第13話 モイラと鏡の本探し(中編)――樹洞

 


 本探しを開始して一時間。闇雲に家中を探し回っても見つからず、モイラは庭先に座り込んで我が家を見上げていた。冬に向かう秋の午後、日差しは暖かいけれど、通り抜ける風は冷たく感じるようになった。

「そもそも論なんだけど、」

 モイラは腕を組み、胸元に垂れるロットがついた首飾りに向かって話しかけた。ロットには鏡が付いており、そこにはモイラの姿を模したカナカレデスが頬杖をついている。鏡の中を自由に移動できるカナカレデスは、持ち運べるように窮屈なロットの中に収まっていた。見下ろすカナカレデスは眉間に皺を寄せており、まさに鏡映しの表情であった。

「この家って、特別に収納があるわけでもないのよね。大量の本を家の中に隠してあるっていう考えは捨てた方がいいんだわ」

 額の汗を拭いつつ、モイラは結論付けた。


 この家に引っ越して一ヶ月も過ぎ、家中の掃除はあらかた終えた。この家の中でモイラが知らない部屋はないのだ。

 カナカレデスが『書斎』と表現していた部屋は今はモイラが寝ている部屋のことで、確かに壁一面に棚が配備されているが、今はモイラの服や小物が置かれている。前住人である”長男坊”の本は、越してきた時には消えていた。

「引っ越してきた時にも思ったんだけど、ご長男の遺品の大半はそのまま遺してあったんだよね。もちろん食べるものとか腐るものは無かったけど、調度品とか、家具とかは置いたまま空き家になっていたの。どうしてかしら?」

「そりゃぁ、ご長男がいなくなった後に、この家を整理した奴の裁量としか言えないわよ」

 カナカレデスが言うに、この家はリビアの伯爵、クリオール家の長男と少数の執事で移り住んだらしい。長男が亡くなった後の遺品整理にはリビアの本家からも家族が参加して、それはそれは時間をかけていたという。

「今思えば、なぁんであんなに時間をかけて遺品整理してたのかわかんないのよねぇ」

 カナカレデスは頬杖を突きながらぽつりと漏らした。モイラはすっかり乾いた身体に水分を補給しながら「どうして?」と尋ねた。

「だって、見ての通り家具の大半は残してあったでしょ? 片付けもしないくせに家の中をごちゃごちゃひっくり返しちゃってさ、そりゃぁお貴族様のお召し物とか剣とか高級なものとかは本家に持ち帰られてたけど、家から出て行く時だって言うほど荷物は少なかったわ。それなのに二日も三日もずーっと本家の使用人とかご家族が居座っちゃってさ? まるで隠し財産を探しに来た陰気な肉親って感じ……」

 思い出すだけで不愉快だわ! と鼻息を荒げるカナカレデスの話を聞きながら、モイラも眉をひそめた。祖父が死んだ時に親族で遺品整理をしたことはあるが、三日近くも時間を掛けるだろうか? カナカレデスの言うことはもっともで、三日も使った割には遺品が残されすぎている。漆器も食器もそのままで、モイラは引っ越した当初、家具つき物件だと信じて疑わなかった。長男坊が貴族だと分からなかったのは、彼の衣類や寝具、書籍など、彼個人を特定するようなものは一切見当たらなかったからである。一般的に考えれば、それらは本家に引き取られたと考えるわけだが……。

「本家の人たちがご長男の本も持って帰っちゃったんじゃないの?」

 大量の本というパワーワードに乗せられてしまったが、落ち着いて考えれば分かることではなかったか。モイラは早くも取り越し苦労の予感がして悲しい気持ちになるが、カナカレデスは首を横に振った。

「あれだけの本を持って帰るには、荷車がもう一台必要だったはずなのよ」

 どうやらカナカレデスの核心はそこにあるようだ。帰り際、本まで運び出すには荷が少なかったのだ。つまり、本は持ち帰られていないということになる。ならば、一体どこに消えてしまったのだろう。

