第25話 幽霊船

 

「ハッピー・ウィンター・クリストファーね! ロッジさん!!」


「おや、ハッピー・ウィンター・クリストファーかねぇ? モイラちゃん」


 朝昼の気温差もなくなり、すっかり冬に向かっている。暦に追いつく形でやってきた冬が、山々に冬支度を始めさせる頃、モイラは家の前までやってきた露天商ロッジに『鯨のリーフ』と呼ばれる赤い葉を差し出した。ロッジは十字を胸の前で切り、その葉を受け取った。




 栗鼠がクルミを落としたら、その家には冬が来る。クリストファーが、冬を連れてやってくる。冬を置き、代わりに厄災を連れ去って、春の都に連れて行く。


 大陸全体で行われる冬の行事の一つ、『ハッピー・ウィンター・クリストファー』は冬の訪れから年明けまで続く長い長い祭りだ。リビア近郊ではとくに『鯨のリーフ』と呼ばれる樹木を植える習慣があり、どこの家の庭にも一本は植えている。そして「私の家に冬が来ました」と来訪者に告げ、葉を捥いで差し出すのである。


 鯨のリーフと呼ばれるだけあって、その葉は尾びれに似た形をしており、赤く色づいている。冬を連れてくるクリストファーは赤い鯨に乗って大陸を滑空すると伝えられており、その姿を見た栗鼠が驚いてクルミを落とすのだと言われている。


「鯨の鳴き声は聞こえたかいな?」


 ロッジは貰った赤い葉を袋に詰めながら尋ねた。袋の中は赤い葉だらけになっている。貰った葉はリースに作り替えて家の扉に飾るのも習わしだ。


「ううん、聞こえなかったわ。てゆうか、生まれてから一度も聞いた事が無いわね」


 クリストファーの乗る鯨の鳴き声が聞こえると、来年の幸福が約束されるともいうが、モイラは鯨の声を聞いた者に会ったことが無い。それはロッジも同じようで、「来年は聞けるといいね」と柔らかく笑った。この時期の社交辞令の一つだ。


「それじゃぁね、雪が降らなければ、年越しの準備の頃にまたくるからね、モイラちゃんも元気での」


「ありがとうロッジさん!」


 万が一に備えて冬を越せる品物を買い込み、代わりに菜園で生った野菜を少しだけ買い取って貰った。ゴロゴロと荷車を転がすロッジの姿を見送り、モイラはグイと腕を持ち上げて身体を伸ばした。




 リビア出身の長男だけあって、この家にも一本だけ鯨のリーフが植えてあった。倉庫からオーナメントも見つけたので、やることは決まっている。


 今日の仕事は飾り付けに決定! 鯨のリーフも家の周りもハッピー・ウィンター・クリストファーにする!




「今日はお祭りだわ!」


 たくさん飾り付けをして、夜にはお酒を飲むのが慣わしだ。


 今年はベリルもゴールデンもカナカレデスもいる。皆、お祭りには乗っかってくれるはずだから、ワイワイ楽しく飾り付けを手伝ってくれるだろう。そういえば大勢で祭りを楽しむなんて、何時ぶりだろうか? 近所付き合いが苦手な母の所為で、他の子供たちと祭りを楽しんだ記憶が無い。


「こんなに楽しみなの、初めてかも。ふふ、頑張ろう!」


 仲間がいれば、祭りはより楽しくなる。今年からは肩身の狭い思いをすることなく、冬の訪れを楽しめると思うとわくわくする。モイラは鼻歌を歌いながら、踵を返した。


 


「幽霊船っ♪ 幽霊船っ♪ 幽霊船がやってくる♪♪」


 振り返った途端、不穏な鼻歌を嬉しそうに謡うゴールデンが横切った。


「……………………は?」


 モイラは耳を疑った。先ほどまでのわくわくが一気に吹き消されるパワーワードである。


「幽霊船っ♪ 幽霊船っ♪ ゴーストシップが停まる家っ♪」


 ゴールデンの歌声に誘われるように、籠いっぱいの鯨のリーフと山の幸を抱えたベリルがやってきて、ゴールデンと共に庭で踊り始めた。期待もトキメキも消え失せる絵面である。


「いよぉぉぉうモイラ! お前さんよう、今日は忙しくなるぜぃ! あそこの木に住んでいる栗鼠がよう、今日、クルミを落として行きやがった! こいつは今夜、来るってことよ、幽霊船が! いやぁめでたいぜ!」


 飛び跳ねて喜んでいたゴールデンが足下にやってきて、モイラの肩に登ってくる。頬に当たるもふもふの毛皮に撫でられても、モイラの気は晴れなかった。


「モイラ様! 今夜はお祭りです! 山の幸もたくさんもって参りましたので、共に幽霊船をお通しする準備をしましょう!」


 固まっているモイラの前に、ベリルが籠を掲げてやってくる。


 幽霊船。つまり、ゴーストシップ、とどのつまり、ゴースト?


