第2話 吐息

「もー憂鬱!」

 モイラはベットの上でひっくり返った。煌々と星が輝く夜空を眺める気力すらも失せていた。

「ロッジさん本当に性格悪いなぁ……」

 


気をつけるんだよ、ここは”半島の門”なんだから


この家に住むことを許す村長も、性格が悪いよなぁ……



午前中に日用品を売りに来た露天商ロッジの言葉が頭から離れずにいた。

 意味深である。そう含みを持たせられると気になって仕方が無い性分なのだ。

「この家に何かあるの……?」

 モイラは天井を眺めながら考える。そういえば村を出る時に、ロッジと同じようなことを祖母も話していた気がする。その時は引っ越しの荷造りが忙しくて禄に相手にしなかったような……。

 視界を覆うようにふわりと翻るカーテンが、ホコリを浚っていく。夜風の冷たさに気づくと、窓を閉めるために身体を起こした。外は真っ暗だ。

 は……と吐息を漏らしてみる。まだ白く染まらない吐息は宵闇に溶け、冬の到来が大分先だと教えてくれる。なんせまだ夏の終わり。これから秋を迎えて、冬支度はそれからだ。そういえば冬になれば宗教的な行事も多くなる。

「このモヤモヤを早く解決しないと、安心して冬を迎えられないわ」

 モイラはガラス戸を軋ませながら窓を閉めると、ベット脇の小棚においたランプを手に取り、階段を下った。

 モイラの家は2階建てである。長く空き家のまま放置されていた割には設備も衰えず頑丈な造りをしている。半島特有の黄色い土が長持ちの一役をかっているそうで、遠くからでも悪目立ちする外観を除けばかなりの好物件だと思っていた。実際に家の前まで来てみれば、家の裏に煙突みたいに長い塔があることと、半島を縦断する山道の”道ばた”に建てられているという難点も追加されたが、モイラの定住を阻むほどの問題にはならなかった。そんなことよりもホルトス村から退散することの方が大事だった。

「えーっと……」

 モイラはダイニング脇の棚にランプの明かりを翳す。まだまだ部屋は片づかないが、実家から持ち出した大量の本だけは棚に押し込んである。

「自給自足生活の極意その2、わからないことは本に聞くべし……」

 ぼそぼそと独り言を漏らしながらランプの明かりを頼りに背表紙を追いかけていく。棚にみっちりと詰めてある本は幾何学模様のパズルのようだ。なにせ実家にある本をかき集めてきたのだから、古いものだって多い。半島の歴史に触れるものもあれば、訳あり物件に触れる本だってあるはずだ。モイラはひたすら背表紙と会話しながらアンテナに触れる本を探した。

「あら?」

 ふと目に留まる一冊があった。モイラは本の背に爪先を引っかけて凝視した。

『美女と野獣』

「…………これ、すっごい読みたかったやつ!」

 みっちり棚に詰まっている本を思い切り引き抜くと、釣られた何冊かがばたばたと落ちていく。しかしそんなことに構っていられず、モイラは本を持ったまま小走りでベットに戻っていった。

「明日の読書はこの子に決定ね!」


 自給自足生活の極意その3 読みたい本を見つけたらなりふり構わず堪能すること





 次の日、モイラは美しい朝焼けを見上げながら、思い切り伸びをした。庭先で深呼吸すると起きたばかりの山の息吹をすべて取り込める。連日溜まっていた疲労もすっと消えていった。

 モイラは青銅製のチェアに腰を下ろし、テーブルに置いた本に向き合う。童話『美女と野獣』の表紙をそっと撫でた。

「これ、小さい時から読みたかったんだよね。獣と美女なんてすごい組み合わせだわ」

 表紙には獣の王様と美女の絵、ぺらぺらと捲ると食器たちの宴、瓶の中の薔薇、挿絵を見つけるだけでドキドキする。モイラは胸の高鳴りを抑えられず「ふふふ」と笑い出した。

「あー、いいなぁ。本を読む時ってドキドキする。知らない世界の入り口で二の足を踏んでいるのって幸せ」

 ページを捲れば本の世界を回遊できる。いますぐに飛び込みたいようで、まだ現実に留まっていたいような……期待に脹らむ胸を押さえ、もだもだと迷っている時間がもの凄く楽しい。モイラは足をゆらゆらと揺らしながら本をひたすら眺め、表紙を捲る好機を待っていた。

「ひとりで住むって最高ね、時間に追われないし。本を楽しむって最高の贅沢よ」

 朝一の風が吹いていく。さわさわと揺れる雑草のざわめきが止んだ頃、モイラは意を決して童話の世界に飛び込んだ。


 ぱたりと本を閉じると、時刻は昼前となっていた。起きてから飲まず食わずで読書に没頭したせいで腹の虫が鳴いている。けれどモイラは幸せそうに笑った。

「王様、幸せになって嬉しい……」

 心地よい読後感は満腹感に似ている。きっと文字を食べて満腹なんだと思う。


 山奥の城で一人寂しく暮らす獣の王、か。境遇は私と同じね。

 まぁ、うちにはカップの貴婦人も時計の執事もいないけど。綺麗な薔薇なら植えても良いな。


 モイラはぐるっと庭先を見渡した。午後の仕事は草むしりに決定。畑準備のついでに花壇を作って、ロッジが来たときには薔薇の種も買おう。


「もしかしたら、綺麗なお姉さんがやってくるかもしれないしね」

 城を訪ねた美女みたいに、運命の出会いがあるかもしれない。そんなことを夢見てふと空を見上げると、家の裏の塔が視界に入った。

 ……半島の門に聳える、小さな塔。

 獣の王が暮らすには小さすぎるけれど、小鳥の王なら広々と住めるかもしれないな、なんて。


 

「……そういえば、あの塔のこと調べようと思ってたんだっけ」

 本に没頭しすぎてすっかり忘れていた。そしてすっかりどうでも良くなっていた。

 あの塔が何であろうと、今のモイラの生活には関わりが無い話だ。美女が訪れようとも、あの塔に獣の王が住んでいようとも。

「アタシはここで、誰にも邪魔されず、自由に本を読んでブランチをするんだから」

 


 アタシが自由であることを、誰にも邪魔させないんだから。

 モイラは髪をふわりと靡かせ、悩ましく吐息を漏らしたのだった。

 

 

 

 

 

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