第20話 残念な女――地球産(パロ)

「親愛なるグリフォン様

 こんばんわ、おひさしぶりでございます。小生はゴールデンと申しまして、この家の前の主に仕える執事から使命を賜り、塔の解錠を任された者にございます。ご挨拶が遅れましたことをたいへんお詫び致します。グリフォン様のお姿を家中探しておりましたが、よもやお外の家門の郵便受けの上に放置されているとは思っておらず、今日までお参りに来れなかったことをお許しくださいませ」



 家主も山も寝静まったであろう刻、門に備え付けの郵便受けに放置されたグリフォン像は、降り注ぐ月光を浴びている。そして郵便受けの真下に位置する庭先の芝生の上では、サー・ゴールデンが手鞠のように丸まっていた。これが人間ならばひれ伏して土下座している格好に当て嵌まるが、チンチラは頭を土に擦り付けると、尻が持ち上がって丸く見えるのである。



「小生は塔の番人として主様がご不在の間、気の遠くなるほどの時間を樹洞で過ごし、ようやくやってきた新しい家主、――モイラに塔の中に入る許可を与えました。『無月』との折り合いが付けばいずれ塔の正体を知ることとなると思いますが、小生も番人として野放しには致しません。解錠したあの日から、日々、モイラの傍につき見張っております。目を離した隙に悪さをしないように風呂を覗いたり、毒味のためにつまみ食いをしたりもしますが、決して悪戯心ではなく、執事から受け継いだまっすぐな使命感がそうさせているのです」

 ゴールデンは、ふごふごと都合の悪いことも良いように変えてグリフォン像に報告を続けた。グリフォン像は咎めることも呆れることもなく只其処にいる。


「こんなに頑張っている小生ですが、本日、どうしても許せないことが起こりました。そう……モイラが作ったあの毒の塊のようなカクテルでございます」


 昼頃のこと。

 執事の書き置きを棚の隙間から見つけたモイラが、思いつきのままに作ったカクテルは散々なものだった。赤ワインにアランチャという柑橘系フルーツを搾り、ベリルの手を借りてパターナイトなる花の蕾を採集して投下した。庭に生えているハーブをグラスの縁に飾ったところまでは良かった。ところが蕾の中には虫が大量に潜んでいたらしく、ただでさえ濁った色味のカクテルに虫まで浮き、虫が嫌いなモイラは大絶叫だった。その後はまさに地獄絵図である。

「小生が許せないのは、モイラの投げたカクテルの瓶がベリルに当たり、跳ね返った瓶がリビングの床に転がり、中身が撒かれ……その掃除をさせられたことなんでい!! ちくしょうめなんで俺様が芋虫の掃除をしなくちゃならねぇんでい!! プリティな俺様のお毛毛がワイン臭くて仕方がねぇぜちくしょい!!」

 慎ましく告発をしていたが、話しているうちに熱量がぶり返して憤怒した。丸まっていた毛玉はぴょんと跳ね上がり、小さい足でぴちぴちと芝生に地団駄を踏む。

 リビングに撒かれたカクテルの掃除。ベリルはリビングから出てきた虫は拾ってくれたが、家の中には入れない。モイラは虫なんか嫌だとワンワン騒ぎ、ゴールデンに布巾を押しつけたのであった。

「親切でやってやったのにちくしょい! 風呂で洗ってもうっすら匂ってきやがるぜい!! この恨みは晴らさないでおくべきか! モイラの野郎、もっと女子力のたけぇ女にしごき上げてやる!! カクテルが似合う女ってのはどんなもんなのか、いつか教えてやるぜちくしょうめええええ!!」

 烈火のごとく怒り散らすチンチラは庭中をゴロゴロと転がった。じたばたじたばた手足を捲し立てて方位磁石のように回ったりもした。そんなに腹に据えかねながらも、報復の仕方が微妙に親切なサー・ゴールデンの心根に「うむ」と感心したグリフォン像は、まるで神明のごとく身を光らせ、辺り一帯を取り込んだのだった。



***



「いらっしゃいませモイラ様、お好きなお席にお座りください」

「ほえ?」

 モイラが目を開いたとき、其処はモイラの部屋ではなかった。薄暗い室内を橙のランプが照らすモダンな雰囲気、少人数が腰を下ろせるカウンターバー、蝶ネクタイを着けた男がその向こうで恭しく礼をした。

「ここ、どこ?」

 ホルトス村にこんなお洒落な店は無い。マスターの後ろには酒瓶が所狭しと並んでいるし、配置されている棚も機材も見たことがない。一体自分はどこにいるのか、見当も付けられなかった。

