第139羽

「痛ってえ!」


 一体何に吹き飛ばされたのかもわからないまま、俺は壁へと叩きつけられた。しかも負傷した左肩をもろにぶつけながら。

 我が身を襲う激痛に、姿の見えない加害者を罵りながらも体を起こす。


「どこのどいつだよ、くそったれ……」


 ホコリの舞う廊下を見渡すと、状況が先ほどとは一変していた。


「おいおい」


 俺の眼に映ったのはボロボロに崩れ去ってガレキの山と化した廊下の壁。そしてポッカリと空いた壁の穴から見える多数の人影だ。その中にはシュレイダーの姿もあった。


 シュレイダーの周囲には何人もの武装した男たちがいる。それに対峙するように立っている人物を見て、俺は一瞬困惑した。

 その人物はゆったりとした紺色の修道服を身にまとい、白い手袋に包まれた小さな手で不似合いなサイズの大槌を握りしめている。


「クローディット?」


 昼間会った時とは違い、すっぽりと頭を包んでいた頭巾は外れている。戦う最中にどこかへ落としたのか、それとも動きの邪魔になるため自分で脱いだのかはわからない。

 薄い緑色の癖毛は初めて目にするが、新緑色の瞳と整った顔立ちはハッキリと俺の記憶にある。


「おやレビィたん、こんなところで会うなんて奇遇ですね」


 なんだその白々しらじらし過ぎる挨拶は?


 クローディットは俺を見つけると、周囲の武装集団など眼中にないとばかりヒョコヒョコ歩いて近づいて来た。その動きに合わせて武装した男たちがジリジリと道をあける。


 さらに周囲を観察すると、俺のそばにはひとりの武装した男が倒れ伏していた。見張り男ではない。革鎧に身を包んだ中年の男だった。どうやら頭を強打したらしく、ピクピクと痙攣する以外動きが感じられない。


「コイツがぶつかってきたのか」


 ようやく自分が置かれた状況を理解する。

 何らかの力で吹き飛ばされたこの男が、壁を突き破って反対側にいた俺へとストライク。その衝撃で俺も巻き込まれたというわけだ。吹き飛ばされた人間が壁を突き破るって、どんな力だよ。


「まさかこれ、お前がやったのか?」


「これというのは?」


 何のことですかと言わんばかりの表情でクローディットが首を傾げる。


「ここに転がってる男だよ。お前がその――武器で吹き飛ばしたとかいうんじゃないだろうな?」


「正解! レビィたん三ポイント獲得!」


 問いかけた俺にビシッと人さし指を向け、電波シスターがまたわけのわからない事を口にした。


「だからなんだよそのポイントって!?」


「あと七ポイントでファーストステージ突破です!」


「わけわかんねえよ!」


 どうやらこの状況、クローディットが引き起こしたことは間違いないらしい。

 身長の倍近い長さをもつ大槌を手に、周囲の注目を一身に集めた電波シスターは満足げな顔で俺のツッコミを受け止めていた。


「先生、お怪我はありませんか!?」


 そこへ心配顔のティアが駆け寄って来る。

 もうすでに怪我を負った状態の人間に向かって『怪我はないか?』というのも変な話だが、負傷した身にはその気遣いが心に染みる。少なくともわけのわからないポイントをもらうよりもよほど良い。


「ああ。大丈夫だ。まあ痛くないとは言わ――あれ?」


 どういうことだ? いつの間にか肩の痛みが引いてるな。

 全く痛まないというわけじゃないが、問題なく動かせそうだ。……もしかしてさっき吹き飛ばされて肩をぶつけた時に、偶然上手いこと元に戻ったのだろうか? ご都合が良いにもほどがあるな。


 俺は改めて辺りを見回す。

 この場に居るのは俺たちと先ほど見張り男が叩きのめした白衣たち、壁の向こうに見えるシュレイダーとその配下、そしてこの一見華奢なシスターだ。

 シュレイダーが敵である以上、状況的に考えて敵の敵であるクローディットは味方――と言えるだろうか。少なくとも俺たちに対しての害意はなさそうに見える。


「なんでお前がここに居るんだ?」


「愚問ですねレビィたん。一ポイントマイナスです」


 こいつは人と会話をするつもりがないのだろうか?


