契約勇者
退職は少してこずった。常時人手不足の職場は突然困るとか無責任だとか、やめていいことはないぞとか、あの手この手で引き留めようとした。
結局、一か月かかった。
「では、こちらももろもろ条件が整いましたので確認しながらいろいろ渡していきましょう」
いつも通りけだるそうに掃除をしていた大家さんがきりっとした感じでやってきた。契約書の形で作ったのだけど、駄女神と大家さん(これは締結済)があって、それから大家さんと俺、俺と駄女神の間で交わすようになっている。
まず、俺と大家さんの契約。勤務時間の記録方法と残業の報告。あちらが意識的に残業を増やすのは禁止で、不可抗力の場合のみ許されるし、あまり長いと代休がとれる。休日は週に二日。自由にとっていいが取れなかった場合は同様の理由で報告が必要。なんかホワイトだが、たぶんあんまりやられると神様同士の取引で不都合があるのだろう。退勤時には出勤時と同じ場所に帰ってくるので人目につくところ、時間で状況の変わるところなんかは避けるよう忠告される。
次に報酬。基本給の金額と実績手当の計算方法、これは別冊が用意してあって、自分で計算してみて不当と思った場合には申し立てができるらしい。その場合は三者で合議することになっている。
また、契約を打ち切る場合のルールも説明があって、手続きと合議は必要だが、守秘義務があるほかはこれまで通り一般市民としてくらせるらしい。その場合には駄女神との契約も終了になる。
「たっぷりかせいだら、やめるのも手だよ」
例えば今時点の魔王を倒してしまえばそれだけで十九億円の収入になる。収入には課税されるため悲しいほど減ることになるが、それでも一生暮らすにはこまらないだろう。しかもこれは魔王[ゴミ]単体で、その生み出した側近の討伐や、引き起こした問題の解決では別途金額が計上される。ちなみに一番弱い魔物だと一匹百円程度。最初はあんまりかせげないね。
「住むところ、このアパートじゃないとダメとかないですか」
「ないよ。そんな条件書いてないでしょ。安定してかせげるようになったら引っ越しちゃってもいいよ」
まあ、つまり家賃はふつうに取られるというわけだ。
「出勤時、もっていけるものはありますか」
「その辺はかなり議論したとこだな」
思い出したのか、大家さんはため息をついた。
「両の掌で包めるもの一つだけ、出退勤時にもっていってくれ。そこらの石ころでも銅貨一握りでも、時計でもいい。一度もってきたものは元の世界に持って帰れないし、生き物は死んでしまうからやめておけ。それと、もってきたものが同じように動く保証はない。まあ、職務のうちだと思ってくれ。契約書のここにもかいてある」
あちらでの自分については女神との契約で確認してもらうとして、こっちにいる間はただの一般市民だから気をつけるよう注意される。
「普通に死ぬし、まさかと思うけど別の世界から拉致されてしまうかもしれない」
特に保護はしない。ということだ。
「それと、出退勤すると健康状態なんかは引き継がれてしまうから注意してくれ。こっちで風邪ひいて出勤したらあっちでも風邪にあたる病気だ。それがこっちの風邪より楽な病気かどうかはわからない。これはつまりあっちで死んだらおしまい、こっちで死んでもおしまいってことだから慎重にね」
安全第一か。魔王討伐は無理かな。
サインして写しをもらって契約完了。
チャイムがなって駄女神がやってきた。今日もキャップにジャージだ。美人だしもちっとおしゃれすればいいのに。
駄女神の契約書は、大家さんがチェック済だとか。ならまあ変なことはないよね。
まずは業務の内容。魔王[ゴミ]による被害の防止、または発生した問題の解決。それ以外は実績として数えないし、あちらの人間たちのくらしを向上させる試みも評価されない。意識的に実績の積み上げを回避したりすると三回警告の後罰金請求。これはこっちの世界の俺の資産が減ることを意味するらしい。完全にサボっていた場合は、基本給が半減するということで、それではちょっと暮らしていけない。さらに大家さん交えてお話合いを持つことになる。
「あっちの人間社会を改善してやろうとかしないでね。そういう上から目線の考えはいやがられるし、あなたの倫理で動いても大きなお世話と思われることがあるから」
「そんな面倒なことはたぶんしない」
「そう願うわ」
要するに魔物をしばいてればいいわけだね。問題は俺にできるのそれ、ということ。
勤務条件は大家さんのほうで決めた通りとなっていた。
