第141羽
トーレを無力化した俺たちは彼の身を速やかに拘束すると、グレイウルフと対峙しているティアたちへ目を向けた。
そこではティアとクローディットがそれぞれ一体ずつのグレイウルフを相手に苦戦を強いられている。
「うわあ、
エンジの言うとおり、あの銀髪チート娘が苦戦する姿なんてそうそう見られない。
直近ではフィールズの大会でアヤを相手にしていたときくらいだろうか。少なくとも俺の記憶ではティアが攻めあぐねている様子など、あのときくらいしか見たことがなかった。
グレイウルフが鋭い牙をむいて噛み付く。
ティアはそれを予期したかのように後方へステップして逃れた。だがいつもであれば余裕をもって行われたであろうその回避行動も、今日に限っていえば見るからに危なっかしい。
ティアの体が一瞬前まで存在していた空間へ、入れ替わりにグレイウルフの
体長五メートルに達しようかという巨体の狼が繰り出す攻撃を紙一重でかわしながら、何とか攻撃の機会をつかもうと隙をうかがうティア。
牙に続いて繰り出された
しかしその速度は常のチートからは程遠い。
確かにひとつひとつの動作や判断には並外れた才能を感じさせる。だが普段のティアは、それに加えて人並みはずれた魔力により身体能力を底上げしている。だからこそのチートな戦闘力を発揮するのだが、今のティアは魔力による強化が行われていない素の状態だ。
筋力はおそらく俺以下。体力や耐久力についても推して知るべしだろう。とてもあんな巨体のモンスターへ通用する攻撃など繰り出せるはずもない。
「くっ!」
予想通り鈍い音とともに弾き返された刃を無念そうに睨み、ティアは即座にグレイウルフの攻撃から逃れるためその場を飛び
消えたティアの影を追撃するかのごとく、グレイウルフの前肢が鋭い爪をむき出しにして横薙ぎに振るわれた。その一振りが空気を揺るがす風となって俺たちのところへも影響を及ぼしてくる。
背中がぞっとした。あんなの食らったりしたら人間なんてひとたまりもないだろう。
普段のティアならどうってこともない相手だろうが、今のティアはいくら身のこなしが天才的とはいえ、ただの人間にすぎない。
何とか助勢したくても、俺にはあの戦いに割り込めるだけの力量がない。
回避を得意とするエンジなら、ダメージを与えることはできなくてもティアの負担を減らすくらいはできるだろうか?
「おい、エンジ」
「イヤ無理っしょ」
俺の心を読んだのか、エンジは早々に逃げの言葉を吐き出した。まるで俺が何を言い出すのかわかっていたかのようだ。
「ティアさんの援護に入ります」
代わりに進み出たのはハーレイだった。
既に俺たちを攻撃してきたシュレイダーの配下は全て無力化している。身を守る必要がなくなった今、最大の脅威であるグレイウルフへ主戦力を差し向けるべきだろう。
「まあ、後ろからちょっかい出すくらいなら……」
ハーレイに続いてエンジもしぶしぶながらティアの援護へ向かった。
魔力が使えない以上、エンジの回避能力にも多少不安はあるがそれは仕方がない。
もう一体のグレイウルフはどうだろうか。
俺はクローディットの戦いへと目を向ける。
「グルアアアアア!」
グレイウルフが眼前のちっこいシスターを威嚇していた。
クローディットはそれを意にも介さず、自分の身長に倍する大
振り下ろされる大槌が床に打ちつけられ、不快な音とともにその破片を周囲へ振りまいた。グレイウルフを狙ったはずの一撃が床にぶつけられたということは、当然攻撃が失敗したことと同義である。
決して緩慢ともいえないクローディットの攻撃も、グレイウルフからすればあくびがでるようなスピードに感じられるのだろう。
並みの人間ならば、魔力による身体能力の底上げがあったとしても対応できるかどうかといったスピードだ。ましてや魔力のない今、その動きへ対応するのは容易なことではない。
「危ない!」
とっさに警告の言葉が俺の口をついて出る。
しかしそんな警告もクローディットにとっては無用の長物であったらしい。小さな体のどこにそんな怪力が潜んでいるのだろうか、慌てる様子も見せずにクローディットは振り下ろした大槌を力任せに振り回す。
半分床に埋もれた状態の大槌が引きずられ、彼女を中心にして半径三メートルほどの溝が半円形に掘られていった。ゴリゴリというよりもむしろガギガギといった音を立て、大槌がクローディットの背後から迫るグレイウルフに向けて振るわれる。
遠心力を加えた横薙ぎの一撃は身の毛もよだつ音を立てて――空を切る。
おそらく命中すればその時点で勝負がついてしまいそうな一撃。だが当然のことだが当あたらなければ意味はない。
巨体とはいえ、もともと敏捷性に優れる狼系のモンスターが相手だ。おそらく大槌のように小回りがきかない武装は相性として最悪に近い形だろう。クローディットの一撃はグレイウルフにかすりもしない。
一方で、グレイウルフもクローディットの振り回す大槌を警戒して最後の一歩を踏み込めない様子だった。
ティアほど危なっかしい状況ではないが、それでもこのままでは状況が好転する見込みはないだろう。何らかの形で活路を見出さないことには、先にティアたちの方がもたない。ティアたちがもう一体のグレイウルフを抑えきれなくなれば、無防備な俺たちはひとたまりもない。もしグレイウルフが俺たちではなくクローディットを二体で囲むようなことになれば、さすがのクローディットも苦境に陥るだろう。
その前に何とかしなければ……。
問題は魔力だ。
クローディットはどうだか分からないが、少なくともティアの苦戦は魔力が消失しているせいだ。
もちろん魔力が使えないのはグレイウルフも同様である。魔力が回復したならグレイウルフの危険性も今以上にあがることは容易に想像できる。
しかし魔力を取り戻したティアのチートさはあんたも承知の通り。いくらグレイウルフが危険なモンスターだとしても、魔力さえ取り戻せばティアにとって敵にもならないだろう。
じゃあどうすればいいのか?
ハーレイは言った。
『シュレイダーが言うには、館全体をあの不思議な力で覆っているそうです。あと半日は魔力も回復しないと聞きました』
その言葉を信じるなら
思考が深い海へ潜るように沈んでいく。
音も消え、手足の感覚も少しずつ薄くなる。
妙に頭がすっきりとして、様々な情報が湧き水のように浮かび上がってきた。
グレイウルフの生態、戦闘能力、名前の由来、発生の起源――。
知るはずのない情報が染みのように自分の内側から浮き出ては消えていく。
いや、違う。
今知りたいのはそんなことではない。
魔力。
そう、魔力の回復だ。
問題はそれがどこにあり、どのような仕組みで実現されているかだ。
とはいえ場所の特定はそれほど難しいことではない。
この建物全体を覆うということは、建物の内部であろうことは容易に推測できる。
シュレイダーたちが生成できる異元結節点の大きさはせいぜい五十センチ。
その大きさで建物全体を覆うには一階もしくは二階の中央部付近に配置する必要がある。地下に置いては全体を覆うことも困難だろう。
しかし一階の間取りを考えると、建物中央付近にそのような場所は見当たらなかった。
ならば二階か。
存在を知られてはまずいものである以上、客間や応接スペース、遊戯室など人目に触れやすい場所の付近にはないだろう。
それらの部屋から離れ、しかも建物の中央に近い場所………………。となるとシュレイダーの書斎、あるいはその隠し部屋だな。
問題はそこへどうやってたどり着くか……。いや、無理に出向く必要はないか。
もともと異元結節点は繊細なバランスの上で動いている
外から大きな衝撃――部屋を崩すほどの――を与えてやればその機能を停止させるには十分だろう。
シュレイダーの書斎から俺たちが居る場所までのルートが脳裏に浮かぶ。
それは人間が通るための通路ではなく、建物の柱、梁、壁といった構造物が互いに支えあう力点の分布図だ。
破壊するべき部屋の床や天井を崩すためにはどこの柱を折ればいいか、その柱を折るためにはどの床を傾ければいいか、その床を傾けるためにはどの壁を崩せばいいか。逆算するようにひとつひとつ脳裏で検証し、シミュレートしていった。
まばたきをひとつする間に検証をすませると、今度はそのトリガーに必要なものを導き出す。
この場所にある柱のうちふたつ、それをあわせて叩き折れば破壊の連鎖により異元結節点を破壊して魔力の消失を解消できる。そう結論付けた。
問題はグレイウルフの体当たりを食らってもなおビクともしないあの柱を叩き折るほどの並外れた破壊力が必要ということだ。
魔力を失っている今、それだけの並外れた破壊力が――――あった。
魔力によらず絶大な破壊力をもつ人物がこの場にひとりだけいる。
俺はその人物に向けて声を大にして告げた。
「クローディット! 柱を壊せ!」
「へ?」
突然聞こえてきた指示にクローディットが目を丸くする。
うん、そりゃいきなり戦闘中にそんなこと言われてもびっくりするよな。だけど申し訳ないが詳しく説明している時間が惜しい。
俺はさっさと必要な情報だけを手短に伝える。
「そことそこ、二本の柱だ!」
「レビさんレビさん。柱を壊したところで何か意味があるのですか? むしろ私たちの身が危険になるだけではありませんか?」
それまで魔力が使えず指をくわえてみているしかなかったラーラが、俺の服をつまんで引っ張りながら常識的な意見を口にした。
「いくらわたしでもあんな太い柱を破壊するのは容易ではありませんよ! 壁を突き破るのとはわけが違います!」
続いてグレイウルフの攻撃を大槌で牽制しながらクローディットも異を唱える。電波シスターにしてはまともな反応だった。
こと戦闘に関してはトンデモ電波状態もなりをひそめるのだろうか。
一方、俺の口からは反射的に意味不明な言葉が放たれる。
「
「なんでそれをレビィたんが……?」
クローディットが驚愕に目を見開き、戦闘中であるにも関わらず顔ごと視線を俺に向けてきた。
「そんなことはどうでもいい! お前ならこの状況を打開できる! 俺を信じろ!」
早くしないとクローディットはともかくとしてティアたちがもたない。
俺は自分の都合全開で強引にクローディットを押し切る。
その時、クローディットが手にしていた大槌に明らかな変化が訪れた。
鈍い鉛色だったその表面がにわかに輝きはじめ、その光が集約して唐草模様のような図形となって現れる。
「え? 解除許可? うそ? なんで?」
手の中にある
「やれ! クローディット! 思いっきり柱をぶっつぶせ!」
「え、あ……、は、はい!」
俺の勢いに押し込まれたのか、クローディットは大槌を横にひと振りすることでグレイウルフへの牽制とし、俺が指定した柱に向け床を蹴って跳躍する。
「この手に宿るは
大槌の先端に強烈な光が生まれた。
クローディットの怪力で振るわれた大槌が柱に触れた瞬間、黄色味を帯びた光が霧状に薄れて周囲へ広がっていく。
遅れて発生するのは耳を突き刺すような轟音。続いて立ち込める砂埃と四方へ飛び散る割れた石材のかけら。
音と埃の狂乱が治まったとき、俺は狙い通りの結果を眼にして勝利を確信する。
小柄な電波シスターが持つ大槌は深々と柱に突き刺さっていた。
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