第19話 残念な女――カクテル

 

「カクテルって、美味しそう!」

 モイラは平たい一冊を食い入るように読んでいた。そこには到底、理解できない飲み物が記載されていた。

「リキュールと……ウイスキーも、混ぜて良いの? ってゆうか、何でも混ぜて飲めば良いってことかな? 甘くても辛くても良いってこと?」

 ものすごく斜めに読んでいる自覚はあった。しかしモイラが手にしているのはカクテルの専門書などではなく、何枚も重ねた紙を紐で綴じた『お手製の一冊』である。まるで主婦のメモを束ねたようなそれが、キッチンの棚の隙間から出てきたのだ。もちろんこれはモイラの持ち物ではなくて、前住人の遺品である。

「大人って、こんなに美味しいものを飲んでいるの!? ずるい! アタシも飲みたい!」

 お酒なんて興味もなかったが、ピンクだったりブルーだったりするカラフルな飲み物は、モイラのなけなしの女心をくすぐって止まない。可愛いものに惹かれるのは女の子の習性なのである。

「今日の仕事はカクテル作りに決定ね! 甘くてカラフルで美味しいのを作るわ!」

 声たかだかに宣言するモイラの足下で、サー・ゴールデンの瞼がス……と横線のように細くなっていた。


「とはいえ、うちには料理酒しかないのよねぇ……。赤ワインなんてお料理に使うことしかしなかったけど、もともと飲み物だから、カクテルに使う方が正しい用法ってことよね!」

 キッチンに唯一置いてあったアルコール分として赤ワインを取り出した。台の上にはワインボトルと、細長い瓶を一つ用意し、ワインをボトルの2割分注いだ。

「こうやって、何層も重ねていけばカラフルになるってことよね?」

 瓶の底に赤いワインが溜まり、どんどん重ねていけば良いのだからカクテルって簡単だ。とはいえ色合いを重視しても美味しくないのは頂けないので、モイラは試しにワインを口に含んでみた。

「んんん??? なにこれ、葡萄の匂いと違うっ!」

 料理に使うのと実際に飲むのとではまるで違った。口内から鼻孔に抜ける芳醇な香りがなんとも言えず、モイラは顔を顰めながら飲み込んだ。するとアルコールが身体の中を焼いていき、むずむずしてさらに顔を顰めることになった。

「アタシ、アルコール苦手なのかな……? でも初めは皆、こんなもの?」

 酔ってくらくらするような気配もないのが幸いかもしれない。とにかくカクテル作りの障害にならなければ突き進むのみである。飲みやすくする為には、とにかく甘さを足さなければ。

「あ、アランチャがあった! もう古くなりかけてるから、入れちゃおう!」

 モイラは冷暗所に置いてあるアランチャなるフルーツの存在を思い出し、戸棚の引き出しを掴んだ。するとふと、戸棚の隅で丸まっているサー・ゴールデンの存在に気づいた。さきほどまで足下にいたのに、微妙に距離を取って地蔵のように静かにしている。

 もっふりとした毛玉のチンチラは、お目目が横線のように細くなっており、モイラの視線に気付こうが、我観せずといったように正面を見ていた。

 なんかえらく静かだ……。そう思いつつも、眠いだけかもしれないしと適当な辻褄を合わせ、棚からアランチャを取り出した。オレンジ色のフルーツをナイフで半分にし、瓶の上で思い切り絞った。ぎゅっとするとオレンジ色の果汁が注がれ、赤ワインの上にうっすらと層を作る。ふわっと香る柑橘類の香りが赤ワインの芳醇さに調和され、幾分飲みやすくなった気配がある。

「あ、これ良くない?? アタシったらセンスあるかも?」

 絞りかすとなったアランチャを囓りながら、モイラは上機嫌になった。絵に描いたようなカラフルさには遠いが、きっと次の色味で挽回できる気がする。

「まぁ、甘さが足されたことだし、次にはやっぱり栄養面も考慮したいなぁ」

 アランチャはフルーツだし、甘さから取れる栄養も偏るものだ。サラダみたいにたくさん混ぜれば栄養が増えるという点ではカクテルはとても優秀なのではないかと思う。


「カクテルぅ? グリーンカクテルのことぉ?」

 カクテルに適した野菜はなんだろうと話しを振ったところ、カナカレデスは壁面の鏡から新しい単語を返してきた。まるでカクテルの進化形のような単語にモイラの瞼は輝いた。

「クリオール家の本家に飾られている時に、ご婦人方がよく話しをしてたわよ? 野菜とかフルーツとかを絞って、栄養価の高い飲み物にして、朝に飲むのよ。美容にいいとかなんとか……」

