第142羽

 馬鹿げた威力を発揮して、クローディットの大つちが強固な柱を粉砕した。


「あそっれ、もう一本!」


 飲み会のノリでクローディットが二本目の柱へと大槌をふるう。再び轟音が響き、どっしりと構えて動かなかった柱が砕かれた。


 なんだあの馬鹿げた威力は……?

 魔力を封じられた状態であの破壊力、ちょっとシャレにならんぞ。


 自分で指示を出しておきながら、もたらされた結果にビビる俺の耳へ次々と連鎖的な破壊音が聞こえてきた。


「レ、レビさん。これ、まずいんじゃないですか?」

「ンー……」


 不安そうにラーラが周囲をキョロキョロと見回す。


 無理もない。柱の破壊に端を発した轟音は、次々ととなりの壁や柱を伝って広がっている。

 普通に考えれば建物が崩壊するのではないかと危惧するのも当然だ。


「大丈夫だ。俺の勘が正しければ崩れない」

「勘で決まるようなものでもないと思うのですが……」


 さすがのラーラも渋い顔をする。


 そうだよな。いくら的中率が高いとはいえ、勘で「大丈夫」と保証されても全然安心できないだろうさ。

 俺だってどうしてこんなに自信満々なのか、自分でもよくわからないんだから。


 なんだろうね、この妙な自信は?

 そういえばさっきクローディットに向けて何か言ったよな。

 なんだっけ? 光塵落槌フラヴェセント・フォールだっけ?

 なんだそれ?


 俺がひとりで混乱している間にも、破壊音は鳴り止まない。

 だが不思議なことにそれは周囲一帯からまんべんなくというわけではなかった。破壊の連鎖はまるで狙い澄ましたかのようにある一定の方向へと進んでいる。もちろん崩れる天井や柱、四散する壁は至るところで視界に入っていた。

 にもかかわらずその破壊は崩壊にまでは至らない。本来なら屋敷の崩壊まっしぐらとなりそうなところを、かろうじて崩れる直前で踏みとどまっている。そんな表現がぴったりの様子だ。


 一方で、意外なほど破壊の連鎖は続いている。屋敷の奥、おそらく中央部の方角へ向けての連鎖に限っていえば、どこまで続くんだよと突っ込みたくなるくらい延々と破壊が止まらない。

 まるでドミノ倒しをしているようだった。


 そのドミノが俺たちの視界から消えて間もなく、これまでにない轟音が屋敷の中央部から聞こえてきた。


「ぴゃあ!」


 その音に反応したラーラが普段口にしないような悲鳴をあげ、思わずといったふうに俺の腕をつかんでくる。

 当然俺の足には正体不明の希少種ゴブリンがしがみついてガクブルと震えていた。


「なんだ、怖いのかラーラ?」

「し、仕方ないではありませんか! 魔力が使えないこの状態で生き埋めなんてゴメンですよ!」


 どうやらさすがのラーラも魔力の封じられた今、余裕を持てる状況ではならいらしい。

 逆に言えば魔力さえあればガレキの生き埋めになっても何とかなる、あるいは生き埋めとなる前に何とかできるという事だろう。魔力のない俺にはその感覚が理解できないが。


「普段ならこんな事はないですからね! 魔力さえ使えればレビさんに頼らなくてもひとりで…………、おや?」

「どうした?」


 ムキになっていたラーラの表情が突然変わり、目をまん丸くしている。


「あれ? 魔力が?」

「魔力がどうした?」


 問い返す俺に空色ツインテールっ子が叫んだ。


「魔力が――、戻ってきました!」


 不安をまとっていたロリティックな童顔へ笑顔が浮かぶ。


 魔力が戻ってきた?

 どういうことだ?


 確かシュレイダーの仕掛けた疑似中核がこの屋敷全体に影響範囲を及ぼしていたはずだ。

 魔力が戻ったということは、その仕掛けが何らかの理由で働かなくなったということか?


 だがその原因について考えるのは後回しだ。今は魔力が使えるようになった、そのことだけが重要なのだから。


「ティアさん! 魔力が!」

「はい!」


 グレイウルフの攻撃をかわし続けているティアに向けてラーラが叫ぶと、すぐさま返事が戻ってくる。

 もちろんあのチート娘のことだ。ラーラに言われずとも魔力が使えるようになったことはとっくに承知しているだろう。


 魔力による身体強化が働いているらしく、明らかに先ほどまでとはキレが違った。

 それまで防戦一方だった戦況が一瞬にして切り替わる。飛びかかってくるグレイウルフをヒラリとかわし、風に揺れる花びらのようなたおやかさで跳躍すると、灰色の毛皮に包まれた頭部へ組み合わせた両手を叩きつけた。

