第7話 俺は最強の勇者 その2

 居間にベルの音がこだまする。定則はキッチンタイマーを止めると、イッキリーにカップ麺を食べるように促した。

 イッキリーはカップ麺の蓋を毟るように剥がすと、フォークも持たず手をカップの中に突っ込んだ。すぐに悲鳴を上げて、涙目になって指先を咥える。やがて不器用な手つきでフォークを握ると、麺を引っ掛けて口に運び始めた。


 あれから定則がカップ麺を用意する間に、騒ぎを聞きつけた真理とロインが居間に降りて来ている。

 真理はこの世界に来てから、セーラー服がいたく気に入ったようである。どこに行くにも、何もするにもセーラー服を着るようになっていた。ロインはお勤めの上で動きやすい、メイド服のままである。彼女らは定則を挟むようにして座り、向かいに腰かけるイッキリーに奇異の視線を注いだ。


「真理。こいつお前の知り合いか?」

 定則がそっと真理に耳打ちする。真理はぶんぶんと首を振った。

「ん~ん。こんな人知らないよ。ロインはどうなの?」

「申し訳ありませんが、私も存じません」

 情報が途絶え、定則たちはイッキリーの言葉を待つ事になる。しばらく麺を啜る音だけが、虚しく場に満ちた。やがてイッキリーがスープを一滴残らず飲み干して、満足げに大きな息を吐いた。


「んでさ。お前は一体何者なんだよ」

 タイミングを見計らっていた定則が、この機を逃すまいとすかさず聞く。

 イッキリーは仰々しく席を立つと、マントを大きくはためかせた。

「僕の名前はイッキリー。異次元を旅して、行く先で困っている人を助けているんだ」

 真理とロインが軽い歓声と共に拍手を送る。イッキリーは当然の賛美を受けるように、軽く鼻を鳴らして目を瞑った。

 ただ一人。定則だけが、困惑した顔をイッキリーに向けていた。


「え? それで……お前は一体、ここに何をしに来たんだ?」

「ああ。実は今まで、理想的かつ完全に平和な世界を実現しようと戦ってきたんだがね、訳あってそれが難しくなってきたんだ」

 イッキリーはそこで言葉を区切ると、ちらと床に転がる杖に視線をやった。定則たちの視線もそれに釣られる。そして真っ先に真理が声を上げた。

「あ。それエターナルノッカーに似てるね。君ボーダーランドの人?」

「いいや。僕はボーダーランド人じゃないよ。これは心優しい人に貰ったんだ。リミテッドノッカー。使用制限がある代わりに、その人が望む次元へと水質を自動調整してくれるのさ。他にも契約相手のいる次元に無制限につなげられるコントラクターノッカー、水質次第で様々な場所に繋ぐことのできるエターナルノッカーなんてものもある。丁度君がつけているのはその複合種みたいだね」


 イッキリーは目ざとく、真理がスカートで腰に挟んでいるエターナルノッカーをさした。真理はエターナルノッカーを取り出して、バトンのように手の平で踊らせた。

「へぇ。これそんなにすごい奴なんだ。これね、黒いリングがエターナルで、残りのリングがコントラクトってことなのね。へぇ~、初めて知ったよ」

 イッキリーの視線は吸いつけられたように、回るエターナルノッカーに釘付けになっている。彼は自らを落ち着けるように、ごくりと生唾を嚥下する。そして緊張に軽く震えた声を出した。

「実はお願いがあって来たんだ。君のエターナルノッカーを僕に譲ってくれないだろうか?」

「やだ!」


 真理はエターナルノッカーを回すのをピタリとやめて、それを持つ手をイッキリーから遠ざけた。イッキリーは存外な返事に面食らったように、眼を瞬かせる。そして食い下がるようにテーブルに身を乗り出した。