「なにそれすごい! 何の野菜を入れるの!!?」

 さすがは貴族の本家に飾られていただけあり、カナカレデスは美容についても詳しいのだろう。モイラが食いついて先を促すと、カナカレデスは顎に指を添えて長いこと考える素振りを見せた。

「う~~ん、グリーンって名前が付いてるくらいだから、葉っぱならなんでも良いんじゃないのぉ? 雑草でもちぎっていれたらいいじゃなぁい、アンタどうせ男が寄りつく所に住んでいるわけでもないんだしぃ?」

 はん! と鼻で笑って小馬鹿にするカナカレデスの態度に、一転してカチンとした。持ち上げるだけ持ち上げておいてなんという言い草だろう。

「なによ、適当なこと言って! 詳しいことは知らないの!?」

「うるっさいわねぇ、きゃんきゃん騒ぐならベリルにでも聞きなさいよ!」

 まさに逆ギレをしたカナカレデスは、鏡を通じて他の鏡の中に移動してしまったらしい。鏡面にいくら吠えてもいつものモイラがいるだけになってしまった。

「も~~~! ベリルだって野菜のことなんて分からないよ!」

 話す相手がいなくなってしまったので、地団駄を踏んでも意味が無い。モイラはリビングの大窓をがらりと開け、畑の様子を見ていたベリルを呼びつけた。その様子を、キッチンのカウンターによじ登ったサー・ゴールデンは、地蔵のように見守っていた。


「栄養価の高いお野菜ですか? いつも召し上がっている葉物野菜ならどれも問題はないと思いますが……」

「食べるんじゃなくて、カクテルに入れるの! 飲み物として最適な葉物野菜を知りたいのよ! グリーンの色をしたやつ!」

「はぁ……グリーンというお色に拘りがあるんでしょうか……」

 それはまた難儀な……と呟きながら、ベリルは頬を掻いた。カクテルと言われてもピンと来ないようだが、グリーン色の葉物野菜という縛りだけは認識したらしく、腕を組んで眉間に皺を寄せた。

「何かに混ぜてお飲みになるのでしたら、そこに生えているペンペンツクシはどうでしょう? 膳じて飲めば腰痛に効くと言われておりますし、春になれば油で揚げても美味しいですよ」

「腰痛って、アタシはそんなおばあちゃんじゃないわよ!」

「難しいですねぇ……」

 思わぬ難題をふっかけられたベリルは再び眉を寄せて唸り始めた。長いこと悩み初めても、ベリルはカナカレデスよりも誠実な答えを返してくるに決まっている。何だかんだ毎回助けてくれたベリルのことだから、あの鏡のように適当にあしらったりしないはずだ。モイラは今度こそ期待を込めて、キラキラと輝いた眼差しを送り続けた。

「ああ、こういうのはどうでしょう? パターナイトの蕾を使っては」

「パターナイト?」

 初めて聞く植物の名前である。くてりと首を傾げるモイラに、ベリルは「お紅茶の茶葉にもなっていますよ」と教えてくれた。そう言われると、茶葉の中に色鮮やかな花びらが混じっていることを思い出した。

「パターナイトは栄養価が高く、とりわけ女性の肌や髪に良いと言います。普通は花びらを乾かして茶葉にしますが、蕾をそのまま水に落としても蜜と色味を出します。グリーンではありませんが、鮮やかなブルーの色を出しますよ」

「髪?! ブルー?! それ良いかもしれない!」

 赤ワイン+オレンジ色という暖色が続いているのだから、ぴりっと冷えたブルーを入れても映えるかもしれない。効能についても痒いところを掻いてくれて良いこと尽くめだ。モイラはベリルの案を鵜呑みにし、何処に生えているのかと問いながらベリルの手を引いた。

