第5話 エブリデイマジック その5

 真理はそっとエターナルノッカーを噴水につけると、赤い十字のリングを使ってノックした。


 水面が淡い光を放ったかと思うと、看護服を着た女性が境界から浮かび上がってくる。彼女は肩に担いでいた教頭をそっと噴水の脇に降ろし、厳しい視線で真理を射抜いた。


「真理様。余り無理無体を為さってはいけませんよ」


「でもでも頼まれたからさァ……イーブンでしょ。それにこんなに異文化に対して、もろっちぃとは思わなかったんだよぉ……ねぇアルツィン、セーフだよね」


「異界の有利を用いず、己の魅力で勝負するのが高貴と言うものです。仲良くなりたいがために、ここに無い物をダシに使うなど言語道断にございます」


「ごめんねアルツィンごめんね。とにかくね皆を元気にしてほしいの」


 真理は頭を下げる。それから地獄絵図を背景に、諸手を広げて見せた。


 アルツィンは真理がイマイチ反省していないと分かっているのか、清冽な溜息をつくとエプロンの裏からするりと点滴台を取り出した。


「承知しました」


 彼女は点滴台に何かで満たされたパックを吊るして噴水に浸した。彼女のエターナルノッカーらしい。


 水面の色が青から赤へと代わり、点滴台が引き上げられると同時に、境界から看護師がわっと湧き出て来た。


 看護師たちはストレッチャーや医療箱を装備しており、わらわらと校舎中に散らばっていった。


「そちらの御仁。御怪我はないでしょうか?」


 一人の看護師が定則に声をかけた。だが定則はそれどころではない。彼の視線と関心は、教頭の頭に釘付けになっていた。


 あれほど悲惨だった教頭の頭には、今や立派な髪の毛が生えそろっている。


「フサフサになっている……」


「ええ。損傷が激しかったので修復しました。四肢の欠損などの重傷でなければ、修復できますので、身体に異常があればお知らせくださいまし」


 看護師は定則に頭を下げると、中庭の隅で嘔吐する生徒に駆け寄っていった。


 時間の経過と共に、校舎からは呻き声が消えていく。そして穏やかさを取り戻していった。


 定則は事態の把握が間に合わず、その時の流れに取り残され、呆然とその場に立ち尽くす事しかできなかった。


『今日は臨時休校としまぁす! 繰り返します! 今日は臨時休校としまぁす!』


 校内放送でアナウンスが流れた時、定則はようやく我に返った。そして隣に並んで立つ真理と目が合う。


 真理はいつものにこにこ顔で笑っていたが、やや気まずさに歪んでいた。彼女はその表情を隠すためか、大きく頭を下げた。


「ごめんね……仲良くなりたかっただけなんだ……じゃあ私ボーダーランドに帰るから……」


 真理はそそくさと噴水にエターナルノッカーを浸して叩こうとした。


 定則は咄嗟に、その手を掴んで止めた。真理が驚いて顔を上げる。定則も自分の行為が信じられない様に、双眸を見開いていた。


 定則は心の整理がつかずに、真理を止める自分の手をじっと見つめた。そして緊張が抜けたように、ふっと笑った。


(そう言う文化を持っているだけで、根は悪い奴じゃないんだ……)


 こうなったのも危害を加えようとしたからではない。彼女なりの付き合い方をしただけなのだろう。


 それがとんでもない事には違いないが。


 彼女は起こした事件から逃げずに責任は取ろうとしていた。


 それがアークランド矯正施設とやらに、入れられる恐怖からかもしれないが。


 定則の顔が軽く引くついた。


(やっぱこいつは、この世界にいたらだめだ)


「もう二度と来るんじゃねぇぞ……」


「うん。わかった。だけど定則も捕まらないように気を付けてね……」


 定則の頭が真っ白になった。


「捕まるって……なに? どゆこと?」


「私が帰るとミーム汚染が抜けるから、きっと付き合いのあった定則にヘイトが行くと思うんだ……学校の賠償や住民のヘイトが定則に向かうこととなるけど、その分のお礼は残していくから」


「え? やったのはお前でしょ? 事件ごと国に持って帰ってくれないかな? ふざけるなよこのメスゥ!」


「私帰らないといけないし……事態に収拾着くまで残るとなると、あと一か月はいないといけないし——」


「一か月か! 一か月でいいんだな!? 一か月絶えれば事態に収拾がつくんだな!? 俺の平穏な生活が戻ってくるんだな!?」


「でもここでのホームスティ先見つからないし」


「いーよ! 俺が受け入れてやるクソが! このまま帰られたら奇人変人の常盤定則君だけが残されちまうだろ! それだけは嫌だ! 将来への希望を立たれてなるものかクソがぁ!」