「…………認めないわ……」


「へ?」


 事の次第をじわじわと理解し始めたモイラは、わなわなと震えていた。癇癪を堪えきれずくわりと顔を上げると、目の前にはベリルのきょとんとした顔があった。


「今日は!! クリストファーのお祭りなの!! 幽霊船なんて!! 絶対いや!!」


「はぶん!?」


 幽霊船を追っ払うかのように振り抜いたモイラの手のひらは、ベリルの頬を綺麗に殴打したのだった。





**





「ハッピー・ウィンター・クリストファー?」


「赤い鯨に乗ったクリストファーですか?」


 庭先で正座したベリルと丸まったゴールデンは、そろって首を捻った。二人とも、大陸で長いこと生きているというのに、初めて聞いたという。


「どうして? ベリルはエストスに住んでいたんでしょ? クリストファーのお祭りを見たこと無いの?!」


「見たことはありますが、わたくしは基本的に人から離れた森の中に住んでいましたから、詳細は存じ上げないのです。お祝いをされているのは知っていたので、幽霊船を喜んでいるのだと思っておりました」


「違うよ!? 幽霊船が来るなんて怖いだけじゃない!」


「モイラ様はゴーストが本当にお嫌いですからねぇ……」


 どうにもズレますねぇと腕を組んで悩み始めるベリルを余所に、ゴールデンは短い手を振り上げ、「俺様は全く知らないぜぃ」と潔く白旗を上げた。


「樹洞の中にいたからよう、国や町の文化は全く知らねぇのさ」


「じゃぁどうして幽霊船のことは知っているの?」


「そりゃぁ、生き物の理だからでぃ」


 さも当然とばかりに鼻を持ち上げて胸を張るゴールデンである。モイラはますます首を捻ることになった。


「生き物の理って、なにかしら? 幽霊船って、つまり何なの?」


 謎が謎を呼ぶ幽霊船である。悩んでいても時が経つばかりだ。


 ベリルが「祭りの準備をしながら話しましょう」と提案をしたことで、手持ち無沙汰が解消された。幽霊船の準備はすぐに終わるとも言うので、モイラはクリストファーの装飾を後回しにすることにした。


「昔の方は、生き物の理を面白おかしいお話に変えて、あらゆる種族に理解が届くようにしたのかもしれません。そう考えると、モイラ様の言う、『クリストファーの赤い鯨』の逸話も納得ができます」


 ベリルは家門においたグリフォン像の傍に青銅製のテーブルを移動させ、籠いっぱいの山の幸をその上に置いた。


「どういうこと? クリストファーの逸話が、幽霊船に関係あるってこと?」


 モイラはベリルに頼まれたものを抱えて戻ってきた。祭り用の装飾具である燭台や蝋燭、皿などを籠の傍に並べると、テーブルの上は怪しい儀式の祭壇のようになった。


「おそらく、クリストファーの赤い鯨と、幽霊船は同じものを指しているのではないでしょうか? 我々自然界に生きるものと、国の中で生きる者では解釈を違えているのかも」


 そう話しながら、ベリルは鯨のリーフを一枚摘まみ、葉の先に火をつけようとした。


「あ、待って、それは駄目なの!」


 葉に火を付けようとするベリルの手元を止めたモイラは、母の教えを思い出していた。


「鯨のリーフは、燃やしたら駄目なの。クリストファーの鯨が怪我をしてしまうからって!」


 縁起物だから、あれこれと関連付けてやってはいけないことがある。それがたとえクリストファーとは無関係な幽霊船の行事でも、影響がないとは言えないので控えるように頼んだ。するとベリルはその話を聞いて、「なるほど」と閃いた表情を浮かべた。


「モイラ様、我々が鯨のリーフを燃やすのは、幽霊船を呼ぶためなのですよ。幽霊船は全ての厄災を連れていくもの、……実は、魔族も対象に入ってしまう。つまりどういうことかわかりますか?」


 ベリルは鯨のリーフの先に火を点けた。ぱりっと焦げていく葉を蝋燭に近づけ、赤い火を移し、燃えかすとなっていくリーフは皿に落として焦げるのを待った。これを蝋燭三つ分繰り返す間、モイラは頭を捻って答えを探していた。


「魔族の人たちも、連れて行ってしまうから、火を点けないってこと?」


 あまりピンと来ないが、精霊族のように聖性に頼る種がいるように、魔に頼る種もいるのかもしれない。そう考えると、話しが少しだけ見えてくる。ベリルは大きく頷いた。


「まだ聖魔の抗争が激しい頃は、幽霊船の力で厄災と共に魔族も連れ去るようにしていたのでしょう。


 ところが時代は変わり、ここ二百年ほどで聖も魔も共存の時代になりましたから、魔族たちにも住みやすいように配慮が進んでいった。それで幽霊船を呼び止めることを止めた……つまりリーフを燃やすことを止めたのかもしれません。


 クリストファーの逸話がいつ頃から広まったのかは分かりませんが、慣習を訂正する目的で、新しい逸話を広めたのではないでしょうか?」




 幽霊船――クリストファーの赤い鯨が来てしまうから、決してリーフを燃やしてはいけない。クリストファーに魔族を見つけられ、連れ去られてしまうから。




「共存を謡う国側の配慮だと考えれば、アタシでも納得できるかも」


 モイラは大きく頷いた。


 時代の流れと共に、生き物の理との向き合い方を変えていく。それもまた国家のあるべき姿なのかもしれない。長い時間を生きている精霊族であるベリルは、無論、前者の幽霊船に習うのだろう。


 話しているうちに燭台に刺さった蝋燭が三本とも火を灯し、赤い炎が白く輝き始めた。初めて見る炎の色合いにモイラは目を奪われてしまう。


「すごい……きれい! 見たこと無い……!」


「モイラ様、このまま蝋燭の火を消さずに置いてください。あとは待つだけですから」


 幽霊船側の準備は終わったようで、次はクリストファーの準備をする番である。とはいえオーナメントを飾るだけなので、まずは庭に生えている『鯨のリーフ』に飾り付けをすることにした。


「この逸話と、生き物の理を比べるとさ……」


 樹木の頂上に星のオーナメントを飾るゴールデンを見上げつつ、モイラはベリルに話しを振った。


「クリストファーの赤い鯨が、幽霊船を指しているってことよね? アタシはずっと、クリストファーが赤い鯨に乗ってる絵をイメージしているんだけど、幽霊船はどんな船なの? 鯨と船じゃぁ似ても似つかない気がするんだけど……」


 鯨と船ではフォルムが全く違う。昔の人は何をどうしたらこの二つを間違えるんだろう。モイラはいまいちよくわからずにいた。ベリルはオーナメントをせっせと飾りながら、一つだけ分かることを教えてくれた。


「わたくしも幽霊船を鯨と例えた方の心理は分かりませんが、生き物の理の中に生きる幽霊船は、表現のまま”空飛ぶ船”にございます。厄災となる悪い魔、神の国に行けなかったゴースト達を年の終わりに回収するのが彼らの役目。神の国からやってくる厄災回収船だと思ってくだされば良いかと」


 幽霊船とクリストファーの逸話を比べると、確かに符合する箇所がいくつもある。厄災を連れていき春の都に導くクリストファーと、悪い魔やゴーストを神の国に回収する幽霊船。ベリルの言う通り、逸話に落とす段階でわかりやすい話に書き換えられた説は有力だと思った。ともすればクリストファーの祭りは幽霊船を奉ることにもなるわけで、


「…………幽霊船って、やっぱりゴーストをたくさん乗せているってこと? そんなのを、わざわざ呼ばなくても良いんじゃ無いかしら……」


 リーフの葉の陰から青白くなった顔を覗かせ、モイラはぼそりと漏らした。ゴーストは大嫌いだ。さっきまで楽しみで仕方が無かったクリストファーの祭りも、幽霊船を呼ぶためのものだと思うと意気消沈である。モイラの心の陰りを表すように、夕陽も沈み始めていた。


「何いってるんでい! 今年は大災害で大変な目に遭ってんだろうがよう! 幽霊船に片っ端から災厄を持って行って貰わねぇと、カナカレデスが寝てる間に鏡からゴーストが沸いて出てくるかもしれねぇぞ?」