「少なくとも俺たちの敵じゃないんだな?」


「私の敵はあそこにいる」クローディットは壁の向こうで体勢を整えつつあるシュレイダーを指さしながら「チョビヒゲ筋肉とその手下ですよ」と答えた。


 どうやら少なくともこの電波シスター、俺たちの敵ではないらしい。味方かどうかはまた別の話だが、シュレイダーにとっての敵ならばそれで良いだろう。

 いや、そもそもシュレイダーたちがこの場に居なければすんなりと屋敷から脱出できたのか。ある意味敵を引き連れて現れたクローディットは疫病神ともいえる。


 状況から考えて敵はシュレイダーとその配下である武装した集団。未だ戦力にならない白衣男たちを除くと人数は二十名ほどか?

 味方はルイを除いて俺、ティア、ラーラ、エンジの四人。クローディットは明確な味方とも言えない。そういう意味では俺たちを逃がしてくれた見張り男についても、まだ完全に信用できるとは――あれ? そういや見張り男はどうした?


 確かさっき吹き飛ばされる時、俺の前に出てきて……。

 首を巡らせて見張り男の姿を探すと、先ほど吹っ飛んできた中年男の下から見張り男の声が聞こえてきた。


「うぅ……。痛たた……」


 中年男の体を押し避けながら姿を現した見張り男を見て、俺は目を丸くする。


 見張り男は吹き飛ばされた勢いで兜のフェイスガードが外れてしまったのだろう。それまで隠れていた素顔があらわになっていた。

 年はおそらく二十代半ば。顔立ちはそれほど特徴があるわけではないが、隙間から覗く鮮やかな赤い髪色が目を引く。

 だが俺が驚いたのは、その人相が俺にとって見覚えのあるものだったからだ。


「ハーレイ……」


 久しぶりにその名を口にする。

 それは以前、俺が学都へ受賞式出席のためやって来た時、臨時で護衛を頼んだ人物だった。学都へ来る途中の列車臨時停車、学都内での襲撃を仕組んだ人物であり、帰りの列車では実力行使に出てまんまと俺の預金を奪い取っていった強盗だ。


 なぜコイツがここに居る? しかもなぜ俺たちを助けようとする? いや、もしかするとまた俺を罠にはめようとしているのだろうか? 助けるふりをしておきながら、実はやはりシュレイダー側の人間なのだろうか?

 俺の脳裏に次々と疑問が浮かび上がった。


「あっ……」


 周囲を見回したハーレイは自分の顔に手をあて、素顔があらわになっていることを知ると、気まずそうな表情を浮かべた。

 そんなハーレイと俺の間へひとりの人物が立ちふさがる。背中に流れる銀の川が目に入った。


「これはどういうことですか?」


 冬の夜風を思わせる声で自称アシスタントの少女が問う。


 おい、ティア。今のお前は魔法使えないんだから、大人しくしてろって。


「いや……、その……」


「まさかあなたの方からノコノコと姿を現すとは思っていませんでした。あの時は不覚を取りましたが、今度は逃しません」


 止める間もなく臨戦態勢へ入ろうとする銀髪少女へ、ハーレイは慌てて手のひらを向けて押しとどめる。


「待ってください! 私はあなた方に敵対するつもりはありません!」


「その言葉を信じるとでも?」


 まあ、そりゃティアの言う通りだよな。

 依頼主を騙して人質を取ったあげく、金を巻き上げていった張本人だもの。俺の二百万返せ。


「……信じてください、などと口にするのが虫のいい話であることはわかっています」


 苦しそうな表情を浮かべてハーレイが言葉を続ける。


「ですが今はここから脱出することが大事です。この屋敷から出た後は煮るなり焼くなり好きにしていただいて構いません。ですから今は、ひとまず怒りを収めていただけませんか」


