っていた。

 惑い続けるルガマーテに、ククルーテは苛立って先を促した。

「何故ここへ? お仕事は宜しいんですの?」

「あの……それはね。この御方にお世話になってね。お前は位の高い方々と御交友があるから、この御方に仕事の口を利いてやってくれないだろうかね?」


 ルガマーテの遠慮がちの言葉を、ククルーテは一笑に伏した。

「ま。勝手なことを。下々のルガマーテには分からないでしょうが、私にも立場と言うものがございますのよ。見も知らぬ馬の骨を押し付ける訳にはいきません事よ――ねぇ皆さん」

 ククルーテはそう言って、円卓を囲う人々を見渡す。彼らはククルーテに同調するように、軽く笑いを漏らした。


 定則は不快な気持ちになった。まるでルガマーテは、娘のククルーテの使用人だった。項垂れるルガマーテに聞く。

「あれって奥さんじゃなくて、娘さんですよね? お父さん呼び捨てにされてるんですか?」

「仕方ない事でございますよ。私は下流民。娘は上流民に御座いますから」

「いや……でもあなたの――」

「定則様!」

 ルガマーテはそれ以上の追及を許さぬように、大声を張り上げる。そして儚げな――それでも幸せそうな――笑みをこぼした。


「エニスク様との約束は果たして見せます。私は金で雁木家に、一時の安らぎでエニスク様に、そして人として扱って下さった事で定則様に、恩義を果たす義務がありますゆえ」

 ルガマーテは定則を下がらせると、ククルーテの説得を始めた。交渉の声は定則たちに届かなかったが、ルガマーテはかなりの弁舌家らしい。ククルーテの表情はころころと変わった。怒りに詰め寄ったかと思えば、喜びに目を細めたり、哀れみに口元を覆ったり、果てには楽しそうにケラケラ笑ったりした。そして定則たちを、改めて値踏みするように見た。


「そうですねぇ。他ならぬルガマーテの頼みですわ。いいでしょう。あなた方を国民として、雇って差し上げますわ」

 ククルーテはそう言って、定則たちに歩み寄った。

「国民って……どういうことですか?」

 定則が思わず聞き返す。ククルーテは何を今更と忍び笑いを漏らした。

「どうもこうも何も、私たち上流階級に仕えたいから、こちらにいらしたのでしょう? 私たち優れたる者に仕え、約束された繁栄と栄華と栄光の道を歩むために。私たちは国を運営しているの。それに貢献なさい」


 ククルーテは定則たちの前に立つと、舐めるようにその全身に視線を這わせた。

「一先ず――貴方は何のとりえも無さそうですね。村人Aの8。そこのボルゴ族は腕っぷしは強そうですが、品が無いですわ。これは奴隷O25としましょう。そして真理。いらっしゃい。貴方は貴族7だったわよね。そこの椅子。まだ空けてあるわ」

 彼女は円卓の空いた席に手の平を向ける。

 真理は遠慮するように、胸の前で手を振った。


「あんね~、私そんなのいらないって言ったじゃ~ん。第一ククルーテさ、こんなところで遊んでないで外に出ようよ。こんな事してて楽しいの?」

「あン。真理。貴方はまだ支配者の嗜みが理解できていないのね。それにこれは遊びじゃなくってよ。執政。つまり人を導くお仕事なのよ。まぁお座りなさい。丁度新しい人が増えた事ですし、政(まつりごと)を執りながら教えて差し上げますわ」

 ククルーテは嗜めるため、鳥の囀りのように舌を鳴らした。それから最後に残ったエニスクへと視線を向けた。


「それとそこの犬。ふぅん……毛並み善し、血色善し、状態善し。見たところ犬種はケルベかオルべの様……恥ずかしい事に判別できませんわ。血統証明書は御持ち?」

 例え狂気の片鱗が見えていようと、ククルーテには溢れ出る気品があった。エニスクは圧倒され、緊張に背筋を伸ばし、肩を強張らせる。そしてぎこちない動きで、胸の谷間から茶封筒を取り出した。

「あっ……はいこれですじゃ……!」

 ククルーテは中から履歴書を抜くと、封筒を床に投げ捨てた。ルガマーテは素早く動き、邪魔にならないよう封筒を拾い上げていた。


 ククルーテは履歴書を一瞥して、口に手を当ててわざとらしく驚いて見せた。

「まぁ! オルべとケルベの雑種……これでは仕方ないですわねぇ……」

 初めて、エニスクの表情が曇った。彼女は感情を隠すタイプではなく、喜怒哀楽を、顔や声や態度で露わにするタイプだ。そんな彼女が表情を硬くし、唇をつぐみ、まるで石になったかのように固まってしまった。

 エニスクは蚊の鳴くようなか細い声で言った。


「はい。ですじゃがソロモン召喚獣学校を首席で卒業し、召喚技術一級、そして肉体分離召喚技術二級、更に王家での職務経験もありますじゃ」

 ククルーテは履歴書をゴミの様に投げ捨てた。

「あン……確かにそれは素晴らしい経歴だわ。だけど私が求めているのは確かな血統なのよ。貴方は何も分かっておられない御様子ね。例えばこの椅子」


 ククルーテは円卓に備えられている椅子を、足の爪先で蹴った。それはオーク材で出来ており、滑らかな革が張られた、一級の調度品だった。

「椅子は腰かけるもの。それが出来れば木箱でも何でも宜しいでしょう。ですがそれが許されるのは下々の世界のハナシ。ここは高貴なるものの住処ですわよ。椅子は椅子として作られた、一級品でないと駄目なのよ。貴方の身体は三級品。よって奴隷O26ね。全く。貴方のせいで首席になれなかった、一級品が可愛そうですわ」

 ククルーテはそう言い残すと、円卓の自分の席へと戻っていった。


 残された定則たちは、一時的に寄り集まって、ひそひそ話を始める。

 まずイエナが額に青筋を浮かべながら定則に言った。

「旦那。私の本能があいつの骨と皮で太鼓を造り、悪霊を祓えと囁いている。やってもいいか?」

「そう? そんなん生ぬるいよ。まず肉と魂を切り離して、肉は灰に、魂は瓶詰にしてマリアナ海溝に投げ込まないと駄目だろ。二度と這いあがってこれないように、鉛でコーティングしてな。とにかくエニスクさん帰りましょう。こうなったらとことん就職活動を手伝いますから」


 定則は来た道を引き返そうとする。しかしエニスクは期待を捨てきれない様に、円卓を囲うククルーテ以外の王族に視線を配った。きっとあの中で、自らの真の価値に気付いてくれる人がいると、期待しているのだろう。

「少年(ボン)。でももう少し様子を見てからでも……のぅ? それにここまでしてくれたんじゃ。契約は成立。ボンらはもう帰ってもよいぞ」

 エニスクはそう言って、ククルーテらが待つ円卓へと歩んでいった。


 イエナと真理はさっと身を翻して、来た道を引き返し始める。だが定則は溜息を吐いて、エニスクの後を追った。

 慌ててイエナと真理は引き返した。

「旦那。どうしたんだ? どれか欲しい首でもあるのか? 私は右奥に座る老婆の頭骨が気に入ったぞ」

「定則何してんの? 帰ろうよこんな所。さっさと帰ってタイショウに一緒に餌をやろうよ」

「エニスクさんを一人で置いていけないだろ……」

 定則はぼやくとエニスクに並んで、中央の円卓の前に立った。ククルーテは諸手を広げて、円卓に広がる光景を見せつけた。


「さぁどうぞお入り。ここが私たちの国。ユートピアよ」

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