あちらでの収入の得方は、実績をあげたときに問題解決なら提示された報酬、魔物討伐なら国ごとに討伐報酬が決まっているので、所定のものを換金所にもっていけばいいという。最下級の魔物三匹くらいで最下級の食事一食の代金くらいだそうだ。
契約を自分の意思で打ち切る場合は二種類、大家さんの世界にとどまるのなら大家さんの契約書に従うが、女神の世界に移るなら同様に合議して決めるという。
「歓迎するわよ」
もう一つが魔王[ゴミ]とそのもたらしたものがすべて解消された場合。その時はどちらかの契約解除条件に従って終了となる。まあそうだよね。
ここまではいい。
さて、このまま行っても俺は戦争どころか猟もしたことのない一般人だ。この駄女神が口走ったあれ、どこまで実現してもらえるのか。
まず「死なない」これはやっぱり完全には無理だった。
「ヒットポイントを付与します。あちらでは『女神の加護』とよばれていて、こちらのゲームでいうバフです。本来一時的なものを常時与えましょう。これが削り切られると生身にいきます」
「ヒットポイントはどれくらい耐えられるのかな? 」
「レベル1であちらの一流の戦士の両手斧の全力斬撃なら五回くらい」
「レベル1?」
「実績を積んだらレベルがあがりますよ。効果は単純にレベル倍になると思ってちょうだい。これはご褒美じゃなく、もらったものの還元です」
「出勤回数でもあがるだろう、ちゃんと説明しなさい」
大家さんが突っ込んでその場所を指さした。なるほど、百回出勤すればレベル2になるくらいの実績がはいることになっている。今のレベルかける百回出るだけであがるのか」
「あんまり意味ないかなと思って」
大家さんが険しい顔をするので駄女神は小さい声でごめんなさいという。
あまり無謀なことをしなければ簡単には死なないっていうのは助かる。
ヒットポイントは十分休息すると総量の10%が回復するそうだ。休息は座ってるだけでもいいらしい。
俺TUEEは予想通り、スキルだった。
まず、見レベル1 これは相手の動きを予測するもの。相手の持ち物と体の動きについての知識があればより正確に、レベルが高ければフェイントなどを見抜くことができるようになる。まあ、初見の人間と全然違う魔物なんかにはあんまり効果はないということだ。
次に回避レベル1と盾レベル1それに剣レベル1。イメージ通りにそれぞれ体が動くスキル。ただしできることにも限界があって、それを超えるようには動けない。
レベルが上がるほど高度な動きができるらしい。どこまでできるかは自分で判断しないといけない。見で読み取って、動きを自分で決めて、スキルが動かしてくれる。
ああ、これは本人がどんくさいとだめなやつだ。そして、このへんは使った回数でレベルがあがるらしい。
マジックポイントレベル1というのもあるが、これはヒットポイントと一緒にあがっていくそうで、魔法が使えるのはこれが2になってからだそうだ。
「まずは基本の戦い方になれてもらわないといけないと、ご意見をいただきまして」
大家さんの意見か。
最後にアシスタントレベル1というのがある。
「あたしの分霊で、助言だけやるやつです。言語スキルもかねています。現在の状態や、ものの鑑定、習慣や地理などについて教えることができますが、レベルが低いうちはあんまり賢くないです」
「同行者? 」
「いえ、こちらの世界でいえば補助AIというところですかね。五感を共有し、あなたが頭の中で問いかければ、あなたにだけ聞こえる声で答えてくれます。レベル2になればたぶん視覚化できるとおもいますが」
これもヒットポイントと連動してあがっていくやつらしい。このレベルがあがると、よく使う行動をスキル化してもらえるという。
「最後に、いわゆるステータスですが、全部ヒットポイントに連動しています。人間の体の構造上、どこかで頭うちになるのはご容赦ください。全力だしたら自分の力で関節がちぎれるとか骨が粉々とか嫌だよね」
あれ、それってつまり生身の限界を何かで克服するとあげられるってことかな。
できるのかな、そんなこと。
そしてハーレム。
「ごめんなさい。こればっかりは無理です」
だと思ったよ。
「そのかわり、最初の持ち物は奮発しました」
魔法の武器、魔法の防具、旅行者むけの生活用品一式、魔法の収納、女神の大神殿発行の身分証、それに当面の生活費銀貨百枚相当(だいたい十万円)を用意したという。
契約書に俺はサインして、これで派遣が決まった。
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