第21話 帰り道

「あれ? ホッパーだ!」

 庭で洗濯物を干していると、通りを下ってくるホッパーの姿が見えた。いつの間に大陸に向かっていたのか分からないが、無事に商売を終えてホルトス村に帰る途中なのだと分かる。ホッパーはモイラの声が届いたのか、家の前までやってくると足を止めた。そしてまた無言で腹を鳴らすので、庭のテラスへと招いてやった。



**



「なんか、前よりも商売人っぽくなっていない? アイテムが増えている気がするんだけど……」

 ホッパーが背負っていた毛布を開いてみると、キルトのように様々な柄を縫い合わせたミトンだと分かった。赤や緑や白、鹿や星や葉っぱなど賑やかな一枚は、ホルトス村とは全く違う文化のものだと分かる。こんなモチーフを入れるのは大陸の文化だ。

「このミトン、買ったの? すごく可愛いね」

 村から持ち出したものとは考えにくいので、現地で調達したに違いない。ホッパーはシチューにがっつく手を止め、嚥下するタイミングを計って首肯した。食べることに夢中になっていても、耳は貸してくれているようだ。

「買って下さいって言われたから買った」

 シチューの皿をいったん置いて、サラダを掴んで口に押し込む途中に簡潔に話す。以前よりも話すことに比重を置いてくれているようで、モイラは少しほっとした。前みたいに金を払われて食事を提供するだけになるのは、嫌だと思っている。

「買って下さいって、言われたから、買っちゃったの?」

 モイラは眉をひそめてホッパーの言葉を復唱した。押し売りされたんだろうか? そういえば男の子が好む柄ではないように思う。とはいえ勢いや押し売りに負けて金を払うホッパーもイメージできず、モイラは真相が語られることを待ってみたが、ホッパーの口はサラダを貪ることに忙しかった。

「まぁ……可愛いし、暖かそうだし、使い道もありそうだし、ホッパーが納得して買った物なら良かったと思うわ。一人で他の国に行くのって、やっぱり危ないと思うし」

 返答がくることを諦め、モイラは肩を竦める。

 大人とは言い切れない年頃の少年が、一人で商売をするリスクはあるだろう。乱暴な客だっているかもしれない。同郷の少年が悲しい思いをしていなければ良いと願うばかりだ。

 モイラはミトンをバサバサと叩いて埃を払い、元の通りに巻き直してやった。ホッパーが足下に放置した籠の傍にミトンを立てかけ、ついでに籠の中を覗いてみた。中身は無事に完売したらしく、生活用品と本が二冊放り込んであるだけだった。

「あれ? 本がある。これ、ホッパーが買ったの?」

 本には目敏くなるモイラが何気なく尋ねた瞬間、食事を掻き込んでいた物音が止んだ。目を丸くして顔を上げると、ホッパーは栗鼠のようにサラダを頬に詰めて固まっていた。

「え? なに?」

 思わず追い打ちをかけるように尋ねてしまったが、ホッパーから返事は無い。目をそわそわと揺らし、思い出したように口の中のサラダを咀嚼している。いつも無表情、無言な彼が珍しく動揺を見せており、モイラも吊られて動揺していた。やがて口の中のものを飲み込んだホッパーは、ちらりとモイラに視線を送る。

「……………………貰って、って言われたから、貰っただけ……」

「え??」

 貰ってと言われた? エストスの住人に? そんな親切な人がいるんだろうか?

 ともあれ先ほどの「買ってと言われたから買った」という理屈と同じロジックで話しているから、ホッパーが嘘をついているとは思えない。ならばどうしてそんなに動揺する事があるのだろう? モイラが困惑した表情を浮かべていると、ホッパーは足下の籠を引き寄せて、本を掴み取った。そして二冊ともモイラの胸に突き出した。

「えええ?? どうしたの??」

「あげる」

 どういう風の吹き回しなのか、全く理解が追いつかなかった。ホッパーはさらにグイとモイラに本を押しつけた。

「貰っただけの本だから、あげる。おれは文字読めない」

 モイラはハッとした。今では当たり前のように文字を読んでいるが、もともとホルトス村は文字が読めない子供ばかりなのだ。それなのにホッパーが本を買うわけがないし、持っていること自体、恥ずかしいのかもしれない。モイラは押しつけられた本が落ちる前に両手で捕まえた。それを合図にホッパーは食事に向き直り、パンで皿の汁気を拭って食べ始めた。

