第138羽

「さあ、今のうちに逃げ出しましょう」


 見張りの男が口にした言葉は、俺の予想を裏切るものだった。


 どういう意味だ?

 いや、意味自体は言葉通りなんだろうけど……、果たしてそれを信じていいものか?


 俺は声の主をじっと見つめる。

 フルフェイスの兜を身につけた見張り男の顔は全く見えない。声はこもっているものの、どこかで聞いたような気がする。


 何かの罠かとも思ったが、このに及んで俺たちを罠へ誘い込む必要もないだろう。すでに囚われの身なのだから。


「どう思う? ティア?」


「何とも言えません。この状況ではこともできませんし」


 小声で意見を聞くと、ささやくような鈴声が返ってきた。

 その魔眼を通して相手の思念が見えるとは言え、それも魔力あってのことだ。魔力が使えないこの状況ではティアの目も役に立たないのだろう。


「警戒されるのは当然です。ですが今なら見張りも私ひとりしか居ません。このチャンスを逃すと状況は悪くなるばかりです」


 見張りの男が決断を促す。


「……わかった」


 とりあえずここを抜けだすのが優先だ。このまま大人しくしていても状況が良くなるとは思えなかった。その点に関しては男の言う通りだろう。


「ひとまず腕の傷はこれで押さえてください」


 俺の返事を聞いた見張り男は、手当て用の布を取りだしながら近づいてくる。

 とっさに俺をかばうような素振りをティアが見せると、男は立ち止まりゆっくりとした口調で言う。


「信じてください。害意はありません」


 一瞬迷いを見せたティアだが、男から白い布を受け取ると俺の右側に回り込む。血を吸って真っ赤になったハンカチを外し、代わりに受け取った布を俺の腕に巻きはじめた。

 にじんだ血で布が一部赤く染まるが、流れ出る血の量は思ったほど多くない。幸い太い血管を傷つけずにすんだのだろう。


「肩を固定します。本当は治療ができれば良いのですが、今はこの館全体で魔力を使えない状態になっていますから」


 言うやいなや、見張りの男は俺の左腕が動かないよう布で体に縛り付ける。


「ぐ……!」


 確かに患部の固定が有効ってのはわかる……、わかるんだけど痛いものは痛い!


「館を出るまでの辛抱ですから」


 見張り男は俺に向かって声をかけると、すぐさま扉の方へと走り寄り周囲の様子を窺う。


「信じて良いものでしょうか、先生?」


 不審感を残した表情でティアが俺に小声で問いかける。


「わからん。でも今さら俺たちをめる必要性もないだろう。これ以上、状況が悪くなるとも思えないし」


 俺だって納得しているわけではない。だが見張り男が本当に俺たちの味方なら、確かに今は脱出する絶好のチャンスだ。

 逆に見張り男が俺たちの敵だとしたら……。そもそもこうやって脱出を促す必要なんて無いだろう。ついさっきまで俺は気を失っていたし、魔力が使えない状態ではティアたちも無力なままなのだから。


「ラーラたちも良いな?」


「仕方ありません。他に選択肢はないのです」


「兄貴の判断にまかせるっすよ」


「ンー」


 扉から外の様子を窺っていた見張り男が俺たちを手招きした。


「大丈夫です。誰も居ません。今のうちに逃げましょう」


 俺たちが寄って来るのを待って、見張り男が先導するように廊下を歩きはじめた。


「あんた、一体何者だ?」


「今はただ味方としか」


 誰も居ない通路を警戒しながら歩く見張り男へ後ろから疑問をぶつけるが、返ってくるのは要領を得ない言葉ばかり。


「どうして俺たちを助けようとする?」


「ただの罪滅ぼしです」


「罪滅ぼし? よくわからないな。結局あんた誰なんだ? 顔くらい見せてくれても良いだろう?」


「とても……、顔向けなんてできませんよ。……ともかく今は逃げることが優先です」


 確かに今は悠長に言葉を交わしている状況ではない。

 相手はあれだけの武装した集団にも関わらず、こちらはほとんど戦闘力を持たない無防備状態に近いのだ。たとえこの見張り男がこちらの味方だとしても、会敵すればすぐに捕らえられてしまうだろう。


 閉じこめられていた部屋からここまで一度も敵に出くわすことがなかったのは、幸運もさることながら、絶え間なく聞こえてくる騒音もその一因に違いない。


「さっきシュレイダーが『迎撃』とか言ってたけど、襲撃を受けてるのか?」


「そのようです。雇われた者は私以外すべてそちらの迎撃に向かっているはずです。今なら見張りや巡回も居ません」


「襲撃者はあんたのお仲間ってわけじゃないのか?」


「この襲撃には全く関与していません。それどころか、この館にあなた方がいることすら数時間前まで知らなかったんですから」


 やっぱりこいつ、俺たちのことを知っているらしい。誰だ?


 とにかく今は脱出するのが先か。

 館のどこかから戦いの声と衝撃音が絶え間なく聞こえてくる。音から予測するに、相当な激戦になっているのだろう。


 襲撃してきたのが敵なのか味方なのか、どれくらいの戦力なのかわからないが、あれだけの武装集団と渡り合っているのだ。きっと相当な使い手が――ん?


