第35話 嫉妬【青木くん視点】
◇◆◇
高校時代のことはよく覚えている。
2年の夏になるまで、俺は惰性で過ごしていた。
中2くらいから急にモテはじめ、ちやほやされるぐらいならばまだ良かったのに、周りに集う人の多さに窒息しそうになった。得することより、不快感を覚えることが重なり、自分の容姿と周りが嫌いになる。
そんな俺を不憫に思ったのか、芸能活動を行っている従兄弟が、自分を芸能事務所に紹介してくれた。
「自分の容姿、ろくなもんじゃないって思うのは損だよ。お前にしかできないことがあると俺は思うな」と従兄弟に言われて、始めたモデル業。最初はしぶしぶついていった俺は、意外な程魅了されていく。
スタジオのあのキリリとした緊張感がたまらない。
カメラマンや雑誌の編集の人が求めているのをくみ取るのが好きだ。
そう思った。
でも、誰もが名前を知っているであろうベテランの俳優さんに、「とてもかわいいね」と頬をぺろっと舐められた時に、あぁ、芸能界はこういうのも売らなきゃいけないんだ、と一気にモチベーションが下がった。
喪失感がいっぱいだった時、行きつけの美容室の店長さんと話したのがきっかけで、俺はお世話になったヘアメイクさんを思い出す。
一番最初、髪の毛をセットしてもらった時、自分の雰囲気がガラリと変化するのが分かった。その瞬間、鳥肌がたった。
俺は美容師という、新しい目標ができ、それに突っ走っていく。
夢中になりたい性分だと、自分を思う。
学校では極力目立たないようにした。過ごしやすいように。
けれど、自分を抑圧している感じは、正直苦しくてたまらなかった。
そんな生活をしている時、一人の女の子と出会った。
カッコワルイを演出していたはずの俺に惚れたようだ。
彼女が、俺を執拗に追いかけると、一瞬でも優しくしてしまったという後悔と、ほんのりとした恍惚感があった。全然いやじゃない。
もしかしたら、見られることに、飢えていたのかもしれない。
自分の中の矛盾。目立つのは面倒だという気持ちと、ありのままの自分が認められたいという気持ちがせめぎ合う。
その女の子と仲良くなるにつれて、相手を知りたいと思うようになった。
お弁当を作ってきてくれたり、話しかけてくれたり、とても優しい包み込むような目で俺を見てくれる。
最初は彼女のさらさらの髪にしか興味がなかったのに、彼女の俺を見つめる瞳が大好きになっていく。好きな範囲は広がっていく。空気に溶けるような透明感のある声が好きだ。ちょっと右に傾きがちな小さな顔が好きだ。下の歯が小さくてかわいい。尖った八重歯も。寒くなると鼻の先が赤くなる。肌の色が白いからだろうか。太陽の光があまり当たっていない白くて細い首が好きだ。頬にうっすら傷があって、実は近所の猫ちゃんに近づきすぎて、ひっかかれちゃったなんて、明るく笑う君が好きだ。
それだけじゃない。紗枝と仲良くなってから毎日が楽しい。紗枝を通してみた世界は優しかった。自分の中の絡み合った縄が解けていくような気がする。
運動会や、学園祭。紗枝と出会ってなかったら、そこに存在しているだけだったに違いない。沢山のクラスメイトと話せる自分に驚いた。そして、自身の人間嫌いが払拭されているのが分かった。
作ってきてくれたお弁当。俺は父母が忙しかったため、手作りのお弁当を食べるのは小学校ぶりだった。美味しいだけじゃない、紗枝が俺のことを家でも考えていることが嬉しい。もっと、もっと、俺で紗枝の中がいっぱいになればいいのに―――。
そして、紗枝が俺以外に夢中になれるものができた時、嫉妬した。
人間なんかじゃない。カメラだった。誕生日にもらったらしい。子どもが新しいおもちゃを飽きずに遊ぶように、紗枝はカメラをストラップで首にくくりつけ、色々なものを夢中になって撮影している。
夕焼けのだいだい色の空。
穏やかな波と砂浜。
蝶のように風で舞う枯れ葉。
俺はみっともないくらい嫉妬した。カメラにも、彼女がその目に映す被写体にも。
いつの間にか、俺の方が紗枝に執着して事実に気付く。好きだという感情を得ただけじゃない。独占したいとか、嫌われたくないとか、そういったドロドロしたものも一緒についてきた。
だから、ヨウがきて、俺と紗枝の間に入ってきたのが本当に嫌だった。
紗枝が夢中になっているカメラだって、本当は壊したくなるくらい嫌いなんだから。
俺だけその瞳に映していれば良いのにって思う。
好きって言いたい。
それなのに、俺の頭の中は、紗枝の柔らかな肌を触りたいとか、唇にキスをしたいとか、その服の中身はどうなっているんだろうという、ゲスい妄想でいっぱいになる。
紗枝が許可したら、俺は何をしてしまうんだろう。押し倒して、酷く――抱きたい。それを自覚した時に、俺はうまく紗枝と関われなくなってしまった。
