第159羽

「ティア!」


 慌てて駆け寄り抱きかかえると、その顔が真っ青になっていることに気付く。


「どうした!? おい、ティア!」


 何かがぶつかった?

 いや、周囲を見回してもそれらしきものは見当たらない。


 地震の恐怖で気を失った?

 まさか。このチート娘は少々地面が揺れた程度で動揺するほど華奢なメンタルの持ち主じゃないぞ。


「あ、兄貴……」


「エンジ!?」


 弱々しい声に視線を向けると、顔色を悪くしたエンジがソファーに身を投げ出して苦しそうにしていた。


「ま、魔力が……、突然濃くなって……。気持ちが悪うぷぅ」


 反対側のソファーでは同じく顔面蒼白になったラーラが口を手で押さえ、吐き気を我慢するように眉間へ皺を寄せていた。


「魔力が濃く……? まさか魔力暴走か!」


 突然魔力が濃くなったというラーラの言葉から俺はすぐさま魔力災害に思い当たる。

 ここのところ疑似中核ぎじちゅうかく絡みで巻き込まれまくっていたのだからそれも当然だろう。


 これまでの経験に照らし合わせると、今の事態は消失の方ではなく暴走の方だ。

 単に魔力が消失しただけならば魔法が使えなくなるだけの話。

 俺にはなんの影響もない一方でティアたちだけが身体の不調を訴えているのであれば、魔力が暴走していると考えるのが自然だった。


「たぶん、そうです……。しかも、尋常ではない、濃さで……」


 魔力のない俺にはわからないが、どうやらこれまでに俺たちが遭遇した魔力暴走とはレベルが違うらしい。

 ユリアちゃん救出の時に『偽りの世界』のアジトで発生した魔力暴走の時は、せいぜい魔力の制御が出来なくなる程度の話だった。

 ティアが気を失ったりラーラたちが動けなくなるほどの影響は発生していなかったはずだ。


 くそっ、何がどうなってんだ?


 どこからか助けを……いや、平均よりも魔力の少ないエンジやラーラですらこの状況なんだ。魔力暴走が俺の家だけで局所的に発生しているのでない限り、町中が似たような状況に陥っているだろう。


 俺がひとりで助けを呼びに行ったところで、まともに動ける人間がどれくらいいるのかもわからない。

 だがティアをこのままにしておくわけにはいかないし、だからといってエンジやラーラを放っておくのも……、そうか。


「エンジ、ラーラ、魔法を使え!」


「魔法……っすか?」


 そう。

 先日フォルスから聞いた対処法だ。


 周囲の魔力が濃すぎるときは、自分の身体に入り込もうとしてくる量と同じくらいの魔力を常に消費すれば良い。

 ゴミ処理施設の地下に潜んでいた魔法使いたちもそうやって濃い魔力に適応していたはずだ。


「そうだ! なんでも良いからとにかく魔力をどんどん消費しろ! 普段なら魔力切れになってもおかしくないくらい思いっきり使いまくるんだ! エンジは身体強化を全力で! ラーラは魔法の光を五、六個同時に出せ!」


「私の……魔力では、五つも、同時に、無理……」


「良いからやれ!」


「……わかったっす」


 俺の言葉に従ったのはエンジが先だった。

 こういうとき、素直な人間は説得が楽で助かる。


 本当なら魔法の光みたいに継続して魔力を消費する魔法の方が良いんだが、エンジは身体能力を強化する魔法くらいしか使えない。

 まあそれでも使用する魔力の量は調整できるだろうから、全力で消費し続ければ今より多少楽になるだろう。


「お……? 楽に……なった?」


 どうやら身体強化に魔力を注いだ効果はすぐにあらわれたらしい。


「まじっすか! うわ、すげえ! めちゃくちゃ魔力使っても全然平気っすよ!」


「なん……ですと?」


 見る見るうちに顔色が良くなっていくエンジを見て、ラーラも俺の言っていることがただのでまかせではないとわかったのだろう。


「ら、ライト」


 ラーラが自分の周囲へ魔法の光を生み出す。

 まずはひとつ生み出したところで身体が少し楽になったらしく、その後次々と新しい魔法の光を生み出していった。


「レビさんの言う通り、本当に気持ち悪さが軽くなりました」


 どうやら快調とまではいかないようだが、それでも倒れこんだり吐き気をもよおすほどではなくなったらしい。


「なんで魔力を持たないレビさんがこんな対処法を知っているのですか?」


「……ちょっと前にフォルスから教えてもらったんだよ」


「うへえ、さすがフォルスさん。神っすね!」


 エンジの安い賞賛に何とも言えず、そのままスルーして俺はティアの頬に触れた。

 苦しんでいる様子はないが体温が少し低いような気もする。


「おい、ティア。しっかりしろ」


 呼びかけるも返事はない。

 このチート娘が気を失うほどに、今起こっている事態が深刻なものであると俺は理解させられる。


 その時、玄関からドアの閉じる音が響いた。

 続いて聞こえてくる足音。

 何者かが家の中に入って来たのだろう。だがその足音は妙にたどたどしい。


 やがて姿を現したのは全身黒ずくめの装束に身を包んだ人物。

 普通に考えればどう見ても不審者でしかないが、俺はその人物に見覚えがあった。


「……ティアの護衛か?」


 あんた憶えてる?