 鈍い音を立てて、グレイウルフの身体が沈む。


 ひでえな。

 魔力のチートさを改めて見せつけられた気分だった。


 ようやく反撃の狼煙を上げたティアが、着地するなり凛とした表情で宣言する。


「三分で片付けます!」


 どうしよう。うちの自称アシスタントが無駄にカッコイイ。


 ティアの腕が床に対して水平となり、手のひらがグレイウルフに向けられる。

 手首を三百六十度囲むようにして魔力で作られた氷塊が生み出され、宙に浮いたままゆっくりと時計回りに回転しはじめた。


 本能で危険を感じたのだろうか。グレイウルフはティアの魔法が生み出すそれから逃れるため、身体をその射線から外そうと飛び退く。


「逃がしません!」


 だがそれを見逃すチート娘ではない。

 魔力で強化された動体視力と反射神経はグレイウルフの動きをも上回る。

 ティアの腕から解き放たれた氷塊は、先端を鋭く尖らせた状態で一斉にグレイウルフへと飛んだ。


「キャウン!」


 情けない悲鳴をあげてグレイウルフがその弾頭に捕らえられる。

 灰色の巨体に吸い込まれた氷塊はそのままグレイウルフを壁に縫い付けた。


 傷口から流れ出る血が瞬時に固まる。

 だが氷塊による凍結は傷口の血だけに留まらない。そのまま水が染みこんでいくようにグレイウルフの体全体を覆い、またたく間にその全身を氷の彫刻に変えてしまった。


 この間約一分。


 あれだけ苦戦したグレイウルフも、魔力を取りもどしたティアにかかれば赤子扱いだった。

 魔力の恩恵がすごいのか、それともティアのチートっぷりがひどいのか……。


 もう一方の戦いへと目を移す。こちらは相変わらずというか、先ほどと何ひとつ変わっていなかった。

 素早く動き回るグレイウルフに対してクローディットの大槌が振るわれるが、その攻撃はかすりもしない。だからといって押されているというわけでもなさそうだ。


 あいつは魔力があってもなくても戦い方が全然変わんねえな。


 優勢っぽいのにいつまでたっても勝ちきれない。そんな光景が繰り広げられていた。

 当然ティアの手が空いた今、クローディットがひとりで戦い続ける必要はない。ティアやハーレイが加勢するに至って、もう一体のグレイウルフも簡単に無力化された。


「よっしゃ! あとはシュレイダーさえ撃退すれば――! ……って、あれ?」


 勢いに任せて首魁へその矛先を向けようとした俺は、観光地の土産物屋で売られている首振り人形のようにクルクルと辺りを見回す。


「あれ? シュレイダーは?」


 いくら見回しても肝心のチョビひげが見当たらない。


 ありゃ?

 グレイウルフを呼んだ時はここにいたよな?


「逃げられましたか」


 失敗したと言わんばかりの口調でティアが答える。


 普段のティアならグレイウルフと戦いながら片手間にシュレイダーを拘束するくらいは朝飯前だろう。

 だが魔力のない状態でグレイウルフの攻撃を避け続けるという困難な状況で、さすがにそこまでの余力はなかったらしい。


 いや、まああんな馬鹿でかい狼と魔力なしで渡り合えるだけでも十分すごいんだけどな。


「レビさんレビさん。もう逃げる必要はなさそうですね」


 同じように周囲を見渡していたラーラが近づいてくる。


 確かにそうだ。

 首魁のシュレイダーはいなくなり、二体のグレイウルフもシュレイダーの部下たちもすでに全員無力化している。


 改めて様子を窺えば立っているのは俺たちの仲間ばかり。敵方の武装集団は全て気絶しているか縄で縛られているかのどちらかだ。

 その周りには崩れた壁や天井の建材がガレキとなって転がっている。

 よくもまあこんな状態で屋敷が崩壊しなかったもんだ。


「とりあえずいつ崩れるかわからんし、外に出るか」


 俺たちは今にも崩れ落ちそうな屋敷を出て、敷地内の中庭へと移動する。

 ひと息ついたところでラーラが話を切り出した。


「レビさんレビさん。急いで逃げ出す必要はなくなりましたけど、これからどうするんですか?」

「どうするったってな……」


 あれだけの音を響かせた上、建物の外観もいたるところが崩れつつある。明らかな異常事態だろうから、そのうち警邏がやってくるのは間違いない。


「さっきまでは監禁されてたわけだから逃げ出すのは当然だけど、今はその必要もなくなったしな。今ここを離れるのはあまり得策とも言えないなあ」

「どういうことですか?」


 コテンと首を横にかたむけて空色ツインテールがクエスチョンマークを頭上に浮かべた。


「俺たちがこの屋敷に滞在していたことは多くの人間が知ってるだろ? 下手に逃亡すれば、やましいことがあるのではと勘ぐられる可能性がある」

「それもそうですね」


 納得顔でラーラが頷いた。

 先ほどまでは自分たちの安全が何よりの優先事項だったからそこまで考える余裕もなかったが、魔力が回復して戦う力を取りもどした今は事情が変わっている。

 もともと俺たちは被害者なのだから、警邏がやって来たなら堂々として事情聴取に応じればいい。


「ですが先生。相手は町の実力者です。警邏の方に手を回していないとも限りません」

「んー、そうだな。そうなるとちょっとやっかいだな……」


 確かにシュレイダーは表向きこの町の名士らしい。場合によっては政治的な圧力を警邏にかけて、俺たちを加害者へと仕立ててしまうこともできるだろう。


「おじ様に助力をお願いしましょう」

「おじ様って、トレスト翁か?」

「はい」


 トレスト翁とはこの学都に住んでいる学者で、ティアにとっては遠縁にあたる人物だ。小綺麗な身なりとしゃれた雰囲気を醸し出す、結構な年の割には若々しい外見をしている爺さんである。