「本家の人たちは、ご長男の持っている本を探して二日も三日も遺品整理をしていたのかしら? でも見つからないから本は諦めて帰っちゃったとか?」

 モイラの推察にカナカレデスは唸っていた。眉を寄せて腕を組んでうんうんと悩む。

「アンタと違って、本家の人間が本を目当てにしていたとは考えられないわ。だけどご長男にとっては本も”本家に知られたくないもの”の一つだったのかもしれない」

 ロットの鏡の中から聞こえてくる推察に、モイラはきょとんとした。

「え? つまりどういうこと?」

 首を傾げてロットを覗き込むと、カナカレデスはピンと指を立てて考察を伝える。

「ご長男は、この家に移り住んでからもせっせと働いていたのよね。多分その”仕事”っていうのは、本家に知られたくないものだったんじゃないかしら。だから、死ぬ直前に執事に命じて隠させたのよ、”仕事”に関する全てのものを!」

「ご長男は、死ぬ直前に、秘密を隠させた……」

 長男の仕事、と言われても、モイラにはピンとこなかった。こんな山奥の道ばたで一体何の仕事ができたのだろう? 畑仕事には土が悪いし、そもそも人通りも滅多にないのに。

「一体、何の仕事ができるの? アタシには分からないけど、お貴族様にはできる仕事とかがあるのかなぁ?」

 分からないことだらけになってくると、匙を投げたくなってくる。モイラは足を投げ出して庭先にひっくり返った。

「てゆうかアタシは本を探したいだけなのに、なんか話が飛躍してない? ご長男の秘密を暴く為の探索ツアーみたいになってきた気がするんだけど?」

 そんな大げさな事になるのなら、テラスで分厚い本を読んで栞を挟んでいた方が楽しいのではなかろうか。モイラはカナカレデスにまんまと乗せられたのかと疑い始め、

「その秘密の隠し場所を突き止めれば、大量の本も一緒に置いてあると思うわよ」

「え? そうなの?」

 やっぱり綺麗に乗せられるのだった。



**



「大体、家の中に隠し扉があるかもしれないとか、屋根裏部屋があるかもしれないとか、そういう発想自体が貧相なの! ご長男が、隠した本の量を考えなさいよ! 一冊二冊じゃないんだから、相当なスペースが必要になるわけ。分かる? つまり、家の外じゃないと、隠しきれないってこと!」

 モイラとカナカレデスは再び大量の本の在処を考えていた。家の中には無いと結論付けると、つまりは家の外にあると仮定がたつ。家の外にあるものといえば、

「あの塔かぁ……」

 家の裏にある塔である。ずっと触れずにきたというのに、ここに来て矢面に立ってしまった。

「アンタ、あの塔に入ったことないわけ? なんでよ。アンタの持ち物になってるのに」

「えー……だってさぁ……」

 カナカレデスの疑問は尤もだ。モイラ自身もどうしてここまで塔を放置したのかと言われると答えにくいものがあった。

 引っ越して早々、ロッジから此処は『半島の門』だと言われた。その後にはグリフォン像が出てきたり、ベリルがやってきたり、中々来客の多さに毎日戸惑ってばかりだった頃、あの塔にまで着手すると面倒が面倒を呼ぶようで気が進まなかった。

「ああ、つまり、毛嫌いしてたわけね」

 カナカレデスはぴしゃりと言い捨てて、「ばかねぇ」と付言した。モイラは何も言い返せずに頬を膨らませるしかできなかった。


 拗ねていても始まらない為、カナカレデスに文句を付けられながら腰を上げたモイラは、家の裏へと回った。家の裏はもう一つ家が建つのではないかと思うほどの平地で、その端に塔がぽつんと建っている。塔の入り口まで歩み寄ってみると、施錠はされておらず、ただ重厚そうな扉が填め込まれていた。

「どうして施錠していないんだろうね? 不用心だなぁ」

 家には鍵を掛けるのに、塔には掛けない理由でもあるんだろうか。どことなくちぐはぐするこの塔に対して、モイラは気が進まないままでいる。とはいえ首元の鏡に急かされるままに扉の金具を掴み、ぐっと引っ張った。

 すると突然、モイラの目の前に真っ白な閃光が走った。



(×××××様……、無事に塔を閉めることができました……しかし、この鍵はいかが致しましょう……)

 モイラが見たことも無い黒い服、胸元にタイのようなものを垂らした男が、畏まりながら塔の扉の前に立っていた。その男の手のひらは白い手袋が填められていて、金色の鍵を持っている。

 鍵を持った黒い服の男の横には、白い仕立ての良い服を着た――名前が聞き取れない誰かの――男がいる。その男の紫色の髪が、白い服の胸元に垂れている。

(ありがとう……この塔の鍵は……いずれ”必要な”誰かの手に渡ってほしい……私はそう願うばかりだ……。その鍵の管理は、君に任せるよ……)

