第3話 エブリデイマジック その3

 その日の教室は、いつも以上に騒がしかった。


 定則はホームルームが始まるまで、級友と無駄話に花を咲かせるのが日課だ。


 しかし今日は違う。


 定則の机には真理がちょこんと腰かけており、笑顔をクラスメイトたちにふりまいていた。


 傍らにはロインが控えており、御淑やかな雰囲気を漂わせながら、軽く瞳を閉じている。


「つー訳でだ。誰かこのイカれた雁木真理のホームステイ先として、彼女を受け入れてくれないか?」


 定則は今朝のいきさつを、クラスメイトに話し終える。クラスメイトは新入生を歓迎するように、真理に群がり始めた。


 定則は邪魔しないよう、真理を囲む人の垣根から逃れる。すると同じように、真理の傍から離れたロインと鉢あった。


 定則は真理に出来た人だかりを遠巻きに見つつ、ロインに話しかけた。


「すんなり受け入れられたな……俺は深夜番組の外人よろしく、売れない商品の宣伝をすることになると思っていたぞ」


「ミーム汚染されておりますから。紳士淑女諸氏にとっては、ただの転校生と同じ感覚なのでしょう」


「お前やけに地球の文化に詳しいな。何か企んでるのか?」


「それは何度もボーダーランドで、旅のお世話をした事がありますゆえに。この地球に似た文化を持つ次元も、いくつか巡らせて頂きました。些末なものですが、知識はあります」


 定則の胸中で、一抹の不安が鎌首をもたげた。ボーダーランド人は極めてユニークな感性を持っている。真理に付き添うロインとて、例外ではないのかもしれない。


「お前もイカれているのか?」


 ロインはストレートな定則の言葉に、傷ついた様子はない。平静さを保ったまま、薄目を開けて定則を見つめた。


「それは定義によりますが、私は――」


 ロインの言葉は、勢いよく開け放たれたドアの音で遮られた。間を置かず担任の松岡が、教室に入って来る。


 新任教師特有の溌剌とした空気を身にまとい、明るい笑顔が特徴的な男だ。その笑顔は真理とは違い理性的な芯が通っており、普段着のジャージにしっくりとしていた。


 松岡が教卓に出席簿を置くと、クラスメイトはいつものように自分の席に戻っていく。そして教室にいるべきではない異物を、松岡の目に浮き彫りにした。


 定則の机に腰かける真理、その少し後ろで立ち尽くす定則とロインである。


 松岡は真理たちに注意をするため、人差し指を立てた。本人曰く心して聞けと言う意味らしい。だが動作の途中で間の抜けた顔になると、真剣な表情を困惑に歪めた。


 定則はこれと全く同じ変化を、自分の両親ですでに見ている。松岡も汚染されてしまったらしい。


「え~と……スマン。教え子の名を忘れてしまった……名前を教えてくれ」


 真理は自分を指して、話の対象が自分であることを確認する。松岡が頷くと、真理は喜悦の表情を浮かべながら立ち上がった。そしてその場で一回転し、ドレスを揺らしながら会釈をした。


