第36話 君のレンズ【青木くん視点】
その後、公演日時が決まり、祝賀会で俺は主役だけあって色々な人が周りに集まってきて、なかなか紗枝のいる席へ行けない。早く紗枝の隣に行きたいのに。
「うわぁ、鈴木さん。もし良かったら、俺のこと撮ってくださいよ。いくらでも練習台になりますから」
ふと、聞こえた最近芽がでてきたばかりの俳優の男の声に、俺はがくんとなる。
激しいイラつき。
嫉妬。軽薄な俳優への嫌悪。不愉快な感情が思考を犯す。
はぁ。本当……むかつく。頭の中が怒りで黒く塗りつぶされる。
「――いいなぁ、それ混ざりたい」
俺は一見きれいに見える笑みを顔に張り付けて、紗枝の目の前に自然に腰掛ける。この舞台の主役の俺が座ると、さっきまで彼女に話しかけていた俳優は威圧感を感じたのか、どこかへ移動してしまった。
「……紗枝、久しぶり」と出来るだけ冷静に、話しかける。
有名な監督に挨拶した時より、恋焦がれた相手に声をかけるのは緊張するなんて。
「ねぇ、こんな所で会えるなんて、本当に嬉しい」思ったより、するする言葉がでてきた。紗枝はどんな反応をするんだろう。
「驚いた。海外に行っていると思ってたし」
紗枝と会話できてうれしい。
だけど、目をあまり合わせてくれない。
「まだ、俺のこと嫌い?」不安がつい口に出てしまうう。愛をねだる愚か者か俺は。
自信なんてない。マイナスだ。
「―――嫌いになったことなんてない」と言われて俺は心底安心した。
目を合わせない理由は、俺の目をみるとヤバいという理由なのでと逆に謝られた。嬉しくて歓喜した。初めてだ。自分のこの人たらしの目が頼もしく感じたのは。まだ、俺のこと意識してくれてる?
また、らぶマジックにかかってくれたらいいのに。どうしよう耐性とか出来ていたら。紗枝にだけ発動して欲しい。
「出発して下さい」
酔いが回ったのか、すやすや眠ってしまった紗枝をタクシーで送る。
小さな頭を俺の肩に軽く置き、眠っている。
時折、俺の匂いをくんくん嗅いだりする様子が、なんだか懐かしいなぁと思った。
あぁ、このまま紗枝を連れて帰って、閉じ込めて、俺だけしか見れないように、という名案が浮かんだけど、可哀そうで出来ないなと思う。
すっごく記者たちが喜びそうなニュースであるけどな。ははは。
でも、家にいることが滅多にないしな。俺。
古くからの知り合いだと話して、先輩カメラマンさんに紗枝の住所を聞いておいたので、その住所へ向かっている。
疲れていたのだろう。先ほどよりも深い眠りにはいった紗枝を運び、荷物から鍵をあさる。
鍵が開いて、その部屋の匂いが甘くて、懐かしい高校生時代の思い出が蘇る。
ベッドに紗枝を優しく寝かせ、かけ布団をかけた。
紗枝はすぴーすぴーと穏やかに目をつぶっている。柔らかい体。華奢な肩。
「あぁ、抱きたいなぁ」そんな犯罪的なセリフが自然と出てしまう。
だけど、寝ている時に、好きでもない男に抱かれるなんて最悪な記憶になるだろう。紗枝の最悪にだけはなりたくない。落ち着け。俺。
でも、早く手に入れたいと思った。俺に堕ちてくれないかな。
高校生の頃だったら、抱きしめたい。キスをしたい。その先はおぼろげだったのに、軽蔑されてしまいそうなことばかりで頭がいっぱいになる。おそらく、会わない間も俺はこの気持ちを増長させていた。
連絡をしてみても、返信がこなくて。すっごく落ち込んでヨウに話したら、「あぁ、スマホ水没したって言ってたよ」と言われて、ほっとしたけど、連絡先が分からないから連絡のしようがない。そして、もし、また返信がこなかったらと思ったら、SNSを見つけても、メッセージを送れなかった。
どうしたら、紗枝は俺が好きになるんだろう。
もっと近くで、俺を見続けたら、俺の仕事を見続けたら好きになるんではないかと思った。
だって、俺と仕事した人は皆、俺のことが好きになってくれたから。
柔らかな頬を指で触る。
愛しい、好き、一緒にいたい。
また、俺を以前のような――恋焦がれた目で見て欲しい。
部屋の壁には、沢山の写真が貼られている。しかし、そこに、俺の写真はなかった。当たり前のことだけど、胸が締め付けられるように痛い。
そういえば、以前紗枝の部屋を訪問した時は、俺の写真をベッド下に隠していたっけと懐かしく思う。今と昔では、色々変わってしまうのも当たり前か。
紗枝のとる写真はすごい、そう写真を眺めながら、俺は思う。
どうやら、男の影もなさそうで、仕事浸りの生活のようだと、安心する。
舞台のチケットをテーブルにおいて、俺は紗枝のアパートを後にする。
紗枝のことだ。生真面目に舞台を見に来るだろう。
魅せてやろう。そして、俺に夢中になれ、そう思った。
今回の舞台は、愛など知らない冷たい鬼が、温かな心を持つ人間の女の子と一緒に暮らすことで愛を知っていくという話である。まるで、自分のようだった。高校2年生の頃、紗枝にであって、氷切った自分の感情が、日向に当たるようにゆっくりと溶けていったのを思い出す。
だから、役作りをそれほどしなくても、その鬼の役が自分に馴染んでくるのが分かった。
そして、どう魅せれば、魅力的にうつるか、精いっぱい考えて演技する。
紗枝が俺を見ている。
早く好きになってほしい、そう思った。
マネージャーに連れられて、困ったような表情をしながら紗枝が俺の楽屋を訪れる。
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