「即答するとは……考えてすらいないな。もっと真面目に取り合ってくれないか?」

「やだ。あげる理由も、意味も、価値も、利点も、何もないもん」

 真理は席を立って、イッキリーから距離を取った。

 イッキリーは追い縋ろうとはしなかったが、視線は獲物を見つけた蛇のように、エターナルノッカーを追っていた。

「あるさ。理由も意味も価値も利点も。それを僕に譲るだけで、あらゆる次元に光をもたらすことが出来るのだからね」


 定則は我関せずと事の成り行きを見守っていたが、ふと気になってつい口を挟んでしまった。

「光をもたらすってェ……人々を助ける仕事をしているって言ってたけど、どうしてエターナルノッカーが必要なんだよ」

「簡単だよ。まずこのクリスタルを見てくれ。こいつをどう思う?」

 イッキリーはよくぞ聞いてくれましたと、定則の方に身体を向ける。そして懐から指で摘まめるほどの結晶を取り出した。形状はラグビーボールのように両端が尖っており、蛍光灯の光を受けて七色に輝いている。

 定則は一瞬、美しさに警戒を忘れた。

「綺麗だな。それが?」

「聞いて驚かないで欲しい。これは衝撃を加えると爆発する。お近づきの証に一つ授けよう」


 イッキリーが定則の手を取って、結晶を押し付けようとする。定則は顔面蒼白になって、それを押し返した。

「いらねぇよそんなもん! 危なっかしいもの俺らの世界に持ち込むんじゃねぇよ!」

 イッキリーは定則が食いつくと思っていたようだ。肩透かしを食らったように眉を下げる。

「どうした? 遠慮することないんだぞ。一人や二人、吹き飛ばしたい輩がいるだろう。そいつのポケットにそれを忍ばせて、激しく動くのを待てばいい」

「こんなもん使ったら、いくら真理でもバラバラになるだろーが!」

 真理が真顔になって、定則を凝視する。

「そんな事言うともうロインから助けたげないよ」

「こいつを解雇すりゃいいだけの話だろうが」


 イッキリーを差し置いて、定則と真理が言い争いを始めんばかりに睨みあった。

 変わってロインがイッキリーにわけを話した。

「十日ほど前に、真理様がやらかした後でございまして……定則様は異界の物に余り良い感情を抱いておりません。悪しからず」

 するとイッキリーは、悲し気な顔をした。

「こんな事を言いたくはないが……真理殿がエターナルノッカーを使うには、良識と見識が欠落しているのではないだろうか。偉ぶるつもりはないが、僕はその分様々な次元を見聞きしてきたからね……異界の人にそこまで悲しい思いをさせた事はないよ」


 真理は定則との睨みあいを止めてムッとするが、イッキリーは構わずに続けた。

「他にも僕は、番犬になる植物や、魔法を人体に付与する石、そして滅んだ文明の遺物がある次元を知っている。それらはもちろん、それがある次元では珍しいものではない。しかし他所の次元では貴重な物品となる。僕はその橋渡しをして、あらゆる次元に光をもたらしているのだよ。だからこれは怖いものではない。新たな光をもたらすものだ」

 イッキリーは指の先で、例の水晶をころころと転がした。


 真理は余裕たっぷりのイッキリーに、唇を尖らせつつ指を突きつけて怒鳴った。

「ていうか他所の次元の文化を壊したら、次元超越者協定違反でアークランド矯正施設に入れられちゃうんだよ! そんな事も知らないの!?」

 イッキリーは余裕と自信をもって、それを受け流した。

「確かに……真理殿の発言にも一理ある。悪戯に別次元の異物を扱うのは大変危険なことだ。確かに僕は聖人ではない。今まで過ちを犯し、危機に陥った事もある。だがそれでも止まる訳にはいかないんだ。何故なら僕が罪を恐れたせいで、苦しみ悶える弱き人々がいるからだ」

 イッキリーはそこで一区切りをつけると、真理に杖を譲るのを迫って手を差し出した。


「これで分かってくれたかな? 僕には大事な使命があるのだ。だからそのエターナルノッカーを僕に譲ってくれ」

 真理は当然歯を剥き出しにして威嚇する。ロインは普段通り、やり取りの邪魔にならない様に黙して控えるだけだった。

 重い沈黙が場を支配する。その中ふと定則が口を開いた。

「あの……好奇心がてら一つ聞いていいかな? お前そのエターナルノッカーで、光をもたらすとか何とか言ってるけどよ、分配とかどうするんだ? まさかその次元のどっかの派閥に一方的に加担するわけにはいかねぇだろ? 民族自決っつーか、次元自決みたいな? 外の連中に好きやられたら、そこに住んでる人からしたら面白くねえだろ」

