第10話 誰かさん
アタシのスローライフを構成するもの。1にブランチ、2に読書、34は睡眠、5はお風呂……掃除洗濯お料理、菜園のチェックに、カナカレデスとのチェスと、郵便受けのグリフォン像を磨くこと。これ以外にも何かしないといけないとすれば、”仕事”をすることだと想う。
自給自足生活の極意その7 仕事をして収入を……、あれ、どうしたらいいんだろう?
「お金って、どうしたら貯まるのかしら」
モイラはリビングのテーブルに財布の中身を広げていた。定期的にやってくるロッジに装飾品を買い取って貰って以来、お金を貰った記憶が無い。実入りがないままでは金は出て行くばかりになる。ついに収入を考える時が来た。
すぐに思いつくのは物を売ることでこれは実践済みだが、品切れという終結が予想されるので頻発できない。その上、カナカレデスの話を聞いて以来、”誰かさん”の遺品を勝手に売りさばくのは気が引けてしまった。そうなると別の物を売るしかないのだが、そもそも何なら買って貰えるのだろう。
「そもそも誰からお金もらうの?? 通行人も滅多に通らないしなぁ」
お金を持っている者に対して商売を行うしかないとはいえ、ここ最近で通りを横切ったのはベリルとロッジと……ホッパーくらいだ。そのホッパーを見かけたのも一週間ほど前のこと。それ以来誰も通らない。
モイラは夕陽に照らされたホッパーの背中を思い出した。大きな籠を背負って大陸に向かっていった彼は今頃どうしているだろう。エストスには辿り付いただろうか。
「ホッパーはなんで大陸に向かったんだろう……」
エストスは内戦中という。年若い少年が向かうには随分危険を伴うはずだが、彼はそれを知っていたのだろうか。エストス以外の村や町に到着していれば良いのにと願うばかりで……心配は尽きない。
「アタシと一緒で、家出したのかなぁ」
彼の家の事情は分からないし、そういえばまともに話したこともないけれど、一緒に栗作業をしていた仲ではあった。一つ星を一緒に見上げたあの頃を想ううち、モイラは眠りについていた。
**
「……あれ?」
次の日、ブランチを終えて本を読んでいるモイラの耳に足音が聞こえてきた。なんて珍しいと想い、通りに目を凝らしてみると、それはホッパーであった。今度は大陸から村に向かって通りを下ってくる。
「え?? 戻ってきたってこと?」
モイラは信じられないものを見たように素っ頓狂な声を上げた。目を白黒させていると、通り過ぎる筈の少年が足を止める。庭の柵越しにお互い目を合わせた。
「……あ」
どうしよう、すっごく気まずい。
子供の頃一緒に作業していただけで、仲が良いわけでもない。それは互いに分かっていることなのに、ホッパーもホッパーでモイラを見据えて動こうとしない。ホッパーの微妙に困った眉と大きな瞼が物言いたげにモイラを眺めていた。
「……えっと、……久しぶりね。何処に行っていたの? 長いお出かけだったのかしら?」
モイラは頬を引きつらせながら笑いかけた。挨拶の一つもしないのはやはり不自然だと想ったからだ。しかしモイラが期待したようなそれなりの愛想も、他愛ない挨拶すらホッパーから返ってくることはなかった。
(うわー……)
なんて静かで重い空気だろう。今すぐにでも家の中に引っ込んでしまいたいとすら想う。どうして挨拶の一つも返してくれないのかと居たたまれない面持ちでいると、ぐぎゅうううと大きな腹の音が響いた。
モイラはぽかんとした。そんな腹の音を鳴らすのは、モイラでなければ一人しかいない。ホッパーはぴくりとも動かない表情を真っ赤に染めて立ち尽くしていた。
「お腹が空いていたのなら、言ってくれれば良かったのに」
モイラはホッパーをテラスに招き、ブランチの作り置きを出してやった。山菜の酢の物とハーブ、レバーパテを塗り込んだバンズを紅茶で流し込みながら、ホッパーは夢中で頬張っている。
「ねぇホッパー、何処に行っていたの? 一週間くらい前には大陸に向かって歩いていたでしょ?」
こんなことを聞くのは興味本位でしかない。けれど自分より年下の彼が一週間も出かけていた理由は気になって仕方が無かった。
「色んなところに行って、物を売ってきた」
