第3話 置物が引き寄せるもの(前編)――落葉

「本棚の整理完了! 今日の仕事はこれにて完遂!」

 リビングに置いてある装飾品用のショーケースは、小一時間のうちに大量の本を詰め込まれ本棚に変わった。モイラの家で2台目の本棚の誕生である。

 ついさっきまでは1つの棚に破裂するほど本を詰めていた。それが分散されたことで見栄えが良くなった上に、本を引き抜くときに背表紙が剥がれる心配をしなくて良い。本好きにとって最大のストレスがなくなり、モイラは上機嫌だった。

「で、これはゴミっと。ロッジさんが引き取ってくれるか相談しよう」

 元々棚の中に飾ってあった装飾品にどんな価値があるか、モイラでは見当もつかない。飾られた当初はキラキラ輝いていたのかもしれないが、布で拭っても表面がくすんでいるものばかりで、この品々に価値があったのは気が遠くなるほど昔のことだと解る。

 行き場を失った多数の装飾品は、庭先に出しておくことにした。草むしりを終えて元の赤土を見せた庭の端には、野菜の種をまいただけの”小さな菜園”も完成している。装飾品はどれも奇抜な形のものが多いので、害獣対策も兼ねて菜園の脇にまとめることにした。

「あ~これ知っているわ、グリフォンね!」

 何度か庭と家を往復するうち、モイラはとある置物に目を留めた。よく見れば伝説上の生き物で、王冠やマントを着けた大理石の置物であった。

「こんなのリビングに飾るなんて趣味悪いわ~! 前の主人って成金なの?」

 モイラはケラケラ笑いながら庭先に出ると、グリフォンを門に備え付けの郵便受けの上に置いた。

「アタシの家を守ってね、なーんて。魔除けくらいにはなるかしら?」

 まぁ、魔も聖も人も全く通らない道ばたの家なんだけど。

 ここに住んで二週間が過ぎたが、やってきたのはロッジか野生動物くらいなもの。今日も一日誰とも顔を合わせることなく日は暮れる。モイラは装飾品をすべて庭に出し終えると、明日読む本の選別に取りかかるのだった。





「うおわあああああああっっ!!!」

 それは朝まだきをつんざくような悲鳴だった。



「ふあ????」

 夢の世界も胡散をするほどの絶叫に叩き起こされたモイラは、いっそすがすがしいほどにぱっちりと目を覚ました。寝癖がついた髪を揺らしながら半身を起こして窓を覗くと、事の原因は明らかとなった。


 家の門の前で蹲っている者がいる。


「え? なに……? 人がいる?? てゆうか怪我??」

 ロッジを除けば初めての通行人である。故ににわかに信じられず二度見してしまった。初めての通行人が怪我? こんな時間に? まだ夜も明けきらないのに?? モイラの頭の中は?マークの大渋滞がおきている。

 こういう時に虫食いだらけのカーテンは便利だ……怪しい人に見つからずに見張ることができる。モイラはカーテンの虫食い穴から外の監視を続け、注意深く様子を見張ることにした。すると、外が明るくなるにつれ、その者が蹲っているのではないことに気づいた。

「Gud!! du var här, eller hur? Jag har letat efter dig!!」

 聞こえてくる言語はモイラには聞き取れない。声色だけでは男か女かも判別できない。解るのは、怪しい人物は怪我をしているわけではなくひれ伏しているということだ。


 何に? 昨晩、郵便受けの上に置いた、グリフォンの置物に。


「うわー……、思いっきり訳わかんないものを引き寄せたわね、あの置物」

 魔除けのつもりが、朝一で変な者を引き寄せたようだ。モイラはげんなりしつつ、息を潜めて怪しい人物が去って行くのを待つことにした。


 ところがその者は中々帰ろうとしなかった。それどころか修道士のように神に祈りを捧げ始めて一時間、……二時間、朝陽を浴びる頃にはすがすがしい笑顔で天を仰いでいた。


「ほんっとに無理……。なにあれキモい……」

 モイラは鳥肌がたつ腕を摩りながら眉を寄せた。人の家の前で置物を拝む青年の――枯れ草色のローブを纏い、尖り耳を持ち、茶色の短髪という風貌から男だと判別した――やりきった笑顔がまた癇にさわる。

