第14話 モイラと鏡の本探し(中編)――うつろい
「な、……なにこの生き物……」
モイラは目の前に現れた生き物に目を奪われた。ネズミのようでもあり、ウサギの面影もあり、尾は栗鼠のようでもある。鏡餅のようなフォルムの毛玉の頭には大きな耳と、円らな瞳がくっついていて、時折髭を揺らす姿がたまらなく愛らしかった。首に提げられた鍵が埋もれるほどのもふもふぷりに、モイラは無意識に手を伸ばしていた。
「か……、かわいい……っ!」
幽鬼のような手つきで伸ばした両手が毛玉を掴みあげるという瞬間、目の前の生き物の目がキッとつり上がった。
「てやんでえええええええい!!」
「ぎゃん!?」
モイラの顔面に、もっふもふの毛玉が飛んできたのだった。
「てめええええ! いきなり人様の寝床にやってきて、人様の顔を見るなり”かわいすぎて抱きつきたい!!”とはどういうことでい!? 俺ァそんじょそこらのオコジョじゃねぇんだぜ!? 天下のクリオール家にお仕えする! 半島がおののく! 世紀の美男子!! サー・ゴールデン様を知らねぇとは言わせねぇぜ!!」
樹洞の際に仁王立ちし、ふんぞり返って斜陽を浴びるその胸元で金色の鍵が光っている。モイラは顔面に当たった衝撃に驚いて尻餅をつき、声たかだかに宣う毛玉を見上げていた。
「…………かわいすぎて抱きつきたいとは言ってないんですけど……」
それは言いすぎではないかと内心抗議を試みたが、拒まれなければ抱き上げていたかと言われると否定できなかった。モイラはのそりと身体を起こして樹洞の縁に顔を寄せ、ずんぐりむっくりした毛玉のサー・ゴールデンと対峙した。この生き物は図鑑で見たことがある。確かチンチラという種類の齧歯類だ。間近で拝見できる日がくるとは夢にも思っていなかったので、モイラはついジロジロと見入ってしまう。
「えっと……サー・ゴールデンさん。初めまして……と、失礼しました……。アタシは、あの、モイラという者でして……」
「二回も言うんじゃねぇや、一回言えば聞こえてるんでい!」
ぺし、と小さな手に髪をはたかれた。微塵も痛くなかったが、なんとなく「痛い!」と口走ってしまうのは、このチンチラの勢いと気迫が痛みの幻影を連れてくるからだ。それにしてもこれはデジャブではないか……? カナカレデスの時も初見で怒鳴られ、”寝ているところを”と文句を付けられた。クリオール家の住人は予想できない場所で寝過ぎなんじゃないのかとブツブツと文句が込み上がる。しかしモイラは声には出すまいと誓った。この毛玉も面倒臭い空気を纏っている。
更新:自給自足生活の極意その6 面倒くさい生き物は敵にしてはならない である。
「モイラよう、俺様のところに来たってことは、あの塔を開けようとしたんだな?」
短い腕を胸元で交差している(腕を組んでいるつもりだが腕が短い)チンチラは、キリッと瞼を光らせた。モイラは思い出したように、「あ、そうです!」と頷いた。
「塔の扉を開けようとしたら、ばって光って、男の人が二人で話してて、金色の鍵が、錠前を吸い込んで光りの球になって、びゅって飛んでいって……飛んでいった方向に歩いてきたら、この樹洞を見つk」
「でえええええええええい!!!!」
話も終わらぬうちに、チンチラのお尻が顔面に飛んできた。モイラは再び「痛い!」と大して痛くもないのに漏らし、毛玉が当たった鼻を摩ると、チンチラは樹洞の縁に着地したところだった。
「俺様相手に説明しなくていいんでい。お前さんが見たのは俺様が仕掛けておいた”扉の記憶”だからよう」
「扉の記憶……?」
