第160羽

 混沌に包まれる中を我が家へようやくたどり着く。

 途中で何度も見かけたように、家が切り分けられたホールケーキみたいに変わり果てていたらどうしようかと少し心配していたが、どうやら運良く被害を免れたらしい。


「戻ったぞー!」


 意味もなく勢いをつけて帰還を知らせる。


「お帰りっすー」


「外はどうでしたか!?」


「ンー」


 リビングに入るとエンジ、ラーラ、ルイの三人が迎えてくれた。


「外は大変な事になってんな。もうわけわかんねえよ」


 空は変色するわ、人体は結晶化したり消失するわ、ビルは断面図になるわ、路上に爆炎が誕生するわ……。

 理解不能な異変だらけで脳みそハングアップしそうだ。

 パルノも終始怯えっぱなしでここまで連れてくるのも一苦労だったし、これからどうしたもんか。


「きゃ!」


 そのパルノが短い悲鳴をあげて盛大にこける。


「おいおい。もしかして腰でも抜け――」


「レバルトさぁん……!」


 俺の言葉を遮ってパルノが涙目で叫んだ。


「足が……! 私の足が!」


 視線をパルノの足に移した俺は絶句する。


 パルノはつまずいて転んだわけでも腰が抜けたわけでもない。

 ただ立っていられなくなっただけだ。


 当然だ。人は両足で体を支えて立っている。

 その足が突如失われればこけてしまうのもあたりまえだろう。


「パルノ……お前、足が……」


 パルノの足がひざ下から消えていた。つい先ほどまであったはずの両足が、鋭利な刃物で切断されたかのようにきれいな断面を残して。

 その断面に見えるのは黒一色。さっき外で目にした現象と全く同じだった。


「レバルトさん……、わ、私! このまま死んじゃうんですか!?」


 目を真っ赤にしてパルノが俺にすがりつく。

 不安なのだろう。いきなり自分の両足が何の前触れもなく消え去れば誰だってそうなる。


「パルノ、痛みは?」


 俺の問いにパルノは首を振る。

 どうやら痛みはなさそうだ。

 というかもし痛覚が伴っていたなら、おそらくろくに会話もできないほどの激痛が襲っているはずだ。


「レバルトさん、レバルトさん……!」


「大丈夫だ。落ち着け」


 根拠のない励ましを口にしながらパルノの体を優しく抱きしめる。

 パニックに陥りそうな相手を前にして、こっちが取り乱すわけにはいかない。

 パルノが狼狽している今、俺が落ち着いた態度を見せないと。


「死にたくないよぉ……」


 とうとう泣き出したパルノの背中をポンポンと安心させるように軽く叩き、しばらくなだめていると今度は別の問題がリビングに足を踏み入れてきた。


「フー」


 人間のものではない声がリビングに響く。


「ユキ?」


 ラーラのつぶやきがその正体を明らかにする。


 リビングに入ってきたのはうちで飼っているネコのユキだ。

 ネコという種の名前は付いているが、この世界のネコは前世のネコとは大きさが全く違う。

 成猫となったユキの体はちょっとしたトラやヒョウくらいの大きさなのだ。

 そのユキがゆっくりと近づいて来ていた。


「どうしたのですか、ユキ?」


 ラーラの声に困惑の色が混じる。

 ユキの足取りが普段とは全く違っていたからだ。


 やたらにでかいとはいえ、子ネコの頃からこの家で育っているユキは、少なくとも俺やラーラを警戒する事はない。

 ティアに至っては服従の姿勢すら見せるありさまだ。


 しかし今目の前にいるユキは明らかにこちらを警戒していた。

 そろりそろりと距離感を探りながら足をゆっくりと動かし、間合いをはかっているかのようにも見える。


「フゥーッ!」


 おまけにこの威嚇するような声。

 まるで野生のネコだ。


「どうしたのですかユキ? ほらほら、そんな怖い顔しないでこっちいらっしゃい」


 ユキの様子がおかしい事に気付かないのか、それとも気付いた上でなおもユキに対する愛情が上回っているのか……。たぶん後者なんだろう。

 ラーラが不用意に動いたのをトリガーにユキが飛びかかってきた。


「馬鹿、ラーラ!」


 口で悪態をつきながらラーラのローブを思いっきり体ごと引き寄せる。


 お子様体型が幸いしたのだろう。

 体重の軽いラーラを俺は体ごと受け止めた。

 それと入れ替わるように、ラーラのいた場所を勢いのまま飛びかかってきたユキが通りすぎる。


 あっぶねえな! 完全に噛みつく気満々だったぞ。


「何ボケッとしてんだ!」


 思わずラーラに怒鳴ると迷いと困惑と悲しさを混ぜ込んだ表情が返ってきた。


「だって、だってユキが……」


「今のユキが普通じゃないことくらい、見てわかるだろ!」


 ラーラを捕捉し損ねたユキは再び距離をとってこちらをうかがっている。


「グルルルル」


 こんなユキは一度も見た事がない。

 どう見ても捕食者が獲物を狙う目だ。


 詳しく説明しろと言われれば無理だが、原因は考えるまでもないだろう。今この町を覆っている魔力暴走だ。

 それが何らかの影響を及ぼしてユキを凶暴化させているのは疑う余地もない。


「兄貴、逃げた方が良くないっすか?」


「このままユキを放ってはおけんだろ」


 どこぞのチートどもならともかく、本気で襲いかかってくるネコ相手に俺たちではどうにも力不足だ。

 この状態で最善の手はエンジが言う通り逃げる事だろう。


 だが俺には飼い主としての責任がある。

 俺たちが逃げればユキはこの後どういう行動に出るか。そんなことは容易に想像出来た。

 魔力暴走で混乱した街中にユキが放たれてしまえば、どれだけの惨事を引き起こすかわからない。


 くそっ、こんなときティアがいれば……。

 え? お前の端末にはこんな時使えそうなのが取り憑いているだろうって?

 そうか……、そうだった。


「おい、ローザ」


《お任せください主様!》


 俺の呼びかけに答えて端末がピロリンとメッセージを表示する――のだが……。

 これ、会話通じてるか?


「まだ俺は何も言っとらんが?」


《あのネコを倒せば良いんですね!》


 やけに脳筋な事を言いはじめる端末の居候。

 ローザの実力がどれほどのものかをいまだに俺は把握できていないが、その口ぶり――というか文言か――からは自信がうかがえた。


 いや待て、ユキは俺にとって大事な家族だ。

 ローザの言う『倒す』が何を示しているのかはわからんが、できれば穏便に済ませたい。


「違う! 傷をつけずに拘束できるか?」


《えー、つまんないです》


 ローザの反応に、俺の脳裏へ嫌な予想が浮かび上がった。


「お前……、まさかまた魔力の濃さに酔ってるんじゃないだろうな?」


《大丈夫ですよ! あの時はちょっと浮かれてしまいましたが、月明かりの一族は学習能力も超一流! 今の私に死角はありません!》


 信用ならねー!


 これまでそれなりに会話を重ね、俺も身に染みて分かっている事がある。

 こいつはちょっと……、いやかなりのお調子者だということだ。


 でも今はローザに頼るしかない。

 少なくともこの場にいる俺たちではユキを抑え込む事はおろか、まともに一撃を加える事も難しいだろう。


「大事な家族だからできる限り傷はつけたくない。悪いが頼む」


《ハイよろこんでー!》


 結構無理な事を頼んでいる気もするが、当のローザは居酒屋の店員みたいに軽い返事を端末の画面に残して動きはじめる。

 といってもその動きが俺には見えないんだけど……。


「フシャーッ!」


 自分の事を忘れるなとでも言いたいのか、ユキが威嚇の声をあげる。

 次の瞬間、こちらに向かって飛びかかろうと身を沈めたユキの鼻先を何かが弾いた。


「ウミャ!」


 思わず悲鳴をあげるユキ。


「フーッ!」


 文字通り出鼻をくじかれたユキが感情を高ぶらせたところで、今度はその足もとが掬われた。

 見えないロープに足を引っかけられたように、ユキの体がゴロリとひっくり返る。


「ローザがやってるのか」


 俺やエンジはもちろんのこと、ラーラでもあんな魔法は使えないだろう。

 というかあれ、魔法なのか?


 ユキが起き上がるよりも早く、その周囲を鈍い光の帯が取り囲んだ。

 帯は次第にユキを中心にして回転をはじめ、ちょっと物騒な音を立ててユキに近付いていく。


 なんだろう? なんだか嫌な予感がするんだが。


「おいローザ。それ、ユキには無害なんだよな?」


 チェーンソーめいた音に不安を感じてそう確認すると、すぐさま端末へローザからのメッセージが届く。


《え? 無害? ……結果的に無害化しますけど》


「ちょ、待て。結果的にって何だ? ユキに何するつもりだお前!?」


《サクッと手足を切り落として――》


「ストップストップストーーーップ! 待て! やめろ! ウェイト! フリーズ!」


《えー、すぐ終わりますよ》


「俺言ったよな? 『穏便に』って、『傷をつけずに』って! 誰が四肢欠損レベルの傷を負わせろと言った!?」


《確かにおっしゃいましたけど、私はそれ承諾した憶えはありませんよ?》


 がっでむ!

 こいつ、確信犯じゃねえか!?


 え? 確信犯ってそういう意味じゃない、って?

 良いんだよ、今それどころじゃねえんだから! 細かいところで茶々入れんじゃねえ!


「とにかくローザ! 多少の打撲程度ならともかく、治療出来ないレベルの怪我はさせるな!」


 自分でも無茶な要求してるのはわかるが、それでもユキは俺の大事な家族だ。

 治療できない傷を与えたくない。


《むぅ……、なかなか難しい要求を……》


「すまんが頼む」


 俺の言葉を素直に受け入れてくれたらしく、それまでユキを囲んでいた鈍い光の帯が消え去っていった。


《手加減とか苦手なんですよね》


 ああー、なんかわかる気がする。

 ゴミ処理施設の地下で濃い魔力にラリった時も、ローザの攻撃はシャレにならない感じだったわ。


「でもお前、マンションでオバハンから攻撃されたときは手加減できてたじゃないか」


《あれは単にはね返すだけでしたし……》


 なるほど、自発的な攻撃と違って相手の力を一部はね返すだけなら威力は相手次第ってことか。

 ……裏を返せばローザの攻撃って手加減が難しいくらい威力も高い、ってことなのか?


「防御に専念すれば防ぎきれるか?」


《それはできますけど》


 こうやって俺たちが会話している間にもユキが飛びかかり、そのたびに壁へぶつかるような重い音が響く。

 どうやらローザが俺たち全員を守るバリアっぽいものを張ってくれてるらしく、その牙は一向にこちらへ届かない。


 確かにローザのおかげで俺たちの安全は確保されているだろう。

 だがこのままじゃらちがあかない。

 俺たち自身は身動きが取れないし、かといってユキが俺たちを無視して外に出てしまうのもまずい。


 さて、どうしたものか……。

 俺が何か良い案はないかと考えを巡らせていたその時、突如濃紺の物体が目の前を横切った。


「あ」


 その短い声は誰の口から放たれたものだろうか。

 俺? ラーラ? エンジ? それとも全員?


 次の瞬間、真っ白いユキの体に濃紺色の塊が覆いかぶさった。

 ジタバタとユキは抵抗するが濃紺色は揺らぐ気配すら見せず、先ほどまで俺たちを一方的に攻撃していた白ネコはそのまま押さえつけられた。


 なおももがき続けるユキを押さえたまま、濃紺の塊がもぞりと動く。

 驚きから立ち直った俺は、ようやくその濃紺色がシスターのまとう修道服であることに気付いた。


 ベールから覗く新緑の瞳がこちらをとらえる。

 もはやそれが誰であるかなど言うまでもないだろう。

 俺の知り合いで修道服を着ているような人間はひとりしかいないのだ。


「お父様、この子って確かお父様のペットでしたよね? ひねっちゃうとやっぱりまずいですか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る