第15話 小人の冒険① オルゴール

 「あら、ホッパーちゃん。これから大陸に向かうの?」

 ホッパーが自宅の扉を開けた時、斜向かいに住む老婆と鉢合わせた。老婆はジョウロで玄関周りの植木鉢に水をやっているようだ。ホッパーは小さく頷くと、家の鍵を念入りに閉めた。

「お父さんはリビアの方に行くって言ってね、昨日、旅立ったものね。リビアは昔から交易がある国だから、きっと商売もやりやすいのね」

 老婆はニコニコしながら昨日見送ったホッパーの父の話をする。ホッパーは玄関に置いていた籠を背負い、家の門を施錠すると老婆に向き直った。

「ホッパーちゃんも、一緒にリビアに行った方が良いんじゃないかって、おばあちゃんは想うんだけどね。村長さんも、もう農園に出稼ぎに行くのは何年先か分からないって、言うから、きっとこれからは商人にならないと、いけないでしょ? お父さんに付いて、商売のお勉強も、したら良いんじゃないかしら」

 老婆は話しに夢中になり、ジョウロの先からチロチロと水が溢れていることに気づいていない。ホッパーはジョウロの先をひょいと持ち上げてやり、植木鉢の上に水が落ちるように向きを変えてやった。「ありがとうね」と微笑む老婆の手元は震えている。「最近力が入らなくてね」が、二年くらい前から老婆の口癖になっていた。

「おれは、近隣の村に物を売るくらいでいい。誰かがやった方が、いいことだから」

 自給自足が難しい山に囲まれた村ばかりだから、橋渡しをする人間がいた方が良いと思う。ホッパーはそれだけ伝えると老婆にお辞儀をした。誰かが盗みに入るわけもないけれど、誰も居ない家を空ける間はこの老婆が取り次ぎ役になる。

「いってらっしゃいね、大陸は寒いっていうから気をつけてね。モイラちゃんに会ったらよろしくね」

 ニコニコ笑う老婆に見送られ、ホッパーは早足で広場に向かった。

 まずは空っぽの籠の中に売り物を詰めないといけない。栗の加工場でニョッキや甘煮を貰い、水筒に水を入れ、数日分の食料を調達しなければ。ホッパーの朝は忙しい。





 ホルトス村を出て大陸に向かう道は一本しかない。それも中々の上り坂が続き、荷物を背負いながら歩くのは大変な困難を極めた。これが逆になれば「重たい時は下り坂、軽い時は上り坂」となるので、リビアに下っていく大人たちは賢いと想う。とはいえ大人たちとは違い、ホッパーは暇つぶしも気をそらすことも得意なので、疲弊して気を病むことはない。これからの旅路は右ポケットに詰め込んだ小さな宝箱が相棒である。ホッパーはおもむろに宝箱を取り出し蓋を開けると、ぽろんと音が鳴った。小さなオルゴールだ。

 オルゴールはさきほど立ち寄った教会の神父様がくれた。ホルトス村の教会は聖人を輩出したという歴史があり、今でも聖人に縁のある”琴”が奉られている。オルゴールの音色も琴を模したように緩やかで美しく、まるで揺り籠のようにホッパーの心を安らかにした。

 ポロポロと歌うオルゴールの音色に惹かれて、小動物が草むらから顔を出した。ウサギ、栗鼠、小鳥も近くの枝にやってくる。ホッパーはなんとなくそれらに視線を配りながら、鳴り終わるまで聞いていた。音楽で動物を引き寄せるなんて童話みたいだ。ホッパーが最後に学校で習った『笛吹き男』の童話は、最後まで読み切れなかったので結末を知らない。文字を学ぶ為の教材であったから、教師がいなくなった今では他の大人の手を借りるしか読破する術がないのだが、好き好んでそんな暇を分けてくれる大人はいなかった。

 ホッパーはオルゴールが響く間だけ、笛吹き男のことを考えていた。そうしている内に陽も大分昇ってきて、昼に近くなっていた。すると鼻先に香ばしい匂いが届いた。

「あ~~美味しそう! やっぱり玉子って最高ね!」

 もうこの美味しそうな匂いの正体を知っていた。モイラの家はホルトス村を出てからちょうど良いタイミングで現れるのである。見えてくる軒先を覗くと、モイラが嬉しそうにニワトリを追いかけていた。

