第4話 エブリデイマジック その4

 定則の校舎は通常教室棟と特別教室棟、そして体育館と職員室が一体化した特別棟の三つが、平行に並ぶ構造をしている。通常教室棟と特別教室棟の合間には小さな中庭があり、普段なら小洒落た噴水が学生たちに憩いの場を提供しているはずだった。


 しかしそこは、地獄の縮図と化していた。


 まず目についたのが、空を舞う異形の鳥たちだ。白い羽毛を身に纏い、真っ赤なくちばしに人の歯をずらりと並べている。彼らは宙を旋回しながら、口汚い言葉と野太い一本糞を下に撒き散らしていた。


 次に視界に飛び込んできたのが、メイド服を着こんだ女性である。上半身は美しい人間のそれだが、下半身は蜘蛛のものだ。いわゆるアラクネーだ。彼女らは尻から噴き出した糸で、思い思いの男児を捕まえて、手に持つ茶菓子を口に捻じ込んでいた。


 定則は一瞬羨ましいと思ったが、男児は必死の形相で押し込まれた茶菓子を吐き出そうとしている。よくよく見てみれば、押し込まれている茶菓子の生地が破れて、中から虫の卵がぼろぼろとこぼれていた。定則の背筋が凍った。


 アラクネーたちは捕まえた男児に、根気よく茶菓子を食わせ、見るからに汚らしい黄色い粘液を飲ませようとする。それでも男児の抵抗が続くと、一人のアラクネーが茶菓子の乗ったお盆を地面に叩き付けた。


「まぁ……私がこんなに尽くしているのに、ご理解いただけないのですね……あなたは理想の殿方でしたのに……だったら殺すしかねぇなァー! 私の淡い恋心を踏みにじりやがって! これだけ尽くしてやってンのによぉ!」


 アラクネーが真上に跳躍する。定則が視線で追うと、棟と棟との間には、早くも蜘蛛の巣が張り巡らされていた。すでに数人の男児が、蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされて吊るされている。


「おいおいおいおい……! 洒落になんねぇぞォ!」


 定則は後退るようにして窓から離れた。


 狼狽える定則の腕を、誰かが掴んだ。そして力づくで、校舎の玄関に続く階段へと引っ張っていく。定則が顔を上げると、教頭が定則と真智を非難させているのだった。


 彼は痩せぎすの男で、黄土色という微妙な色彩の背広を着ている。痩せこけた頬にすれたバーコード頭をしており、生徒からは『爪楊枝』と影口を叩かれていた。


 教頭は定則たちを階段の踊り場まで連れて来ると、下り階段の方に押した。


「ここら先はお前達でも大丈夫だろう! 早く逃げるんだ!」


「でも教頭はどうするんですか!」


「バカタレ! まだ生徒がいるんだぞ! いいからさっさと行け! 留年候補が偉そうな口を利くな!」


 定則は教頭を、陰湿で小言の多い男だと思っていた。今その誤解は氷解し、定則は彼に漢を見ていた。


「死なないで下さいよバーコードハゲ!」


 定則の激励に、教頭はネクタイの位置を正す。


「ふん。帰ったら反省文――」


 廊下から物凄い勢いで、何かが突っ込んできた。車っぽいそれは教頭の足をすくい上げると、自らの上に叩き付けて、上へとはね飛ばした。教頭は文字通りきりきり舞いした後、地面に勢いよく叩き付けられた。


「ぶぅ~んぶぅんぶぅん」


 廊下の彼方から、教頭を撥ね飛ばした何かの声がする。定則は気が狂いそうだった。


「教頭が轢かれたぁぁぁ! キョ! 教頭が! 教頭が車っぽい何かに跳ねられたぁぁぁ!」


「定則。そんなハゲほっといてさっさと逃げましょ」


 真智が定則の袖を引いて、階段を下ろうとする。定則は反射的にそれを振り払った。


「そんなハゲ!? 真智お前に人の血は通っているのか!?」


「でも、大体の生徒は逃げおおせたみたいだし……」


 真智はそういって踊り場の窓から、外を覗きこんだ。一望できる校舎前の広場は、既に非難した生徒でごった返していた。


 定則も真智の隣に並んで視線を馳せる。そして正門を過ぎてコソコソと学校から逃げていく、小太りの中年に気付いた。


「あっ! 校長が逃げてるぅぅぅ! もうだめだこの学校ぉぉぉ!」


「私先に逃げてるからね」


 真智は身悶えする定則を置いて、さっさと階段を駆け下りて行った。定則も教頭に肩を貸して、その後を追おうとする。しかしまたもや何者かが、定則の袖を掴んだ。


 定則が首だけで背後を振り返ると、あの雁木真理が気まずそうにしている。彼女は手に持つ妙な杖を揺らしながら、定則を引っ張り始めた。


「ねぇお願い手伝って! 片付けるの手伝ってよぉ!」


 定則は怒りに頬を引くつかせる。そして真理の肩を掴むと、自分の顔の前に手繰り寄せた。


「やっぱりお前か雁木真理ぃ……一体何をしたんだこのクソバカヤロォォォ!」


 真理は定則の剣幕に、視線を左右に泳がせる。そして両手の人差し指を突き合わせた。


「お友達が異世界のもの見たいっていうから出したんだよ。面白い鳥と綺麗なおネェさんと遅刻しない乗り物とそれからそれから――」


 定則は突き飛ばすようにして、真理の肩から手を離した。


「もういい黙れマジキチ野郎――ハッ!?」


 定則は廊下の向こうに、ゆらりと白い影が揺れたのに気付いた。目を凝らすと、それは半裸の女性だった。一切手入れのされていないぼさぼさの金髪で、全身を覆って衣服としている。手にはイボの浮いた木の棍棒を持ち、前髪の下では赤い瞳がらんらんと光っていた。出で立ちは原始人のそれだ。


「私に相応しい雄はどこだ。早く殺さないと。殺す。ぶち殺す。殺せない奴を探して、交尾しないと――」


 彼女はぼそぼそと、それでも遠く離れた定則たちに聞こえるように呟いていた。


「なんか凄まじいのがいるぞおらぁぁぁ!」


「え? 何? どこ!?」


 真理が嬉しそうに周囲を見渡す。この状況下においても好奇心が第一らしい。定則は真理と原始人の目を合わせまいと、真理の身体を引き寄せた。


「馬鹿見るな……あ!」


 真理の後ろには、ちょうど原始人がいる。それまでは真理の身体が定則の目隠しとなっていたが、身体を引き寄せた拍子に定則と原始人の視線が重なってしまった。


 原始人はぴたりと歩みを止めて、定則の方に身体を向けた。定則は蛇に睨まれた蛙のように、ピクリとも動くことは出来ない。ただ顔だけが、引きつった笑みを浮かべていた。


「どうもこんにちは……」


 混乱した定則は、通じるはずもない挨拶をする。だが以外にも原始人はぺこりと頭を下げて、返答してくれた――と定則は思った。


 次の瞬間、原始人のうなじから凄まじい勢いで、何かが定則に飛びついた。定則が悲鳴を上げる間もなく、それは彼の首に絡みつき、軽く絞めあげる。


 定則は半狂乱になって首を引っ掻き、その何かを外そうとした。だが何かは首に密着し、皮膚と一体化して外れない。少なくとも指触りから、それが髪の毛だと言うことは分かった。


「なっ!? 髪の毛ェ! 何しやがんだコノ――」


 定則は反射的に原始人を睨み返す。そして怯み、一目散に逃げだした。原始人が棍棒を振り回して、定則に突撃してきたからだった。


 定則は教頭を担ぎながら、原始人とは反対側の廊下を疾駆した。


「ああクソッタレェ! 今の階段下れば外に逃げられたのに……この先上り階段しかねぇぞちっくしょうが! お前どうやってあの化け物を出したんだ!?」


 真理は足を速めて定則の前に出る。そして廊下の行き止まりの窓に、杖を突っ込んだ。


 窓は杖の先端を受け入れて不透明になり、割れずに波紋を広げる。真理が付属するドアノッカーを叩くと、窓全体が淡い輝きを放った。


 真理は駆け寄ってきた定則から、教頭を預かると窓へと叩き付けた。教頭は窓を割ることなく、その境界の向こうへと消えていった。


 定則は再三驚きに眼を見開き、逃げるのを忘れて窓に魅入っていた。すぐに真理が定則の腕を引いて、近くの階段を駆け上がる。すぐ後ろまで、原始人が迫っていた。


 定則と真理は並んで走る。その最中真理が杖を、定則に見せつけた。


「これエターナルノッカーっていうんだけど、異次元への扉を開くことができるの。これで水面や鏡面を異界のゲートにできるんだ。さっきのハゲはこれで安全なとこに逃がしたよ」


「待て待て待て! 同じ要領で俺を逃がせ!」


「定則お願いだよ。出したの戻すの手伝って。私一人じゃどうしても無理だよお願いお願い」


「テメェのケツはテメェで拭けや! 俺はハゲが心配だ! 今すぐハゲと同じとこ送れ!」


「餌を使ってさっきから頑張ってるんだよぉ! 異界の匂いを放つこれを使ってェ!」


 真理は走りながら、近くの窓にエターナルノッカーを突っ込んだ。そして洗練された動作でドアノッカーを叩き、境界に手を突っ込み、一尾の魚を取り出した。彼女は一連の動作を、窓を走り抜けるまでにやり遂げた。


 真理の取り出した魚は、定則がプレゼントで貰ったものと全く同じだった。紫の色の腫瘍を、鱗として持った魚である。ただ片手で持ち上げられるほど小さかった。魚は口をパクパクさせて呻く。


「どうしても祈れぬ」


 外を舞っていた白い鳥が、窓ガラスを突き破って教室に侵入してくる。鳥は真理の手から魚をかっさらうと、反対側の窓を突き破って出ていった。


「こんな感じで話にならないんだ」


「あれ餌!? お前プレゼントで俺ン家にキ○ガイが沸くような物くれやがったのか!? 後そいつは何で明治大正に思いを馳せてるんだ!? どうして偉人の台詞を吐くんだ!? 一体なんて言う魚だ!?」


「これ出世魚なんだ~。さっきのはメイジで、成長するとタイショウになって、最終的にはトウジョウヒデキになるよ」


「何で昭和をかっ飛ばすんだよ!? それと際どいトコ突くんじゃねぇよ! この世界だと変な奴も釣れちゃうだろ! あ……」


 定則はしばらく、無言で廊下を走った。次の行き止まりを曲がり、屋上への階段を駆け上がる。その時好奇心を抑えきれず、彼は聞いた。


「ちなみに……俺ン家にあるのは……?」


「タイショウ」


「トウジョウヒデキィィィィ! 上にまだトウジョウヒデキィィィィ!」


「今はそんな事どうでもいいよ。それよりどうしよう! 下手に異界の文化を壊したら、アークランド矯正施設に入れられちゃうんだ。あそこに入れられると、70パーセントの確率で廃人にされちゃうんだよ!? だから何とかするの手伝って!」


「一回捕まったらどうかな!? 君は一度社会の厳しさを知った方が良いと思うんだ! 面会には行ってやるから、臭い飯を食ってこい!」


「別にそれでもいいけど、定則あいつに殺されちゃうよ?」


 真理が親指で、追いかけてくる原始人を指さした。


「ええいクソが! そのエターナルノッカーで、別世界への扉が開けるんだな!? そしてそこに連中を押し込めればいいんだな!?」


 定則たちは、次の階段の踊り場に辿り着く。そこから先は、最早階段も廊下も無い。屋上へと繋がる扉が、二人の前に立ち塞がっていた。


 定則は一瞬、追い詰められたと恐怖に顔を歪める。しかしある事に気付き、開き直って不敵な笑みを浮かべた。


「おあつらえだ」


 定則は扉を蹴り開けると、真理と屋上に出る。そして出たところの窓に、真理を押し出した。


「メイジでもタイショウでもトウジョウヒデキでもいい! 魚を出せ! 持てるだけ出せ!」


 真理はエターナルノッカーを窓に突っ込み、魚を二尾取り出した。定則は真理が魚を出したのを確認すると、彼女の腕を引いて屋上の半ばまで走った。


 定則は大きく息を吸い込み覚悟を決めると、真理と一緒に中庭へと身を投げ出した。


 定則と真理の眼下には、アラクネーの蜘蛛の巣が広がり、糸達磨になった男子児童がぶら下がっている。そのむこうには、中庭の噴水が待ち受けていた。


 定則は近くにあった糸達磨にしがみつき、自重で下へと降りていく。中庭に降り立つと、真理から魚を奪い取って頭上で振り回した。すでに異界の者たちは、魚の臭気に当てられて、定則に狙いを定めていた。


「真理ィ! 噴水を異界につなげろ!」


 真理は素早くエターナルノッカーを噴水へと突っ込む。彼女は一番小さなリングを選択し、力任せに鳴らしまくった。


 噴水の水の色が底の見える透明から、粘つくような紫色に変わる。水面は流れを作り、渦を巻いて、異界へのゲートと化したのだった。


 定則は噴水に魚を投げ込もうとした。しかし真理が、彼の手から魚を奪い返した。


「何してんだ! 馬鹿止めろ!」


 定則は面食らって、真理に掴みかかる。しかし真理は定則を突き放すと、急いで噴水の縁に立ち、魚を振り回した。


「これは私の責任だからぁ! 後は自分で何とかするよぉ!」


 そうしている間にも、真理を目がけて異界の者たちが殺到している。空からは白い鳥が、廊下の窓を突き破って車のような何かが、その両方からアラクネーが、屋上からは原始人が飛び降りて来る。


 定則は咄嗟に、真理の足を引っ張った。真理は噴水の縁に倒れて、両手の魚をゲートの中にぶちまけた。異界の者たちは魚を狙い、一斉に水の中に飛び込んでいく。噴水の泉は沸騰したかのように水面を泡立たせ、次々に彼らを飲み込んでいった。


「身をかがめろ!」


 定則は真理を陸へと抱き寄せると、噴水の脇で身を伏せて、騒ぎが治まるのをじっと待った。


 水面が爆ぜて、空気と水が混ざる音が、しばらく続く。やがて音が静まると、定則は恐る恐る身体を起こし、周囲を見渡した。


「ヒッデェな……」


 校舎は異界からの来訪者で、廃校寸前まで荒れ果てていた。


 中庭に面した廊下のガラスは、ほぼ全てが割れてしまっている。その中庭にはというと、窓ガラスの破片と、白い鳥が残した汚物で異臭が漂っていた。


 校舎の合間には蜘蛛の巣がかかり、そこでは男児生徒が逆さ釣りになっている。彼らのほとんどが、胃の中のものを戻してしまっていた。


 廊下からも、苦痛の呻き声が聞こえてくる。車の様なモノに轢かれた人々らしい。彼らが何とか立とうと伸ばす手が、割れた窓を通して見えた。


 この光景を一言で表すなら、まさに『地獄絵図』だ。


 定則はふと気になって、静かな水面を湛える噴水に視線を落とした。


「さっきはどこに繋げたんだ? 向こうの次元の人が、困るんじゃないのか?」


「良く分かんないけど、次元のゴミ箱だよ。何を捨てても、誰が行っても困らない場所に繋がってるらしいの。だから安心して!」


「ホントか? お前らの基準じゃアテになんねーぞ」


「文化を壊したらアークランド矯正施設に入れられて、廃人にされるかもしれないんだよ? 今までたくさんこのリング使ったけど、お迎えが来たこともないし、大丈夫でしょ」


「素直に喜べねぇな……ひょっとしてお前廃人になって出てきて、アークランドで過ごした記憶消えてるんじゃねぇのか?」


「何言ってんの? 犯罪者はホームステイしちゃいけないんだよ? 馬鹿なの?」


「なんで俺はこいつを助けたんだろ……」


 定則は目頭を押さえて、泣くまいときつく抑え込んだ。

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