「あ!!!」

「ひえ??」

 気色悪い表情(モイラ目線)で笑っていた青年とばっちり目が合ってしまった。青年が長居をするうちに、気が緩んでカーテンの隙間から顔を出していたのが仇となった。

「これはこれは! おはようございます! 家主様でいらっしゃいますか!?」

 途端、青年の声が耳を突いてモイラは顔を顰めた。甲高い声という訳ではないのだが、なぜか木枯らしみたいな冷たさと痛さを耳たぶに感じる。モイラは耳を押さえながらそっと窓を開け、じとりと青年を睨んだ。

「そうですけど……」

 青年に聞こえるか聞こえないかの小さな声で答えたが、青年の表情がぱっと明るくなったので、しっかりと聞こえているのだと解った。

「わたくし、住み処を追われて旅をする者にございます!! 三日三晩山を下って、もう力も尽きるというところでしたが、こちらのグリフォン様にお助け頂きました!! ぜひお礼をさせて頂けないでしょうか!!」

 青年の爛々と輝く眼差しは二階にまで届くのに、モイラが注ぐ不機嫌な眼差しは届かないのだろうか。怪訝なものを睨む威圧的な視線を送ったつもりなのだが、お礼などと言われてしまった。

「……いや、お礼とか結構です……その置物を気に入っていらっしゃるなら、持って帰ってもらって良いんで……そろそろお引き取りくださいませんか……」

 モイラはひらひらと左手を揺すった。あっちに行ってくれとジェスチャーしたつもりだが、青年はあんぐりと口を開けて震え始めた。

「持っていっていいだなんて!! なんて徳の高いお方だ! 解りました! わたくしも精霊族の名にかけてこの地を豊饒させ、今日のご恩をお返しすることと致します!!」

 青年は何を取り違えたのか、感極まった様子で拳を握って突き上げた。よく分からない決意表明をしてうんうんと頷きながら、涙まで堪えている。

「…………」

 モイラは大きく首を傾げた。この青年の言いたい事がいまいち理解できない。三日三晩山を歩いて疲れてしまっているのだろうか? いや、グリフォンが救ったと言っているし、見たところ彼は元気だからモイラが心配することは無さそうだ。


 うん。なんかこの人と関わるのは止めておこう。ろくでもないことが起きる気がする。 自給自足生活の極意その4 変な奴に敷地を跨がせない である。

 


 ところがそのとき、ガチャと門を開く音がした。

「失礼します!!」

 モイラが気づいたときにはすでに遅く、青年は勝手に庭に踏み込んだ。

「ちょっと待って???????」

 慌てふためくモイラを余所に、青年は庭中を歩き回る。一体何が起きているのか理解が追いつかないモイラは、ベットから飛び起きて階段を駆け下りた。いざという時のためにモップを掴んで玄関から飛び出ると、枯れ草色のローブが菜園の前にしゃがみこんでいた。

「う~~~~~~む、この土では野菜は育ちません。これは大災害が原因というよりは元々代謝の悪い山だということでしょうか」

 青年はひたすら土を弄りながら考え込んでいるようだ。その様子をだいぶ距離をとって覗き込んでいたモイラは、青年が何をしようとしているのか全く解らなかった。

 やがて青年はモイラに気がつくと、立ち上がりくるりと向き直った。すると青年の身体はひょろりと長いばかりか、モイラより頭2つ分は大きかった。モイラは思わず「ひぃ」と竦み上がってしまった。

「家主様! この辺りの土はそのまま使うことはできません。特別な処置が必要になります。そこで、わたくしにお任せいただけませんか?! わたくしならこの庭を豊饒の地と変えることができます!」

「いや…………処置とか豊饒? とか言う前に、勝手に人の家に入らないでほしいんだけど……」

 モイラは首が痛くなるほど高いところにある青年の顔を見上げ、モップを持つ手に力を込めた。何かを強く握っていないと震えが声に出てしまいそうだ。しかし青年はそんなモイラの様子を気に留めず、まるで子供のように目を輝かせていた。

「家主様、細かいことを気にしてはいけません。家主様にとっては良質な土壌を手に入れるチャンスです! さぁわたくしと共に落ち葉を拾いに行きましょう! 落ち葉さえあればわたくしが肥料をこさえます!」

 青年はローブを翻して山を指さした。まるで遠足にはしゃぐ子供のような姿が朝陽に照らされて眩しい。しかし意気揚々と落ち葉の必要性を訴える青年に対して、モイラの心は冷め切っていた。

「……なんで落ち葉?」

 言いたい事は山ほどあるが、妙にその言葉が耳に残った。青年は爛々と輝く瞼を細めて笑い、平たい胸板をトンと叩いた。

「わたくしは精霊族のベリル! 土地を豊饒させる為に”落ち葉”を導く者なのです!」




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