「今日から玉子サンドが食べられる~~~嬉しい~~っ! ありがとうベリル!」

 モイラはニワトリを抱き上げながら、どこかに向かって感謝を伝えていた。まるで隣に誰かがいるような口ぶりで独り言を喋っているのが少し怖かった。モイラが家の中に入っていった所を見計らって、ホッパーは家の前を駆け抜けた。

 別段、モイラが嫌いなわけではないのだが、小さい頃、一緒に栗作業をしていた時からどう話しかけていいのか分からなかった。モイラはドジだしすぐに泣くくせに、気が強くてお姉さんで、大人たちは何かとモイラを呼びつけて物を頼んでいた。村に学校ができたときも、モイラは母親が教師だったこともあって学級委員という役職になっていた。ホッパーとはまるで逆な彼女のそばにいるのが少しずつ居づらくなっていた。そして今、村を出て行ってしまったモイラはホッパーの通り道に必ず存在する。それがホッパーの悩みだった。



**



 日が暮れた頃には小さな村にたどり着き、夜市に混じって露天商の真似事をさせて貰った。気前の良いおじさんが小さな椅子を貸してくれたので、其処に座り込んで賑やかな市場を眺めた。足はパンパンだし体中が重かったが、疲れすぎて眠れないので安宿で休むよりは粘ろうと想う。隣で店を出すお婆さんがスープを分けてくれたので、甘栗と交換した。すると何個か栗とニョッキが売れた。手元に小銭が増えたので、ホッパーは露店を切り上げ、夜市を通って安宿に向かった。

 リビアとエストスを結ぶ一本道、大きな国の他には小さな村が点在する。この村は丸一日掛けて大陸に向かう中継地点としては便利だと想っていた。ただ、一本道からは大分反れて山の反対側に降りなければならないという点で、誰にも知られていないと村人が教えてくれた。

 冷え切ったスープを啜り終えて食器の下げ場を探していると、軒先の少年がひらひらと手を伸ばしてきた。

「食器、貰うよ。あれはうちのばあさんだからさ」

 ホッパーと同じくらいの歳の少年は、先ほどスープと栗を交換したお婆さんの親族らしい。厚意に甘えて食器を渡すついでに少年の店の出し物を見下ろすと、雑貨を中心に陳列されていた。

「これ、うちの妹が編んだやつ! 暖かいから買ってってよ!」

 ミトンやコースターなど毛糸を使った商品を売り込んでくる少年を余所に、ホッパーの視線は端に詰まれた本にむいていた。少年も気づいたようで、本の束を見せてくれた。

「これ、うちにあったんだけど、もう読まなくなったやつ。俺たちの世代って、文字読めないじゃん? あっても仕方ないよね」

 昔は近隣の子供を集めて学校があったらしいが、今では廃校になってしまった。モイラの母がホルトス村に学校を創った時にそんなことを言っていたと思い出し、ホッパーは時代の名残を見たような気がした。

 何冊かある童話のタイトルを眺めていると、見覚えのある文字の羅列を見つけた。ホッパーでも読めるタイトルと、笛吹き男のイラスト、……最後まで読めなかった童話。

「……これ、ちょうだい」

 ホッパーは売上金から本代を出し、笛吹き男の童話を購入した。少年は「サービス」と言ってもう一冊ホッパーに押しつけてきたので、二冊の本を手に入れることができた。


 安宿の一室でベットに横たえると、布団が肌に吸い付くように心地よかった。それだけ身体も瞼も重くて足は痺れているのに、頭だけはまだ元気に起きている。こういうのが一番ややこしくて好きじゃ無い。ホッパーはポケットからオルゴールを取り出し、ネジを回した。すると元気だった頭の中にも眠気が浸透して、やっぱり揺り籠みたいに心地よかった。

 微睡みの中で船を漕ぎながら、笛吹き男の話を読み返してみようと想った。多分、一人では読み切れないのだけれど、一緒に読んでくれる人に心当たりがある。一縷の迷いを抱きながら、ホッパーは眠り付いたのだった。

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