第9話 俺は最強の勇者 その4

「どうした? ボーダーランドの姫君。ただただ逃げるだけか? 今なら君の愚行を許してやろう。だから早く出て来るんだ」

「そうです真理。無駄な抵抗はやめてすぐ出てくるのです。そして愛すべきイッキリー様にエターナルノッカーを渡し、潔く自害して果てるのです。死ね」


 真理からそう遠くない距離より、イッキリーとロインが語りかけて来る。真理は岩陰に身を隠しながら、荒地の奥へと進んでいた。

「あの蜘蛛ンスタービッチ煽るなァ、ムカつくぅ。もうクビだかんね。でも……あいつらここら辺に住んでいるはずなのに、どこ行っちゃったんだろう? 会いたくない時ははちあう癖に、こういう時に全然姿を見せないなんて、ドラミングできないゴリラ以下だよもう……」


 真理は池から随分と走り、奇妙な石のオブジェが乱立する窪地へと来ていた。

 石のオブジェは動物を模した形をしているが、元々は建築物の柱だったようだ。等間隔に並んでおり、壁の名残と思しき瓦礫がこびり付いている。一部のオブジェには天井までもが残っていた。それらが荒野に負けないほどの広い窪地に、延々と続いている。

 真理は残骸を上手く障害物として使い、何とかイッキリーの魔の手から逃げおおせていた。


「あまり手間をかけさせないでくれ。僕の救いを求める人々が待っているのだ」

「そうです真理。今なら介錯して差し上げますよ。慈悲深く石の鉈を使って差し上げましょう」

 イッキリーとロインの声が、少し真理から遠ざかった。真理は近くの壁の残骸に身を寄せると、そこで息を潜めて様子を窺う。イッキリーたちの足音は挑発と共に、そのまま彼女から離れていく。そこで真理は肩を落として、ぐったりと瓦礫に寝そべった。

「あ~、ひとまず助かった。あいつ誰だろ? 異界交流は外交で何回かしたけど、あんなメタルでお経を唱えるようなマジキチ、あった事が無いはずだけどなぁ」


 真理は視線を空へと打ち上げた。延々と広がる赤い曇り空が、彼女の沈んだ胸中を吸い上げていく。そうして胸の内には、鉛のような重い不安だけが残った。誰も見る者がいない今、真理はいつもと異なる皮肉気な笑みを浮かべた。

「定則とホームステイ……無理なのかな……そもそも私にホームステイ……出来るのかな……」

 真理は寂し気に呟くと、手の平で顔を覆う。そして風に撒かれる砂塵の音を聞きながら、自省に耽るように黙り込んだ。

 彼女の耳元で、土を踏む音がした。顔を覆う指の隙間から、頭上を見上げる。すると剣を振り上げるイッキリーが視界に入った。


「チェックメイトだ」

 剣が振り下ろされる。刃はまるでギロチンの様に、真理の首に迫った。

 真理は慌ててエターナルノッカーを頭上に掲げた。金属と金属がぶつかり合う甲高い音がし、ノッカーは剣を弾き返す。イッキリーは跳ね上がった剣に、腕を引かれてたたらを踏んだ。その隙に真理は立ち上がると、脇目もふらず走り出した。

「ちぃ。流石にノッカーは斬れないか!」

 イッキリーは舌打ちをし、すぐにその背中を追った。


 真理は石のオブジェの間を縫って、イッキリーと出来るだけ多くの障害を挟むようにして逃げる事にした。彼女は比較的建造物が残っている区画へと入り込む。そこはオブジェ同士が壁で繋がっており、空は天蓋とも二階の床ともとれる石畳で覆われている。壁と天井は延々と次のオブジェと繋がる事で、閉じた回廊を形成していた。どうやらこの一帯の建造物は、元は巨大な石造りの迷宮だったようだ。


 真理は迷わず石の回廊に飛び入った。そしてひたすら走り続けた。中には天板の隙間から日の光が差し込み、それが空気に溶ける事で仄かに照らされている。行く先々で回廊は曲がりくねり、分かれ道や昇降階段を次々に見せて来る。真理はそれに若干惑わされながら、とにかく奥へと走った。

