第10話 俺は最強の勇者 その5
定則と真理は、蜘蛛の巣が千切れた事で自由になった。二人は互いに抱き合いながら、成り行きを見守る。
女性の正体が知れない今、どちらも応援することは出来ない。そして視線を注ぐうちに、定則はイッキリーに嵌った首輪に見覚えがある事に気付いた。
真理がこの世界に来た時、定則に髪の首輪を嵌めた種族である。
「いぃ! あの原始人じゃねーか!」
定則が呻くと、真理はさもありなんといったように頷いた。
「うん。ここボルゴ族の住処だからね。ボーダーランドとここ、外交上の親交があるんだ」
イッキリーはボルゴ族の攻撃を、剣の腹で受け続けた。やがて大ぶりの攻撃を払って相手に隙を作ると、後ろに飛び退いて距離をとった。
「それ以上邪魔立てするのなら仕方ない……最早斬って捨てる他あるまい! その身をもって思い知るがいい!」
イッキリーはそれまで相手に向けていた剣の腹を、刃へと持ち替える。そしてボルゴ族へと袈裟切りに振り下ろした。
剣はボルゴ族の肩口に刃を突き立てて――そこでピタリと止まった。定則の世界ではいとも容易く机を両断した剣は、この世界ではボルゴ族の纏う毛皮の毛すら断つことが叶わないようだ。
ボルゴ族は大技が来ると思って、期待していたらしい。白けた眼差しをイッキリーに向けた。
一方でイッキリーは予想外の出来事に、空気を貪る金魚のように口をパクパクさせた。
「あれ……おかしいな。何で斬れないんだ……」
すかさず瓦礫の下から、凛とした声が響いた。
「痴れ者め。この世界の閉塞次元数は、クヤージランドを遥か上回っておるのだ! 異元の利器に縋る愚か者が! 己が怠惰と無知を恥じて死ぬがいい!」
定則は瓦礫の方に、視線を向ける気にもなれなかった。
「いかん……もう一回天井を崩したくなってきた」
「大丈夫。そんな手間かけなくても、クビにするから」
真理の台詞が聞こえてか、ロインがやや必死になって声を上げた。
「ええ。あのような勇者を騙る下郎は生かしておいては世の為にはなりませぬ。ここで首を刎ねるのが上策でしょう。お嬢様に逆らった罪、その血で贖わせましょう」
定則たちはロインを無視し、再びイッキリーとボルゴ族に目を向けた。二人は再び剣戟を始める。しかしイッキリーの顔からは余裕の色が消え、やや劣勢になりつつあった。それだけではない。相手をするボルゴ族の攻撃が、次第に早くなっていく。
結局そう時間をたてず、ボルゴ族はイッキリーの手から剣を弾き飛ばした。
剣が地面を転がる乾いた音が、回廊にこだまする。イッキリーは顔を青ざめさせて固まった。
ボルゴ族は勝利を確信したのか、それとも奇襲を誘っているのか。攻撃を中断すると、ぺろりと長い爪を舐めた。
「次元に慣れるまでと、手加減をしてやったが……何だコイツ? クソ弱いぞ……こんなカスの餓鬼なんぞ孕めんな」
ボルゴ族はそれから抵抗を期待するように、じっとイッキリーを見つめた。しかし動かないままでいると、溜息をついて止めを刺す為に飛びかかった。
「そそそ……それ以上はやめてあげてェ!」
定則は思わず叫んでいた。決着はついたので、これ以上は見るに忍びないと思ったのだ。真理が意外そうに、いつもの笑顔を崩して目を丸くする。瓦礫の下ではロインがしきりに処刑を勧めて喚いていた。
ボルゴ族は、あっさりと止まった。そしてゆっくりと定則を振り返った。
「おっと。そう言えばもう一匹雄がいるんだったな……こっちがアタリか。チータ。リオン。お前らマーキングにミスったんだから、私がもらってもいいよな?」
彼女は瓦礫の近くで待機している、同族に話しかけた。
「いーよパンツァ。何でミスったんだろ。あたしもチータもしっかり鍛錬してるはずだけどな」
「ヘン。あんたと一緒にすんな。あたしはツイてなかっただけだよ。相手が雌だからマーキングできなかっただけだからな」
「見栄張ってんんじゃねぇよブタネコ。髪の毛萎れて落ちてんじゃねえかダッセェな。あたしとあんたの獲物が逆だったら、あんたはもっとヒデェ醜態晒して自殺してたろな」
「んだとブスゴリラ。仮の話してるお前がヒデェ醜態晒してるぞ。とっととちびりながら死ね」
チータ、リオンと呼ばれた二人は互いに掴みかかり、取っ組み合いを始めた。
パンツァと呼ばれたボルゴ族は、そんな二人を無視して定則に狙いを定めた。
定則は壁に背中を擦り付けるようにして、少しでもパンツァから距離をとろうとした。
「目を付けられたぁぁぁ! 俺は中吉で当たりでもハズレでもないから見逃してェェェ!」
「私はそう言う白黒つかんのが一番好かん」
「じゃあはずれだからァァァ!」
「私はダークホースが一番好きだ」
パンツァはそう言って、人差し指を立てて招く仕草をする。イッキリーの首から首輪が外れ、パンツァの髪に戻っていった。
「俺は無色透明でここに存在すらしていないんです! だから無視して下さいお願いします!」
「だったら偉そうにやめろと宣わず、石ころのように口をつぐんでいるんだったな」
パンツァは定則に向かってお辞儀し、首の後ろから髪の束を放った。それは定則の首にまとわりつき締め上げようとしたが、すぐに緩んでパンツァの元に戻っていった。
パンツァは瞠目する。異常を確かめるように、首の後ろに戻った髪を撫でた。