「俺様がお役目を引き継いだ時の映像を、扉の視点を借りて見せてやったのさ。ついでに俺様の隠れ場所も分かるようにな」
ひくひくと髭を揺らしながらふんぞり返るチンチラの胸元には、あの金色の鍵が揺れていた。光の中で、黒い服の男が握っていた鍵だ。
「ゴールデンは、あの光の球の正体なの?」
扉の記憶で見た映像の中で、金色の鍵と錠前が一つの光の中に収まり飛んでいった。その鍵を首から提げているこの生き物は、扉の鍵と大いに関係があるに違いない。
「俺様は錠前の化身なのさ。この首に下がっているのがその鍵よ。俺様とこいつはセットなんでい。扉の記憶の中にいただろう? 黒い服着た奴が。あいつの魔法でこの姿を得て、塔に入りたがる奴を選別するように使命を受けたのさ」
鍵よ、主様の願いを叶えなさい。
然るべきものが来たときに、この扉を開けなさい……。
黒い服の男が、光りの球となった錠前と鍵に命じた呪文を思いだす。それがどうしてこんな姿に変化したのかは分からないが、サー・ゴールデンが使命を持ってモイラの前に立ちはだかっている事は理解できた。
「お前さんが見た映像の中の、黒い服の方は執事でい。あの家に唯一、住み込みで働いていた奴で、そいつが”主様”って呼ぶのが前住人のクリオール家のご長男様だ。ご長男様のことは、俺様も”主様”って呼んでるんでい」
「執事……」
あの黒い服は、執事と呼ばれる役職のものが着る服なのか? 貴族の生活はいまいちよく分からないモイラなりの解釈を落ち着けた。そして執事と話していたのが、やはり”ご長男”ということだ。
紫色の髪を胸元まで垂らした、白い服の男。柔らかく気品に満ちた話し方をしていた。童話で出てくる王子様を連想して、モイラは少しだけ頬が熱くなった。
「ちょっと、顔がニヤニヤしていて気持ち悪いわよ」
忘れた頃に切りつけてくるカナカレデスに睨まれ、モイラは慌てて顔を手で覆った。17にもなって王子様に憧れているなんて知れたら恥ずかしい。
「あ~ん? なんでいこの鏡は。勝手にしゃべりやがってよう」
目敏くカナカレデスに気づいたゴールデンは、耳をぴくりと向けて身構えた。カナカレデスは相変わらずモイラの姿を模しており、瞼を細めてジッとチンチラを睨んでいる。
「アンタの話は本当みたいね、鏡には真実が映るわ」
ロットの鏡面がゆらりと波紋を生み、カナカレデスの姿が消えてゴールデンを映した。鏡の中にはチンチラではなく、錠前と金色の鍵の姿が映っている。
「へぇ! お前、鏡の付喪神だな? 俺様と同じ無機物生まれじゃねぇか! やっぱりあの家には妙な客が多いもんだ」
「おあいにく様、鏡と鍵じゃぁ釣り合いが取れないわよ」
ツン、とそっぽを向くカナカレデスは、さも格が違うと言いたげに高慢ちきを発揮していた。モイラは水と油を混ぜてしまったような焦りを感じたが、意外にもゴールデンは笑い飛ばした。
「はっはっは! 生意気な性分は嫌いじゃぁねぇや! まぁ自己紹介ってのはこのくらいにしておいてよう、お前さんはあの塔になんで入りたいんでい?」
一笑い終えた後、ゴールデンはモイラに視線を戻した。モイラは話しが本筋に戻った途端、背筋が伸びる。
「あ、あの……アタシ一応、今のあの家の住人なの。だから、塔のことも、知っておいた方が良いかなって、思って……」
「あん? 別に塔の中身なんて知らなくても生活できるだろう?」
そもそも何時から住んでいるんでい? 一ヶ月以上前です なんで引っ越してきた当初に調べねぇんだい? そこまで問答が続き、モイラがもともと塔に対して消極的だということがばれてしまった。
