第11話 俺は最強の勇者 その6

 数分後。

 チータとリオンは新たなボルゴ族を一人連れて帰って来た。

 定則は思わず腰を引いてしまう。以前学校で追いかけっこをした、あの原始人だった。


 イエナは金色の髪を持ち、泥の絡まった毛皮を身に纏っている。丸い目をしているが、眦はつり上がっているので、挑発的な印象を相手に与えた。そしてボルゴ族というのは、首の後ろに獲物にかけるための長髪を垂らしているはずなのだが、イエナには見当たらなかった。

 イエナは定則を一瞥すると、鼻息を荒くして威嚇した。しかしすぐに虚しいため息をつくと、そっぽを向いてあぐらをかいた。


「すっげぇ不貞腐れてんだけど……」

 定則がパンツァに聞いた。

「当たり前だ。イエナはお前を狩れた。だが物理的、精神的要因以外で、成し遂げられなかったのだ。次元の壁に隔てられる事によってな。不満に思わん方がおかしいぞ」

 定則は少し複雑な気持ちを抱いた。ボルゴ族との付き合いはかなり浅いが、その文化をある程度理解できた。とにかく強い雄を求め、そのために鍛錬をし、より良い子を宿そうとしているのだ。しかし力を発揮できないまま、強くもない雄に従わなければならない。今までの人生を否定されたようなものではないか。

 無論定則のメイジを用いた罠に、かかったと言えばそれまでである。しかし定則は自分でも納得することが出来なかった。


 パンツァは最早どうでもいいことだと、定則の腕を掴んでイエナの前に引っ張り出した。

「まぁどのような手段を使ったかは関係ない。問題は約束された時間内に狩れなかったことだ。それはお前が優れた雄だから為せた業だ。(ぼそりとイエナが、『豪運は力に入らん』と愚痴をこぼした)これからイエナはお前の言いなりだ。その首輪が保証するぞ。それがボルゴの掟だ」

 定則の目の前では、イエナが煮るなり焼くなり好きにしろと、あぐらをかいて腕を組んでいる。

 定則としてはこのまま帰りたい。イエナを使いたいとも思わない。だが首輪は一生ついたままになる。イエナも他の雄を捕えることが出来ない。そんな禍根が一生残る。


 定則は深い、深い溜息を吐いた。そしてイエナの首輪を引っ掻きながら、パンツァに聞いた。

「なぁ。この首輪はどうやったら取れるんだ?」

 イエナがハッと顔を上げる。パンツァが面白そうに、喉を鳴らした。

「簡単だ。首輪を活性化させて、もう一度勝てばいい。実力で貴様などいらんと示せ。活性化させるには、毛の持ち主の血を流し込まねばならんがな――イエナでは不満か? 言っておくが、彼女は私と同じクラス、優れたる雌だぞ。それに貴様如きがイエナに勝てるとは思えん。時間まで逃げ回る事になるぞ」


 定則は横目に、縄でスマキにされたイッキリーを見た。真理はその身体を尻に敷いて、箱状の携帯端末でどこかと連絡を取っていた。

「もしもしアークランド矯正施設ですか? 次元犯罪者を一人捕獲しまして、身柄を引き渡したいんですが。え? 私は違うよ。私じゃなくてイッキリーとか言う――うん確かに雁木真理だけど……私の評判そんなに悪いの? え~、あれはウチのシマじゃノーカンだから。まぁとにかく迎えに来てね」

 定則はパンツァに向き直ると、親指で真理たちを指した。

「そこのと一緒になりたくないんだよ。責任取って帰りたいんだ」

「ツマランプライドの為に死ぬつもりか?」

「俺に言わせりゃ、ツマランプライドに人生をかけているオメーらに言われたかねぇよ」

「好きにしろ」

 パンツァはにやりと笑うと、激励するように定則の背中を叩いた。そして観戦する為にチータとリオンに並び、壁に背中を預けて定則とイエナを見守りだした。


 定則は膝を折って、あぐらをかくイエナと視線を合わせた。

 イエナは信じられない様に目を白黒させていたが、すぐに顔を引き締めて挑戦的に睨んできた。

「え~っとイエナだな。最初で最後の命令だ。じゃあ……もう一回……狩りを……あ~やめてぇ……いやでもやるしかねぇ……狩りを……やるか……」

 イエナは親指の皮膚を噛みちぎり、血を滲ませた。定則はその手を取ると、自らの首輪に押し当てた。





 定則は狩猟を終えて家に帰ると、まず湯船に身体を浸した。

 疲れがお湯に染み出るような感覚に、ぶるりと身を震わせる。それから一気に脱力して、感嘆の息を吐いた。

 肉体に染みついた疲労が薄れ、魂を汚染した恐怖が少しずつ溶けていく。やがて余裕が戻ってくると、引きつった笑みを浮かべた。

「マジで……死ぬかと……思った……」

 言いながら首を撫でる。例の髪の首輪は嵌っていない。

 定則は僅か一時間前にあった、人生で最も過激で、熾烈な鬼ごっこの事を思い起こした。


「あ~えれぇ目に合った。回廊をガンガン壊して追って来るし、足もすげぇ速えンだからなぁ……後半手加減してくれなかったら死んでたな……誇りを捨てて見逃してくれたんだな……」

