道ばたのモイラ
領家るる
第1話 門
なぁモイラ、考え直してごらんよ。
女の子ひとりで村を出て行くなんて、危ないことはお止しよ
村に残って、女の子は家を守らないといけないよ
みんなで協力して、村を営まないといけない
モイラちゃんも、この村にとって大切な女の子なんだよ
うるさい
うるさい
そんな言葉、だいっきらい
どこかで小鳥が囀り、朝の訪れを知った。虫食いがひどいカーテンでは白い朝陽を遮れなくて、木漏れ日みたいに入り込む斜光が埃をキラキラ光らせている。
モイラは瞼を擦って起き上がり、まだ働かない頭を持ち上げてベット脇のカーテンを引いた。立て付けの悪い窓を力強く開けると、山の風が勢いよく吹き込み、部屋中の埃を根こそぎ浚っていく。ばたばたとはためくカーテンの向こうには十重二十重と森が続き、青々とした海の額が少しだけ覗いていた。
「あーあ、あと少し高いところに家があれば、海まで見えたのに」
絶妙に顔を見せる海が小憎らしい。初めて見た海があんなに小さいなんてじれったい。けれど此処に越してこなければ一目見ることもなく生涯を終えていたかもしれない。そう思うとこの景色も悪くなかった。
モイラは寝癖混じりの髪を揺らしてぐいと伸びをした。山にはいろいろな香りが混じっている。空の匂い、陽光の匂い、庭先の花の匂いに……埃の匂いが微妙に混じる。
「早いところ掃除だけは終わらせないといけないわね」
やれやれとは思いつつ、モイラはベットに再び仰向けに寝転んだ。古くなったベットのマットは中々跳ねないが、引っ越す前の家から持ってきた布団を敷いているのです寝心地は悪くない。モイラはまだ埃まみれの天井を眺めながら、身に纏う眠気に逆らわず瞼を閉じた。
掃除をするように咎める者はいない。埃まみれの部屋で寝ていても怒られない。モイラがいつ起きていつ寝ようが、ここではモイラの自由なのだ。
*
新居に引っ越してまず始めにモイラが注力したのは『優雅にブランチをとること』だった。モイラは木製のトレイにティーポットとカップ、ライ麦パンとサラダを用意し、庭先の小さなテラスに向かう。旧住人の持ち物だった青銅製のテーブルとチェアは、二人くらいならカップを並べて談笑できそうだ。所々の錆を落とす必要はあるが、こんな山奥で客人をもてなすこともないし、自分だけが使うのなら申し分ない。モイラはテーブルにトレイを乗せ、小さなグラスに庭先で摘んだ小花(雑草だけど)を活けてみた。
「ふふ、ちょっと不格好だけど、初めはこんなものよね」
手入れが行き届かないのは越してきたばかりだから。そんな言い訳に甘えたっていい。細かいことはさておいて、午前の陽気に包まれながらまったり過ごす時間を堪能するのだ。
「あ~~おいしい~~」
パンにサラダを挟んでかぶりつく。野菜のみずみずしさが口いっぱいに広がった。
「これで卵があれば最高なんだけどなぁ……。やっぱり次の目標は鶏ね!」
自給自足生活の極意その1、山で採れないものは庭で作るべし。
家の掃除が一通り終わればすぐに庭の雑草を毟ろうと思っている。そして小さな菜園と鶏小屋を作ることで自分の食事を賄う……今週の目標である。井戸を掘らなくて良いのは幸いだ。
モイラは食事を終えると紅茶を飲んで一息ついた。見上げると真っ青な空。大きな樹の緑笠が視界の端で揺れている。テーブルとチェアを移動すれば雨の日でも外で食事ができそうだ。立ち上る紅茶の湯気をなんとなく眺めながら、滑空するトンビを眺めていると、ごとごとごと、と重々しい音が聞こえてきた。
「あら?」
音はどんどん近づいてくる。家の前は山道なので、人が通ってもおかしくはないが、ここに越して一週間、初めての通行人である。ごとごとごと……音の主は大きな車輪のついた店を引く者、顔見知りの露天商であった。
「ロッジさん?」
モイラは腰を上げてはたはたと庭を駆け、急いで門を開けた。赤と白のパラソルとユニークな旗で飾られた棚をつけた荷車を引く老人は、「やぁやぁ」と緩やかにお辞儀をして笑った。長い顎髭と偶蹄類らしい足腰がトレードマークである。