 以前パルノと出会ったときだったっけか。

 成り行きでパルノを家に泊めることになり、あわせてティアが家に泊まり込んだときだ。


 幽霊に怯えたティアが俺のベッドに突入してきた際、『手を出すなよ』と言わんばかりに窓の向こうから釘を刺してきた護衛らしき人物だ。

 俺が気付いてなかっただけで、いつもティアを遠目に護衛していたのだろう。


 俺の問いかけに無言で頷くと、護衛の黒装束はふらふらとした足取りで近付いてくる。

 血色の良くないティアの顔を見て、唯一覆面から見える目元を歪めた。


「お嬢様……」


 初めて聞いたその声は、意外なことに女のものだった。


「おい、大丈夫か? あんたの方もずいぶん顔色が悪いぞ」


 やはりこの護衛も相当な魔力を持っているらしく、かなり魔力暴走による影響を受けていた。というか今にも倒れそうだ。

 ティアを大事にしてくれるのは良いが、当の本人が他人を気にかけていられる状況ではないだろうに。


「あんた、魔法使えるんだろ? 何でも良いから大げさなくらい魔力を消費してみろ。少しは楽になるはずだ」


 俺の言葉に訝しそうな表情を見せた護衛だが、ラーラが周囲に多数の光球を浮かべていることに気が付いて察したのだろう。

 すぐに目を閉じて何やら集中しはじめる。多分何かの魔法を使っているのではないだろうか。


「…………なるほど。助言に感謝する」


 眼を開いた護衛は先ほどまでの苦しそうな様子から一転して、落ち着いた口調で礼を述べた。


「お嬢様は私が屋敷に連れて帰ろう」


「わかった、俺もついて行く」


 この女がティアの護衛であることはほぼ間違いないだろうが、万が一ということもある。

 本当にティアを屋敷まで送り届けるのかこの目で確認しないと安心できない。


「……好きにしろ」


 俺の内心を読み取ったのか、意外にも女は拒絶しなかった。


「エンジ、ラーラ。すまないが俺が戻ってくるまでルイの面倒を見ていてくれるか? ティアを送り届けたらすぐに戻ってくる」


「もちろんです!」


「しょうがないっすね、兄貴に頼まれたら嫌とは言えないっす!」


「悪ぃな」


 家族のことも心配だろうに。ふたりとも躊躇せず請け負ってくれた。ありがたい。


 いくら平気な顔をしているからといって、この状況でルイをひとり家に残すのは不安があるからな。

 というかルイのヤツはどうして平気な顔をしてるんだ? まさか魔力がないわけでもないだろうに……。

 あいかわらずよくわからん希少種ゴブリンだな。


「行くぞ」


「おっと、すまない」


 護衛に促されて俺は玄関へと急ぐ。


 ティアの身体は護衛が背負っている。

 俺が背負うべきかとも思ったが、おそらく護衛の女は魔力で身体強化をしていることだろう。

 しかも異常なほど濃密な魔力を用いてだ。

 俺が背負って走るよりも、女が背負って走る方が間違いなく早い。


 玄関から外へ飛び出すとそこには異様な光景が広がっていた。


「な、んだ……これは……?」


 道に何人もの人がうずくまっている。


 だがそれは予想できていたことだ。

 魔力の保有量が多いほど影響が大きくなるのだから、全ての人間がティアのように気を失うわけではないだろう。

 エンジやラーラのように気分が悪くなる程度ですむ人間が大多数のはずだ。


 しかし俺が絶句したのは別の問題だ。


 視界に入り込むその色を、混乱した脳が拒絶しようとして失敗する。

 今はまだ日の高い時間帯。

 朝から晴れ渡った空には清々しい青色が広がっているはずだった。

 そう、はずだったのだ。


「嘘だろ……」


 俺の目に入ってくるのはどう考えても不自然な空。

 青白二色で染まっているはずの空に、あるはずのない緑色や橙色が広がっている。

 しかも夕焼けのようにグラデーションになっているわけではない。

 定規で境界線を引いたように突然色が変わっているのだ。


「……急ぐぞ」


 俺と同じように異常な光景を呆然とみていた護衛の女が我に返り、にじみ出る動揺を抑えながら走り出した。


「一体何が――」


 ――起こっているのか。


 ここで突っ立っていても誰かが答えをくれるわけでもない。

 ただ、何の根拠もなく最優先で対処しなくてはいけない気がした。

 このまま放置すればとんでもない事になると、せき立てられるような焦りが心の底から浮上してくる。


 いや、今はまずティアの身が優先だ。

 何が起こっているのか把握するのはそれからで良い。