 定則は疲れの中に、柔らかい笑みを浮かべた。

 前半。定則は猫に追い立てられるネズミのように逃げ回った。瓦礫に身を潜め、地べたを這いずり、回廊を出たり入ったりした。しかしイエナの癇がいいのか、首輪に感知機能がついているのか、彼女は常に定則の行く手を遮るようにして立ち塞がった。

 だが後半。定則の体力が限界に達しようとした矢先、イエナの動きが鈍った。定則を見つけるのに時間がかかるようになり、壁を砕く頻度が目に見えて減った。だから逃げおおせることができたのだ。


 定則にはイエナが先にばてるはずがないと分かっていた。そして二度も定則を逃すことは、彼女には恥辱だと言うことも分かっていた。


 それでも彼女は手心を加えて、見逃してくれたのだ。


「自分の文化より……俺の思いを尊重してくれたんだな……はは……何か感動的だな……そう思うと文化交流も悪かねぇな……」

 定則の胸に温かい何かが込み上がり、軽い鼻歌を歌わせた。いい気分だ。お湯をすくって顔を洗い、充足した気分を解き放つように、湯船に身体を投げ出した。


 そこでふと、定則は違和感を覚えた。お湯から温かみが消えたような気がしたのだ。さらには身体にまとわりつく水の感触もしなくなる。

 不思議に思って湯船を覗き込むと、水面は湯気立つのをやめて、緩い渦をかき始めていた。色も無色透明から、軽く濁った赤へと変貌しつつある。

 湯船が異界へのゲートになりつつあるのだ。


「いやぁぁぁぁッッッ!」

 定則は叫ぶと、反射的に湯船から飛び出そうとした。しかし何者かが足を掴み、中へと引きずり戻す。いくら水を蹴ろうと、手を蹴ろうと、頑として離そうとしない。

 定則は半狂乱になりながら浴槽の縁にしがみついたが、足を掴む手はそれ以上何もしなかった。ただ定則の肩を掴んで、強引に振り返らせた。


 イエナだ。

 彼女の出現後に境界は閉じたのか、水面は元の静けさを取り戻していた。

「ちょっと待って! お願い! まず一回落ち付こう!? よーいドンな! よーいドン! よーいドンで始めよう! ここだとすぐ決着ついちゃうから! 俺が一キロ離れてからスタートな! お前強いからそのくらいのハンデは大丈夫だろ!?」

 イエナはきょとんとすると、定則の手を取って優しく包み込んだ。

「今日から奉公に来たぞ」

「ホ? ホウコウ!? 咆哮!? ああ叫べ叫べ! ここではなく自分の次元に還って叫べ! ていうかお前どうやってきたんだ!? ふざけんなよ! 次元の壁越えられるじゃないか!」


 イエナは解せない様に首を傾げて見せた。

「どうやってここに来たかってぇ……あのアラクネーが持っていた道具を使っただけだ。それと旦那が何を言ってるか分からん。何故叫ばねばならんのだ?」

「旦那……旦那……どうゆうことですか……あの死闘は何だったんですか……この感動は幻だったんですか……やり直しとかナシだろぉぉぉ! だったら俺にもやり直させろぉぉぉ! 今朝に戻ってもう一度イッキリーと戦わせろぉぉぉ! お前の次元の外で決着をつけるからさぁぁぁ! 大体どうしてェェェ!? こんな栄養評価ゼロのモヤシ野郎お前の文化じゃケツ毛以下のチクショウだろうがァァァ!」


 イエナはぶんぶんと首を横に振ると、定則の手を自らの首に絡ませた。それは髪の首輪に変わる、新たな首輪の様だった。

「私はお前が気に入ったぞ。弱くとも強く在ろうとする、その心根と精神が気に入った。旦那の身体は貧弱だが、その分私が強いから釣り合う。だから負けを認めて逃がしたんだ」

「やめてェェェ! 俺のシマでも真っ当に聞こえる理由はやめてェェェ! 否定しようがないだろォォォ!」

「だったら問題はないな。首輪をつけてもいいか? 二回も負けてるから、私の意思じゃ無理なんだ。ほら」

 イエナは首の後ろから髪の束を抜き、定則の手に押し付けた。

 純粋な気持ちで動くイエナを突き飛ばせなかった。

 その証である髪の首輪を払いのける事も出来なかった。

 ただただ絶叫した。

「もう嫌ァァァ!」

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