人間やめてみませんか?
京宏
第1話 やってらんねぇ
やってらねぇ。
その言葉が口から洩れる。
言い続けていたら、無意識の内に言うようになったのだ。
授業中も飯を食ってる時も、達といるときも、不意にくる空腹や睡眠欲と同列に、いつの間にか隣にそいつが立っているのだ。
そして大声で言う。
「やってらんねぇ」
言った後にはっとする。そして唖然とした周りの反応をみてまた思うのだ。
あ~あ、やってらんねぇ。
俺は餓えている。
親に友に、知名度に、女に。ままらない現実をままならせようとして、躓き、転んだ。転んだ俺に誰も見向きもしない。
ある者は努力が足りないと唾を吐いた。ある者は才能がないと去っていった。
女を抱きたい。全てを忘れさせてくれるまろやかな女に溶かされてしまいたい。
だが、無論、そんな女などいるはずがなく、実際は俺はクラスの女子にも相手にされないような落ちこぼれだ。
胸ポケットをまさぐりタバコを出して火をつける。
半端な進学校に通っているせいで、教師にばれたら退学ものであるが、だからどうした。だからこそ喫うのだ。どうせあいつらの言う通りの人生を送っても、この世の小さな幸せと不幸の間をいったりきたりしながら、意味ない時間を過ごすだけだろう。
百年後には俺のことなど、誰も覚えていてはくれない。
タバコの煙を肺にいれる。俺は頭にも体にも才能がない。努力する才能もない。天井が見えている。だったら頑張っても無駄じゃないか。肺のタバコは俺の負の感情に浸かった後、勢いよく出てゆく。こうして、世界は少し俺に汚染される。そのことに少し満足する。
自動販売機で缶コーヒーを買って2本目のタバコをふかしながら、通学路を通る。今は2限目が始まったぐらいか。当然、俺以外の生徒を見つけることはできない。その分安心してタバコが喫えるというものだ。
――しくしくと、泣く声を聴いた。
初めは缶が泣きだしたのかと思った。だが、違う。
その声は後ろから聞こえてきた。
振り返ると、女がハンカチに目を当てて、泣いていた。
女の服装はセミフォーマルのようで、薄い白生地が肢体にピタッと張り付いているが、要所にはフリルがついて、それが妙な気品を与えている。小さな黒いバックも、また妙なアクセントを効かせて、”ワケあり”の淑女をイメージさせる。髪は金髪だ。
女は俺の視線に気づいたのか、ハンカチを目から離し、涙を溜めた瞳でじっとこちらを見つめた。
アイシャドウの紫は蠱惑的。しかし、その瞳は幼女のように輝いている。
全身の清潔さとともに表出される妖艶さは、何か、無性に壊してしまいたくなるような衝動を与える。
意味の分からない状況であった。だが、女を求めていたのは俺の本心だ。
俺は思わず数歩、女に近づいた。
すると、それに気づいた女は駆けよってきて、そのまま俺に身を投げた。
ああ、その時の女の肉の感触よ。香りよ。
しめやかな弾力のある肌の感触と、脳をダイレクトに直撃するバニラの甘い香り。
「喰う」という言葉の意味を理解した。食を満たすためだけではない。この女の全てを、笑顔も泣き顔も快楽も羞恥も叫びも嬌声も美も醜も、喰らいつくして、味わい尽くしてしまいたい。
そして、そんな女は俺の腕の中で、儚げに身を寄せ、涙を流しながら真摯に俺を見つめている。
このまま突き刺してしまいたい。
俺の咄嗟の衝動を感じとったのか、女はするりと両手を俺の頬に添えて、接吻した。
――!
突如襲い来る恍惚の濁流の中で、俺の視界は暗転した――。
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