第136羽

 クローディットが去り際に残した言葉、それが気に掛かっていた。


 結局あれから再びラーラ主導のスイーツショップ巡りに戻り、しこたま甘味を腹と土産物袋に詰め込んで、俺たちはシュレイダーの屋敷へ帰ってきている。

 油断禁物とクローディットは言っていたが、それってやっぱりこの屋敷のことだよな?

 俺が学都で知っている屋敷って、ここ以外にはトレストおうの屋敷くらいだ。しかし今回に限ってはトレスト翁とも会えていないし、関係はないだろう。


 あんたどう思う?


 え? 考えるまでもないだろう、って?

 うーん……。そりゃまあそうなんだろうけどさ。

 ただシュレイダーっておっさんが俺たちに害意を持つ理由がわからないんだよなあ。


 シュレイダーと俺のつながりは、以前学都で出席した授賞式くらいのものだろう。正直言って単なる知り合いレベルでしかない。授賞式以前に会ったこと憶えもないし、向こうも初対面の反応だったはず。

 それはティアにしたって同様だし、ラーラやエンジにいたっては今回が初対面のはずだ。 


 油断禁物ってことは気をつけろってことだろうけど、一体何に気をつければいいのかわからん。

 火事でも起きるから気をつけろってことなのか?

 いや、そもそもあんな妙ちくりんシスターが言うことを真に受ける必要はないのかもしれないけどさ。


「――生? 聞いてますか先生?」


「ん? なんだって?」


 考えにふけるあまり、ボーッとしていたのだろう。

 隣の席に座るティアが俺の腕を揺らしながら話しかけて来た。


「いったいどうしたんですか? 帰ってきてからずっと上の空ですよ?」


「ああ、すまん。ちょっと考えごとをな」


 ティアへおざなりな答えを返し、俺はナイフとフォークを持ち直す。

 さすがに招待を受けておいて、屋敷の主人を前に晩餐の席でほうけているのは問題だったな。


「ほほう、今日は南通りの『小春甘味亭』へ行ったのかね。あそこは昨年立体映信りったいえいしんで取り上げられてから行列が途切れることのない繁盛店と聞いているが、相当並んだのではないかね?」


「ですです。さすがに二時間待ちはこたえました。あんなに待つのだったら、レビさんとモジャ男に並ばせてテイクアウト品だけ持ち帰れば良かったです」


 俺が考えごとをしている間、シュレイダーはラーラたちとの会話に花を咲かせていたらしい。おかげで俺が『心ここにあらず』の状態だったと知られずにすんだみたいだ。

 初日はほとんど口をきかなかったラーラも今ではすっかりシュレイダーと打ち解けていて、スイーツショップ巡りの成果を得意げに話していた。

 まあ、これはシュレイダーが聞き上手ということが大きいだろうけどな。


「ほう。ダンジョンの件以降も何やら面白そうな事件に巻き込まれているのだな、君たちは」


 昨日までと同じくなごやかな雰囲気の中、和気あいあいと食事を続けていたところへ一石を投じたのはどんなときでもマイペースを崩さない天然パーマ頭のノッポであった。


「そうっすね! ユリアちゃんを探しに行った時なんてマジやばかったっすね! 死ぬかと思ったっす!」


「ほほう。詳しく聞かせてくれるかね?」


「あれは先月のことっす。行方不明になった女の子を助けるためにオレたちは森へ――」


 きょうが乗ったのか、いつも以上に多弁なエンジがシュレイダーの促すままにここ最近の事件を語っていた。


「――そこで相手が懐から取りだしたのが、これくらいの大きさのピンク色した球体っす!」


「ほう、ピンク色の球体とな?」


 それまでニコニコと話を聞いていたシュレイダーが、疑似中核ぎじちゅうかくのところで大きく反応を見せる。


 というかエンジ。疑似中核については他言するべきじゃないとアヤも言っていただろう。何ペラペラしゃべってんだよお前。ちゃんと口止めをした――記憶はないな、そういえば。


「なあ、ティア。疑似中核の件、エンジに口止めとかしたか?」


「いいえ。てっきり先生からお話ししたとばかり思っていましたが……」


 小声で隣にいるティアへ確認するが、返ってきたのはあまり嬉しくない答えだ。


「――敵が投げつけてきた球体にあねさんの攻撃魔法が命中したその時っす!」


「おい、エンジ」


「なんすか? 兄貴?」


 熱弁をふるっているところ悪いが、その話はあまり掘り下げたくない。


「もうその話はいいだろう。それよりフィールズ大会の話をした方が面白いんじゃないか? 昨日の晩もそこまで詳しいところは話してないし」


「良くないっすよ。これからクライマックスの脱出劇で一番盛り上がるんすから」


 ちっ。

 こっちの気も知らないでコノヤロウ。


「だからそれはもういいから、とっととお前がアヤにあっさり斬り捨てられた準決勝の話でもすれば良いんだよ!」


「そんなー! ひどいっす!」


 ギロリとエンジを睨みつけて、無理やりにでも話を終わらせようとしたところ――。


「そうだな、もういいだろう」


 シュレイダーが助け船を出してくれる。


「ほら、シュレイダーさんもああ言ってるぞ」


 ふう。ようやく話を変えられそうだ。


「まだまだ訊きたいことは残っているが、一番知りたかったことはわかった」


 はて?


 疑似中核の話題を打ち切れたのはいいが、どうもシュレイダーの様子がおかしい。

 さっきまで朗らかに笑みを浮かべていたその顔から、心なしか表情が消えているように感じる。なんだ?


「先生。私の後ろに隠れてください」


「なんだよ、ティア。やぶから棒に」


 シュレイダーの変化にリアクションをとる間もなく、ティアが席を立った。スルリと俺の前に出ると、シュレイダーに向けて警戒の視線を向ける。その表情は硬い。


「君らにぜひ見てもらいたいものがある」


 突然変化した雰囲気とティアの行動に俺が戸惑っていると、シュレイダーが席を立って部屋の片隅にあったチェストへと歩み寄る。


「これだ。見覚えがあるかね?」


 何の気なしにシュレイダーがチェストの引き出しから取りだした物を目にして、ティアが驚きの声をあげる。


「え……、それって!?」


 シュレイダーの手に乗っているのは、ソフトボール大の球体だった。磨かれた大理石のようにつややかな表面は魔光照の明かりで照らされ、鮮やかな桜色の姿をさらけ出している。

 大きさこそ異なれど、間違いなく見覚えがある。一度目は破壊された破片、二度目は壊れる前の状態で遭遇したそれを見るのは、今回で三度目だ。

 思いもよらなかった物体の出現に俺は目をむく。


「疑似中核……! どうしてシュレイダーさんがそれを!?」


「ふむ。その反応、やはりこれの力を理解しているということだな? だが疑似中核などという俗な呼び方はやめてもらいたいものだ」


 シュレイダーの口から紡がれる一言一言が、不吉な呪文のように耳へとまとわりつく。

 この話の流れ、どう考えても良い方向へと進みそうにない。


「疑似中核でなければなんだというのですか?」


 ティアが敵意をにじませながら、シュレイダーへ問いかけた。


まことなる神の手によって祝福されし珠玉しゅぎょく――『聖球せいきゅう』だ」


「その呼び名……!」


 思わず絶句する俺。


 疑似中核を『聖球』と呼ぶ存在に、俺たちは心当たりがある。ユリアちゃんの救出をする際に、成り行きで壊滅に追い込むこととなったカルト集団『偽りの世界』だ。

 ヤツらはアヤが疑似中核と呼ぶあの物体を、書類に『聖球』と記していた。『聖球』という呼称がどこまで広く使われているのか知らないが、少なくともあのカルト集団がそう呼んでいたのは確かだろう。


 じっとりとした嫌な汗が体中からにじみ出す。

 一瞬訪れる沈黙。この場にいる全員が様々な思惑を浮かべていることだろう。


 その固まった空気を最初に動かしたのは、この場の主導権を握る屋敷の主人だった。

 シュレイダーがポケットに手を突っ込む。次の瞬間、食堂にある複数の扉が大きな音を立てて開け放たれ、そこから武装した人間の集団が現れた。

 またたく間に食堂へとなだれ込んできた武装集団の人数は、ざっと見たところでも五十人はくだらない。開かれたままの入口越しに廊下を見れば、まだまだ部屋に入りきらない人間が待機しているのすら確認できる。


 こんな人数が一体どこに居たんだ!?


「晩餐の給仕にしてはずいぶん多いと思っていましたが……。なるほど、こういうことでしたか」


 当然このチート娘にはお見通しだったみたいだけど……。


「それで? 私たち相手にこの程度の人数で、何とかなるとでも思っているのですか?」


 うん。正確には『ティア相手に』この程度の人数で、だな。少なくとも俺とラーラとエンジだけではこの半分が相手でも勝ち目はない。ルイ? 頭数にも入らんだろ。


「思ってはおらんよ。あの黒髪とまともにやり合えるほどの力があるのだろう? 正面からぶつかるなどという愚を犯すつもりはない」


 ティアの言葉に動じることもなく、シュレイダーは余裕綽々よゆうしゃくしゃくと応える。


「だからな……」


 シュナイダーは疑似中核を持った腕を振り上げると――。


「こうするのだ!」


 躊躇ためらうことなく床へ叩きつけた。


 桜色の球体が磨き上げられた床へぶつかり、硬質な破裂音と共に砕け散る。その破片が魔光照まこうしょうの明かりを反射して光ったのは一瞬のこと。次の瞬間、部屋の中を照らしていた魔光照が一斉に明るさを失った。


 なんだ? どうなった?