チータとリオンの二人も、パンツァの異変に気付いて取っ組み合いを止めた。
定則は首輪が嵌らずほっとしたものの、以前好転しない状況に戦々恐々としていた。
「リオン」
パンツァが呟いて、定則を指さした。今度はお前が試してみろと言うことだろう。
リオンは萎びて落ちた、自分の髪の毛を拾い上げた。指を噛み切り、髪に血を吸わせることで瑞々しさを取り戻させる。そして髪の毛を首の後ろにつけると、定則にお辞儀した。
やはり結果はチータとパンツァと同じだった。
パンツァは表情を険しくし、獣のような唸り声をあげた。
「何故マーキングできんのだ? そう言う狩りを否定する雄は、皮を剥いで太鼓にし、悪霊を祓わねばならんな」
「コェェェ! 二つ以上の意味で昇天しちゃうぅぅぅ! 真理! 外交上の親交があるんだろ何とか言ってくれェ!」
定則は抱き合う真理の身体を揺すった。
真理はいつもの笑みより幾分か歪んだ、御世辞笑いの様なものを浮かべて、定則の前で盾になった。
「ねねね。私ボーダーランド王家だよ。それでこいつは特使なの。だから手出し無用だよ」
パンツァは機嫌悪そうに鼻を鳴らすと、真理の胸倉を掴み上げた。そして鼻先がくっつかんばかりに顔を近づけると、ドスの効いた声で言った。
「交わした取り決めはこうだ。ボーダーランドは他の次元へ我々を案内し、雄を狩る手助けをする。その際我々は次元超越者協定に従う。代わりに我々はボーダーランドの危機に友軍として参戦する。ここはボルゴランドで我々の法が支配している。雄は狩る。それが掟だ」
パンツァは猫でも放るように真理を脇へと投げると、定則へと歩み寄っていった。
真理はすぐにパンツァを後ろから羽交い絞めにしたが、体力的に到底かなわない。ずるずると引きずられていく。
このままでは真理にも危険が及ぶ。定則は壁から背中を離すと、足を震わせながらヤケクソになって喚いた。
「分かったやるよ狩りでも何でもやるから! 良しじゃあルールを決めよう! ルールを決めてやろう。せめてルールを決めさせて!」
パンツァは必死な定則を嘲笑すると、首にすっと手を伸ばした。
折るつもりか、絞めるつもりか、定則には分からなかった。ただ恐れに息を飲み、きつく目をつぶった。しかしパンツァの指が、定則の首に触れる事はなかった。
生臭い息が、鼻に吹き付けられる。定則が恐る恐る目を開くと、パンツァが興味深そうに首へと視線を注いでいた。
「ははぁん……印があるぞ。先約だ。道理でマーキングできんわけだ」
パンツァは定則の首に嵌められた、髪の首輪を指で撫でる。髪質や臭いで持ち主を特定しようとしているようだ。やがて彼女は、定則に背を向けた。
「ああイエナだ。こいつはイエナから逃げた奴だ。イエナを呼べ。それまで手を出すな」
パンツァがチータとリオンに言うと、二人は天井の穴から回廊を出て、いずこへと走り去る。
定則はしばらく唖然としていたが、自分が助かった事を知ると、その場にへたり込んだ。
「ひとまず……助かったようだな……」
真理もパンツァにへばり付くのをやめて、定則の方に近寄っていく。
その瞬間、真理は横から突き飛ばされた。身体は地面に打ち付けられ、手に持つエターナルノッカーが床を転がった。
真理はすぐに定則に助け起こされ、エターナルノッカーはイッキリーに拾い上げられた。
虎視眈々と、逆転のチャンスを待っていたのだ。
「馬鹿め! エターナルノッカーは頂いたぞ! 僕はコントラクターのいる次元に逃れさせてもらおう!」
イッキリーは嬉々として叫び、ノッカーの先端を定則と真理に突き付けた。彼は懐から水筒を取り出すと、中身をぶちまけて足元に水溜りを作り出した。
「いずれこの雪辱を晴らしに来るからな! 我が帰還に怯えて、震えて眠るがいい!」
イッキリーは目を血走らせて、怒り吠え猛る。
真理はパンツァに縋りついた。
「ちょ! 何とかしてよ! 外交上の親交があるでしょ!」
パンツァは気が無いようにそっぽを向いた。
「何度も言わせるな。そう言う取り決めはない。自分で何とかしろアホ」
「アホってゆーな! それよりエターナルノッカーが――」
イッキリーが水溜りに杖の先端を浸し、ノッカーを打ち鳴らした。水面が境界へと変貌し、地面の色を映していた水面は白く輝き渦を巻いた。
そして――
「給料払えェェェ!」
境界を突き破って、犬の前脚とぎらつく爪が顔を出す。それはイッキリーを殴りつけて昏倒させると、回廊をデタラメに引っ掻き回した。
イッキリーが吹き飛ばされると同時に、境界からエターナルノッカーが引き抜かれた。渦巻く次元の扉が静まっていき、犬の前脚が沈んでいく。やがて前脚がこの次元から姿を消すと、境界は静かな水面を湛えた。
「流石です。真理様」
ロインがいつもと変わらぬ賞賛を述べる。
真理はすかさずエターナルノッカーを取り戻すと、水溜まりを境界に変えてロープを取り出した。そしてイッキリーを縛り上げると、足蹴にしつつビクトリーサインをした。
「成敗完了!」
パンツァがのそりと動いて、水溜まりを顎でしゃくった。
「あの雄。紹介しろ」
「あれ雌だよ」
真理の言葉に、パンツァははっきりと舌打ちをした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます