第137羽

 意識が暗闇から浮かび上がる。


 うっすらと開いた瞳にまず映るのは、赤みを帯びた弱々しい光に照らされている石造りの天井。魔光照まこうしょうの青白い光とは違う、温かみのあるそれは我が家で見慣れた光景だ。


 だがここは自宅ではない。確か俺は学都にいるはずだ。

 シュレイダーというおっさんに招待され、彼の家で歓待を受け、ラーラたちと一緒に学都のスイーツ巡りをした。

 途中で妙なシスターに絡まれたりしながらも、学都見物を楽しんでいたはずだ。


 それからどうしたっけ?

 晩餐の席でエンジが疑似中核ぎじちゅうかくの話を持ちだしてから、シュレイダーの様子が変わって……。


 ティアが取り押さえられて……。


「先生」


 聞き慣れた声が俺を呼ぶ。


 次第に意識がはっきりとしてくる。晩餐の場へ突入してきた武装集団に取り押さえられたことを思い出す。ティアが組み敷かれたところまでは憶えているが、そこから先の記憶があいまいだ。

 とりあえず生きてはいるらしい。確かに武装集団も俺たちを殺そうとはしていなかったから、それ自体は驚くことではないが……。


 どうやら俺は横になっていたようだ。体の下にあるのは一面の硬い感触。唯一後頭部だけが温かみのあるやわらかさに包まれている。

 視界の先には天井、そして手前に見えるふたつの膨らみ。その膨らみの間から、心配そうなティアの顔が上下逆さまに俺をのぞき込んでいた。


「気が付かれましたか……」


 ホッとしたような表情を見せるティア。その長い銀髪が一房、俺の顔に落ちて頬をくすぐる。


「あ、ああ……。ティアか。ここはどこだ?」


「分かりません。目隠しをされて連れてこられましたから……。ただ外に出た気配はなかったので、屋敷の中であることは間違い無いと思うのですが」


 一体なんだってこんなことに?


 シュレイダーが俺たちを捕らえたのは間違いない。だがその理由がわからない。

 そもそもどうしてシュレイダーが疑似中核を持っていたんだ? 食堂の外にあれだけの武装した人間を配置していたってことは、最初から俺たちを捕まえる気だったのか?


「ラーラやエンジたちは? ルイはどうした?」


「私もルイもここに居ますよ」


「ンー」


「オレも居るっすよ」


 視界の端から見覚えのある顔がみっつ俺をのぞき込んでくる。どうやら全員無事らしい。


「ティアは大丈夫だったか?」


 魔力さえあればとんでもない性能を発揮するチート娘だが、魔力がなければ非力な若い少女であることに変わりはない。武装した男たちに集団で押さえ込まれていたから、なにか怪我でもしていないか心配だ。


「私はなんともありません。先生こそ、お怪我は大丈夫ですか?」


「俺は別に――痛えぇ!」


 何ともない、と体を起こしかけた瞬間激痛が走る。


「先生!」


 なんだこれ。左の肩がメチャクチャ痛い。


「動かないでください。おそらく肩が外れてます」


 なんですと?


 身じろぎすると再び襲いかかる激痛へ、反射的に右手をあてがおうとするが――。


「なんだこれ!? いつの間に?」


 視界に入った右腕は赤く染まった布が巻かれていた。


「憶えてないのですか? 捕まる時に一番抵抗していたの、レビさんですよ?」


「あの時の兄貴、正直怖かったっす。右腕なんて肉がえぐれて真っ赤だったっすよ」


 ラーラはあきれたように、エンジは怯えたような顔で俺が憶えていない状況を説明してくれた。


「その程度の応急処置しかできず、申し訳ありません。せめて魔力が使えれば……」


 見れば俺の右腕に巻かれているのは女物のハンカチだ。おそらくティアの物だろう。

 縁にそって細かい刺繍がされた、見るからに高そうな品だったが、今は俺の血で真っ赤に染まりきっている。元がどれほど高価な物かは知らないが、もはや洗ったところで染みこんだ血は落ちないだろう。