 魔力を感じることができない俺にはよくわからないが、確か『偽りの世界』のアジトでは、疑似中核が割れた後に魔力の暴走が発生したはずだ。今回も同じことが……? いや、確かアジトから持ち出した資料に書いてあったな。疑似中核の起動方法はふたつあって、ひとつは強力な魔力をぶつけること。この場合が魔力暴走だったはずだ。もうひとつの起動方法は物理的に破壊する事。シュレイダーが今まさにやったことだ。この場合、招く結果は…………魔力消失か!


「魔力が……!」


 俺が結論を出すまでにかかった時間と、ティアが状況を把握するのにかかった時間は同じだった。


 どうやら疑似中核の起動で魔力が一時的に消失したらしい。魔光照が消えたのはそのせいだろう。


 焦りを見せる俺たちにシュレイダーが不敵な笑みを向ける。魔光照は全て光を失ったが、壁にかけられたロウソクの火が頼りなく室内を照らしていた。

 シュレイダーの顔は先ほどまでの紳士然としたものではなく、どこか冷たさを感じさせる嫌らしい笑みで彩られている。その表情を照らすのが、揺れるロウソクの光であることも不気味さを増す要因となっているのだろう。


「いくら強かろうと、魔力がなければしょせんはただの娘。この人数相手に勝てるとでも?」


「やってみなければ分かりませんよ」


 一歩も引かない様子のティアが強気で応じる。


 だが実際のところ、魔力を封じられた状態ではさすがのティアもこの人数差は無理だ。魔力を失ったティアはただの若い娘にすぎない。その体さばきはプロのフィールズプレイヤーも顔負けとはいえ、魔力による身体強化があればこそ。たとえ脳が動きをトレースしようとしても、体がついていかないだろう。


「気の強いお嬢さんだ。だがな――」


 ティアと向かい合うシュレイダーが哀れみを込めて笑う。


「きゃっ!」


「ンー!」


「うげっ!」


 俺たちの後方から短い悲鳴が聞こえた。誰の声かは振り向かなくても分かる。ラーラたちだ。


 真性チート娘のティアですら、魔力を失うとただの少女になってしまうのだ。ましてラーラたちが魔力の消失したこの場で、武装した屈強な男たちに抵抗できるわけもない。


「ラーラさん!」


 反射的に振り向いたティアの隙をついて、周囲で構えていた人間のひとりが襲いかかる。


「ティア!」


「きゃあ!」


 俺が声をかけた時にはもう遅かった。後ろから不意打ちを食らったティアが倒れ、そこへ複数の男が押さえ込みにかかる。


「おい、ティア! しっかりしろ!」


 近寄ろうとした俺の体を、後ろから何者かが羽交はがい締めにする。途端に俺も身動きがとれなくなった。


 誰だ? 俺の体を束縛しようとするのは?

 いや、それが何者かなんてどうだっていい話だ。


 目の前でティアが武装した人間たちに手足を押さえ込まれている。

 ティアは必至にあらがおうとしているが、魔力のない状態では彼女とて非力そのものだ。押しとどめようとする男たちの力にかなうわけもない。


「くっ、う……!」


 ティアの口から苦悶の声がもれる。


 白氷銀華フロノレスと呼ばれ、その戦う姿を孤高の華にたとえられたチート娘が声を発することもできないほどの状況に追い込まれていた。



 それを見て、俺の思考が強い色に染まっていく。



 なんだ?


 何が起きてるんだ?


 どうした?


 ティアはどうしたんだ?


 俺はどうしたんだ?


 俺は何をしているんだ?




 お前ら誰だ?


 お前ら、今何やってる?


 俺の目の前で何をやってる?


 その娘に手を出したな?




 ティアに手を出したな!


 ティアを傷つけたな!


 ティアを苦しめたな!




 その手を放せ!


 ティアの腕をそんな力一杯押さえつけるんじゃねえよ!


 ティアの背中にヒザなんて立ててんじゃねえよ!


 銀色の髪を汚い手でつかむんじゃねえよ!


 ティアから離れろ!


 お前らみたいなのがティアに触るんじゃねえ!





「……ざ、けるなあああ!」


 押さえつけようとする腕に噛みつく。

 その腕が怯んだ隙に誰かの顔へヒジ打ちを食らわし、なおも拘束しようとする別の腕を力任せにふりほどく。肩が痛い。


「そいつを取り押さえろ!」


 聞いたことのない声が鋭く室内に響く。


 そいつ? 誰のことだ? どうでもいい! 俺の邪魔をするな!


「は、な、せえええ!」


 体のあちこちが誰かの腕に押さえつけられる。

 腕、腕、腕。どれもこれも鬱陶しいことこの上ない。


 俺の体に群がる人間たちから、自分の腕を強引に引き抜こうとする。腕が熱い。

 顔にも、足にも、肩にも、腰にも。無数の腕が俺の邪魔をする。




 離せ!


 俺に触れるな!


 ティアに触れるな!





 そこからどけ!


 ティアを苦しめるな!





 俺に逆らうのか!


 俺が誰だかわかっているのか!









 ――俺の意識はそこで途絶えた。

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