クリスマスにプレゼントしたネックレスをつけてくれて嬉しいのに、ありがとうとも素直に言えない。目を合わせられない。恋の病だった。想いを言葉にしなくても大丈夫、そう俺は高をくくっていた。
紗枝は俺に惚れていて、俺が一番なはずだって。
最高の被写体になりたいと思った。
最高の被写体になった俺こそ紗枝は気に入ってくれるんじゃないかって。
そう思ったのに。
紗枝はよそよそしくなってしまう。
ヨウに誘われて、沢山仕事するようになった俺は彼女との時間がとれない。
だけど、モデルとして評価されればされるほど、欲が満たされたのも確かだった。
アルバイト先の美容室の店長さんに、「本気でやりたいことができたので」とアルバイトを辞めさせてもらった。店長さんは、「ついにあっちの世界に戻るんだね!青木くんの活躍を楽しみにしているよ」と励ましてくれた。
母さんや、父さんも、「善がやりたいなら」と笑ってくれた。
彼女が俺を避けているのは何故だろう。
前より、見た目だって良くなったはずだ。
あぁ、そうか。俺が美容師の夢をいとも簡単に捨てたからだろうか――と思って唖然とした。
そういえば、いつだって積極的だったのは彼女で。
話しかけてくれたのは彼女で。
彼女から接近してもらえなかったら、俺はどうしたら良いんだろうと思った。
3年生になりクラスが変わった。
幸いヨウと同じクラスなので、以前みたいに粘着質なファンが湧くこともなかった。
彼女の首にはいつもカメラがぶら下がっていて、彼女の周りを俺以外の人が囲う。
「最近、あんまり話さなくなったね。紗枝と」
「うん。……なんでだろう」
「そりゃあ、知名度高くなったからなぁ。青木は。あんまり親しくしすぎると、危ない目に合うって思ったんじゃない」
そうヨウに言われて、そうか……と思った。
俺から近づくと、確かに彼女に害がありそうだ。
そうこうしている間に、時間が過ぎていった。
一度会話が途切れてしばらくたつと、共通の話題もなかった。
近くにいるのに、いないように扱われて寂しい気持ちになる。
卒業式の時に話しかけてみようとしたけれど、軽く会釈されてしまい、その機会も失われてしまった。
紗枝が俺を好きならば、俺も勇気を出して好きと言える。
情けないのは分かっている。
どんなに仕事が評価されても、俺は自信が全然ない。
いつも馬鹿にしていた。
俺のことを好きになって、頑張ってアプローチしてくる女の子を。
でも、彼女らの方が、素直に好きを表現できる彼女らの方が、偉かったのだと俺は思う。俺は自分の気持ちを伝えられなかった臆病者だから。
それから、俺は自分のファンを大事にすることにした。
そのため、仕事も頑張った。
どうしたら、好きになってもらえるだろう。
そう思って仕事していた。
まるで、紗枝にあてているかのように、俺は自分の熱い気持ちをモデル業や俳優業にぶつけていった。
もしかしたら、紙面を通して、TV画面を通して、紗枝が俺を見てくれているかもしれないと思ったら、すごく楽しく仕事ができた。
海外では実績を積むことができた。
日本に戻る。もう、俺を卑怯な手で摑まえるような輩もいないだろう。
紗枝の状況をSNSを確認する。
へぇ、関西の大学にいって、今は関東にいるんだ。
俺は頭を使って、コネも使った。
舞台の仕事、カメラマンのアシスタントは、鈴木紗枝でとマネージャーに伝えるとマネージャーは「鈴木紗枝さんって何者ですか?」と聞いてきたので、俺は「俺の未来の専属カメラマン」と伝えた。
久しぶりに出会った紗枝は、髪の毛が鎖骨あたりで綺麗に切りそろえられ、以前より日焼けしていた。そして、10代の頃のような幼さはなかったが、それに代わってすごく色っぽいというか、綺麗になってた。
紗枝は俺と目があって、一瞬機材を落としそうになっていた。しっかりキャッチしていたが、流石にびっくりしたらしい。相変わらず一眼レフを首から下げ、一生懸命仕事をしている。とても、真面目なカメラマンだった。
俺を見ろよ、俺を撮れよ、と口には出さないが、紗枝を見つめる。
紗枝はそれに気づいたのか、先輩カメラマンに頭を下げ、こちらにレンズを向ける。
血がどくどく波打つのを感じた。
カメラ越しの紗枝が何を考えているんだろう。
なぁ、俺に触りたくならない?俺が欲しくならない?
―――お願いだ肩、俺がまだ紗枝を好きだって気付いて。
話しかけてくれるのを待っていた自分は愚かだと思う。
紗枝は俺を撮り終えた後、満足そうにPCで画像を確認している。ごく普通のカメラマンのように。
俺はバカだった。
走ってきたタロウを抱きしめて、それで、紗枝は俺に恋をして―――、
その時と同じように、俺を撮影すれば、紗枝は再び自分を好きになるはずだと勘違いしていた。
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