「なんでいなんでい!! 大して興味もねぇ奴が、入って良い場所じゃねぇんでい!! 何のために俺様が生まれたんだって話しだろうが、ちくしょうめい!」
ゴールデンは円らな瞼をしゅっと細め、再びモイラの顔面めがけてお尻で体当たりを繰り出した。しかし三度目ともなれば慣れてきたもので、モイラはわしりとチンチラの尻を両手で掴んで攻撃を防ぐことができた。
「何するんでい!! 人の尻を! 掴むんじゃねぇやい!!!」
「それを言うなら、アタシの顔にお尻で攻撃するの、やめてよ!」
尻を捕まえて動きを封じれば此方のもので、モイラはここぞとばかりにチンチラの尻をわしわしと撫で始めた。毛皮の分厚さとさわり心地が素晴らしく、癖になりそうだと思った。
「ぎゃんぎゃんうるさいわねぇ……。執事もなんで錠前をこんなうるさい生き物に創ったんだか……」
はぁと大きなため息をついて呆れているカナカレデスを見下ろしながら、モイラは『人のことを言えるほどおとなしくないくせに』と心の中で突っ込んだ。
短い手足をちょこちょこと振り回して抗議するチンチラを解放し、樹洞の縁に逃がしてやると、鼻息を荒げたゴールデンは、疲れ切った顔をしていた。
「ふっ……まぁ、今日、会ったばかりだから、こんくらいのことは子供の戯れだと思って許してやるだぜ……」
だぜ……って言った……。モイラの耳に残る妙にダサい語尾を聞き流せたのは、ゴールデンがどうにか去勢を保っていることが分かるからである。
「まぁ……なんだ、とりあえず、大して大事でもねぇんなら、塔の中に入るのは諦めな! お前さんだっていつまであの家に住んでいるつもりか知らねぇけど、普通に生活する分には何の影響もねぇからよう」
ゴールデンは腕を組み(組んでいるようにし)、うんうんと頷いた。扉を開けてもくれず、話しは終わりだと言わんばかりである。
「そんなにガードが堅いってことは、やっぱりあの塔の中に”本家には知られたくない秘密”が隠されているってことかしらねぇ?」
しれっと切り出したカナカレデスの声に、ゴールデンもモイラもぴくりと反応した。
「それはそうよねぇぇ、そうでなくちゃ、こんな面倒なこと仕掛けないわよねぇ……あ~ぁ、ご長男の秘密って、何なのかしらぁ……本家のご家族に聞いてみたら、教えてくれるかしらねぇ……」
次にはモイラもゴールデンもぎょっとした。ロットの鏡の中で頬杖を突き、さも興味無さそうな雰囲気を醸し出しているカナカレデスは独り言を装っているが、ゴールデンの心理を煽っているようだ。モイラは一度やられているから、これがこの鏡が食い下がる時の常套手段だと知っているが、端から見ているとハラハラする。
「てんめぇ……、本家の奴らに聞いたりしたら、またあの家中を引っ掻き回されるでい? そんな面倒臭いことをしようってぇのかい?」
ゴールデンは目を細め、毛を逆立たせながら鏡を睨んだ。毛をかき分けたらきっと、額に青筋を浮かべているだろう。カナカレデスは何処ふく風と言わんばかりに澄ましていた表情を消し、まっすぐにゴールデンを睨んだ。
「私は、あの人の秘密なんてどうでもいいの。あの人がどんなことをしてたって関係ない。ただ、もういなくなってしまったあの人の、……あの人が居たってことを、もう一度感じたいだけよ」
語尾が近づけば弱まり、言い終われば苦笑に変わる。そんな表情をするカナカレデスが自分と同じ顔をしているからか、切ないと感じてしまった。モイラは胸元で揺れるロットをそっと掬い上げ、あの家で時のうつろいの中にいたカナカレデスを想う。
「そっか、ご長男の秘密にしていることじゃなくて、ご長男自身の方が大切なんだね」