 ちなみに俺は心の中でダンディ様と呼んでいた。


 なるほど、あのダンディ様も学都ではそれなりの名士らしいし、よくは分からないがあちこちに顔が利くみたいだ。

 なによりダンディ様を経由してティアの親父さんに話が伝われば、政治力的な圧力は心配する必要がなくなるだろう。

 ちょっと図々しい気もするが、自分の娘を助けるついでに俺たちも助けてもらえるんじゃないだろうか。

 シュレイダーが『偽りの世界』に深く関わる人物だとわかった以上、妙な圧力さえかけられなければどちらが加害者かは自ずと知れるはずだ。


「そうだな。頼めるか?」

「すぐに連絡します」


 俺の返事を聞くなり、ティアの手に氷の小鳥が生み出される。

 いつぞやも見たやつだ。一体なら可愛いもんだな。何百何千と地を埋め尽くすほど蠢いているのを見れば気味が悪いけど。


「レビィたん」

「ん? なんだ?」


 グレイウルフを倒してからというもの、それまでずっと沈黙していたクローディットが俺の服を引っぱってくる。


「レビィたん。いえ、レバルトたん」


 珍しく真剣な顔つきを見せながらクローディットが口にしたのは、心底どうでもいいような内容だった。


「言い直した意味あんのか、それ?」


 どっちみち『たん』付きなのは変わらねえのな。


「どうしてレバルトたんは光塵落槌フラヴェセント・フォールを知っていたのですか?」

光塵落槌フラヴェセント・フォール? そういえば、そんな事を口にしていたような……」


 あれ? なんだっけ?

 何でそんな言葉が出てきたんだ?


「光塵落槌は濫用を戒めるため厳重に封印を施した破壊術です! レバルトたんがなぜその存在を知ってるのですか!? レバルトたんは一体何者ですか!? わたしとレバルトたんはこの間出会ったばかりですよね!? わたしレバルトたんに光塵落槌のこと、一言も言ってませんよね!? レバルトたん、もしかしてこっちの人ですか!? だからレバルトたんこの町に来てたんですか!? そもそもなんでレバルたんに光塵落槌の封印解除ができるんですか!? 一部とはいえ光塵落槌の解禁なんてわたしでもできないのに、どうしてレバルたんにはあっさりできるんですか!?」


 まくし立てるクローディットに身を乗り出され、のけぞるように俺は距離をとる。

 なんだか俺の名前が連呼されすぎて古代ギリシャの某都市国家市民みたいな感じになってるぞ。


「光塵落槌の解禁は上位存在にだけ許された特別権限なんですよ! そんな事できるのはあのいけ好かないイケメンとかあの頑固ジイたんくらいのものですけど、レバルたんがあのイケメンなわけないし、ジイたんは上を守ってるはずだし、じゃあレバルたんは一体何者っていう話になっちゃうじゃないですか!?」


 クローディットが何を言っているのかちっともわからないが、さりげなく俺の顔をディスられた気がする。


「おーけー、落ち着けクローディット。お前が何を言ってるのか俺にはさっぱりだ。とりあえず俺にもわかる言葉で話してくれるか? でゅーゆーあんだーすたーん?」

「レバたんこそデューユーアンダースターンですよ!?」


 ひとまず落ち着くようなだめたら逆ギレされた。解せぬ。


 おいコラ。その馬鹿力で俺の身体をゆするのはやめろ。

 頭がくらくらするじゃないか。


「レバたんみたいな人が地上にいるとかわたし聞いてませんけど! 第一レバたん魔力もってないんですよね!? 魔力ゼロなんて普通に生まれる確率なんて理論上ゼロだし、魔力ゼロの人間が光塵落槌を……、魔力ゼロの人間が……、魔力……ゼロ……?」


 開封する前の缶入りおしるこみたく人の体を全力でシェイクしていたクローディットが、ピタリとその動きを止める。


「レバ、たん……。レバたん、あなたもしかして」

「人の名前を焼き肉屋のメニューみたいに言うな」


 ふらふらと揺れ動く脳を必死で働かせ、なんとか吐き出した俺のツッコミを右から左へスルーしつつ、クローディットは思いもよらぬ爆弾発言を口にした。




「もしかして……。お父様ですか?」



 瞬間的に周囲の空気が五度ほど冷たくなった気がした。

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