 紫色の髪をした男は柔らかい声色で提案している。黒い服の男は胸に手を当てて恭しく礼をした。

(承知いたしました。とはいえ、私も永劫、この地にいることはできません。

 こういうのはどうでしょうか? 扉を開けるべき者か、開けてはならない者か、鍵自体に判断を任せるというのは……)

(それは良い、ぜひそうしてくれ。いずれ私がいなくなった後でも、相応しい者に塔を渡せるように、鍵によく伝えてくれ……)

 金色の鍵は男の手のひらで光り、塔の扉に掛けてある錠前に同化した。すると錠前を吸収した光はまるい球となり、傍の樹洞へと消えていった。


 鍵よ、主様の願いを叶えなさい。

 然るべきものが来たときに、この扉を開けなさい……。




「ちょぉっと?! アンタどうしちゃったのよ!!」

 胸元から怒声を浴びて、モイラは意識を戻した。視界がまだチカチカするような気がして瞼を擦り、ぐっと目を閉じてから開く。重々しい塔の扉が視界いっぱいに広がった。

「はえ……?」

 頭がふわふわする。現実との線引きができないような、不思議な後味があり、モイラはしばしぼうっとしていた。

 急な閃光を浴びた途端、目の前に広がった光景は確かに此処――”塔の前”だった。今、立っているところで時間だけが巻き戻ったように、過去の誰かのやりとりを見た。それが一体何だったのか、理解が追いつかずにひたすら瞼をぱちくりと瞬かせる。

「……紫色の髪の人がいた」

 ぽつりと断片的な記憶を漏らすと、カナカレデスは息を呑むように固まった。

「…………その人、どんな顔をしてたの? 瞼の色は?」

 カナカレデスの質問に答えることができなくて、モイラはふるふると首を振った。分かるのは、黒い服の男と、紫色の髪の……白い上品な服を着た、柔らかい話し方をする男。それだけ伝えると、カナカレデスは鏡の中で静かになってしまった。

「…………なんだったんだろう。よく分からないけど、扉を掴んだ瞬間に、光を浴びて、男の人たちが話していて……」

 それから、鍵が光りになって、飛んでいった。

 モイラは振り返り、辺りを見渡した。光の中で見えた映像では、確かあっち。モイラは記憶を頼りに踏み出し、いつかベリルと落ち葉を拾った山林へと踏み込んだ。


 あのときは気づかなかったけれど、もしかしたら……

 

 ざくざくと落ち葉を踏みながら斜面を登ると、ほどなくして大樹が現れた。今にも踏みださんばかりに隆起した太い根、幾重もの大きな腕を広げた枝枝の笠、まるで襲いかからんとする怪物のようだ。それほどの貫禄を持ちながら、幹の中央には大きな樹洞がある。まるで腸を抜かれた傷口のようだった。

「ちょっと……これ、近づいたらまずいんじゃぁないの……?」

 胸元で揺れるカナカレデスの声が引きつっている。見上げるモイラも緊張から背筋がぴんと立っていた。じっと樹洞を見つめると、そこにある闇の中に吸い込まれてしまいそうだ。

 どうしよう……引き返した方が、良いんだろうか……。

 けれど、ここで引き返してもいつかまた此処に来なければいけないような気がする。塔の前で見てしまったあの映像は、モイラを呼んでいるような気がするのだ。

 モイラは首元のロットをぎゅっと握った。それだけでモイラの覚悟を察したように、カナカレデスも樹洞をじっと見つめた。

「……アタシ、モイラって言います。いま、すぐそこの家に住んでいます。あの塔を開けたいんですけど、塔の鍵、ここに、ありますか?」

 話しかけて、返事があると考えるのは可笑しいかもしれない。けれど、話しかける以外、どうしたら良いのか分からなかった。

 樹洞の暗がりは静かだった。午後の陽気が木漏れ陽となって差し込んでも樹洞の中は照らせなかった。それが不思議だと思った時、モイラは樹洞を覗いているのが怖くなった。

 もう、止めよう…… そう思って後ずさりを始めた時、樹洞の奥から淡い光が近づいてきた。



 淡い光は樹洞の際に止まり、徐々に形を成していく。やがてモイラの前に現われたのは、首に鍵をぶら下げた、――ふわふわの毛皮の、チンチラであった。

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