第26話 寄り添う

 

「村長、どうしてここにいるの?」


 庭先に植えた鯨のリーフの木の影から、モイラは家門の前に立つ村長に歩み寄る。幽霊船が去った後の山々はまだ風が騒がしく、夕陽は沈んで辺りは藍色に染まる。黒い一張羅を纏う村長は、影に溶けるようにそこに居た。


「お役目だからですよ。私には半島の門番としての役割があります」


 ざぁと吹き抜ける風が冷たい。村長は静かな声で、「中に入ってもいいですか」と尋ねた。




 いつの間にか隠れてしまったベリルとゴールデンを余所に、モイラは門の前に作った祭壇を除けて、村長を招き入れた。村長は恭しい仕草で頭を下げてから、今ではモイラのものとなった家屋と向き合った。


「モイラちゃん、幽霊船の儀式を誰から習ったのかね?」


 村長の視線が脇に片付けた祭壇に向かう。モイラはどことなく居たたまれない思いを抱えつつ、「ベリルが……」と答えた。


「落ち葉の精霊の、ベリルっていうのがいて、クリストファーの祭りは幽霊船を呼ぶ儀式だからって、作法を教えてくれました……」


 多分まだ、その辺にいると思うんですけど……と、徐々に語尾を弱めながらモイラは植木の辺りに目配せをした。居るはずなのに、一向に出てこないベリルに疑問を浮かべながら、「変わりに村長に説明してくれ」と願うばかりである。しかしベリルが出てくるより先に、村長は「そうですか」と相づちを打った。


「精霊様の教えが聞こえるのなら、やはりこの家にモイラちゃんが住んだのは偶然では無いのでしょうね」


 村長は昔を追懐するように家屋を見上げていた。ちょうど二階の窓、モイラがいつも寝ているベットの脇にある小窓の辺りを見つめている。モイラもその視線を追って見上げてみるが、とくに変わらずカーテンが揺れているだけだった。


「……アタシは、この家に、迎えられたってこと……?」


 モイラは村長の顔を覗き込むように尋ねると、村長の視線はモイラへと移った。


「昔、家出したモイラちゃんをお迎えに来たときに、私が言った言葉だね。”その時が来たら、この家が迎えてくれる”と。君が村を出て行くと言い始めた時に、私は”ああ家に呼ばれたのか”と思ったものです」


 穏やかに昔の出来事を掘り返す村長に、モイラは顔を赤くした。


「その節は……ごめんなさい……村が大変なときに、一人でわがままを言いました……」


 あふれ出る申し訳なさと、居たたまれなさに耐えかねて、モイラは思い切り頭を下げた。あの頃のやりとりを思い出すと、胃の辺りが痛くなる。


「村民がいくら説得しても、聞く耳を持ちませんでしたね。おまけに空き家とはいえ他人の家を指名するという、横暴さ……私も些か信じがたい思いでしたが、あんまり強情なので折れてしまいました」


 懐かしいねぇ、と笑い飛ばす村長の言葉は耳が痛い。モイラは心底、穴があったら入りたいと思った。


「まぁ、村を出たいと思わせるような事をしてしまったのは村の大人達です。今夏の大災害は大人達が対処すべきこと、君は学校の為に頑張ったんですから、その分だけ自由を手にする権利があります。だからこそ、モイラちゃんが村を出ることを止めなかったんです」


 モイラが顔を上げた瞬間、村長はモイラの顔を見て笑った。モイラは思わず目頭が熱くなるが、泣くまいと顔を顰めた。口論に口論を重ねて喧嘩別れのように旅立ったというのに、村長はモイラを責めたりしない。怒られるとばかり思っていたから、張り詰めていたものが解けてしまいそうだった。