 そして真理が回廊の直線を駆けようとした時、急にその動きが鈍った。理由は分からない。彼女は懸命に四肢を動かしているつもりだ。だが空を掻く腕と、地を蹴る足は、次第に力を失くして動きを緩めていく。やがて真理は空中に静止した状態で、動けなくなった。


「あれれ~。おかしーぞー。何で動けなくなったんだろ~」

 真理がぼやくと同時に、これから進むはずだった廊下の暗がりから、静々とロインが姿を現した。彼女は下半身を、すでに蜘蛛に変態させている。左の手には蜘蛛の糸を束にして持ち、右の手には微かに震える一本の糸を摘まんでいた。その糸は真理が動こうとするのに同期して、まるで演奏中の三味線のように揺れた。

「あら。案外簡単に捕まりましたね。賢い賢い真理様なら、もっと粘ると思っていたんですがねぇ。糸だけに」

 真理は笑顔のまま鼻息を荒くした。

「あ、テメェ蜘蛛の巣張りやがったなこのヤロ~ゥ。お前なんかクビだクビクビ! もう絶対許さん。お前ンとこの次元とは断絶してやるからなぁ!」


 ロインは真理の脅しを気にした様子もない。鼻であしらう様にくすくすとほほ笑みながら、真理との距離を詰めていった。

「フフフ。皿の上の茶菓子が喚いたところで、何が出来ると言うのでしょうか? あなたはイッキリー様と、私を繋ぐためのオツマミに過ぎないのです。その役目を限り無い栄誉として、全うしなさいな」

 ロインは真理の前で足を止めると、彼女の手中にあるノッカーに手を伸ばした。


「ハイお前。俺の文化水準でもアウトだぞ」

 天蓋の上から、男の声がした。少しの間を置いて天蓋に衝撃が駆け抜け、ロインの頭上にヒビが入る。ヒビは即座に亀裂に成長し、それは瞬く間に広がっていく。やがて亀裂の中央から抱えるほどの石が真下に突き抜けると、天蓋全体に亀裂が達して崩落した。

 真理の目の前では、瓦礫の山が雨のように降り注ぎ、ロインを下敷きにする。砂の埃と石の礫が回廊中に飛び散り、彼女は思わず目を瞑った。やがて辺りが静かになり、石の欠片が転がる音も止む時分になって、真理はそっと目を開けた。


 いまだ治まらぬ砂煙が、抜けた天蓋から差し込む光によって赤く彩られている。地面にはうつ伏せに這いつくばるロインがいて、その上に天蓋だった瓦礫がうず高く積まれていた。

 そして天蓋のあった場所は今や穴となり、その縁から一人の男が真下を覗き込んでいた。

「お~ど真ん中に当たったな。日頃の行いが悪いからだぞ。そこで反省してろ」

 ロインは声だけで、それが誰か分かったようだ。イッキリーに向けたものと同じ、柔らかい口調で彼に話しかけた。

「おお。定則様。愛しいお方。どうかこの哀れな女をお助け下さいまし」

 穴の縁に立つ男――定則は、少しやり過ぎたと思ったのか頬を掻いた。

「俺が入る穴を作るつもりで、下敷きにするつもりはなかったんだよ。イッキリーの奴……こんな危ない爆発水晶をホイホイ人に渡してるのか……まぁロイン。これに懲りたら少しは自重しろよ」

 定則は穴の縁から、回廊の中に降り立つ。そしてロインの上に積み上がる、瓦礫の山をどけるために手をかけた。


「定則!? 何してんのここで!?」

 真理は蜘蛛の巣に捕まったまま、唯一動く口で悲鳴を上げた。定則はちらと背後の真理を振り返り、空中で静止する彼女を見て驚いた。しかしロインが蜘蛛であることを知っているので、簡単にその理由を推測することが出来る。ロインの発掘を中断して、真理に絡まる見えない糸をどうすべきか考え始めた。

