第12話 モイラと鏡の本探し(前編)――ふわふわ

 



「ついに、手を出しちゃうのかアタシ……この本に……」


 モイラはリビングの本棚の前で猫のように身を丸めていた。本棚の一番下の段には、重たすぎる本ばかりを収納してある。図鑑、辞書、資料……そして、超長編小説。丁重に扱わないと背表紙だけが剥がれる為、モイラは細心の注意を払いながら本を引き出した。ドスンと床に足を着けた一冊は分厚さ故に自立し、ページの隙間からたくさんの埃を吐き出した。


「げほ! うわぁ……っ」


 鼻を直撃する埃を払いながら、モイラはとにかく本を持ち上げてテラスまで移動した。しばらく風に吹かせておけば埃もましになるだろう。


「うう……、栞を使いたいだけにしては頑張りすぎなんじゃない? アタシ……」


 ベリルから貰ったイチョウの葉。肉厚でむっちりとした尾びれのような栞は、テラスの小瓶に活けられながら使われる時を待っている。滅多に栞を使わないモイラが無理矢理栞を使おうとするならば、手が伸びないほどの重厚な本に踏み出すしかない。結果としてモイラを新しい冒険の旅路に押し出したのだから、良いきっかけとなった。




「アンタ、そんな重たい本まで読むのぉ?」


 大窓からリビングに戻ると、カナカレデスが鏡の中から感心した口ぶりで話しかけてきた。


「そーよ! 別に本ならいくらでも読めるもの」


 モイラは胸を張って少しだけ誇らしく見せた。何時間でも没頭できるのは少しだけ自慢である。カナカレデスは珍しいものをみるように「すごいわねぇ」と漏らした。


「そんなに毎日本ばっかり読んでるんじゃ、すぐに読み終わっちゃうわね、その本棚も」


「う……っ」


 悩ましいところを突かれてしまった。二つ作った本棚のうち、半分はすでに読んでしまった。一日一冊をルールにしたけれど、越してきて一ヶ月は経っているので当然である。


「そうなのよねぇ……新しい本が欲しいなぁって思ってるんだけどさ、ロッジさんは本を売るほど余裕がないみたいだし……。本がない生活なんて、考えたくもなくて」


 最近の悩みの大きな部分であった。モイラが大きなため息をついて肩を落とすと、カナカレデスが首を傾げた。


「アンタ、この家の書斎は使ってるのぉ?」


「書斎???」


 聞き捨てならない言葉を聞いた。この家のどこかに書斎があるとは盲点である。


「二階の部屋に、たくさん本棚があるでしょ? その感じだと、なくなっちゃったのかしら?」


 くてりと首を傾げるカナカレデスの言葉は的外れだった。この家に来てから二階は寝室として使っているけれど、本など一冊も見ていない。本棚として使われていたと思われる棚はあるが、すでにモイラの洋服が収まっている。


「期待させないでよー……。ご長男が持っていた本は一冊もないよ」


 前住人、クリオール家のご長男の話はカナカレデスから聞いた。まるで突然いなくなったかのように前住人の名残を残すこの家も、前住人の個人的なものは見当たらず、本や紙類とて切れ端すら見当たらない。モイラは持ち上げられた分だけがっくりと肩を落とし、気分は地の底である。しかしカナカレデスは納得がいかないようだった。


「え~? なんでないのよ? どっかにあるわよ、絶対!」


「ふえ?」


 どっか。どっかとは何だ。モイラは怪訝な眼差しを向けた。


「そんなふわふわした話、相手にしてられないよ。アタシは今から超長編小説の世界に没頭するんだから!」


 モイラは腕を組んでツンとそっぽを向いた。今日は読書+栞を使うという楽しみも待っているのだから、ふわふわした話に付き合うほど暇ではない。ここは譲れないのである。


「あの方はたくさん本を持ってたわよぉ? それはもう二階の部屋の壁は一面の本棚! 詩を書くのもお好きな方だったし、洋紙だってインクだって歴史書だってたくさんあったんだから!


「い、一面の本棚?!」


 耳聡く拾い上げた単語の引力は強い。モイラはうっかり振り返ってしまった。


「リビアで買い付けた小説もたっくさんあったわねぇぇ……、海の向こうの国から買い付けた自叙伝もあれば、童話だってあったし、ページをめくったらコビトが飛び出す不思議なやつも持ってた気がするわぁ……」


「本から、コビト??」


 魅惑のワードが次々にモイラの脳内に入ってきて大渋滞を起こしている。摩訶不思議なコビトが飛び出す本に至ってはハイカラ過ぎて理解が追いつかないが、確かなのはモイラの物欲を爆上げしていることだ。


「何処に隠してあるのかな~、見つけたら本がたくさんありすぎて本屋さんになっちゃうなぁ~、私はご長男の遺物が紛失してないことが分かれば良いから、アンタが探してくれさえすれば両得なんだけどなぁ……」


「 探 し ま す ! ! !」


 モイラは壁面に両手を突いて鏡を覗き込んだ。カナカレデスは「ひ!?」と引きつった顔で身を引いていたがそんなのはお構いなしである。どんなに鼻息を荒げていても目を血走らせていても、この鏡にはモイラの本当の顔は映らないのだ。


「何処!? どこにあるの!?? 教えて!?」


 今日の仕事は本探しに決定。ただしかなり難航する。ヒントはとってもふわふわしている。

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