第4話 置物が引き寄せるもの(後編)――琴

 


 わたくしはベリル。信仰ある地に豊饒をもたらす精霊族のうち、落ち葉を導く者なのです。この家の前の山道を、大陸に向かって進んでいくと山脈が終わり平野が広がります。そこにはエストスという大きな国がありまして、わたくしども精霊族はエストスが信仰する聖人と契約し、彼の地を豊饒の地に変えました。

 ところがエストスは新しい王が即位したことで内戦が始まり、わたくしどもは国から追放されてしまいました。我々は常に信仰ある民と共存する種、人々の祈りなくして生きることはできません。より良い地を探すために精霊族は散り散りになり住み処を探して彷徨うことになりました。

 わたくしは大陸の外れにある半島に向かう途中でした。この山道の果てにあるリビアという国ならわたくしどもが求める民がいるかもしれない。そう思ったのです。


「で、三日三晩山道を下っているうちに、アタシの家の前までやってきた。力尽きる寸前に郵便受けの上に置いておいたグリフォンを見つけて縋り付いたら”信仰”の力を吸い上げることができて、ベリルは一命を取り留めた……ってこと?」

「ご名答!」


 ベリルは落ち葉が満杯になった籠を抱えながら、満面の笑みで親指を立てた。モイラはどうにもベリルの勢いについて行けず苦笑を漏らす。この勢いに負けて結局、家の裏の山林で落ち葉を拾う羽目になったのだ。

「モイラ様の信じる神はどなたですか? やはりグリフォンを加護に持つ聖人ということでしょうか?」

「アタシが住んでいた村からは聖人が出たことがあるみたいだけど、アタシは別に信仰に熱心じゃないわよ」

 モップから竹ぼうきに変わった手元で落ち葉を掃きながら、モイラはぶっきらぼうに返した。ホルトス村には確かに教会があるし、そこには村出身の聖人が遺した”琴”が奉られている。しかし村全体が宗教に熱心というわけではなかった。

「ホルトス村は土地に恵まれてなくて自営できないのよ。だからお金を稼ぐために男衆は隣の村まで農業の手伝いをしに行ったくらい。信仰で飯が食えないのはよく分かっているから、信仰を手放したのかもね」

 信仰ある地に豊穣をもたらす精霊族にとって皮肉を込めたつもりだが、ベリルは真剣な顔つきで頷いた。

「確かに、この山はとても偏食で代謝が悪いようです。多彩な食材を育てるというよりは決まったものを多く採るタイプですね。これでは今年の夏は苦労されたでしょう?」

 偏食や代謝という言葉はモイラには分からない表現だが、夏の苦労という言葉には思うことがある。モイラは苦笑を漏らした。

「そうね、夏がない年なんて初めてだったわ」


 今夏の大災害、夏がない年。

 引き金は大陸で一番大きな火山が噴火したことだった。空は雲に閉ざされ、風下にあった国は壊滅的な損害を被った。モイラが住んでいたホルトス村――最端のリビアに至っては火山灰の被害は無かったが、異常な積雪、河川の凍結、梅雨には大洪水、その次には異常な高温――気象異常は四季をまるで無視し、暦上”夏”と呼んでいた期間は本来あるべき恩恵をすべて失った。ホルトス村の男衆が出稼ぎに出ていた農園も何ひとつ実らなかった為、食い扶持までも失ったという。


 村全体でどう生き抜くか、協力して乗り越えようと手を取り合う最中、モイラはその手を払って村を出た。


 そんなことまでベリルに話す筋合いはない。モイラはふうと息を逃した。

「ろくに信仰心がないから、運に見放されているのかもしれないわ。そんなわけで、あのグリフォンはアタシの物じゃないの。前の住人の持ち物よ」

 脱線した話を元に戻し、ついでに庭に戻ろうと持ちかける。ベリルも頷いて籠を抱え直した。

「モイラ様より前に住んでいたお方は、聖職に就いていらしたのかもしれません。長いこと放置してもあれほど強い聖性を残せるとは、恐れ入ります」

 そういえば装飾品の中には貴族が持つような蔦と天使をモチーフにした金細工や、ロザリオなども目に付いた。前住人の詳細を全く知らないモイラにとっては朗報でもある。



この家に住むことを許す村長も、性格が悪いよなぁ……



 以前ロッジがぼやいた言葉が脳裏をよぎる。訳あり物件なのかと少しばかり疑ってはいたが、前住人が“聖職者”なら幾分気が楽になった。

 モイラがほっとしたのもつかの間、ベリルは籠いっぱいの落ち葉を抱えながら「あれはなんですか?」と漏らした。ベリルの視線の先は、木々の隙間から見下ろす我が家の屋根と、その隣に立つあの塔だった。

「私も引っ越してきたばかりだから、まだ解らないの」

 正直なところを告げると、ベリルは「そうですか」と頷いた。

「あれだけ高い塔なら、鳥が巣でも作っていないかと思いまして! 卵の殻でもあればよりよい肥料をお作りできますし」

「落ち葉を導く者って、鳥の力も借りるの?」

 ガサガサと葉や茎を踏みながら家の裏まで戻ってくると、塔の全容を見ることができる。塔の入り口は閉ざされているが、施錠はとくにされていなかった。

「落ち葉を導く為には様々な生き物の力をお借りします。虫に、鳥に、土に……詳しくお話しましょうか?!」

「…………遠慮するわ。野菜がしっかり育ってくれればアタシは満足よ」

 モイラはげんなりしながら庭先へと向かった。

 何気ない日常の中で”塔”を置き去りにしている自覚はある。なんとなく、まだいいやが続いている。


 自給自足生活の極意その5 臭いものには蓋をする。





「さぁモイラ様、準備が整いました!」

 裏の山林から取ってきた落ち葉は菜園に隙間無く撒かれた。その後はベリルが詠唱したり火を放って消したり呪術めいたことをしていたが、モイラにはその効能がさっぱり解らない。

「……これでこの畑は実るってこと?」

「はい! 毎日丁寧にお世話してくだされば必ず美味しい野菜が育ちます! まずは裏山の苔畑から取れる朝露を毎朝飲ませ、卵の殻を砕いて撒き、センの実を砕いて振り……」

「ちょ、ちょ、待って?? 多くない??」

 ベリルの長い指が次々と折られ、その度に無茶ぶりのような課題が増えていく。こんなに苦労するのはモイラの思い描いていたものと違う。

「毎朝、そんなに大変な思いしないと、この菜園は育たないの??」

「はい。元々代謝の悪い山ですし、今年の大災害により土の栄養はすっからかんですから」

 相当なケアをしない限り、この地での自給自足は厳しいですよ! ベリルは親指を立て満面の笑みである。正午を回った陽光に照らされて二重の意味で眩しかった。

「う、うそ……舐めてた……。一人暮らしの食い扶持なんてどうにでもできると思ってたわ……」

 モイラは庭土に手を突いて座り込んだ。ロッジの露天商を利用するにしても金は減るばかりだ。いずれは物々交換を持ちかけたり、買う量を減らさなければならないとは思っていたが、生活の基盤を築くコストが高すぎるのは痛恨の極みであった。

「……どうしよう……アタシの、毎日ブランチして本を読みあさるだけの日々が存続の危機だわ……畑の世話だけで日が暮れる……いつ本を読めるの……」

「モイラ様……?」

 庭に突いたモイラの指先に彼草色のローブが触れる。顔を上げるとベリルが長い身体を折り曲げてモイラを覗き込んでいた。

「もしご負担になるようでしたら、わたくしが毎朝畑の世話をいたしましょうか?」

「え?」

 思わず素っ頓狂な声を漏らした。

「わたくしでしたら、モイラ様がまだお眠りの間に土壌の世話を終えることができますよ」

 なんたってそれが生きがいの精霊族ですし。ベリルは取るに足らない事のように持ちかけて首を傾げている。

「え……? だって、貴方はリビアに行くんでしょう? 毎日この菜園を世話するって、どういうこと……?」

「リビアに向かったとしてもわたくしどもが求める”信仰する民”がいるとは限りません。わたくしも仲間を呼び寄せる前に色々と調べる必要があります。しかし生きる糧が無ければ滞在することも適わないんですよ。つまり……」

 ベリルは立ち上がり、スタスタと門の前まで移動した。郵便受けの上のグリフォン像にそっと寄り添い、その場で膝を突いた。

「今、この状況でわたくしの生命をつなぎ止めて下さる”信仰”の力をお持ちなのはこのグリフォン様のみ! わたくしはしばらくこの地を拠点とし、グリフォン様のお力を借りながら、リビアをリサーチすることと致します。あ、ご安心下さい。モイラ様の菜園はその間しっかり育てますので」

 ベリルはそこまで話し終えると、長い指先を絡めてグリフォン像に祈りを捧げ始める。モイラは相変わらず庭に手を突いたままぽかんとした。


 え? つまりどういうこと……? 