「すまん、ティア。起き上がらせてくれ」


 いつまでも寝転んでいるわけにも行かない。ここがどこかはハッキリしないが、少なくとも敵地であると考えた方が良いだろう。


「つ……!」


 痛みに耐えながら、俺はティアに支えてもらって上半身を起こす。痛えなコンチクショー。


 周囲を見回すが、目に入ってくるのはランタンの火に照らされた壁と天井だけ。窓らしき物は何もなく、外から入ってくる光は感じられない。


「あれからどれくらい時間が経った?」


「一時間ほど、でしょうか」


 俺の問いかけにティアが答える。

 離れた場所には一枚の扉が見えた。あれが唯一この部屋と外とをつなぐ入口だろう。


「魔法は? 使えないのか?」


 言葉にした後、それが愚問であることにすぐ気付く。

 魔法が使えるなら、ティアがここで大人しくしている理由はない。とっくに脱出して今頃シュレイダーの首に氷の刃でも突きつけているだろう。


 無言で首を振るティアを見て、俺はその考えが間違っていないことを理解した。


「しかし、なんだってこんなことに……」


 こればかりは当の本人に聞いてみるしかない。

 そう考えていたのが呼び水になったのだろうか? 扉の外側から何人かの足音が聞こえてきた。


 石の床を歩く音はゆっくりと近づき、そして扉を前にして止んだかと思うと、続くのは扉の施錠を解く音。きしんだ蝶番の音と共にゆっくりと開いた扉の向こうから姿を現したのは、俺たちを拘束した張本人シュレイダーだった。


「おや、お目覚めのようだね。レバルト君。大人しくなったようで何よりだ。怪我の具合はどうかね?」


「……おかげさまですこぶる痛むよ」


 白々しらじらしく俺の体を心配するような言葉を吐くシュレイダー。ろくに治療もせずこんなところへ放り込んでいるのだから、それがただの皮肉であることは明白だった。


「一体どういうつもりだ?」


「どういうつもり、と言うと?」


「とぼけるな! こんなところに閉じこめやがって。なんのつもりで――」


 突如シュレイダーが部屋中に響く声で笑いはじめた。


「まさか本当に分からないとでも言うのかね? これはこれは……、もう少し賢い男だと思っていたが」


 失望したよ、と口では言いながらも、その表情は愉悦にひたりきっている。


「『偽りの世界』」


 そんなシュレイダーへ挑みかかるように、ティアがキーワードをぶつける。


「正解。そちらのお嬢さんの方がよくわかっているようだな」


 そう、シュレイダーは疑似中核を『聖球せいきゅう』と呼んでいた。同じようにあれを聖球と呼ぶ人間たちに俺は心当たりがある。というか、ヤツら以外に疑似中核をそんな名前で呼んでいるヤツはいない。


 アヤ曰く『世界の再創造を目指す危険な存在』という、カルト集団『偽りの世界』だ。

 以前行方不明になったユリアちゃんを捜索していた時、たまたまそのアジトを発見し、結果的に壊滅させることになったというちょっとした因縁の相手だ。


「まさか、あんた『偽りの世界』の……?」


「ようやく理解したかね? その節はどうも。おかげで貴重な実験施設がひとつつぶれてしまったよ。おまけにせっかくそれまで隠密理に進めていた計画が、当局に嗅ぎつけられてしまった。散々だ」


 まさかシュレイダーが『偽りの世界』に関わる人物だったとは……。

 そんなの予測できるわけがない。


 だが俺たちが敵視されている理由はようやく分かった。『偽りの世界』にとってみれば、俺たちはアジトをつぶし、その危険性を暴いた張本人だ。恨みを抱くのも当然だろう。


 ただそうすると腑に落ちない点がひとつある。


 俺たちを学都に招いて歓待したのは、アジトをつぶした張本人だと確認するためだったのかもしれないが、そもそも俺たちの名前は表向き明かされていないはずだ。

 それに俺とシュレイダーは以前にも学都での受賞式で会っている。確かあの時、シュレイダーは俺から詳しい話を聞きたいと言っていたが、あの時点では俺たちと『偽りの世界』に何の接点もなかったはずだ。


 そんな俺の疑問は、続くシュレイダーの言葉で氷解する。


「初めて君の本を読んだ時は驚いたよ。我らが怨敵、あの黒髪女と思われる人物が記されていたのだからな」


「黒髪女……? アヤのことか?」


「そうだ。アヤという名前も君のおかげで知ることができた。ことあるごとに我々の邪魔をする目障りなあの女。なかなか尻尾をつかませない曲者くせものだ。これまでどれだけ探っても居所や名前が分からなかったが……、君の本に出てきた人物の描写を見て、もしやと思ったのは間違いではなかった」


 なんてこった。

 ダンジョンからの脱出行を書いたあの本。あれがそもそもの原因か。


 アヤとシュレイダーの関係は分からないが、お互い相容れない敵という認識は間違いないだろう。アヤも『偽りの世界』を危険視していたし、シュレイダーに至ってはアヤを『怨敵』呼ばわりだ。