 定則は真理を決して逃がすまいと、彼女の腕を握る手により力を込めた。




 定則は真理と共に、校舎からの家路についていた。

 二人の後ろでは、邪魔にならない様にロインが静々とついてくる。定則は歩きながら、真理とごくごく当然なルールを取り決めていた。


「俺ン家にホームステイするのはいいけどよ。まず約束しろよ。その杖。エターナルノッカーだっけ? それはもう使うな」


「うんわかった。すごく反省しているから、もう絶対使わない。だけど取り上げないでね。私帰れなくなるから、それだけお願い」


 定則たちは家の前まで辿り着く。彼はポケットからキーを取り出し、玄関を開けようとした。


「俺もそんなおっとろしいもん触りたかねぇよ……触りたかねぇよ……触りたか……」


 玄関が破られている。キーピックやシリンダー回しと言う、上品なやり口ではない。文字通り鉄の玄関戸が、蝶番とロックを引きちぎって、毟り取られていたのだ。


 絶句する定則を余所に、家の中から誰かが出て来る。


 彼女は蜘蛛の下半身を揺らし、人間の上半身で例の魚に貪り付いていた。だが定則の姿を認めると、ほんのり頬を紅潮させつつ、食べかけの魚を脇に投げた。


「あら。あら。お恥ずかしい所を見られてしまいましたわ。ついついタイショウの匂いに惹かれて、我を忘れてしまいました」


 アラクネーはエプロンドレスの裾から、茶菓子と茶道具を一式取り出す。それを蜘蛛の足に綺麗に並べると、媚びた笑みを定則に向けた。


「素晴らしい殿方ですこと。お茶しません?」


 定則は真理の脇を突いた。


「さっきのはやっぱりナシで……」


「かもんベイビー!」


 真理はそう言うと、近くの水溜まりにエターナルノッカーを突っ込んだ。



 ここはボーダーランド。


 全ての次元に接する、狭間の世界。全ての世界を介する、混沌の世界。謁見の間の玉座にて、王が退屈そうに、肘をついた手に頭を預けていた。


「真理は元気にしておるかのう……」


 傍に控える側近が、王に答える。


「真理様なら問題ないでしょう。有能な僕を呼ぶ、ノッカーもお持ちですから」


「でものう……あれで呼べる僕の半分は、久しく対価を払っておらぬからのう」

「医療のアルツィンに給料を支払っているなら、大丈夫でしょう」


 その時、遠方から妙な地響きが聞こえて来た。

 ボーダーランドには、地震雷火事などの天災はない。ただ親父――人災だけが蔓延っている。


 王はすぐに地響きの原因が、異次元から何かが投げ込まれた事によるものだと悟った。


 王は軽く玉座から身を起こして、窓から遠方を眺めた。


「また何か来たようじゃの」


「見てきましょうか?」


「あの地響きじゃ。どうせ大したものではないわ。すぐここに馴染むし、ほっておきなさい」


「ですねぇ」


 遠方から異邦人の、猛々しい叫びが聞こえて来る。「お茶しない?」だの「ぶぅんぶぅん」だの「殺してやる」だの、その叫びにはまとまりが無く、混沌を体現している。


 しかし叫びの中に、原住民の歓待の声が加わる。


 少しの沈黙の後、身を裂くような悲鳴がこだました。異邦人が出口や母を求める大声に、原住民の喜悦の声や奇声が花を添える。一つのメガホンで喜怒哀楽を表現するような、真のカオスがここにあった。


 王は変わり映えしない日常に、深く失望の溜息を吐いた。


「暇じゃのぉ……」

「ですねぇ」


 こうしてボーダーランドの平和は続いている。



 夕食を終えて、定則は湯船にその身を浸した。疲れがお湯に染み出るような感覚に、ぶるりと身を震わせる。それから一気に脱力して、感嘆の息を吐いた。


「ぬわああん疲れたもおおおおおおん止めたくなるぜぇ~生きるの……」


 定則はお湯の中で身動ぎをする。


 首に絡まったままの原始人の髪から、水が滴る不愉快な感触がした。


 定則は今になってその存在を思い出し、首元に手をやった。髪と首の間に指を捻じ込もうとするが、髪の毛は根を張ったように食いついて離れなかった。


「くっそ……これ取れねぇぞ……どうしよう……」


 一度気になると、どうにかできるまで放っておけないのが人の性である。定則は躍起になって、髪の毛を引きちぎろうとした。


 突然、目の前でお湯が盛り上がる。そして水面を割って、ロインが頭を出した。


「それはボルゴ族が狩猟の際、獲物につけるマーカーです。付いたが最後死ぬまで外れません」


 定則は頭の中が真っ白になった。


 ロインの説明が衝撃的だったからではなく、ロインの存在が衝撃的だったからだ。彼女は水面から肩までを出しているが、メイド服の黒い布は見えない。


 つまるところ彼女は、定則と共に浴していた。


 ロインは水面を割って定則に寄ると、白魚のような指を首に伸ばした。


「ボルゴ族は発情期になると精神が昂ぶりますが、雄の狩猟を行うことでそれを鎮めます。その髪の毛は狩猟中の証で、同族の雌と標的が重ならないようにするためのマーキングなのです」


 ロインは定則の首に絡まる髪の束を、指でほぐすように弄った。そこで定則は髪がばらけることなく、まるで首輪のようにまとまって固まっていることに気付いた。


「ですがご安心を。この髪は時間が経ち過ぎたため、最早標的のマーカーではなく、生き延びた証となりました。例え再び会い見える事になろうとも、貴方様に害を加えることは出来ないでしょう」


 ロインはクスリとほほ笑む。そして首にかけた手を下にずらし、胸元を滑らせていく。手はそのまま腹を撫でて、その下に伸びようとした。


 定則はそこでロインが何をせんかを察し、慌てて彼女を振り払った。


「何この不自然な出来事を、自然な流れに持って行こうとするの! いつからAVの撮影が始まったんだよ! 俺ギャラ以前に出演OK出していないよ! 早く出て行けよ! 女尊男卑の昨今虐められるのは俺なんだぞ!」


「実は私。ボーダーランド王家に仕えながら、各々の次元にて素敵な殿方を探しているのです。貴方を見た瞬間、ピンときました。貴方こそが私の求めたる殿方です」


「あ? えぇぇぇ~……俺の何処に惚れる要素があったんだよ……正直怖いんですけど……何? え? ホントに狂気じみた何かを感じるんですけど! 真理ィィィ! お前の召使いがトチ狂ってるぞォォォ!」


 定則は百裂張り手をするように、ロインを押し退けようとする。しかしロインはするりと押し出される手をすり抜け、あっさり定則の懐へと潜り込んだ。


「真理様を受け入れる深い懐、私は感服致しました」


「お前媚薬でもキメてんのか!? それだけで!? 今時雨に塗られた子犬抱いたって、声かけてくれる女なんざいねぇよ!」


 定則が悲鳴を上げるうちに、お隣である真智の風呂場の窓が開けられた。


 窓からは湯気が零れ、そこから真智が顔だけを覗かせる。そして定則を冷めた目で見据えると、濡れた髪をかき上げながら言った。


「定則。もう少し静かにしてくんない?」


 定則は慌てて窓を閉めようとしが、ロインの手がそれを止める。彼女は窓へとずいと身を乗り出して、真智と正面から向かい合った。


「申し訳ありませんが、お話は後にして頂けないでしょうか?」


 真智は一瞬間の抜けた顔になった。しかしすぐに真顔になると、バスラジオを取り出して、良く見えるように掲げて見せた。


「ゴメン。邪魔したわ。ごゆっくり」


 彼女はそう言って、ヘッドフォンを装着。それをバスラジオにつなげて窓を閉じた。定則は真智に、手を伸ばして縋ろうとする。


「邪魔してねぇよぉ! むしろ邪魔してくれよぉ! 何! 何!? 水中で股間をまさぐるのやめろ! 真智! 俺を見捨てないで!」


「邪魔者はいなくなったことですし……私たちも楽しみましょう」


 ロインがそう言うと、彼女の周囲の水面が盛り上がる。そして昆虫独特の節と細毛を持つ、八つの脚を露わにした。脚はキシキシと音を立てて、カマキリの前脚のように定則を捕える。


「おぉあああ! 蜘蛛蜘蛛蜘蛛スパイダァァァ!? テメェあの狂った御茶会の同族だな!?」


「ハイぃ? 何のことでしょうか?」


「さてはお前もイカれたガンギマリだな畜生がァァァァァ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る