リスのように膨れていた頬の中身がゴクンと嚥下された途端、ホッパーは早口で教えてくれた。どうにも食べていたいようで、バンズに再びかぶりついて口の中を忙しくしている。モイラはホッパーのカップに紅茶を足してやりながら、「エストスで何か売ってきたの?」と言い換えて問い直した。
「この道をまっすぐ行ったらエストスに着くって、アタシの知り合いも言っていたわよ。それともエストスの手前に村とか町があるの?」
「通りを外れれば他の村も町もあるけど、ホルトス村とあんまり変わらなかった」
ホッパーは残り一切れとなったバンズで皿中を磨きながら答えてくれた。皿に落ちたソースも具も一粒残らず拭い取ってから口に入れ、食べ終えれば指についた脂までしゃぶり出す。真っ赤になるほど吸いつかれたホッパーの指先を見ていると、どれほどの空腹に苦しんだのか想像も付かない。
「エストスはおっきい町だった。兵隊とかいっぱいいたけど、露天商に混じって物を売ってる分には怒られなかった」
全ての指をしゃぶり終えたホッパーはハンカチで指を拭い、おもむろに自分が持っていた籠を引き寄せた。芝生の上に下ろしていた籠の中身を覗かせてもらうと、教会の暦や栗粉で作ったニョッキ、乾物などの売れ残りが入っていた。一週間前にはあふれるほど持っていた商品は、籠の底が見えるほど減っている。
「すごい! こんなにたくさん売れたんだ……ホッパーは商売上手なんだね」
「エストス人は珍しいものは買うんだと想う」
口数は少ないし、あまり感情を出さないホッパーがどうやって物を売るのかは想像がつかないが、籠の中には”売りさばいた”実績が積められている。モイラは素直に感心してしまった。ホッパーは商人になる才能があるのかもしれない。
「…………手、だして」
モイラが感心していると、ホッパーはおもむろに拳を突き出した。なにかと思いながらも言われた通り手のひらを出すと、モイラの手のひらには小銭が数枚落とされた。
「……え? ホッパーなにこれ? 何のお金?」
「ごはんの代金」
「え?」
コロコロとお金を数えると、ブランチにしては高めの金額が払われている。モイラはぎょっとした。
「いらないよお金は。アタシ別に、お金が欲しくてご飯を出したわけじゃないし」
「駄目」
モイラが小銭を突っ返しても、ホッパーは首を横に振るばかりで受け取る素振りを見せなかった。それどころか椅子から立ち上がると、籠に手を伸ばして背負い上げた。
「お金で解決する方がシンプルで良い。情けとかいらない」
ホッパーが動くと小銭のじゃらつく音がする。きっと商売で得たお金なのだろう。一ヶ月も会わないうちに随分と損得勘定が上手くなってしまった旧知の彼が、モイラには遠い存在に思えた。
「……そっか、分かった。ありがとうね」
突っぱねられたような寂しさが残るが、ホッパーを尊重して受け入れることにした。大変な時期に村を出て行った自分の身勝手さを思えば、ホッパーによく思われていなくても仕方が無い。モイラは小銭をぎゅっと握り、精一杯の笑顔を向けた。
「ごちそうさまでした……」
ぺこりと軽い会釈をすると、ホッパーは踵を返した。モイラも通りに出るまでは彼に寄り添い、門の戸を開けてやった。
「気をつけてね」
ホルトス村までは下り坂だが、いかんせん距離は遠い。時刻は正午を過ぎた頃とはいえ、子供の足では日が暮れる前に到着はできないだろう。そんな心配をしたことが気に障ったのか、振り返ったホッパーの顔はむすっとしていた。
「……あ、ごめん。余計なお世話だった?」
モイラが肩を竦めると、ホッパーはついと瞼を反らした。モイラよりも年下なこの少年がどうにも掴みにくくて困ってしまう。次第に空気が重くなるのを感じていると、ホッパーは目を反らしたままぽつりと呟いた。
「はえ??」
思わず耳を疑って、少年の顔を覗き込もうとしたが、一足先にホッパーは走り出してしまった。
無謀なほど全速力で走り去る背中は、あっという間に見えなくなった。何をそんなに急いでいるやら全く分からないけれど、最後に少年が漏らした呟きは、しっかりと聞こえていた。
『おいしかった』
「……ふふ」
微笑むモイラの髪を、秋風が揺らした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます