第7話 秋は夕暮れ

秋は夕暮れ……世は――なんだっけ。



 モイラは陽が陰り始めたテラスで空を見上げながら、最後の一語を思い出していた。

「なんだっけなぁ……」

 青銅製のテーブルの上には乱雑に製本された紙類が置いてある。紙はそれなりに高級な物品のはずだが、この”詩”を書いた者は一枚に一句残してどんどんページを使っている。あらゆる国の言葉を書き留めただけのもののようで、 新旧も紙質もてんでばらばらなものを紐を通して製本し、表紙と背表紙をどうにかくっつけただけのこの本は、モイラの母が大事にしていたものだった。

「あ~~~、思い出せない。てゆうか虫食いとか本当に萎えるわ……」

 学校でならう虫食いの問題みたいに、最後の一句のところだけ綺麗に穴が空いてしまっていた。答えが思い出せない所為で、日が暮れるまで頭を悩ませている。今日の読書に選んだこの一冊はとんだ問題児だった。

「夕暮れと世の中に何をかけるのかなぁ……」

 見上げる空はすでに雲を橙色に染めている。紫色と橙のコントラスト、もっと陽が傾けば陰が黒くなる。夏の風も過ぎ去って、秋を感じる肌寒さを覚えもした。夏がない今年、それでも暦通りに気温は下がる。


 世は……、世は、なんだろう。


 自分にとっての、世とはなんだろう。ここ最近の身の回りを考える。

 引っ越してきた家は「半島の門」にあり、塔を持っている。

 前住人は聖職者で、その所為で精霊族のベリルが菜園の世話をかって出て、自給自足の畑を手に入れた。

 グリフォン像のおかげで、この地は悪いものから守られていて、一人暮らしも安全だ。

 リビングの鏡はうるさいけれど、近づかなければ害はない。

 あとは本を読んでブランチを取るだけの毎日だ。

 ……なんだかんだ、思い描いたスローライフに近づきつつあるんじゃない? アタシ。


「世は……勝ち組? なんちゃって。あはは」

 良いように解釈をして、一人で笑い飛ばしてみる。不安なこともあるし、知りたいこともたくさんあるけど、もっとゆっくりまったり生きていてもいい。モイラを急かすものは何もないのだから。


 とりとめの無いことをぼうっと考えていると、――コツコツ、と足音が聞こえた。

久しぶりに通行人だろうか。けだるげに視線を通りに向けると、大陸に向けて進んでいく通行人の姿を見つけた。

「――あれ?」

 モイラがふと声を漏らすと、通行人も足を止めて振り返った。それはホルトス村の住人であった。

 ホッパーだ。

 モイラはすぐに彼の名前を思い出した。ホルトス村に住む15歳ほどの少年で、いつも村の手伝いに駆り出されていた子だ。まだ幼い彼は農園に連れて行かれることはなく、モイラと共に村で仕事をしていたが、落ち着いて話したことはほとんどない。

 ホッパーは背中に籠を背負っており、そこに布を巻いたものや食品の袋などを入れていた。

 どういうこと? その方角は大陸に向かう順路だよ?


 ベリルがやってきた大陸――エストスという国があって、内乱の最中だと聞いている。半島を縦断する一本道を大陸に向かえばエストスが、海に向かえばリビアがある。ホルトス村の住人なら仕入れはリビアに頼る方が効率は良いので、昔からそうしてきた筈なのに……それを逆方向に向かう理由がわからなかった。

 ホッパーは足を止めて黙ってモイラを見つめていた。彼の目元がふとモイラからテーブルの上の本に移動した気がして、モイラもなんとなく本の紙面に視線をくれた。


 秋は夕暮れ、世は――

 


答えの出ない一文が紙面にぽつんと置いてある。モイラが顔を持ち上げると、ホッパーは足早に通り過ぎていった。籠を揺らす背中を橙色の日差しが照らしている。

「…………アタシ、何してるんだろう」

 モイラはチェアの上で膝を抱えた。答えの見えない一句をいつまで眺めても、答えはみつからなかった。

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