「ひえええ!??」


 ゴールデンの言葉を想像するだけで震え上がる。モイラは大きく頭を振ってそれだけは断固拒否した。そうなると、やはり幽霊船を呼ぶしかないわけで。


「本当に来てくれるの? クリストファー自体、誰も見たこと無いけど……」


 来ることを前提にベリルもゴールデンも話しているが、大抵の民衆はクリストファーも鯨も見たことがない。それを呼びつけるとは些か信じがたい話である。しかしベリルはにこりと笑った。


「大丈夫ですよモイラ様、幽霊船といっても神の国からやってくる神使ですので、神事にはお応えくださいます。それに此処は立地が良いですから、来ない訳にはいかないでしょう」


「それって、ここが半島の”門”だからって、こと?」


 立地の問題を出されると、前から引っかかっているこの言葉が浮かんでくる。未だにこの家、この場所の意味が分からず終いだった。モイラがくてりと首を傾げると、ベリルも顎に手を添えたまま首を捻った。


「その半島の門という言葉は、どなたから聞いたのでしょう? 古参の樹木に聞いてみましょうか……」


 ベリルには心当たりがないらしい。一体誰に聞いたかと問われると、言い出しっぺはロッジだ。彼に真相を聞くなら、次にやってくる二週間後を待つしかない。こんなに悩むならさきほど聞いておけば良かったと今更悔やみながら、モイラの視線は先ほどまでロッジと話していた門の前に向いた。するとその時、幽霊船の為に奉っていた蝋燭の火が風に吹き消されてしまった。


「あ……っ」


 モイラが声を漏らした瞬間、ひときわ冷たい風が吹き抜けていった。びゅうと音を立てながら木々を揺らす風の強さに視界を遮られ、どうにか風に負けじと天を仰ぎ、モイラは目を疑った。橙色の空いっぱいに浮かぶ、大きな鯨の影を見た。


「う、うわぁ……っ!」


 あまりの大きさに見上げていられなくなり、モイラは芝生に尻餅をついた。大きな曲線を描いたフォルムに、幾重にも飛び出した細い鰭が悠々と雲を掻いている。鯨はゆっくりとモイラの頭の上を渡っていた。


「おやまぁ、夕暮れ時に見上げて見れば、確かに鯨と言えなくもありませんね」


 ベリルもゴールデンも鯨を見上げていた。頭の上を通り過ぎていく真っ黒い鯨が通り過ぎた後、モイラは立ち上がって鯨の後ろ姿を見た。すると鯨だと思っていた影は幾重も帆を立てた船の姿をしていた。


「こりゃぁ、下から見た奴が鯨って言い張ったんだろうなぁ。いやぁ、立派な船じゃねぇか!」


 ゴールデンがリーフの木の頂上で飛び跳ねて喜んでいる。


 鯨の鰭だと思っていたのは幾本ものオールだ。大きな尾ひれは綱が切れた帆が靡いたもの。古めかしく、故障もしているが、幽霊船と揶揄するにはもったいないほどの美しい船だった。モイラは声にならず呆然として船を見ていると、ふと甲板の隅に立つ人影を見つけた。


 細かい容貌は分からないが、首元に赤いリースを提げているのは見て取れた。それが何処の家にも生えている鯨のリーフに似ている気がして、必至に目を凝らすと、人影が片手を持ち上げた。それが合図であったかのように、大地を揺るがすような轟音が鳴り響いた。


「うおぁ!」


 驚いたゴールデンが頂上から落ち、耳を押さえているモイラの頭に覆い被さった。意図せずもふもふの帽子を被ったまま、モイラが再び空を見上げると、船の影は消えていた。


「鯨の鳴き声とは、とどのつまり汽笛のことなのでしょうねぇ」


 爆音にも動じずに船を見送ったベリルは安らかに微笑んでいた。それが見慣れているからなのか、モイラには分からなかったが、自然の摂理の中に生きる精霊族の風格を見たような気がした。


「すごい……、本当に、見ちゃった……」


 鯨の正体も、汽笛も、人影も、逸話の中だけの存在だと思っていたものが現実に存在する。神秘的な姿にモイラはただただ唖然としていた。





「おや、船が行きましたか……。今年は間に合わないかと思いましたが、モイラちゃんがしっかりとお勤めをしてくれたんですね」


 風が弱まる中、懐かしい声が聞こえた。モイラは声がする方へと向き直ると、家門の前にホルトス村の村長が立っていた。


 あまりにも久しぶりに見る村長の姿にモイラは驚いた。白髪を一つにまとめ、尖った耳を持つ初老の男――村長は、これまで見せたことも無いような黒い礼服に、蝶ネクタイを締めた姿をしている。それは塔の扉の記憶で見た、執事と同じ姿だった。

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