あの家で一人、相手のいないチェスをする。誰かの軌跡をなぞるように、チェスを考える。どれだけ季節が過ぎても、カナカレデスはご長男のいた時代から抜け出せないのかもしれない。モイラは少しだけ眉を困らせて笑い、鏡を見下ろした。カナカレデスはバツが悪そうな顔をしている。
「そんなしみったれた事を言われちまうとよう、俺様だって鬼にはなれねぇぜ」
チンチラは自分の髭を引っ張りながら難しそうな表情を浮かべていた。うーん、と鼻先を持ち上げ、葛藤しているようにも見えた。モイラはサー・ゴールデンも主を想う気持ちが強いのではないかと想った。きっと、せめぎ合いの中にいる。
「あのね、カナカレデスの気持ちを、叶えてあげてくれないかな? アタシは正直、本が読みたいだけなの。ご長男が持っていたたくさんの本が見つかれば、大好きな本がたくさん読めるから……アタシが塔を開けたい動機はそれだけなの! ご長男のことは、アタシなんかがどうこうできることじゃないと想うし。アタシはホルトス村の出身だから、難しいことをリークする相手もいないよ」
モイラも果敢に食い下がった。ゴールデンは、さらに眉間に皺を深めてうんうんと唸る。しまいには頭を捻りすぎてひっくり返り、樹洞の底へと転がっていった。それが功を奏したのか、樹洞の縁によじ登ってきたゴールデンは、「仕方ないねぇ」と観念したような声を漏らした。
「その鏡が何と言おうが、扉を開けるのは地に足を付けて生きる者じゃなけりゃぁなんねぇ。モイラ、鍵を開けるのはお前しかいねぇってことだ」
言い終わるや否や、ゴールデンは樹洞の縁から飛び降りて、大樹の根の上をひょいひょいと飛び跳ねながら下っていく。一人勝手に山林の土を踏むと、振り返った。
「しばらくは監視付きで塔の鍵を開けてやらぁ! 俺様がわざわざ出向いてやるって言ってるんだ、ありがたく思えよう!」
ゴールデンは鼻先を突き上げ、胸を張って声たかだかに宣言した。
「え? 塔の鍵、開けてくれるの?!」
モイラは花が咲いたように笑い、覚束ない足取りで大樹の根を降りた。かさりと土を踏むと、ゴールデンはひょいひょいとモイラの肩に上ってきた。もふんとした毛皮が頬に当たる。
「その鏡に免じた大譲歩でい。この俺様が、住処を離れて、モイラがどんな人間なのか毎日じっくり観察してやる! それで信頼に値する人間だと想えば、塔の管理は全部お前さんに委ねてやるよう! だがしばらくは、塔の出入りは俺様の監視下でやりな!」
「あ、ありがとう! 助かるよゴールデン!」
モイラは肩に乗る毛玉をわしりと掴み、ごしごしと頬ずりをした。嬉しさ半分、もふっぷりを堪能するのが半分、ともあれ嬉しい展開である。胸元のカナカレデスも腕を突き上げて喜んでいる。
「…………ん? あれ?」
喜びの最中、モイラはふと気づいた。住処を離れたサー・ゴールデンは、どこに暮らすんだろう。モイラは掴んでいた毛玉を肩から剥がし、自らの顔の前に持ってきて凝視した。ゴールデンは、頬ずりをされて逆立った腹毛を短い両手で直している。
「お前さんよう、チンチラ用の櫛はあるんだろうな? 執事の奴が昔は持っていたはずなんでい。あと、砂浴び用のガラス瓶も出しといてくれ、こんな毛皮じゃぁベットで寝れねぇや。あ、俺様は別に暖炉の前のチェアの上とかでも良いんだぜ? ふかふかのクッションだけ置いておk……」
「や、やっぱり!!」
かくして塔の鍵を手に入れることと引き換えに、新たな住人を増やすことになるのであった。
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