「私が”この家がモイラちゃんを呼んでいる”と思った理由はね、君が誰よりも自由を求めていたからです」


 村長は一歩踏み出し、庭の芝生を踏みながらテラスまで歩いた。大窓の向こうには、オーナメントを散らかしたままのリビングが広がっている。


「精霊様の声が聞こえるのなら、カナカレデスやサー・ゴールデンの声も聞こえるでしょう? 主様のお話も少しは聞いているかね?」


「あ、はい……クリオール家のご長男で、執事と此処に移住してきたとは」


 モイラはゴシゴシと瞼を擦った後、村長の後に続いた。リビングの奥に掛けた鏡は、誰を移すでも無く静寂に溶け込んでいる。


「主様は数人の執事と共にこの家に引っ越されました。ですが、この家に主様と共に住み込みで働いた執事は一人だけ。後は、リビアから交代で通っていたんです」


「リビアから??」


 モイラは声が上擦るほど驚いた。ホルトス村からもかなり距離がある大国から、もっと遠いこの地まで通うのは想像も出来なかった。馬の足を借りても重労働だったに違いない。


「ですから、主様は執事たちが住める地をお作りになったんです。この家から執事の家までをグリフォンの加護を受ける領地とすることを提案し、エストスやリビアの教会と折り合いを付けて。おかげさまで執事たちは家族と過ごす時間を増やすことが出来ました。今では人が増えて、村と呼べるようになったんですよ?」


「もしかして……」


 少しずつ繋がりが見えてくる。モイラが答える前に、村長は穏やかに首肯した。


「主様は、その名をベルホルト・クリオール様と申されましてね。親しい方からはホルトと呼ばれておりました。リビアの第二言語で所有格をつけるなら、“ホルトのもの”は、”ホルト’ズ”と訳します。そこから派生して、ホルトの村を”ホルトス村”と呼びました。村民のご先祖様はね、モイラちゃん。主様にお仕えする執事たちです」


 村長は着けている蝶ネクタイを指で摘まみ、悪戯に弾いた。塔の扉の記憶の中で見た、執事と同じ黒衣を身につけている意味をようやく知ることができた。


「主様がお亡くなりになった後、クリオール家はこの家を手放されました。土地の管理はホルトス村に一任され、村長である私がずっと引き継いでいます。エルフは長寿ですからね」


 村長は自分の尖り耳を弾いて見せた。つまり村長はこの家の執事の生き残りということだ。


「……だから、村長の一存でアタシをこの家に住まわせることができたんですか?」


「ええ、便宜上、私の持ち物ということになっていますし、この家の事情を知るのは私だけになりましたから」


 村長は足先を変え、家の裏へと踏み出した。暗がりに聳える塔の扉は、ゴールデンが来て以来いつも開け放たれているのに、何故か閉まっていた。モイラは村長の後に続きながら、それとなくゴールデンの姿を探したが、気配すら感じられなかった。


「……モイラちゃん、私が今日、此処に来たのはね、幽霊船を半島にお通しする為です」


 塔の傍で足を止める村長につられて、モイラも足を止めた。言われてみれば不思議な話だ。これまで誰も見たことがなかった筈の”クリストファーの赤い鯨”――または幽霊船が、村長には見えていたことになる。


「アタシ、この家に来て、初めて見ました……。村長には、昔から、見えてたんですか?」


「ええ、見えていました。主様から引き継いだ役割の一つでもあります」


 モイラは役割、という言葉が引っかかった。村長の口からその言葉が出るのは二回目だ。


「半島の門としての、役割ですか?」


 ずっと頭の中に残っていた”門”という言葉を持ち出してみると、村長は驚いたように瞬いた。ロッジから聞いたのだとモイラが告げると、「そうですか」と納得したように息を吐いた。


「主様がこの地に住み、ホルトス村を作った事で、エストスからリビアに抜けるあの道の交通はかなり栄えました。聖グリフォンの加護を受けられると思えば聖職者が巡礼し、ホルトス村にも教会を作ることになれば村が栄える。また、聖なる者がいる地には、神使の恩恵がもたらされます。主様は必然的に、幽霊船のような自然の理を半島に招く役回りとなっていました。まるで自由の代償のような話ですが、その点から此処を半島の門と呼ぶようになったんです」


 村長はまるで教鞭と取るように長々と説明をして、改めたようにモイラに向き直った。真剣に話す老人を前にすると、モイラは先生の前に立たされた生徒のように、背筋が伸びる。


「モイラちゃん、この家にいると、半島の門番としての役割が付いて回ります。先ほど、自由の代償という言葉を使いましたが、きっとこれからも意図しない事態に巻き込まれる事でしょう。それでもこの家に、住み続けますか?」


 凜として問いかける村長は、たった一人の主に忠誠する執事として、目の前に立っているのだと思えた。家主の後任を見定めるような強い眼差しを前にして、モイラは足が竦んだ。


 自由の代償とは、恐ろしい言葉だと思った。


 それは自由にしていい代わりに、何が起こっても受け入れろということで、


 結局のところ、自由が等価交換だということだ。苦労した分しか、自由が与えられないならば、それは不自由ではないのか。


 モイラはぐるぐると頭を働かせて考えた。ホッパーと先日話したこと、この家にきて思ったこと、カナカレデスもゴールデンもベリルも、モイラに意図しない事を押しつけることはあったけれど、モイラは不自由だなどと思わなかった。自信を持って言えるのは、毎日が楽しくて仕方がないことだ。それはどうしてなのか、モイラは答えの糸口を掴んだ気がして、顔を上げた。


「…………やだ」


 村長は目を丸くした。モイラは眉を寄せて、きゅっとスカートの裾を掴みながら、前を向いた。


「半島の為とか、門番の為でも、やりたくない事は、やりたくない! アタシは自分で考えて、自分で決めて、自分でやりたいことを決めたいから、どんなことを強要されても納得しなければ、やらないと思います!」


 言い終えた後は口の中がパサパサに乾いているし、一気に寒気を吸い込んだ筈なのに、身体の中に冷たさを感じない。握り込んだ裾には汗が滲んで、モイラは自分が緊張していることが分かった。こんなに頑張って自分の意見を言うのは、村を出て行く時に揉めて以来だ。


「聞き分けがないかと思うかもしれないけど、アタシ、この家は好きです! 毎日、とても楽しいです! 村を出てきたこと、全然後悔してないとは言えないけど、何でも決められた事をやるだけの毎日には戻りたくないです。ここで自由に暮らしたいから、ここに住みます!」


 言いたいことを言い切った後に目の前にあったのは、村長の呆気にとられた顔だった。モイラは訳が分からないことを言った自覚はあったが、これ以上何を訂正していいかもわからずにいた。これがまっさらな気持ちだから、仕方が無い。


 しばらくの沈黙の後、村長は口元を抑えて吹き出し、クスクスと笑い始めた。モイラは笑われて初めて、恥ずかしいほどに駄々を捏ねている自分に気づいた。


「……さすが、『無月』が呼んだだけはありますね、主様に匹敵する自由人ぶり、見事です……」


 村長の笑い声を聞く間、モイラは恥ずかしさのあまり熱い顔を両手で覆った。穴があったら入りたいと、今夜だけで何度思えばいいのだろう。


「こ、こんな私でも、ホッパーが家の前を通るたびに、心が痛むんですよ!? 村が大変なときに、一人で本とか読んでて、このままで良いのかなって、思ったりとか……っ!」


「ええ、ええ、そうでしょう。何だかんだ、残した者達が心配になって、捨てきれないんでしょう? だからこそ大陸も海も渡らず、こんな所に落ち着いてしまったんです。主様もそうでしたから」


 一通り笑いが収まった頃、村長は息を整えてモイラの傍に歩み寄った。


「どうしても立ちゆかないことがあれば、いつでも私を頼ってくださいね。この家をよろしく頼みますよ、モイラちゃん」


 見上げる村長の表情は柔らかくて、差し出される右手は掴んでみれば暖かい。村を出る時に放り出した繋がりが、もう一度紡げたような気がして、モイラは微笑んだのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る