「雁木真理ィ! こっちはメイドのロイン!」


 松岡は真理の自己紹介に拍手をする。周囲もそれに倣う。真理は照れて自分の頭を撫でた。


「そうか~雁木真理か~出席簿に乗ってないな~……それはおかしいな。書き加えないと」


 松岡は出席簿に、迷いなくペンを走らせる。そこで彼は顎を抑えた。


「ん? 待てよ。それじゃあ筋が通らないな。後で学籍も作成しないとな……校長に話さないと……ひとまず今は出席を取るぞ! 雁木真理」


「はァい!」


 真理はその場で宙返りをうち、定則の席に綺麗に座った。松岡はそれ以上真理を追求せず、出席を取っていった。


 そのうち松岡は、定則がロインと立ち尽くしているのを見咎めた。


「常盤定則。何してる。さっさと座れ」


「俺の席……ねーんすけど……」


 定則は自分の席だった場所で、真理がはしゃいでいるのを睨んだ。


「じゃあ取ってこい。準備室にあるから早くな」


 定則は不貞腐れた返事をする。そして肩を怒らせながら、教室を出て行こうとした。


 真理の席から、ぱちんと指を鳴らす音がする。すると真理の傍で控えていたロインが素早く動いた。


「お手伝いいたします」


 ロインはそういって、定則の後を静々とついてきた。


 定則は廊下に出て、一階上にある準備室に向う。その道中でロインに聞いた。


「この汚染はどこまで続くんだ……」


「この世界は人民統制が進んでいるようですね。どのような方法で人民を管理しているかは存じませんが、恐らく最高管理機関の台帳に、出身国ボーダーランドと載るまでは続きますね」


 定則はごくりと生唾を飲み込んだ。


「おっそろしい種族だな……」


「飛ぶ鳥後を濁さず。ボーダーランド人が引き上げれば、ミーム汚染も浄化され、その記録も波が引くように消えます。ご安心ください」


 定則はがっくりと頭を垂れた。



 午前中の授業が、つつがなく進んでいく。


 真理は隣の女生徒に教科書を見せてもらい、定則の筆記用具を貸してもらうことで、見よう見まねで授業に参加していた。


 定則はいつ真理が暴れ出すかと、ひやひやしていた。


 真理は黒板とにらめっこをしていたが、おもむろにノートに文字を書き始める。それは最初、ロインの名刺にあったような、のったくった線だった。しかし徐々に形を整え、綺麗な日本語へと変貌した。


 定則は驚いてシャーペンを取り落した。シャーペンを拾うのも忘れて、その様子を見守る。


 真理は続けて黒板の設問を理解して、その答えを書き綴った。正誤はともかく、設問を解けたことが嬉しいらしい。両手を軽く合わせてはしゃいで、次の問題にとりかかる。


 真理はクラスメイトの中でも、真剣に授業を受けていた。


 定則の机に、落としたシャーペンが置かれる。脇を見ると、隣席のロインが中腰で近くまで来ていた。


 ペンを拾ってくれたようだ。彼女は席に戻る際、そっと定則に耳打ちした。


「ここの文化のミームを受け入れているので、文字程度ならすぐに習得できるのですよ。真理様はミームを汚染しに来たのではなく、吸収しに来たのです。できれば少しでも信用なさってください」


 定則は感心しながら、しばらく真理を眺めていた。


 午前の授業が終わり、昼休みの時間になる。


 教師が退室するとともに、生徒たちはカバンに教材をしまい、弁当箱や財布を取り出し始める。


 そんな中、真理は真っ直ぐ定則の席に歩いてきた。そして弁当包みを取り出す定則の向かいに立ち、机に手をついて顔を寄せた。


「ねぇこの勉強って何の意味があるの?」


 定則は眼前に寄せられた真理のスマイルに、軽い悲鳴を上げて上半身を仰け反らせる。


「意味なんかねェーよ。それを自分で見つけるための勉強だよ」


「へぇ。何か可哀想な文化なんだね。意味のない事に青春使ってんだ」


「やかましいなクソ。そういう社会で生きてんだからしゃーねぇーだろ」


 定則は叩き付けるようにして、机に弁当箱を置いた。


 不意にクラスメイト達が、真理の周りに弁当箱を持って集まりだした。


「真理ちゃん。一緒にお昼しない?」

「真理。ボーダーランドの話を聞かせてくれよ」

「異世界ってすごい道具があるんだろ」

「ドラゴンとか見せてくれよ」


 真理とクラスメイトは何度かやり取りをした後、より広い食堂に行くことを決めたようだ。真理を中心に取り囲みながら、教室を出ていった。


 真理は廊下を歩く途中で、人の垣根の隙間から、教室に残る定則に気付いた。


「あれ定則は来ないの?」


「いい。お前は良いお友達探してこい」


 真理は笑顔を崩さなかったが、残念そうに息を吐いた。しかしそれも人の流れに飲み込まれて、見えなくなった。


 定則はほっと落ち着いたように、椅子に崩れ落ちる。そしてつかの間の休息を求めて、弁当包みを開いた。


 間髪置かずに弁当の隣に、ティーカップが添えられ、紅茶が注がれた。定則は溜息をつきながら、脇に控えるロインを見上げた。彼女はメイド服のエプロンの裏に、ティーポットをしまったところだった。どうやら彼女のエプロン裏は、異次元に通じているらしい。


