第17話 小人の冒険② 錯覚

 

 

 結局のところ、ホッパーは一つの村に二日滞在した。冬支度を始めたこの村では連日夜市を開催すると知らせが入り、二日目は長い時間店を出させてもらえることになったからだ。おかげでホッパーは安宿でゆっくりと身体を休めることができた。

 ホルトス村から坂を上がり、モイラの家にも寄らずに走り抜け、時計の短針が一周した頃にようやく辿り付いたこの村は、大陸へと続く一本道から大きく反れた所にある。夜市に紛れるように村に入ったホッパーには分からなかったが、午後になって村を歩くととても長閑な山村だと気づいた。

 山の斜面に家が建ち、広い野原には羊が群れ、高台では海も見える。栗林に囲まれた閉鎖的なホルトス村とは異なり、広々とした自然の美しさには目を見張るものがある。


「レイス村にようこそ、商人さん。お食事ですか?」

 村唯一のバルに入りカウンターに腰を下ろすと、年老いたマスターが水を出してくれた。

「Aセットをください」

 ホッパーが手早く注文をすると、マスターは「はいよ」と返事をして手元を動かし始めた。料理を待つ間、ホッパーは店の壁の張り紙を眺めたり、装飾品を眺めたりした。目に付くのは村人がほぼ身につけているミトンである。マスターも頭にミトンの帽子を被っているし、コースターもミトンが使われている。

「毛糸の産業が盛んでしてね、ほら、野原に羊がいたでしょう? あれは村で管理している羊たちなんです。もっと大陸側に行けば、エストスという大きな国があるでしょ? あの国に卸しているんです。結構、良い値で買って貰えるんですよ」

 チラチラとミトンに意識を向けていた事に気づかれていたらしい。ホッパーはかくれんぼで見つかった時のような小さな恥ずかしさを覚え、グイと水を飲み干した。するとマスターはすぐに水を注ぎ足してくれた。目敏く、気配りのできる老人である。

「エストスが商売相手だから、山の反対側でひっそりと暮らせるんですよ。食べるものにも困らないし、此処は長閑で良いでしょう? 海も見渡せますから、尚のことねぇ」

 コンロに火が灯り、スープの美味しそうな香りが立ちこめる。トマトと野菜と、少し癖の強い香りはラムだろう。その匂いを嗅いでいるだけで、腹の虫がぎゅううううと鳴き出した。思えば昨晩、屋台でスープをもらったきり何も食べていなかった。

「はい、おまたせですね。Aセットです」

 チーズとキノコと玉子を挟んだバンズと共に、件のスープがやってきた。ほこほこと立ち上る湯気を、ホッパーは肺いっぱいに吸い込んだ。香ばしい香りすらも美味しいと感じた。

「ラムの匂い、すごいです。はじめて食べます」

 ホッパーはいただきますをした後、スープの中からラムを掬って口に入れた。臭みを打ち消す香草の香り、それでも舞う獣臭さ、それがなんとも言えない味わいを生み出している。

「美味しいですか?」

 染み出る肉汁を吸い出したり噛んだりしすぎて口の中がいつまでも忙しい。ホッパーはこくこくと首肯し、幸せに満ちた眼差しをマスターに向けた。それだけで伝わったようで、マスターは微笑んだ。

「ラムを食べない地域からいらしたということは、半島の方からいらしたんですか?」

 がっついてばかりのホッパーは喋ることを放棄して、首を縦に振った。食うか話すかどちらかにしろと言われたら、食う一択である。客商売に慣れているマスターにお喋りは任せることにした。

「半島に近ければ、リビアの恩恵がありますね。我々はエストスと共にありますから、そちらにはあまり明るくないんですよ。商人さんのように交易を盛り上げて下さる方がいれば、我々もリビアのことを知ることができます」

 半島の端にあるリビアと、半島と大陸のつなぎ目にあるエストスがどんな関係性にあるのか、ホッパーには全くわからなかった。なんとなく仲が良くないのだろうかと察する事が出来たのは、これまで大人たちの会話に聞き耳を立てた積み重ねから判じるにすぎない。

「……おれはホルトス村からきたから、リビアはわからない」

 口いっぱいに詰め込んだバンズをスープで流し込んだ後、ホッパーは釘を刺した。

「おやそうでしたか。ホルトス村なら、小さい時に学校で一緒に学んだ方がいますねぇ」

 マスターは懐かしむように笑い、あの時代は楽しかったです。と端的に話題を区切った。老人の昔話を聞かせる相手を心得ているようだ。

「商人さんは、今晩の夜市に出店したら、その足でどちらに?」

「……売れ残ったら、エストスまで行ってみようとおもいます」

 少しだけ嘘をついた。売れ残らなくても、エストスには行くつもりだった。

「エストスへは初めて?」

「はい」

 これも嘘だ。本当は二回目の入国になる。嘘をついた方が、この老人から知らないことを教えて貰えそうだと思ったからだ。

「今は騒がしいから、気をつけてくださいね。あの国は王様が入れ替わって、そろそろ政治の方針も固まる頃でしょう。変革のタイミングは民衆に不満が溜まりやすくなりますし、そうすると、いつもよりもみんな優しくなれないのでね」

「変革? なにか変わるの?」

「今度の王様は、少しだけ意地悪なんですよ」

 これは内緒だよ、とマスターは口元に指を立てた。ホッパーはパンでカップに残ったスープの一滴まで拭いながら、「意地悪な王様」について考えていた。意地悪で国を変えるとはどんな事が起きるのだろう? 歩いているだけで後ろから叩かれたりするのだろうか? むくむくと想像を膨らませては、それは嫌だなと思った。

「自分に都合が悪い人たちをね、悪魔だと錯覚してしまう。そういう病気に罹った王様だと思ってください」

 病気。その言い方をされると王様とやらが可哀想だと思えた。自分の意思とは無関係に罹患して、悪い人になってしまうのは哀れだ。そんなことが本当にあるのかは分からないが、初めてエストスに入った時にやたら目に付いた兵隊たちを思いだすと、物騒な何かがあるのかもしれない。エストスにいる間は警戒しようと思う。

 ホッパーはスープが染みこんだ最後の一切れを嚥下し、ごちそうさまを添えて硬貨を差し出した。

「王様、病気が治るといいですね」

「そうだね、お薬が見つかれば治るでしょうね」

 マスターは柔らかく笑い、食器を下げるついでにコースターを摘まみ上げた。水を吸ったミトンのコースターは、真っ赤な紅葉柄だった。

「このコースターはサービスで差し上げています。お持ち帰りください」

 おもむろに差し出されたミトンのコースターを手に取り、ホッパーはまじまじと見つめた。編み目が細かくて、規則的に違う柄が組み合わさっている。

「そろそろ夜も寒くなりますから、ぜひ毛布をお買い求めください。露店を広げるにも役立ちますし、エストスの民もレイス村に近しい者だと分かった方が安心するでしょう」

 それは名案だと思った。エストスまで行くにはまた丸一日以上歩かねばならないので野宿をしなければならない。商売が上手くいく上に暖も取れるなら買った方が良い。ホッパーは「ありがとうございます」とおじぎをしてバルを後にした。

 

 ふと、思い出す昨晩の少年。本を売ってくれた彼の店にもミトンが置いてあったので、彼のところで毛布を買ってから露店を出そうと思った。そうしたら暖かなこの村の一員になれたと錯覚できるような気がする。ホッパーはミトンのコースターを見下ろしながら、はにかむように笑った。

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