 採集をするべく、モイラとベリルが裏山へと消えていく。サー・ゴールデンは物陰からそんな二人を見届けたのだった。


「か、完成した! ちょっといいかも!?」

 かくして完成した初めてのカクテルを前に、モイラは嬉々としていた。

 ベリルと共に採集に向かったパターナイトの蕾はミニトマトのようにぷっくりと膨れており、瓶の底で少しずつ気泡を上げている。赤ワインとアランチャ、水を少量加え、庭の菜園でとれたハーブを瓶の縁に差し込み、完成した。見た目だけはかなり可愛いと自画自賛できる。

「ちょっと、飲むのもったいないなぁ……パターナイトがじわじわと青色を出してくれるなら、どの辺りから染まっていくのかしら?」

 モイラの頭の中では、水の中に絵の具を落としたようにじわじわと鮮明なブルーが広がっていくイメージがある。ワインは重たいから、アランチャのオレンジ色と水の透明さの間くらいを染めてくれたら理想的である。もう暫くは実が開くのを待たねば。

 鼻歌交じりにカクテルを眺めていると、別の所から視線を感じた。ふと視線の出所を探すと、ロッキングチェアの背もたれの隙間から此方を眺めているサー・ゴールデンと目が合った。

「な……なによ、その隙間から覗いてくる感じ……隠れてるつもり……?」

 チェアの背もたれの隙間から、隠しきれない毛皮が見えているし、横線になった細い瞼もはっきりと見えている。思えばアランチャを取りだそうとした時も、彼はあの表情で地蔵のように沈黙していた。まるで何かを悟っているような……。

「ちょ、ちょっと! いつもみたいに何か言ってよ! なんか怖いわ、そんな風に黙っちゃって……」

 いくら話しかけてもゴールデンから返事はなかった。それどころか髭も鼻先もひくりとも動かなくなった。これでは地蔵を通り越して木にでもなっているようだ。木に擬態しているチンチラ……まるで獣から隠れようとする小動物かのように。

「ゴールデン?? どうしたのかしら、立ったまま冬眠してるの??」

 生態的な部分を無視した心配を抱きながら、モイラはリビングに踏みだしゴールデンを掴み上げた。いつもの柔らかい毛並みと暖かさ、たらんと下がる手足と尾……硬直していないのに動かないということは、意図的に微動だにしないようにしているとしか思えない。

「二つ、教えてあげるわ」

 掴み上げたチンチラを凝視していると、背後の鏡からカナカレデスの不機嫌そうな声が飛んできた。先ほど理不尽に怒っていたというのにどういう風の吹き回しかと、眉間に皺を刻んでモイラは振り返った。

「小動物はね、”ヤバイ”って直感すると動かなくなるのよ」

 あまりにも突拍子もない助言が飛んできて、モイラはきょとんとした。小動物はゴールデンを指しているのかもしれないが、小動物の生態について助言を請うた覚えは無い。モイラが鳩が豆鉄砲を喰らった顔をしていることを見越し、カナカレデスは二つ目の助言を続けた。

「アンタが作ってるカクテルのパターナイトの蕾から、大量に虫が湧いてるわよ」

 カナカレデスが指さす先のカクテルの瓶に、白い何かが浮かんでいる。モイラはくわりと瞼をかっぴらき、ゴールデンを抱えたままキッチンに戻った。


 そこには絵の具をぐちゃりと混ぜた汚い色の液体に、白い芋虫たちが浮かんでいるだけの瓶が置いてあった。


「ひぃぃぃいいいっつ!?」

 身体が引きつる限度を超えたような声を絞り出し、急激な寒気が背筋を駆け上がる。その後は、爆発したような悲鳴を上げた。

 山々を揺るがすような悲鳴に驚いたベリルが再びモイラの家の門戸を叩いた時、気が狂ったように騒ぎ、顔面蒼白したモイラの怒りを買ったことは言うまでも無く。「初めからこうなると思っていた」ゴールデンは、全てを悟ったように横線の瞼を携え、モイラの脇に抱かれてやり過ごしていた。

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