「ねぇマスター? オレンジを使ったカクテルをこの子に作ってあげてくれなぁい?」

 ふと、カウンターのスツールに腰を掛けている女がいた。店を見渡した時にはいなかったはずなのに、此処にいるのが当たり前のような顔をしてモイラを顎で指し、オーダーを告げた。マスターは「畏まりました」と一礼して棚からグラス、シェーカー、銀色の調理器具らしいものを並べ始めている。

「え……あの、いつの間に……? てゆうかそんな、申し訳ないです……」

 訳も分からないままカクテルを奢られている現状に、どうして良いか分からない。モイラは女にやんわりと断りを入れたが、女は苛立ったような睨みを返してきた。

「うるっさいわね、本場のカクテルを奢ってあげるっていってんのよ、アンタが作ったゲテモノがいかに酷いものだったか、学びなさい?」

「な……っ!」

 カチンとくる憎まれ口だった。そしてモイラは察した、このコンサバ風の化粧の濃い女はカナカレデスだと。いつもモイラの姿を模しているので、他の女の姿をしていると分からない。そんな驚きも、モイラの額に青筋を浮かべる燃料にしかならないが。

「カナカレデス、なんなの、その姿……っ! ここは一体どこなの??」

「良いから座りなさいよ」

 カナカレデスはいかにも五月蠅そうに眉間を寄せ、真っ赤な唇に葉巻を咥えた。四の五の言う前に座らないと話にもならないと言わんばかりの態度をとられ、モイラはイライラしつつも、スツールを引いて腰を下ろした。モイラだけがいつもと同じ格好をしていてなんだか居たたまれなかった。

 モイラがカナカレデスに文句を垂れる前にマスターがやってきた。モイラの目の前に陣取るとコースターを置き、その上に細長いグラスを立てた。飲み物がまだ何も入っていないグラスを出され、モイラは目を丸めた。

「あの……?」

 モイラが問いかけた矢先、マスターはシェーカーの中に氷を入れ、その上から絞りたてのオレンジの果汁を注いだ。ふわっと広がる柑橘系の香りが消える前に、琥珀色のリキュールも加えられ、蓋をしてカプセルのようになったシェイカーを、勢いよく揺する。マスターの無駄のない動きに口を開けて感心していると、あっという間に余興は終わってしまった。シェイカーの蓋を開け、オレンジ色のドリンクがモイラのグラスに注がれた。

「うわぁ……」

 見たことも無い飲み物だった。キラキラと光り、淡い金色の潤いが混じっている。さらにグラスの縁にミントを添えられ、夏の夜風に触れたような清涼感に満たされた。モイラがグラスを引き寄せて表面を覗くと、自分の瞼が輝いて映った。

「そういうのを、美味しいカクテルっていうのよ。一気に飲んだら駄目よ、少しずつ味わって、飲むの! 一杯がすんごく高いんだからね」

 注意されなければ、子供のようにグイグイ飲んでいたに違いなかった。釘を刺されて肩を竦めつつ、モイラはグラスに口を付けて少しだけ含んだ。甘いオレンジの香りの向こうに、上質な花の香りが抜けていく。焼けるように熱いのはアルコールなのだろうか? 甘すぎる蜂蜜を食べた時にも似ている。とにかく香りと味覚の足し算が抜群で、よく味わって飲めと言われたのも納得である。

「くううう、美味しい……っ! すごい、計算尽くされた味わいの偉大さ感じる……っ!」

「そりゃぁ良かったわねぇ? アンタに奢った甲斐があったわ」

「初めてマヨネーズと玉子とピクルスを混ぜて食べた時と同じ感動がある……っ! 組み合わせって大事なのね!」

「……………………奢ったことを後悔しそうだわ」

 盛大なため息と共に紫煙を吐き出すカナカレデスに構わず、モイラは少しずつ飲み進めていった。こんなに美味しいものを飲めるなら、ここが何処でも気にならなくなっていた。

 カクテルの美味しさに舌鼓を打ち一息ついた頃、マスターが小皿にフルーツを盛り合わせて出してくれた。

「あちらのお客様からです」

 マスターが指す方へ視線を向けると、カウンターの端に腰掛けている……チンチラがいた。

「お嬢ちゃん……、カクテルを飲んだら、ひとまずは大人の階段を一つくらいは上れたってことでい……。これはそのお祝いだぜい……」

「…………ゴールデン……」

 サー・ゴールデンは、首にナプキンを巻き、メキシカンハットをかぶり、葉巻を咥えていた。一人だけ時代と文化背景を間違えているような洋装に突っ込む者はおらず、もちろんモイラもぽかんとするばかりである。

