第十章 にわにはにわにわとりが

第158羽

『これで今月に入って十七件目ですよ。これは異常事態以外の何ものでもありません』


『原因はまだわかんないんでしょ? こわいわあ』


『政府は一体何をしているんですかねえ。無為無策もここまで来ると呆れるしかないですよ』


 ソファーに座ったまま何気なく立体映信りったいえいしんのチャンネルを変える。たどり着いた情報バラエティ番組では、意識高い系の芸能人たちが最近の魔力災害事件に関して意見を交わしていた。

 近頃はほとんど毎日のように世界のどこかで魔力災害事件が発生しているような状況だ。

 死者や行方不明者も出ており、経済的損失に至っては計り知れないだろう。


『こうしている間にも被害はどんどん出ています。国が先頭に立って専門家による調査を進めるべきでしょうね』


『専門家専門家って、結局いまだに何ひとつわかってないじゃないか!』


『簡単に言うけどね、キミ。原因究明は地道なデータの収集と解析が必要なんだ。やってみよう、ハイ出来たってもんじゃないんだよ』


『これだけの犠牲者が出ているのに、そんなのんきなことを言ってる場合じゃないだろ!』


『だから怒鳴り散らせば解決するものじゃないと言ってるだろう!』


『まあまあ、おふたりとも落ち着いて……』


 出演者ふたりが声を荒らげ始め、司会者がそれに割って入ろうとしたタイミングで画面の外から何かの紙が差し出される。


『え……?』


 それを受け取った司会者は驚きの声を上げるが、すぐさま気を取り直してカメラへと顔を向けた。


『ここで臨時ニュースが入りました。どうやらまた新たな被害が発生したようです。現場に中継が入っているようですので呼んでみましょう。現場のミランダさん、そちらは今どんな様子ですか?』


 またか、とうんざりしながら映像を見ていると、視界の左側で黒いモジャモジャが蠢いてしゃべった。


「最近多いっすね。ほとんど毎日じゃないっすか?」


 反対側の視界では空色のツインテールがぷんすかしながら私情まみれの憤慨をあらわにする。


「砂糖の輸入が滞ってて、このままだと甘味全般が値上げになりかねません。まったく迷惑な話です」


「別にスイーツが少々値上がりするくらいなら良いっすよ。それより妹の誕生日プレゼントに通販で買ったぬいぐるみの到着日がいまだに未定とかおかしいっす。間に合わなかったらどうしてくれるんすか」


「それこそどうでも良い話です。ぬいぐるみが無くても人は生きていけますが、甘味が無くば人は生きていけません」


「それで困るのはお子ちゃま舌のちびっ子だけっす」


「何を言ってるんでしょうかね、この黒タワシは? スイーツを販売しているお店の人だって困るに決まってます。賢人堂のパティシエさんにケンカを売っているんでしょうか?」