 自らにそう言い聞かせると、俺は護衛の後を追って走り出した。






 無事にティアを屋敷へ送り届けた俺は、そのままきびすを返して家へと戻る道を急ぐ。

 道中目にする状況は自分が夢でも見ているのではないかと疑うほどだ。

 具合が悪そうにうずくまっている人間程度ならまだ良い。

 中には腕や足が鉱物のように変化してしまっている人間までいる。


「アヤの言っていた『結晶化』ってあれのことか?」


 幸い苦しんでいる様子はないし、すぐに命の危険に直結するものではないのだろう。

 彼らには悪いが、俺もここで悠長に立ち止まって人助けをしてする余裕は無かった。


 家に残したルイたちが心配でさらに足を早めた俺の視界に、見覚えのある髪色が映る。


 丸みをおびた顔にショートカットの桃色髪。

 白を基調としたツートンカラーのトップスとひざ丈より短いスカートに身を包んだその少女は、見るからにうろたえた様子で立ち尽くしていた。


「あ、ああ! レバルトさん!」


 砂漠でオアシスを見つけた旅人のように安堵の表情を見せ、少女が俺の名を呼ぶ。


「パルノ、お前は何ともないのか?」


「こ、これ……どうなってるんですか!? 歩いていた人がいきなりうずくまったり倒れたりして……」


「俺にもわからん。だが俺やパルノが平気ってことは魔力の少ない人間の方が影響も少ないって事なんだろう」


「それって……」


「そうだ。多分魔力暴走だと思う。それもこれまでにないレベルのだ」


「わ、わわわ私どうしたら……!?」


「とりあえず俺の家に来い。後で家まで送ってやる」


 こんな状況で女ひとり出歩くのはまずいだろう。

 多分警邏隊の連中ももれなく影響を受けているはずだ。治安維持など期待できるはずもない。

 おそらくは犯罪者の方もまともに動けないだろうが、万が一と言うこともある。


 俺はパルノと共に家路を急ぐ。


「レ、レレレレバルトさん! あそこ!」


 突然叫んだパルノの指さす方を見ると、そこにあったのは五階建ての雑居ビルらしき建物。

 だがその状況は異常としか言いようの無いものだった。


 建物はその右側三分の一ほどがまるで鋭利な何かでスッパリと切り取られたかのように消失している。

 断面からはビルの内部が丸見えとなっていて、書籍や雑誌でときおり見る『建物内部の図解』を現実に持ち出して来たとしか思えない光景だ。


「うわあああ! 僕の腕があ!」


 悲鳴をあげる男の声に振り向くと、うずくまっている男の左腕がない事に気付く。


 何が起こったのかはわからない。

 だがひとつ確かなのはそれが尋常ではない現象だということだった。


 なぜなら男の左腕が消えた断面は包丁でキレイにカットされた果物を思わせるほど歪みが無かったからだ。

 一体どんな手段を用いれば人間の身体をそこまで一直線に切ることができるだろうか。


 そして乱れのない切り口と同様、その断面の色も異常だった。

 普通なら人間の身体が切断されればそこに見えるのは血の赤や骨の白だ。

 しかし男の腕が消えた断面に見えるのは深淵を思わせる黒。

 人体の断面としておよそ考えられない色だった。


「ななななんですか、あれ……!」


 事態を理解できないパルノが思わずといった風に俺の腕にすがりつく。

 そのタイミングで今度は俺たちの後ろに何かが吹き上がる。


 慌ててそちらに視線を向けると、目に入ってきたのは何も無い路上で豪快に燃え上がる炎。

 驚く俺たちの目の前で、何の前触れもなく次々と炎の柱が生まれ出る。


「おいおい……」


 意味のある言葉を口にすることもできず呆然とする俺たちの前に、今度は頭上から何かが降ってきた。


「何だ? 黒い……雪?」


 それはまるでボタ雪のように空から降り注いでくる。


 だがおかしなのは色だけではない。

 雪のようだと思ったのは一瞬のこと。明らかに雪と異なるそれは、ひと言で表すなら小さな丸い闇だ。


 空の彼方から無数の小さな闇が降りてくる。

 地上に到達した闇はそのまま降り積もる雪のように地面を埋めていく。


「……とにかく急ごう。走るぞパルノ!」


「は、はい!」


 一体何が起こっているのか……。

 俺の理解が及ぶ範囲を軽々と超えたこの状況で、これからどうすりゃ良いんだよ。


 とりあえず今は家に戻ることが第一だ。

 もはや何が異常で何が正常かわからなくなった街を横目に、俺はパルノを急かしつつ家へと急いだ。

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