「さっきね、ホルトス村に店出しに来てたんだけどね、村長さんがモイラちゃんがここに引っ越したって言うからね、おいさん来てみたんだけどさ……いやぁ坂がキツかったよ」
ロッジは腰をトントンと叩きながら車輪の下にレンガを填め、露天車を固定した。ついでに荷台に積んだ棚の観音扉を開くと、中には肉や魚、野菜や日用品などが所狭しと並んでいる。
「うわぁ! ロッジおじさんありがとう!! こんな所まで来てくれるなんて嬉しい!」
モイラは瞼を輝かせては「ちょっと待ってね!」と言い残して家の中へと急いだ。
「こんな半島の入り口まで、毎週来れないよ。いつもの曜日にホルトス村にはいるから、モイラちゃんそのときだけ戻ってきたらええがな」
家の外から語りかけているというのに、ロッジは声を張り上げたりしなかった。
「やぁよ、いちいち戻ってたらあの村から出た意味がないわ! なるべくまとめて買うから、せめて2週間に1度はここまで来てくれない?」
財布と洗濯籠を掴んで戻ってきたモイラは、露店の前に陣取りあれもこれも籠へと放っていく。その様子を眺めながらロッジは「うーん」と難しい顔で唸っていた。
「モイラちゃん、ホルトス村で何かあったのかい? 今日は普段はいないはずの村の男衆が広場に集まっていたんだけど……」
「ああ、今夏の大災害で働き口がなくなっちゃったから、頭を抱えてるのよ」
ロッジは顎髭を撫でながら「ああ……」と納得したように頷いた。続いて「そりゃぁ大変だ」と沈痛な面持ちで漏らす。
「おいさんも仕入れには苦労してるよ、確かに食べるもんには苦労する年になった。モイラちゃんは村が大変な時に、わざわざ引っ越してきたのかい?」
ロッジが疑問に思うのも無理はないだろう。ホルトス村のことを心配していることも伝わってくる。しかしモイラはそんなことは知らぬ顔で、洗濯籠に山のように押し込んだ商品の会計を促した。ロッジはしばし困りながらしぶしぶと検品を始めた。
「あの村のことを心配するくらいなら、わざわざこんな時に村を出たりしないわ。アタシ、ずっとあの村を出て行くチャンスを狙ってたんだもん」
モイラは財布から硬貨を摘まんでロッジに手渡し、ふふんと笑った。善し悪しを横におけば誇らしい決断だと自負している。ロッジは硬貨を袋に入れ、「まいどありね」と商売人らしく振る舞うものの、観音扉を閉じる時も車輪からレンガを拾うときも、眉を寄せて「うーん」と唸り続けていた。
「大変な時は村の皆で助け合わないと……とは思うけどねぇ。まぁ、この家に住むことを許した村長も性格が悪いよなぁ」
「え?」
大量に買い込み重さを増した洗濯籠を持ち上げた矢先、聞き捨てならない呟きを拾った。モイラは瞼をぱちくりと見開きロッジに先を促したが、ロッジは露店車の向きを変えて来た道を帰ろうというところであった。
「モイラちゃんね、この山道の行き着くところは何処だと思うかね?」
露店の取っ手を引くロッジは、今から帰るであろう山道の奥を指さした。モイラの家の前を通るこの山道の、行き着く先とは。
「何処って、アタシの家の前を通って、ホルトス村の傍を通って、その先は半島の最端でしょ? 確かリビアっていう国があるの」
要はリビアに通じる唯一の道ってことでしょ? とモイラは首を傾げて答える。ロッジは「うんうん」と頷いた。
「陸続きでリビアに行くならね、この道しかないんだ。この辺は昔から”半島の門”って呼ばれているんだよ」
ほら、と言ってロッジが再び指さしたのは、モイラの家の裏に聳える小高い塔だった。自宅の片付けもやりきれていない今、あの塔にはまだ近づいてもいない。
「気をつけるんだよ、”門”なんだから」
ロッジはそれだけ言うと、さっさと荷車を引いて歩み出す。モイラはぽかんと間の抜けた口をどうにもできないまま、去りゆく露天商の背を見送った。
「……どういうこと?」
モイラの不安を余所に、夏風が吹き抜けていった。
モイラちゃんね、おばあちゃんは心配なんだよ
だってあの家に引っ越したいなんて、縁起でも無いと思ってね
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