 イッキリーは愚問だと言わんばかりに、定則の方を見向きもせずに答えた。

「いや。完全平和を実現するためにこそ、一つの派閥と組するのだ」

 場には先程とは違った意味合いで、重苦しい雰囲気が醸成され始めた。


「え? それってつまり、お前が何処の誰と組むか決めて、事に当たるのか?」

 定則が念を押すと、イッキリーは理解の鈍い子供に苛つくような眼で彼を見た。

「当たり前だ。僕はそのために良識と見識を広げて来たのだからな」

「おいおいおい。それはお前が持ち込んだ異物で、一つの思想で次元を束ねようってことか? マジで? ていうかよく考えたら一気に技術進歩したら、格差がやばい事にならないか?」

「まぁ……な。現実僕が導いた多くの迷える羊が、欲に負けて自らの肉を食らう狼と成り果ててしまった。しかしいつかどこか、賢明な人々が見つかる事だろう。僕はその時まで救いの道を歩むことを止めることは出来ないのだ」

 イッキリーは『羊』が『狼』になった結果、どうなったかは一言も語らなかった。だが世間知らずの定則でも、それを想像するには人類の歴史を振り返るだけで容易だった。


 定則はそっと隣の真理に耳打ちした。

「こいつひょっとして物凄くヤバい奴なんじゃないのか。自分で組する相手選んでんのに、責任取らずに丸投げ宣言したぞ」

「そうヤバいよ。私からエターナルノッカーを奪おうとしている訳だから」

 真理は激しく相槌を打つ。そしてイッキリーに指を突きつけると、机の上に片足を乗せて啖呵を切った。


「とにかくエターナルノッカーは絶対あげないよ。分かったらさっさと元の次元に還って!」

 それは今までの陰惨かつ重苦しい雰囲気を吹き飛ばすほど、快活で明瞭なものだった。イッキリーは両肩と視線を落とす。真理は手応えありと踏んだのか、ずずいとよりテーブルに身を乗り出した。

「ささぁ、お帰りはあの流し台だよ! そのためにならエターナルノッカーを使ってあげるよ! 早くこの世界から出て行って! ここはお前のような奴がいる場所じゃないよ!」


「やはり……そうなんだな……」

 まくし立てる真理の間隙を縫って、イッキリーがポツリとつぶやいた。小声ながらもその並みならぬ迫力に、真理は責めるのをやめてびくりと身を引かせた。

 イッキリーは双眸に暗い炎を灯しながら、ぎろりと真理を睨み上げた。

「自分さえ良ければそれでいいのだな……赤の他人が傷ついても、どうだっていいんだな」

 次の瞬間、イッキリーは腰の剣を抜き放ち、食卓を二つに一刀両断した。剣は泥を裂くように食卓を切り裂き、その下の床に切っ先を埋めた。

 真理はいつもの笑顔を驚きにすぼめ、定則は家財を壊されて悲鳴を上げる。その中イッキリーは床に埋まった刀身を引き抜き、その切っ先で真理を指した。


「お前達はいつだってそうだ! 力を独占し、弱き人々を足蹴にする! 今までもそうやって、迷える羊を食い物にしてきたのだな!」

「いきなり何キレだしてんの! やめてよ! 何がどうしたの!?」

 定則は真理の肩を抱いて、イッキリーから逃げるため急いで廊下に出た。しかしイッキリーは、剣の切っ先を真理に向けたまま追って来る。


「君たちの礼儀に則るべきなのは重々承知だ。だがそうして僕は、明日を迎えるべき儚き命が散るのを幾度となく見て来た。そんなのはもうたくさんなんだ。もうこれ以上我慢できない!」