「そういえば、魔力はまだ使えないのか?」


「ダメダメです」


 ふと後ろに続くラーラへ訊ねてみるが、やはりまだ魔力は消失したままらしい。


「シュレイダーが言うには、館全体をあの不思議な力で覆っているそうです。あと半日は魔力も回復しないと聞きました」


 俺たちの会話を聞いていた見張り男が補足する。


 なるほど、館の中に居てはどうあがいても反撃は不可能ということか。確かに館を出るのが何よりも最優先と言えるだろう。しかし、そうだとしたら――。


「魔法が使えないんなら、なんであんな馬鹿げた破壊音が聞こえてくるんだ?」


 断続的に聞こえてくる戦いの音。同じ建物の中とは言え、あまりにも派手に響くその音が魔法なしの肉弾戦オンリーで発生しているとは到底思えなかった。


「それは……、私にもわかりません」


 大して期待もしていなかったが、やはり見張り男からは予想通りの答えが返ってくる。


 まあいい。大事なのはこれが願ってもない脱出のチャンスで、この男が俺たちに協力してくれているということだ。


 ひとけのない館を、俺たちは見張り男を先頭にして静かに進む。


「あと少しで裏口が見えて来ます」


 終わりが見えかけたことを口にする見張り男の言葉に、緊張を緩めた瞬間。それをあざ笑うかのように白衣を纏った一団が行く手を遮った。


「お前たち! どこへ行く!?」


 相手にとっても俺たちとの遭遇は予想外だったのだろう。口にする言葉こそ威圧的だが、その表情からは明らかに狼狽が見て取れた。


「突破します!」


 後に続く俺たちへ短く告げると、見張り男はスラリと鞘から抜いたショートソードを手に一団へと突っ込む。


 対する白衣の男たちの人数は四人。武器こそ手に持っているものの、その手つきは明らかに素人だ。体つきも細く、さほど日焼けしていない肌を見るに外で剣を振るうような生活とは縁遠いのだろう。

 あれなら俺の方がまだマシかもしれない。魔力が使える状態ならかなうわけもないが、現在の状況なら純然たる筋肉で上回るであろう俺にも勝ち目がありそうだった。


 うろたえるばかりでろくに迎撃態勢もとれていない白衣たち。見張り男は瞬時に詰め寄ると、一人目の剣をはじき飛ばしてすぐさまその横腹へ強烈な蹴りを入れる。

 続いて立ち尽くしていた一人の懐へ潜り込むと、そのあごへヒジ打ちを食らわせた。それほど強い一撃にも見えなかったが、白衣男の耐性はさらに弱かったのだろう。そのまま体を吹き飛ばされて動かなくなる。

 ようやく反撃の行動に移った残る二人に対しても、一方は剣を打ち合わせ、もう一方は斬りかかってくる腕を回し蹴りで弾く。蹴りの勢いそのままに剣を打ちあわせた白衣の足もとを払い、転ばせると同時にみぞおちへヒザを落とした。

 回し蹴りを受けた白衣が体勢を整える前に、見張り男が剣の柄で後頭部を殴打する。


「あざや神っすねー」


 口笛を吹いてエンジが賞賛した。


 確かに鮮やかな技量だ。

 いくら相手が戦い慣れしてなさそうで、しかも狼狽気味であったとは言え、四人を相手にろくな抵抗も許さずほとんど一蹴である。

 魔力が使えないというのは当然見張り男にとっても同じ条件。つまり魔力を使わない純粋な体術を磨き上げているからこその圧倒と言える。間違いなく手練れだろう。


 倒れこんだ四人はいずれも首からペンダントを下げていた。平行四辺形をいくつも組み合わせたような幾何学模様を思わせるペンダントトップには見覚えがある。

 ユリアちゃん救出の際、何度か目にしたそれは間違いなくカルト集団『偽りの世界』のシンボルマークだ。本人の口から聞いた以上は今さらな話だが、やはりシュレイダーが『偽りの世界』の関係者であることは間違いないようだ。


「出口はすぐそこです。急ぎましょう」


 剣を鞘に収めた見張り男が俺たちに促す。


「あいつら、あのままで良いのか?」


 見たところ気絶しているヤツもいるが、痛みに悶えているだけのヤツもいる。すぐには無理だろうが、いずれ回復して動きはじめるとやっかいなことになりそうだが。


「どうせ屋敷を出るまでのことです。魔力さえ回復すれば、後はどうとでもなるでしょう?」


 確認するかのような口調で見張り男がティアに向けて言った。


「当然です。魔法さえ使えれば相手が何人居ようと問題ありません」


 そして返されるのは、あまりにも頼りがいのありすぎる銀髪少女の言葉。安定のチート娘である。


 白衣男たち全員の身を拘束する手間と時間を考えれば、さっさと疑似中核による魔力消失現象の範囲外に出た方が早い。もっともな話であった。


「彼らが回復する前に早く」


「わかった。案内を頼む」


「はい、こちらの廊下を行った先に――」


 見張り男の言葉が途切れ、その顔があらぬ方向へ向けられる。


 なんだ? と思ったのは一瞬のこと。すぐに俺たちを取り巻く状況が一変した。


「レバルトさん! 危ない!」


 警告の声が響きわたったかと思うと、俺は横合いからの衝撃をもろに食らって吹き飛ばされる。

 飛ばされる瞬間、俺の体をかばうようにして身を投げ出す見張り男の姿を見たような気がした。

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