第15話 この世の肥溜めみたいな場所 その4

 執事の救出を始めてから、一時間が過ぎた。

 エニスクが暴れた結果、居間はさんさんたる有様だった。床には大穴が空き、壁紙は剥がれ、調度品は引き裂かれてしまっている。しかし執事のルガマーテが、僅かな時間で修復してしまった。アームタオルの裏から大工道具や木材を取り出し、床の穴を埋めて、壁紙を貼り替え、調度品を修理してしまった。


 ルガマーテは優雅に椅子に腰かけながら、机の細かな傷を磨き落としている。定則はその対面に腰かけて、彼の作業に魅入っていた。

「流石王家に雇われる執事ですね。仕事は速いし、壊れる前より綺麗にしてるし。ホントにありがとうございます。でもあまり無理を為さらないで下さいね」

 歳を召したルガマーテを定則は気遣う。だが当の本人は難しそうに苦笑した。

「大変失礼ですが定則様、私はまだ四十一です。老骨扱いはしないで頂けますか?」

「あっ、すいません……エエエ!? エッ! エエァ!?」


 定則は椅子から飛び上がって驚く。ルガマーテは白髪に深い皺を持ち、傍から見ればかなりの老齢だからだ。定則の反応に、ルガマーテはやはりかと、机を磨く手を止めた。

「まぁそう言いたいお気持ちは重々理解できます。雁木家での仕事は、私から体力と精力を奪うにとどまらず、生命力まで奪っていきました故に」

「ヤバいヤバいと実感はしていたんですが、そのレベルまで達してるんですか? 歩く放射能と何が違うんですかそれは……」

「真理様は他の文化に興味津々で、勤勉で御座います。ですがそれが引き起こす面倒を、負いきれるほど熟達しておられないのです。私の様な若輩には身に余る仕事にございます。ですが全ては愛する娘の養育費を稼ぐため。この身体に刻まれた皺や、精神を汚染するトラウマの一つ一つは、私にとってかけがえのない勲章にございます」

「俺はつまらん見栄とその場のノリで、消えない傷と呪いの装備を得たのか……」

 定則は頭を抱え込んだ。このまま真理と付き合えば、自分もルガマーテのようになるかもしれない。不安と恐れで胸が張り裂けそうだった。


 ルガマーテは見た目は消耗しているが、とても幸せそうだった。

 定則はその理由に、簡単に察しがついた。

「娘さん。本当に大事にしてるんですね」

 ルガマーテは気恥ずかしそうに笑った。

「はい。私の生き甲斐にございます。娘の為なら私は何だってします。王の尻を舌で拭いますし、真理様の命令を二つ返事で受けましょう。それぐらい大事なのです」

 そこで廊下がにわかに慌ただしくなる。ルガマーテは最後に机を一拭きして、席を立った。


「さぁ。エニスク様の準備も整ったようにございます。娘のいるウーモランドに参りましょう」

 廊下から真理とイエナが、エニスクを引き連れて戻って来る。面接に備えてエニスクの身だしなみを整えていたのだ。


 エニスクがここに来た時は、身体を覆う獣毛は荒れており、肌にも垢汚れが目立った。しかし今では毛並みは整い、蛍光灯の光を反射してきらめいていた。

 肌も本来のきめ細やかさを取り戻したようで、健康的に程よく焼けており、高級品のレザーを彷彿とさせた。

 エニスクはドレスを披露するように、その場で一回りして見せる。彼女が一周すると、柔らかそうな尻尾がくるりと舞った。

「どうじゃ? おかしな所はないかの?」


 イエナが腕を組んで、面白くなさそうに鼻息を鳴らす。

「そんなんで自己アピールできる訳ないだろ。猛者を叩き殺し、血で化粧を施し、骨で飾り立て、剥ぎ取った肉を手土産に用意しなければ見向きもされんぞ」

 真理も同様に笑顔を保ったまま腰に手を当てて、不服そうに言った。

「そうだよ。もっと派手にしないと駄目だよ。カーニバルみたいに飾らなきゃ。ひとまずどっかの次元につなげて、面白い鳥とか速い乗り物とか出す? あっ! 色気も必要だね? まっかせて、男に餓えた昆虫に心当たりがあるから!」