「本当に虫のいい話ですね。本来ならば今ここで捕縛してしまいたいところですが……」


 ティアの言わんとするところは分かる。普通なら全力でハーレイを捕まえて、警邏に突き出すところだろう。だが今はそうも言っていられない状況だ。なぜなら――。


「ティアさん、後ろです!」


 突然ラーラが警告を発する。

 ハッとして振り向いたティアの足に向け、飛びナイフが一直線に襲いかかって来た。


 だが次の瞬間、ナイフは甲高い衝撃音を立ててはじき飛ばされる。ハーレイが鞘に収まったままの剣を振り下ろし、ナイフを打ち払ったのだ。


「不届き者と裏切り者で仲違なかたがいかね? 見苦しいことだな」


 チョビ髭親父が嫌らしい笑みを浮かべて嘲った。


 そう。今はハーレイのことにばかりこだわってはいられない。なぜなら目下のところ、優先して対処しなければならない敵が俺たちの前に立ちふさがっているからだ。

 俺たちがハーレイとの邂逅に戸惑っている間、シュレイダーとその配下は態勢を立て直したらしい。


 確かにハーレイは許せないが、現状それどころではないというのも事実である。シュレイダーたちの追撃を振り切ってこの屋敷を出ない限り、俺たちはまた囚われの身に逆戻りとなってしまうだろう。


「ティア。気持ちは分かるが今は脱出が優先だ」


 俺の言葉に渋々ながらティアが折れる。


「……仕方ありません。屋敷を出るまではひとまず保留します」


「ありがとうございます。全力をもってサポートさせてもらいます」


 それを聞いてハーレイがホッとした表情を見せた。


「お話がまとまったようですので」ハーレイとのやりとりを傍観していたクローディットが、唐突に口を挟み、「さっさとあのチョビ髭筋肉をぶちのめしてここを出ましょうか」と物騒な事を宣言した。


 どうやらこの残念シスター、俺たちの味方になってくれるらしい。だが一体コイツ何者なんだろうか? 昼間の警告から考えるに、こうなる事がわかっていたようだが……。


「脱出に協力してくれるのか?」


「脱出に協力するわけではないですが、あのチョビ髭筋肉を張り倒すのは私の望むところ。結果としてレビィたんの助けになったとしてもお父様はお怒りにならないでしょう」


 お父様っつーのはよくわからんが、とにかく手を貸してくれるんならありがたい。


「ちなみにお前、さっきまで連中と戦ってたんだよな?」


「正解です。ですがあまりに簡単な問題のためポイント獲得対象外となります」


「ポイントはどうでも良い。他に仲間はいるのか?」


「どういうことですか? この屋敷に来たのは私ひとりですが」


 ……ってことは、さっきまでの騒動はコイツひとりが暴れてたって事か?

 シュレイダーの周辺を固める配下たちは二十人ほどだ。しかし俺たちが食堂で捕らえられた時にはもっと大勢いたはず。それが今ここに見当たらないと言うことは、差引分の人数をクローディットひとりで倒してきたということだろうか?


「ではさっさと片付けましょう」


 俺が自問している間に、クローディットがやたらバカでかい大槌を持って敵中に突進しはじめる。

 両手でしっかりとつかんだ大槌を体全体で振り上げると、三人ほどが固まって立つポイントに向かって打ちつけた。


「おわあ!」


 慌てて敵が散開する。誰も居なくなった床に大槌の突端がぶつかったかと思うと、耳をつんざく爆音と共に衝撃波がその場にいた全員を襲った。大槌の衝撃に耐えられなかった床が無数の破片となり、四方八方へと飛び散る。


「嘘っすよね……」


 絞り出すようなエンジの声が俺の耳に届いた。

 信じられないのも無理はない。大槌の一撃をまともに食らった床は円形状に直径一メートルほど陥没しているのだ。


「……お、おいティア。もしかして魔力が元に戻ってるのか?」


「……い、いいえ。相変わらず魔力は消えたままです」


 さすがのティアも言葉を詰まらせた。


「ということはあれ……。魔力を使わない状態であの威力を出してるってのかよ」


 魔力による身体能力強化が行われているのなら、別段不思議な光景ではないだろう。ティアはもちろんフォルスでも同程度の威力は出せるはずだ。

 だが今この屋敷内は魔力が消失した状態だ。すなわち武器の威力を決めるのは純粋な膂力りょりょくであると言えよう。

 その状態でクローディットは身長の倍に達しようかという大槌を軽々と振り回し、次々にシュレイダーの配下たちを吹き飛ばしている。一体あの小さな体のどこにそんな力があるんだか。


「ええい、何をぼさっとしている! トーレ、アイツらを捕らえて人質にするんだ!」


 苛ついた様子でシュレイダーが配下に檄を入れると、数人の配下がクローディットを無視してこちらに向かってきた。


「皆さん! 私の後ろに下がってください!」


 それを見てハーレイが立ちふさがる。


「先生とルイは壁際に! エンジさん、反対側はお願いします!」


「了解っす!」


 クローディットが倒した敵の武器を拾い、ティアとエンジが左右を固める。


 正面から剣を打ち合わせる音が響いてきた。見ればハーレイがふたりの敵を相手に渡り合っている。一本の剣を巧みに操り、同時に襲いかかってくる敵をさばきながらも隙をついて反撃していた。人数の不利をものともしないその剣技は素人目に見ても鮮やかだ。


 横目にティアを確認すると、こちらもふたりの敵を相手に一歩も引かない戦いを繰り広げている。たとえ魔力による能力の底上げがなくても、もともと確かな力量のある娘だ。圧倒的な人数差があるならばともかく、武器を持っているのだからふたり程度ならあしらえるのだろう。


 エンジの方もかろうじて敵を防いでいる。こちらは相手がひとりだから何とかなっているみたいだ。さすがにエンジひとりで敵をふたり相手にするのは難しいかもしれない。

 だが敵はこれ以上こちらへ人数を割けないようだ。見ればクローディットの大槌によって早くも五人以上の敵が倒されている。残る敵はシュレイダーとその周囲にいる三人、クローディットを囲む四人と、俺たちを囲んでいる五人にまで減っていた。


 そうこうしているうちにまたクローディットの大槌が敵のひとりを捕らえる。ピンポン球でもはね返すかのような勢いで吹き飛ばされた敵が、壁にぶつかってそのまま動かなくなった。

 その間にティアとハーレイがひとりずつ敵を倒し、ゆっくりと着実に人数差が縮まっていく。


「ぐ、ぐうぅ」


 憎々しげな表情を浮かべるシュレイダーの目前で、さらにもうひとりの敵がクローディットの大槌を食らって戦闘不能に陥る。

 もはや彼我の戦力差に大きな開きはない。むしろクローディットの活躍を考えれば、天秤はこちらに傾いていると言って良い。


 やがてひとりまたひとりとシュレイダーの配下が無力化されて行く。ついに敵がシュレイダーを含めてその数を四人にまで減らした時、完全に形勢は逆転していた。


「ぐ……。キサマさえ来なければ……!」


 死の呪いを込めたかのような視線でクローディットを射抜くシュレイダー。


 もともとはここから脱出するのが目的だったが、これだけ優勢ならばシュレイダーを捕らえることも出来るだろう。むしろシュレイダーを放置して憂いの種を残したままにするよりは、ここで決着をつけてしまいたい。


 しかしそんな余裕を持っていられたのもわずかな間だけ。やはり世の中そう思うようにはいかないらしい。


忌々いまいましい! キサマらも! あの黒髪女も! 無能な古き神も! いつもいつも我らが神の邪魔をしおって! 新しき理想を理解しようとしない愚物めが!」


 追い詰められたシュレイダーは切り札を隠し持っていた。


「真の神が力、その身で思い知れ! 来い! アトラ、ミトラ!」


 屋敷中に響きわたるかのような音量でシュレイダーが叫ぶ。


 来いと言うからには援軍か? とっておきの手練れをまだ残していたのだろうか?

 そんな俺の疑問はすぐに解消される。あまり嬉しくない結果で。


 足もとの方角、屋敷の地下と思われる場所から狼のような獣の遠吠えが聞こえてきた。


「な、なんだ?」


 遠くから複数の足音が響いてくる。


 屋敷の中をこちらへと真っ直ぐに近づいて来たその足音は、やがて廊下の向こうから獣の姿となって現れた。


 それは四つ足で歩く二体の獣だ。体長はおおよそ五メートル。体中を灰色の毛皮で覆われた巨大な狼らしきその姿は、人間に原始の恐怖を思い起こさせる。

 唸りをあげるその顎からは人間の親指よりも大きな牙が見え隠れし、今にも獲物へと襲いかからんばかりの息づかいが感じられた。


「ま、まさか……グレイウルフ?」


 呻くような声でハーレイの口からこぼれたのは、思いもよらぬ名だった。

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