 ベリルはグリフォン像の持つ信仰の力を借りないと生きていけない。

 此処にやってきた理由は、リビアが移住できる国であるかリサーチすること

つまり、リビアを調べる間、この家にしばらく居候したいってこと???

 家賃代わりにアタシの菜園を育てることを条件に???



「む、無理無理無理無理!!!」

「はい?」

 モイラは顔面蒼白で立ち上がり、ベリルに駆け寄った。ベリルは脳天気な声を漏らして首を傾げる。

「いやよ! 今日会ったばかりの男の子と一緒に住むなんて!! 置物なら持って行って良いって言ったでしょ!? 置物の代金代わりに菜園をすぐに仕上げて、とっととリビアに向かってくれたらどうなの!?」

 土壌の世話が途方もなさ過ぎて察知できなかったが、ベリルの話は親切な雰囲気があるだけで、自己中心的に結論を決めている決意表明みたいになっている。冗談じゃない。モイラはグリフォンを指さしながら捲し立てた。

「モイラ様、土はそんなにすぐに仕上がりません。痩せた豚を太らせるにはどうしたって食事を取らせる時間が必要です」

 ベリルはしれりと現実を突きつける。

 精霊族なのに!? とモイラは心の中で叫んだ。精霊族がどういう生き物なのかよく解らないが、魔法みたいにちゃっちゃと仕上げてくれることを期待してはいけないらしい。毎朝のルーティンの話があった事を思い出し、モイラはぐっと口を紡ぐしかない。

「それに、グリフォン様はこの家からお出になる事を良しとされないのです」

「へ?」

 今度はモイラが首を傾げる番になった。ベリルは視線をグリフォン像に向け、耳元に手を添えて尖った耳を澄ませた。

「今朝方もそうでしたが、わたくしにはずっと”琴”の音が聞こえるのですよ」

「琴の音……?」

 モイラは眉を寄せた。そんな音はここに住んでから一度も聞こえた事が無い。

「そう。グリフォン様のお声は琴の音に似ていらっしゃる。わたくしが力尽きそうになり、足を止めようとした時、何度も琴の音が聞こえてきました。”此方に来い””あと少しだから歩きなさい”と、語りかけるように」

 だからわたくしはモイラ様の家まで歩いて来られたのです。そう付け足してベリルは耳から手を下ろした。精霊族には聞こえるものなのだろうか? それにしたってどうして琴?

 ふと、モイラの脳裏に教会に奉られた琴の存在が過ぎった。信仰に熱心ではない村人が、それでも奉る琴の存在と、関係しているのかもしれない。


 前住人は聖職者で、琴の音で話すグリフォン像を持っていた。

 そして半島の門と言われるこの家、塔の存在。

 改めてこの家は何の為にあるのだろう。


 モイラはここ最近の出来事に首を捻り、難しい顔で唸った。

「……モイラ様、ちなみにわたくしは自然の摂理の中で生きる精霊族ですから、家の中には住みません。たまに庭に入る許可を頂ければ、あとは山の中で過ごしますので」

 ベリルがそっと様子を窺うように言葉を添えた。モイラが真剣に悩んでいる理由を取り違えたらしい。とはいえ、モイラが一番気にしていた部分を拭ってくれた事には変わりなかった。モイラははっとして顔を上げ、「そうなの?」と安堵の息を漏らした。

「そ、それならまぁ……」

 互いの距離感を守ってくれるなら、悪い判断ではないかもしれない。ぐるぐると考えていると、この家に対する不安が生まれてくるようだ。モイラは漠然としたモヤモヤ感を胸中に秘めながら、ベリルの居候(庭とその周辺に生息するスタイル)を承諾したのだった。

 

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