 定則はこめかみに青筋を浮かべながら、二人を一瞥した。

「誰が発言を許した? お前らは物凄い勢いで黙れ。それとイエナ。今回お前はお留守番だ。お前はお手もお座りも出来ないが、せめて待てぐらいは出来るだろ?」

 イエナは微塵も怯まず、躍起になって首を振る。

「いんや。私は付いて行くぞ。私は旦那を射止めると言う、人生をかけた狩りを降りるつもりはないからな。私は旦那が認めるまでずっと傍にいるぞ」

「だろうな。誰か俺をブチ殺してくれ!」


 定則は投げやりに叫ぶと、酷く落ち込んでがっくりと頭を垂れた。

 エニスクはそんな定則を不憫に思ってか、顔を引きつらせた。

「あのボルゴの雌、儂がブチのめしてやろうか……多分頑張れば勝てるぞ……?」

「それはいいです。感じ方はどうあれ、俺と彼女の問題ですから。それにあのタイプは第三者に邪魔されると、勝手に燃え上がって山火事を起こします……」

「儂が邪魔せん方が吉か――」


 エニスクが囁くと、イエナが二人の間に身体を割り込ませる。背中に定則を庇い、エニスクと真正面に向き合うと、威嚇するように唸り声をあげた。

「おいコラ犬ッコロ。私と勝負するか?」

「はいはい。儂の負け。儂の負けじゃ。ボルゴの猫は怖いのぅ」

 エニスクは苦笑いを浮かべると、さっさとイエナに背を向けて流し台へと歩んでいった。

 イエナは勝ち誇るように胸を張りつつ、満足げに目を細める。それを見て定則は、目を手の平で覆い天を仰いだ。定則が決着をつけるまで、これが延々と続くのだ。


「言う事聞かせたいなら、本当の旦那になればいいじゃん」

 真理がそんな事を呟く。

「ほ~。それは良いな。もしそうなったら、人生の残りカスを使って月下氷人になる。そしてお前とイッキリーを無理やり結婚させて、自分のケツにダイナマイト捻じ込んで自爆してやる」

「え~? 私あのキ○ガイと結婚するンだったら、めったやたらにゲート繋げて毎日パーティしちゃうよ。じゃないとやってられないよ~」

「それと同じなんだよッ! 人をおちょくる様なこと言うなボケッ!」

「そ……そうなる前に儂に一言声をかけろよ……世界が終わる前にな……」

 流し台寄り掛かるエニスクが、引きつった笑みを浮かべて呻いた。


 こうした小さないざこざを挟み、ルガマーテの娘のいるウーモランドへと旅立つ準備が整う。

 真理は流し台に新しく水を張り、エターナルノッカーを浸す。そして緑色の星型リングを選んでノックをした。張られた水は淡い光を放ち、すぐに青色で濁っていく。水面は軽く渦を巻き、青の濃淡で螺旋を描くと、境界へと変貌した。

 最初に真理が飛び込み、その後を定則が続く。付き添うようにイエナが後を追って、それから遠慮がちにエニスクが足を踏み入れた。後を締めくくるようにルガマーテが身を沈めた。


 境界を越えた先は、芝生の生えた庭だった。定則たちは中央にある噴水から歩み出ると、ぐるりと辺りを見渡した。

 どうやら王城の庭らしい。外縁をぐるりと岩垣に囲われた中、石造りの城がそびえている。

 城の造りは童話の絵本にありがちな、とんがり屋根をしていた。中央には居城(パラス)があり、四角の建物を三段にも重ねて、赤い旗を頂いていた。左右は居城より小さな塔が挟んでいた。

 あくまで塔は装飾なのだろう。見張りの姿は見えなかった。


 エニスクは王城の堂々たる佇まいに、期待に鼻息を荒くした。

「おおお。ええのぅ。ええのぅ。明るい前途が見えるようじゃ」

 浮かれるエニスクを余所に、定則はなおもこの異次元の観察を続けていた。

 定則としては絵本で目にした事のある王城よりも、異なる次元と異なる世界の方が気にかかったのだ。

 まず。この世界は全体的に蒼かった。それは暗いからではない。空が地面に近く、蓋のように見上げるものを圧迫しているからだ。定則の次元では、空は突き抜けるような開放感があるのだが、この次元にはそれが無い。彼の視線は無意識に、見る事の出来ない『彼方のかすみ』を求めて彷徨った。やがてあることに気付いた。


「あれ……この城って、丸ごと卵の殻のように何かで覆っているんですか? 僕たちの上に広がっているのは、空じゃないですよね?」

 ルガマーテは首を振った。

「ええ。空のように見えるのは次元の境界に御座います。ここウーモランドは、人工次元にございます。魔術を用い、空間を必要なだけ切り離し、プライベートな空間として用いているのですよ。ここは定則様の次元の様な、限り無い解放された世界ではなく、ボーダーランドの様な限りのある閉じた世界なのです」


 エニスクは生唾を飲み込んだ。

「人工次元は、王族御用達の超高級立地じゃぞ……儂ら召喚獣の住処にしたり、別荘を立てたり、シェルターにする所じゃ。ここはどこかの王族の私有地かの?」

「いえいえ。王族だなんて滅相もありません。私が購入した次元ですので、どうぞ力を抜いてお寛ぎ下さい。娘の為に身を粉にして働き、購入したのですよ。ホントはもっと大きな人工次元を買ってやりたかったのですが……ハハハ、不出来な父親でして、娘には苦労させます……」

 エニスクは目を剥いて、ルガマーテを食い入るように見た。

「は? 人工次元なぞ、儂が人生三回分の生涯報酬をはたいても、買えるかどうかわからんぞ! そんなもの娘っ子一人の為になんて……」

「本当に不甲斐ない父で……私めはそれだけの働きしかできなかったのです……本当に駄目な父親です……こんな情けない父親だから……娘も憎悪するのでしょう……」

 ルガマーテはほろりと落涙し、ハンカチで目頭を抑えつける。エニスクはそれ以上何も問うことが出来ないようで、信じられない様に唇を震わせていた。


 定則もルガマーテから、真理と同じ狂気をひしひしと感じていた。そうなるとあれほど荘厳に見えた城が、今では悪魔の居城のように陰気臭く思えた。

 定則とエニスクは、異郷に迷い込んだ非力な獣がするように身を寄せ合う。

「エニスクさん。もしもの事が。もしもの事があったら。俺が時間を稼ぎます。これは完全に俺のせいです。俺がやらかしたんです。マジでゴメンなさい。独りで逃げて下さい」

「アホゥ。お主を置いて行けるか。共に逃げてもう一度、約束通りに就職を手伝え」


「何何何!? 何なの! もう帰るの!? やったあ! なら早く帰ろうよ私ここ嫌いなの!」

 真理が密談を交わす二人の背中を、噴水の方へとバンバン押した。エニスクは噴水に落とされそうになり、慌てて体勢を立て直した。

「待ちぃな。今しばらく様子を見てからでも遅くあるまい。来てすぐ帰っては、定則とルガマーテの好意を無駄にするからの」


 エニスクはそう言って、城の正面門に視線をやった。

 丁度分厚い木の扉が、観音開きに開いたところだ。中からは執事服を着た一人の男が出て来る。そして真理たちを見つけると、恭しく首を垂れた。

「ようこそいらっしゃいました。雁木真理様。ククルーテ・イッセナー様がお待ちです」

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