「バカを言うなっす。男は常にきょぬーの味方っす。パティシエさんのEカップバストにはどこぞの絶壁と違って夢があるっす」


「よーし、そのケンカ買ったぁ!」


 ヒートアップして戦闘態勢に入ろうとするエンジとラーラ。このままだと俺の家が即席の決闘場になりかねない。


「うるせえ! ケンカすんならとっとと帰れ!」


 毎度毎度飽きもせず、同じ事を何度繰り返すんだか。

 仲が良いのは結構なことだけど、呼んでもいないのにやって来て、自分の家のようにくつろいだあげくどうでも良い理由でケンカしはじめるのは正直やめて欲しい。


 ふたりが言い争って俺が怒鳴りつけるまでがほとんどパターン化している今日この頃。

 こうやって一喝すればエンジとラーラもすぐに大人しくなる。


 うんざりした気持ちを抱えながら俺は立体映信に再び目をやる。


 映像はスタジオから魔力災害のあった町へと移っている。

 もちろん災害の真っ只中というわけではないのだろう。

 カメラから届けられた映像はレポーターの女の子を中央に据えながらも、その後ろに大きな町を映し出していた。

 町の中からいくつもの黒煙が立ち上っているのをカメラは捉え、レポーターの口からは「大規模な火災が発生しているようです」との情報が伝えられる。


 今回の災害が魔力の暴走なのか消失なのかはまだわからない。

 だが魔力に依存している俺たちの日常生活は、暴走にしろ消失にしろ突然の異変に耐えられるようにはできていない。

 田舎の村ならともかく、高度な技術で支えられている都市部ほどその影響は深刻化する。


 立体映信のニュースによると、最近発生した魔力災害では魔力が完全に消失した結果都市機能が麻痺してしまった場所すらあるという。

 まずい状況であることは誰もが理解している。

 だがその原因はごく一部の人間しか知らないし、今となっては即効性のある解決方法などない。


 疑似中核ぎじちゅうかくの製造方法を知っている組織や人間がいる限り、それを使って人為的な災害を起こそうとする輩は必ず出てくるだろう。

 少なくとも『偽りの世界』は間違いなくそのひとつだ。

 アヤたちだけではなく警邏や公安もその行方を追っているが、一般の人間はそんなことよりも毎日のように発生する魔力災害に神経を尖らせている。


 今もレポーターがマイク片手に、今回の魔力災害が発生してからの経緯を真剣な表情で伝えていた。

 現場は風が強いのか、ときおりレポーターが原稿を持ったまま片手で長い金髪をおさえている。


 おい、エンジ。

 言っておくが必死こいて下から覗き込んだところで女子レポーターのパンツは見えねえぞ。

 気持ちはわからんでもないがな。


 立体映信のカメラは被写体を複数の角度から同時に撮影し、お茶の間へ擬似的に立体映像を送り込んでいる。

 だが当然ながらそれは道徳的に問題のない角度からしか撮影されていない。

 成人向けのアダルト番組ならともかく、普通のニュース番組で足もとから直上に向けて被写体を撮影することなどまずあり得ない。


 立体映信で現場からのレポートをしているのは今売り出し中の元アイドル女子アナだ。

 事務所の方針だかなんだか知らないが、今にも中が見えそうなミニスカートが風でふわりと揺れるたびに視線がそちらへ誘導されてしまうのは決して俺がスケベだからではない。

 ネコのユキがふわふわモコモコした物体につい手を出してしまうのと同じ事で、これは男としての本能だから仕方ないのだ。


 そう自己弁護しながらつい姿勢を前屈みにして視線を下げようとしたところで、部屋の温度が瞬間的に体感二度下がった。

 おおう、今日も人間エアコン娘は絶好調だな。


「何か?」


 後ろに立つエプロンドレスを着たエアコン本体へ目を向けると、逆に冷ややかな視線が返ってくる。


 いいじゃねえか、パンツくらい。しょせんはただの布だろう。と、そのしょせん布を必死こいて見ようとする自分を棚に上げつつ言おうものなら、さらに室温が五度ほど下がるのは目に見えている。

 俺は何食わぬ顔で視線をそらした。


「あんなものしょせんただの布なのに、どうして男の人はそんなに覗きたがるのですか?」


 ラーラが俺の心情を別の角度から明るみに引っ張り出す。

 せっかく無かったことにしようと思ったのに、余計な事を言うんじゃねえ。

 ほれみろ、室温があっという間に下がったじゃねえか。寒っ。


 背筋を襲う寒気に身を震わせる。あまりの寒さに俺の足がガタガタと音を立てて揺れ――あれ?


 いや、いくら何でもこんなに揺れねえだろ。と冷静になったところで揺れは収まらない。

 ふと見れば揺れているのは俺の身体だけではなかった。

 目の前に置いてあるテーブル、天上からぶら下がっている魔光照まこうしょう、さらには壁際に置いてある家具までもが小さな音を立てて揺れていた。


「地震か?」


 首を左右に巡らすと、エンジもラーラも困惑した表情を見せている。

 次第に揺れは大きくなり、家全体がきしむような音を立てはじめた。


「な、なんすかこれ!?」


「ンー!」


「ル、ルルルルイ、早くこっちへ来るのです!」


 突然の出来事に慌てふためくエンジたち。


 それも無理はない。

 俺たちが住んでいるこの町は普段ほとんど地震が起こらない地域にあるからだ。


 揺れとしては震度四くらいだろうか?

 日本で暮らしていた記憶のある俺にとっては何度も経験したことのある揺れだけど、この町で生まれ育ったエンジたちにとっては未知の恐怖だろう。


 だが幸いなことにそれほど大きな地震ではなかったらしい。

 揺れは数十秒で小さくなりはじめ、結局一分も経たずに収まった。


 室内に静けさが訪れる。

 立体映信から聞こえてくるレポーターの声だけがやけに大きく感じられる。


「ふう……、収まったか。みんな怪我はないか?」


 立っていられないほどの揺れでもなく、家具が倒れてきたわけでもない。

 心理的な恐怖は大きかったかもしれないが、物理的な被害はなかっただろう。


 そんな俺の考えをせせら笑うように問題は突如として表面化した。

 俺の後ろでドサリと何かが倒れる。


 とっさに振り向いた俺の眼に映ったのは、床に倒れこんだティアの姿だった。

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