 本の中ではアヤの名前こそ出していないものの、容姿や戦い方は詳細に書いてある。それを見たシュレイダーが俺に探りを入れるため学都に呼び出して話を聞いていたところに、エンジの口から『偽りの世界』のアジトを粉砕したことが伝わったのだ。そりゃ完全に敵認定されても仕方がない。

 いくつかの偶然が重なった不運もあるとはいえ、ある意味では身から出たサビとも言えた。


 もっとも、原因が分かったからといって事態が好転するわけじゃない。

 俺たちの最大戦力であるティアも魔力が使えない状態ではその力を発揮できないし、魔力があってもそこそこにしか戦えないラーラやエンジは言うまでもない。俺に至ってはひっきりなしに襲ってくる激痛を耐えるので精一杯だ。


「さて、君たちには知っていることを洗いざらいしゃべってもらうとしよう。おっと、先に言っておくがこの部屋で魔法は使えない。時間が経てば聖球の効果が消えるなどとは思わないことだ」


 シュレイダーが抵抗は無駄だとばかりに、こちらの意思をくじきにかかる。


 くそっ! どうすりゃいいんだ!


 魔力が使えない以上、物を言うのは純粋な膂力りょりょくと戦闘技術。

 だがこっちは女子供とヒョロ身のエンジ、そして怪我人の俺だ。ティアの戦闘技術だって魔力による運動能力の底上げがなけりゃ宝の持ち腐れだし、武器や防具だって持ってねえ。

 対して相手は見るからに力のありそうな武装集団。魔力による運動能力の底上げがないのは同じ条件だが、そうなると純粋な力は向こうが上だろう。加えてあちらには武器も防具もある。おまけに人数だって向こうの方が多い。

 どう考えても勝てる要素がなかった。


 無駄だと分かっていても抗うべきか、それとも大人しく要求に応えるべきか。


「先生は私の後ろに」


 明らかに一戦交える気の銀髪少女が俺を背に庇う。さきほどなすすべもなく組み伏せられたばかりなのに、ティアの戦意はまったく失われていないらしい。


 それを見たシュレイダーは、面白そうに笑みを浮かべてこちらを見ている。同時に彼の周囲にいる男たちが、警戒の色を目に浮かべながら腰を落として構えた。


 一触即発の空気。

 時間にすればごく短く、それでいて重苦しい雰囲気が周囲を支配する。


「シュ、シュレイダー様!」


 その沈黙を破ったのはティアでもシュレイダーでもなく、廊下から部屋へ駆け込んできた伝令らしき男だった。


「なんだ? 何かあったか?」


「それが――」


 伝令の男はシュレイダーの側まで駆け寄ると、口元を手で覆って耳打ちする。


「何? 間違いないのか?」


 シュレイダーが苛ついたように問いただす。

 肯定する伝令を確認すると唇を噛み、忌々いまいましそうな口調でひとりごちる。


「まさか向こうから来るとは……、しかもこのタイミング……」


「邸内はもうメチャクチャです。すぐにお戻りください」


「やむを得ん。私は迎撃の指揮をとる! 見張りのためにひとり残して全員ついて来い!」


 迎撃? 襲撃でも受けているのか?


 突然のことで呆然とする俺たちをよそに、シュレイダーは周囲の人間を引き連れて部屋を出て行った。

 残されたのは俺たちと見張りを命じられた男がひとり。


 これはもしかしてチャンスじゃないのか?


 こちらは五人……いや、まともに動けない俺と戦闘力がもともとゼロのルイを除けば三人だ。

 見張りの男はチェインメイルとフルフェイスヘルム、そして腰にショートソードを身につけて武装していた。確かに素手で戦いを挑むのはあまりにもが悪すぎる。だがこの機会を逃せばこの先もっと状況は悪化する一方だろう。


 ティアがエンジに目配せをしている。エンジが頷いた。どうやらふたりで不意を突くつもりのようだ。

 手をこまねいていたら、見張りは部屋を出て扉に鍵をかけてしまうだろう。そうなっては手が出せない。今ならまだ見張りに手が届く。やるなら今だ。


 先ほどとは違った意味で張りつめた空気が部屋を満たす。


 見張りに襲いかかるタイミングを計りながら、じわりじわりと距離を詰めるティアとエンジ。

 だが次の瞬間、俺たちは思いもしなかった展開に見舞われる。


 てっきり部屋を出て行くとばかり思っていた見張りの男が、逆に俺たちの方へ一歩踏み出したのだ。

 意表を突かれた俺たちに向け、見張りの男は兜の奥から意外な言葉を口にした。


「さあ、今のうちに逃げ出しましょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る