第41話 俺に夢中になってくれないか

 それからしばらくして、青木くんから第2弾の写真集の依頼がきた。

 そして、この仕事が終わったら、今までコツコツ稼いだ貯金を元に、南半球をぐるーっと回ってこようかなぁと思っている。


 この間、お父さんとお母さんがオーストラリア旅行とっても楽しかったみたいだから、私も立ち寄りたいなぁ。シドニーのハーバーブリッジも撮影してみたい。あとはブラジルとアルゼンチンにまたがるイグアスの滝も見てみたい。もちろん、撮ってみたい。

 仕事抜きの撮影ってのも楽しそうである。その国の文化も気になる。

 そして、綺麗なものをいっぱい見たら、私の中の占める青木くんの量も少しは減るかなぁと思った。


 今回は、休暇をテーマにして、自然体でゴロゴロする青木くんを撮るとのこと。

 ちょっと大きな撮影に使えそうな一軒家を郊外で借りる。


「紗枝、お久しぶり!」そう青木くんは、眩しそうにこちらを見た。


「青木くん、お久しぶり!荷物置かせてもらってもいいかな?」といって、私は機材を床に置く。


 和モダンな感じのなかなか雰囲気のある部屋で、これは良い写真が撮れそうだと嬉しくなる。

 マネージャーさんと、アシスタントの女の子と、青木くんと、私で打ち合わせをする。


 じゃあ、始めようかというと、青木くんが着替え始めた。お、ゴロゴロするというだけあって、パジャマ姿かぁと思う。あぁ、ラフでもこんなにカッコいい。アシスタントの子がほぉと悩まし気な溜息をついている。

 今回は、濃いグレーのパジャマで、リラックスゆったりタイムを演出するらしい。


 趣ある木のイスに座り、テーブルに肘をつきながら、こちらを何とも言えない優し気な笑みで眺める青木くんをカシャカシャと撮影する。なんだか懐かしい。そういえば、高校の時もこうやって、甘えるようにこちらを見てくれたっけと紗枝は思い出す。ふふ。可愛いな。


「これは、第2弾も重版になりそうですね」とマネージャーの新藤さんが嬉しそうに撮影風景を見ている。さらに、さらに青木くんは人気者になるんだろうなぁ。


 カメラマンとして、どうしたら、青木くんの魅力を引き出せるだろうか必死に追いかけるようにシャッターを切る。


 次は、キッチンに立つ青木くんらしい。

 冷蔵庫の中の、指についたバターをクロテッドクリームをぺろっと舐める青木くん。なんともチャーミングだ。自然光もうまい具合に入っていて、休日感が満載である。

 あんな笑顔で、朝食の準備をされたら、落ちない子はいないだろうなぁと思う。罪作りな青木くんである。

 これも、これで一部の層にすごく受けそうだ。




 極めつけは、ベッドにのるシーン。

 うーん、これはヤバいくらいに官能的だなぁと紗枝は思った。青木くんとベッドなんて最高に女子たちの妄想が捗るに違いない。つまりは、かなり、良い写真が撮れてしまい、すぐOKがでるかと思いきや、青木くんのOKは中々でない。


 このシーンが撮れたら、撮影も終わりで解散なのになぁと思う。青木くんは被写体としてポージング等々もかなり優秀なので、結構さくさく撮れてしまうのに。どこが納得いかないのだろう。


 マネージャーの新藤さんは、「予定が押してる。俺だけでもちょっと抜けて打ち合わせ行ってきます」と退室していってしまったし、アシスタントの女の子にも夜が遅くなり申し訳なくなって、予約していたホテルに先に行ってもらった。


「んー、これも、ちょっとなぁ」

 青木くんのダメ出しに地味にいらっとくる。この柔らかそうなシーツの上で笑顔で眠っている青木くんなんて、すっごく良いじゃないかぁ。ご褒美級の写真だと思うんだけど。


「うーん、何か違う」


「青木くん、どうしたの?何か気にくわない?申し訳ないけど、十分良い写真が撮れていると思うよ」


「―――でもさ、ちょっと色気が足りない気がする」そう言って、青木くんは上半身裸になり、ベッドに包まった。


「どう?」と聞かれて、紗枝は返事に困る。目に毒である。


 うわぁ、シックスパックがきちんとある。うう。破壊力が……。

 