 それは夢中で食べていると言える姿だったが、何処か周りを遮断するような空気を纏っているように見えた。「夢中で食べているんだから話しかけるな」とでも言うような、それは何かを隠すような……。思い違いかもしれないが、押しつけられた本が童話であることに気づくと、思い違いではない気がして、罪悪感が生まれてくる。

「ごめん……無神経だった……」

 文字が読めない子に、読める前提で話すことも、もしかしたら読めないことに劣等感を持っているホッパーの地雷を踏み抜いた気がすることも、鑑みてモイラは謝った。ホッパーは食べきった皿の中にスプーンを置き、グラス一杯の水を一気に飲み干してから、モイラに向き直った。

「……今、話していることで無神経なことはないから、謝らなくていいとおもう」

 チラリと視線を向けると、ホッパーは少しだけ眉を困らせていた。謝って、逆に困らせてしまったのかだろうか? 彼の考えていることが理解できなくて、なんだかちぐはぐする。それがむず痒くて上手くいかなくて、互いの溝だけが深くなるような気がした。

「……ごはんのお代、ここにおいておく」

 チャリンと音がして、ホッパーが硬貨をテーブルに置いたのが分かった。モイラは慌てて首を揺すった。

「いらないよ、本だって貰っているのに、お金が欲しくてご飯を出しているんじゃないよ!」

「この前は受け取ったのに」

 確かに、初めて食事を出した日はお金を受け取ってしまった。不本意だったがホッパーの気持ちを尊重した方が良いと思って受け取った。けれどその夜に少しだけ後悔した。お金で割り切る関係にされてしまったことが寂しいと知った。今、お金を受け取ったら、今夜もまた寂しくなる。

「じゃぁ今日は、本とご飯を物々交換ってことにしない?」

 都合の良い材料として二冊の本を持ち出した。交換にすれば何か変わる気がした。

「物々交換」

 少し困っていたホッパーの眉が元の位置に戻り、いつもの無表情が戻ってきた。感情が読み取りにくい棒読みな言い方で復唱した後、しばらく考えて納得したのか、こくりと頷いた。

「…………じゃあ、そうする」

「本当!? ありがとう!」

 無事に交渉成立した瞬間、モイラは花が咲いたように笑った。ずっと支えていたものが取れた気分だった。

「……ありがとうの意味がわからない」

 対してホッパーは再び眉を困らせていた。また困らせてしまったと気を揉むが、彼の言う通り「ありがとう」と口から飛び出た理由を言語化するのは難しく、モイラは苦笑してやり過ごした。

「……ごちそうさま」

 話しもそこそこに、ホッパーは籠とミトンを背負った。そして通りに出ると、前と同じように一目散に走り去ってしまった。



 モイラはリビングの大窓から屋内へ入り、食器をキッチンの水場へと運んだ。壁面に掛けられた鏡の中にはカナカレデスがおり、小棚の上に並べたチェス盤でゴールデンと対決をしている。

「なぁんか揉めてたみたいだけど、何かあったのぉ?」

 ゴールデンが次の一手を考える間、暇を持て余したカナカレデスに尋ねられた。モイラはテラスに戻って二冊の本を取り、「ご飯と本を物々交換したの」と掻い摘まんで答えた。

「アタシ以外のホルトス村の子は文字が読めないの。本を持ってても意味が無いから、くれたみたい」

 結局はご飯代との物々交換にしてしまったが、初めは無条件で譲ってくれたのだ。その点を思い出すと、ホッパーの本心が何だったのか、また気になってきた。物々交換に流れてしまった会話が消化不良を起こしていて、今更悶々とする。

「なぁんかまだあどけない少年って感じの子だったわよねぇ? アンタたち姉弟みたいよ、はたから見ていると。夜な夜な本を読んで欲しくてお姉ちゃんのところに来る弟みたいねぇ」

 上手いこと言ったとばかりに高笑うカナカレデスの声を遮るように、バサバサと本が落ちる音が響いた。盲点を突かれて落としてしまった本を、モイラは拾えずにいた。


「……本を、読んで欲しい?」

 ホッパーが? アタシに?

 そんなことがあるだろうか? 文字を読みたいだなんて、今更?

 信じられない。けれどあながち間違いとも言い切れないかもしれない。ホッパーの煮え切らない態度や物言いの複雑さを推し量ることはできないが、モイラの中で渦巻くこの予想もまた、同じような複雑さを持っている。

 モイラは足下に散らばる本を見下ろした。二冊の内一冊は、見覚えのある表紙だった。

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