「うるせぇな。独りで帰る訳にいかないだろ。それと八つ当たりして悪かったな」

「あ。私もごめんね。理由は分からないけど、多分あのキ○ガイが来たのは私のせいだから」

「うるせぇ謝んな。文化交流するって言ったんだからよ。ケツの穴が小さい事言った俺が悪いんだよ」


 真理は定則の物言いに、笑顔のまま眉間に皺を寄せた。

「うるせぇって何だよ。うるせぇっていう奴がうるせぇんだよ。うるせぇんだよこの馬鹿。ていうか定則は見捨てたこと謝ってよ」

「助けに来たんだからチャラだよ。チャラ!」

「じゃあ私が定則ン家のお風呂で、たまにメイジ育ててんのもチャラにしてね」

 定則は反射的に、真理の頭を手の平で叩いた。

「お前人ンちの風呂で何してんだァァァ! だから来たんじゃねぇかぁぁぁ!? あ!」


 定則の手が真理の頭の上で、ピタリと動かなくなる。定則の手も蜘蛛の巣にかかったのだ。更に悪い事は続くものだ。真理の背後から、イッキリーが追いついてきた。

 イッキリーは空中で静止する真理、自分を凝視して固まる定則、そして瓦礫に埋もれるロインを順に見やった。そして深いため息をつくと、場をとりなすように剣で風を切った。

「やれやれ……思ったより逃げるので、久々に本気が出せると思ったのだが……あっけない幕切れだな。それに。やはりアラクネーなんて従者として駄目だな。俺の手で決着をつけてやる」


 彼は幕を下すのに相応しい大物を演出するためにか、非常にゆったりとした足取りで真理に向かっていった。定則は顔を真っ青にしながら、真理の頭にへばり付いた手を、何とかして外そうとした。しかし手は吸いつけられたように離れず、真理もゆらゆら揺れるだけで、張られた巣は崩れる事がなかった。

「うぉっほほほほ! 取れねぇ! 取れねぇよこれぇ! 取れたところで真理が取れねぇ! イーヒヒヒヒハハハハァッッ!」

 定則は迫り来る死に、狂ったように泣き喚く。


「勇者に逆らう恥知らずめ! 大人しく裁きを受けるがいいわ! 今さら命乞いをしたって無駄ですよ! あなた方の下劣な本性は既に引きずり出された後なのです!」

 定則の背後では、もう一度ロインが手の平を返していた。

「どーすんだよお前これぇぇぇ! このままだと二人ともアジの開きみたいに真っ二つになっちまうぞォ! 何か名案はないかお前!」

 定則は真理の頭を撫でるように、ぐりぐりと手の平を押し付けた。真理はケロッとした表情を浮かべると、手を揺らして握るエターナルノッカーを鳴らした。


「定則。ノッカーあげるよ。手ェちょん切って、それで逃げれば?」

「やかましいぞおっとろしい事サラッとぬかすなお前はそれできんのか咄嗟には無理だろ! それに仮に腕が外れたところでお前を置いて逃げれる訳ねぇぇぇだろぉぉぉがぁぁぁ目の前まで来たぁぁぁ!」

 イッキリーが真理の背後まで迫っていた。どうやら彼は、定則ごと真理を両断するつもりでいるらしい。剣を上段に構えて、大きく振り被った。


「んぁ! あ~もう決着ついたから大丈夫だよ」

「決着がついちゃぅぅぅ!」

 定則が絶叫する。と同時に、彼が空けた穴から、さらに三つの影が飛び降りて来た。全員が女性だ。手入れのされていないぼさぼさの長髪をしており、局部を毛皮で隠している。曝け出された皮膚は泥で汚れ、身体からは生臭い香りを漂わせていた。三人は深くお辞儀をするように頭を下げる。そして首の後ろから、何かを定則たちに向かって放った。


 一つは定則の首に巻きつこうとした。だがすぐに離れて、持ち主の元に戻っていった。

 真理に放たれた物は、萎れて地面に落ちる。

 イッキリーに放たれた物はその首に巻きつき、まるで首輪のように締まった。


 イッキリーは首に絡まった何かを改めるため、剣から手を放して首元に手をやった。そして妙な首輪を嵌められたことを知ると、闖入者たちを睨み据えた。

「原住民か……僕に何をしたかかは分からないが、面倒なことになる前に解いた方がいい。君は――うぉ!?」


 イッキリーの言葉の終わりを待たず、彼に首輪を嵌めた女性が飛びかかった。彼女は道中に張られている、ロインの巣に飛び込む。そして難なくそれを引き千切ると、イッキリーに鋭い掌拳を叩きこんだ。イッキリーは剣の腹で、辛うじてそれを受け流す。しかし女性は矢継ぎ早に攻撃を繰り出しす。二人はすぐに激しい剣戟を始めた。

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