「お前も行けよ。何しれっと残ってるんだよ」


「あれだけ候補がいらっしゃるのです。私がいてはお邪魔でしょうから」


 ロインの言葉に、定則は改めて教室を見渡した。


 普段なら半数の生徒が弁当を広げて、和気あいあいと食事を楽しんでいるはずだ。しかし今教室にいるのは、定則とロインだけだ。


 どうやら全員真理に付いて行ってしまったらしい。


 定則は複雑な表情をすると、弁当の中を箸でつっついていた。しばらくして、一人の女子が教室に戻って来る。


 定則の隣人、真智である。彼女はハンカチで手を拭いながら、ほぼ無人の教室に目を丸くした。


「あれ? みんなは?」


「雁木真理んとこだよ。お前もそうじゃないのか?」


「レディーに詮索しないで」


 真智はトイレに行っていたようだ。彼女は自分の席に着くと、カバンから菓子パンをいくつか取りだした。そして文庫本を片手に、昼食を取り始めた。それが真智の日課だった。


 定則はそっとロインに囁いた。


「なぁ。あれって。ミームの影響受けてないんじゃないか?」


「可能性はあります。彼女も、汚染されにくいのかもしれませんね」


 定則は考え込むように、アルミ製の弁当箱を見つめていた。真智がミーム汚染を受けにくい体質なら、定則にとって最後の寄る辺かもしれない。


 両親友人ともどもすっかり汚染されてしまっているのだ。幼馴染で家も近い事だし、定則の正気を保つには必要な存在だといえた。


(けどなぁ……今朝の事があって気まずいんだよなぁ……)


 定則は開けたばかりの弁当に蓋を被せ、何気なさを装いながら真智の席に近づいた。


「あ~真智?」


 定則はコホンと軽く咳を払う。真智は文庫本に視線を落としたまま、口に含んだ食べ物を飲み込んだ。


「何? それよりアンタさ、雁木真理の相手しなくてもいいの?」


 真智の調子はいつも通りだが、定則にはよそよそしく感じられた。


「俺がいるように見えねぇだろ。それより今朝の事なんだけどさ」


「何よ? 別に私、あの子がどっから来たかなんて興味ないわよ」


 真智は文庫本から視線を上げて、定則をちらりと見た。定則は真智の眼に真っ直ぐ答えることができず、ふいとそっぽを向いた。


「勘違いしないで欲しいんだが、俺とアイツは一切関係ないからな。今朝の話だけどさぁ、あれは誤解なんだよ」


「別に何も気にしてないんだけどさぁ……ボーダーランド特有の挨拶でもかましてたの? 顔にお尻を乗せるなんて、変わってて面白いじゃない」


 真智は意地の悪い笑みを浮かべて、文庫本をぱたりと閉じる。定則は苦虫を噛み潰したような顔になった。


「あれはだな――」


 校舎が衝撃に揺れて、定則の声は遮られた。一瞬の間を置いて、爆音が響き渡る。真智は机に突っ伏すように倒れ、定則は床に尻餅をついた。その中でロインは床に固定されたように、直立不動を保っていた。


 定則が事態を理解するよりも早く、もう一度校舎に衝撃が走る。定則は床を為す術も無く転がった。教室中の机がガタガタと音を立てて、所定の位置から一席分はずれた。


 束の間の平穏の後、校舎のあちこちから悲鳴が起り始める。定則は埃を払って立ち上がると、真智とロインと共に廊下に出た。


「な……な……な……」


 定則は校舎の惨状を目の当たりにし、思わず呻き声を上げた。


「何をしてるんだあいつぁぁぁぁ!」

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