「地球っていう星の、東京って国の西麻布っていう都市で一番のバーが此処でい。まったく、連れてきてやった甲斐があったってもんだぜい。これでお前さんの、女っぷりも少しは上がるってもんだぜい! どうだいマスター! モイラは女として見込みがありそうかよう!?」

 カクテルが美味しいから細かいことを気にしなくなっていたが、ゴールデンの登場でじわじわと現状の不可解さに不安が戻ってくる。全ての発端はこのチンチラだと言わんばかりの言い草に眉を寄せながら、モイラは訝しいげな眼差しをマスターに向けた。

 改めてマスターに意識を向けてみると、先ほどまで意識に登りもしなかった彼の容姿が浮き彫りになる。紫色の長髪に優しげな金色の瞼、とろけるように甘い微笑みを浮かべている「王子様」のような美形がそこにいた。訝しげな眼差しなど吹き飛んで、モイラの熱は急に上がっていった。

「……モイラさん」

 甘い声色に名前を呼ばれ、飛び跳ねた心臓を鷲づかみにされたような衝撃がある。胸がキュンとして痛いまま、「ふぁい……」とモイラは弱々しく返した。

 するとマスターはにっこり笑い、『×』と書かれた白いプレートを取り出した。

「モイラさん、女子力、アウトです!」

 ででーん、と謎の電子音が鳴り響く。そして天井から『モイラ様、アウト!』という声が響いた。これはベリルの声だ。

「へ? アウト? なにが??」

 キョロキョロと辺りを見渡しても、カナカレデスもゴールデンも俯いて黙るだけで教えてくれない。マスターは相変わらず微笑んでいるだけだ。どこにも取り付く島がないまま、慌てふためいているモイラの元に、ホッパーがやってきた。その手には大きなハリセンを握っている。

「え? ホッパー?? どうして?? それなに??」

「…………」

 思わず席を立ち、後ずさりした。ホッパーは無言無表情のまま、ハリセンで素振りをしながら近づいてくる。その異様な姿に恐れおののき、モイラは駆けだした。

「モイラさん、可愛い女の子になれるように、頑張ってください」

 必至に逃げ出すモイラの背中に、マスターの声援が届く。可愛い女の子ってなに? これは一体何なの? 夢? 幻? 分からないまま逃げても逃げてもホッパーは追いかけてくる。

 やがて風を切る音がして、尻に衝撃が走った。





「いたああああああい!!!」

 悲鳴を上げながら飛び起きると、いつものベットの上だった。モイラは寝癖でくしゃくしゃになった頭を抱えながら、乱れた呼吸が収まるのを待った。外はまだ暗い。虫が鳴いている。連日変わらない夜、いつもの部屋にいることを悟り、ようやく夢から覚めたのだと思えた。

「ああ……夢か……、なんか、すんごい夢だったなぁ……」

 夢だと分かれば、気疲れも消えていく。無駄に頭が冴えていて眠気も残っていないし、夢の続きを見たくもないと思った。

「てやんでい、うるせぇやい……」

 ふうと腕を下ろすと、枕元にゴールデンが寝ていることに気づいた。相変わらず腹を見せて寝ているところを起こしてしまったらしい。モイラはゴールデンの腹を撫でてやりながら、「変な夢を見ちゃった」と伝えた。

「すごいんだよ、カクテルを飲みに行く夢を見たの。女子力がなってないって、王子様みたいな男の人に言われちゃった」

 紫色の髪に、金色の瞼だったよ、と忘れないうちに夢の内容を話すと、ゴールデンは覚醒したかのように瞼を見開いた。その変わりようにモイラが驚いていると、やがてゴールデンの瞼は横線のように細くなった。そして昼間と同じように固まって動かなくなったのである。

「え? ゴールデンどうしたの?? どうしてそんな風になっちゃったの?」

 モイラは横たわるチンチラの腹を揺すりながら、どうにか起こそうとした。この仕草は知っている。「小動物はヤバイと思ったら動かなくなる」という習性を昼に学んだばかりだ。

「え? え? なに? なんなの?? もしかして、これ夢じゃ無いの? え、夢だよね?? どうなってるのよおおおお!??」

 いくら揺すってもゴールデンは動かず、モイラの不安は晴れることなく。夜明けまで続いた不毛な攻防を、郵便受けのグリフォン像は見守っていたという。

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