「えぇぇぇ……お前この世界に来て我慢したの、カップ麺の三分だけだろ……ひとまず一回落ちつこう? な!?」

 定則は玄関にまで逃れると、後ろ手で戸を開けて外に逃れようとする。しかしそれより早く、イッキリーが突き付けた剣を真理の首めがけて横に払った。

 真理はニコニコしたまま、玄関の傘を取ってそれを受ける。しかしイッキリーの剣は、何の抵抗も無く振り切られた。


 今度は玄関の壁に、さくりと剣の切っ先が埋まる。そして真理の持つ傘は真ん中で二つになり、滑らかな断面を二人に見せた。

「うっそだろおい!」

 斬ったというには、あまりにも綺麗すぎる断面に定則が叫ぶ。イッキリーは壁から剣を引っこ抜くと、自慢するように天に掲げて見せた。

「フフフ。クヤージランドのマゼライバーだ。クヤージランドより閉塞次元数が少ないこの次元では、大抵のものを断ち切ることが出来るのだ」


 定則は真っ青になった。

「良く分かんねぇけど、すげぇのはお前じゃなくてその剣だろぉ! ていうかそれが問題なんだよ! お前自分が何してるか分かってる分、マジモンのキ○ガイだな! 別世界の異物持ち込んで暴れてるだけだろ! お前みたいなやつが大航海時代に、先住民を虐殺したんだよ!」

「ふん。自らが持ちえない力を目にして、それを許容せずに排斥する。君も汚らわしき独裁者と同じだったようだな」

「誰かよく映る鏡――いや! どうせならもう一人コイツを連れてこい! 自分で自分と殺し合え馬鹿野郎が! ていうか真理! 何とかしろぉ!」

 定則は腕の中の真理を激しく揺すった。彼女は瞳を輝かせて、傘の断面を見つめている。

「え~? 無理だよこんなキ○ガイ」

「コンの役立たずがぁぁぁぁ! ロイン!? ロイン様はどうした!?」


 定則は助けを求めるように、居間に残ったままの真理のメイドに声をかけた。

「ロイン!? お前は……」

 そこから先の言葉が、失われてしまう。何故ならロインがイッキリーに付き従うように、静々とその後ろをついてきたからだった。彼女は懐からナプキンを取り出し、イッキリーのマントについた水滴を軽く拭う。そして厳しい視線を定則たちに向けた。


「下郎ども。イッキリー様の言う通りです。今すぐエターナルノッカーをこちらに渡しなさい」

 定則は一瞬状況を理解できずに、放心状態になった。一週間前、風呂に乱入してくるほど一方的に親密な仲だったはずだ。それがどうしてイッキリーについているのか分からない。しかし少ない過去の記憶を掘り起こすと、次第にロインと言う存在がおぼろげながらも見えて来た。

「そう言えばコイツ……学校の事件の最中で姿を見なかったけど……さては助けようともせずに日和っていやがったな……」

「チョロイしねぇ……これって立派な反逆だよね」


 真理は傘の断面に興味を失くしたようだ。ぽいと柄を放り捨てると、含みのある笑みをロインに向けた。

 ロインは怯むことなく、それを真正面から迎え討つ。

「真理。抵抗なさらないで下さい。古の昔より、異次元より秘宝を持ち帰るのは英雄の所業でした。禁断の果実、プロメテウスの火、そして黄泉平坂。これもその一つにすぎず、貴方は古い因習にとらわれた哀れな羊に過ぎないのです」

「こえぇ……お前のメイド正論の様な暴論を吐き出したぞ……こいつその後、楽園追放と磔の刑と、史上最大の夫婦喧嘩あった事きっぱり切り捨ててやがる。ていうか詳しいなオイ! お前ら絶対地球に近しいだろ!」

「このままじゃ杖を盗られちゃうから、悪いけど異次元から仲間を呼ばせてもらうよ」


 真理はそう言って、玄関に備えられた姿見にエターナルノッカーを差し入れる。イッキリーが素早く身構え、定則は引き留めるように真理の手を握りしめた。

「バカヤロ! 悪魔を追っ払うのに悪魔と取引すんじゃねぇ! マイナスにマイナス足してもプラスにはなんねぇんだよ!」

「じゃあこうするしかないね!」

 真理は短く叫ぶと、定則の手を握り返す。そして杖を揺らしてノッカーを鳴らすと、姿見の中に飛び込んだ。

「え!? なに!? ちょっ! どういう――」


 拒む間もなく、定則は姿見の中に引きずり込まれた。定則は水底に沈んだように、前後上下の間隔をなくす。そして溺れたかの如く、虚空に四肢をばたつかせた。やがて真理が引っ張っていく次元の先で、水の感触を感じる。するとまるで存在する世界が置き換わるように、それが全身を包み込んだ。

 定則は気が付くと、酷く濁った水の中でもがいていた。息苦しさに悶えていると、空気を吸うように水を吸ってしまった事を知る。定則は混乱する頭を捨て置いて、ひとまず水面から顔を出した。

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