 紗枝は顔が熱くなりながらも「うん。そこまで、青木くんが本気とは思っていなかった。良いもの作ろう」と言いながら、カシャカシャとシャッターを切る。これは、直視してはいけない代物である。


 レンズ越しじゃなければ、青木くんのラブマジックにかかってしまうだろう。


 カシャカシャ。


 カシャカシャカシャ。


 レンズ越しでも、目の前の青木くんはとても美しく、どうしても直接見て、触れてしまいたくなると、そう紗枝は思う。

 しなやかな筋肉のついた体。以前より逞しいのかどうかも分からないが、ただひたすら優秀な牡が半裸で自分の希望通りの行動をしてくれる。そして、大人っぽい雰囲気に酔ってしまいそう。

 切れ長の色っぽい三白眼がこちらを見るだけで、この身が焦げてしまいそうになるというのに。


 ――これは良くない。勘違いしそうになる。

いつまで、撮影が続くんだろう。

身体が火照ってきてしまうし、集中力が切れてしまいそうになる。



「ごめん。ちょっと、休憩させて」そういって、気持ちを落ち着かせるために、紗枝は一人でその部屋から出る。


 外にでると満点の星空で、田舎まで来たかいがあったなぁと紗枝は上を見上げて思う。冷たい外気が頬に当たり気持ちいい。


 冷静になりたい。

 これは仕事で私はカメラマン。

 そして、青木くんは最強の被写体。

 そう言い聞かせないと―――。


「きれいでしょ」と頭上から声が聞こえて、頬に温かいマグカップが当たる。


「ありがとう」アップルティーの香り?甘くて優しい香りが鼻腔をくすぐる。


「……これ、懐かしいね」そういって、甘くて芳醇な匂いがする液体を喉に通す。


「この空、紗枝に見せたかった。前さ、撮影で一回きて、すっごく綺麗だなぁって思った」


「ありがとう。だから、撮影長引かせたの?」


「それもあるけどね。純粋に紗枝と良いもの作りたかったから」そう青木は、星空を見上げながら言う。


 お互い、吐く息は白い。そろそろ、11月か。


「そっか、寒いから風邪ひいちゃうかもしれないし、そろそろ撮影戻る?」というと、青木くんは「もっと話したい」と私を引き留めた。


 冷えてきた私の手を青木くんの大きな手が包み込む。


「なっ」と驚く私に対して青木くんは「温かいでしょ」とにこやかに笑う。

 青木くん、ど、どうしたんだろう。いつもと様子が違うような……?


「紗枝は、仕事好き?」どうしたんだろう。


「うん。好きだよ。こういうこと話すと生意気に聞こえるかもしれないけど、これ以上、自分に合う仕事はきっとないだろうと思う」


「そっか。俺は、この仕事をするとき、最高の被写体でありたいって思う」

 青木くんが私の手をぎゅっと握る。その瞬間、心臓が掴まれたかのように、どくんと高鳴った。


「紗枝と出会う前は、人間なんて大嫌いでさ、話すのも嫌なくらいで。だけどさ。紗枝が俺を見てくれて、認めてくれて、あれ、この人のこと、何で嫌じゃないんだろうて不思議に思ったんだ」

 青木くんが、紗枝の指に自分の指を絡めてきて、紗枝は小さく震える。


「だから、紗枝に見られるのはまったく嫌じゃなかったよ。むしろ見て欲しかった。紗枝のちょっと甘ったるい視線が、正直……心地よくてたまらなかった。そして、紗枝がカメラに夢中になって思ったんだ。俺が良い被写体になったら、紗枝は沢山、俺を撮影してくれて、もっと、もっと俺に夢中になってくれるんじゃないかって」

 彼の人差し指が甘く、優しく、私の爪をなぞる。




「ねぇ、だからさ、お願い、俺に夢中になってくれない?」





 ふり絞るようなセリフに、横を向いて、薄明りの中、青木くんの顔をみると、瞼からいくつもの涙をこぼしていた。



 切れ長の瞳から、透明な雫がいくつも、ポタポタと地面へと落ちた。

 ああ、綺麗だなと、言葉を忘れて紗枝は青木くんに見蕩れていた。

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