第135羽

 ティーン島産のはちみつ干し梅。

 それは干し梅好きのラーラに言わせれば干し梅界のプリンス。我が道を行く高貴なる甘味の寵児ちょうじ、知る人ぞ知る至高の一品らしい。

 酸味の中にほのかな甘みを持つという絶妙なバランスが好事家こうずかに愛されているという。


 もちろんいくら甘みがあるといっても、基本は干し梅である。口に入れた瞬間こそ甘さが広がるものの、すぐに舌全体を酸っぱさが包んでしまうのだ。

 甘味を期待して咀嚼そしゃくしていたクローディットにとって、それは許しがたい裏切りと言えよう。


「あ、甘……! あま! 甘あー!」


 顔をしかめたクローディットが魂の叫びで甘味を求める。


「ほう、シスターゆえに尼とな? なかなかシャレがきいてるじゃないか」


 からかってやると、意趣返しとばかりに俺の足をベシベシと叩きはじめる。


 こら、痛いじゃないか。


 ……いや、マジで痛いぞオイ。


「仕方ねえな。これでも食えよ」


 本格的に足が痛くなってきたので、我が身可愛さにクローディットの口へ飴玉を放り込んでやる。


「あぁ……。苦難を乗り越えた先の甘味はまた格別……」


 ようやく口の中から酸味が追い出されたのか、顔をにやけさせながらクローディットがご大層につぶやいた。


 それはいいから、そろそろ立ったらどうだ?

 往来のど真ん中で倒れたまま飴玉舐めて恍惚こうこつとした表情を見せるんじゃない。人の視線とかもうちょっと気にしろよ。


 むしろ俺の方が周囲からよせられる奇異きいの目に耐えられなくなりそうだ。


「先生。とりあえず場所を変えませんか? さすがにこのままだと目立ちすぎます」


 うん、そうだね。激しく同意するよ、マイアシスタント。


 ということで俺たちは当初の予定を変更し、シスターの服を着た妙な少女を引きずって近場にある公園へと移動する。

 適当に公園の一角で腰を下ろした俺たちは、ちょうど良いからとそのまま一休みすることに決めた。


 ラーラやルイが、これまでに回ったお店で買っていた菓子パンやパイを取りだしては食べはじめる。

 それを見て、俺の隣で腹の虫を豪快に鳴らすクローディット。彼女はうずくまった芋虫のような格好で恨めしそうにラーラたちを見つめていた。


「もうちょいシャンとできねえのか、お前は?」


「甘味が足りません……」


 あまりにも覇気のない様子が、ちょっと哀れに思えてきた。


「ほれ。俺のクリームパン分けてやるから」


 手に持ったクリームパンを半分にちぎり、その口元へと持って行ってやる。

 すかさずシスターがパクリと食いついた。


「ふぐ……モグモグ。香ばしさと甘さのすばらしいバランス。モグ。これはいいクリームパンですね。モグモグ」


「解説はいいから黙って食え」


「なんとか持ち直しました。ありがとうございます」


 甘味を得て元気が出たのか、巨大な芋虫の上半身が起き上がり、ようやく人間らしい姿勢に戻る。


 というかもう食ったのか。早えな。


「助かりました。なんとお礼を言ったらいいのでしょうか? これぞ神のお導き。レビィたん、良い人だったんですね。さすがです、レビィたん。できるレビィたんは他のレビィたんとはひと味違いますね」


 クリームパン半分食べさせただけでずいぶんな持ち上げようだった。

 なんだろう、このチョロさ。どこぞの空色ツインテールに通じるものがある。


「昨日もそうでしたが、こうして続けて出会うと何か縁のようなものを感じませんか?」


「いや、別に」


「それではレビィたん。『ご縁』と十回言ってみてください」


「なんの脈絡もなく十回クイズに移るんじゃねえよ!」


「『ご縁』を十回ですよ、レビィたん」


「誰もやるとは言ってねえ!」


「さあ、どうぞ」


「またこのパターンかよ!」


 どうせ俺が相手するまでずっとエンドレスなんだろ、分かってるよコンチクショー!


「あーもう! ご縁ご縁ご縁ご縁ご縁ご縁ご縁ご縁ご縁ご縁! これでいいんだろ!?」


「ではこれは?」


 おもむろに差し出された手のひらには、丸い金属の板が見える。

 板の平面には数字の『一』を表す文字が刻まれていた。流通する共通貨幣の最小単位。いわゆる一円玉だ。

 それが五枚。クローディットの小さな手に乗っていた。


「はっはっは! あわせて『五円』と言わせたいところなんだろうが、引っかからねえぞ! 答えは『一円玉』だ!」


「残念! これはスイーツひとつ買うことすらできない私の全財産です。シクシク」


「そんなもん知るかー! わけわかんねえよ!」


 こんなタイミングで自虐ネタを披露して勝手に落ち込むクローディット。

 すかさず突っ込んでしまう自分の性格がちょっと悲しい。


「こんな金額では、小さなお子様の強い味方『小粒チョコ』ひとつ買うのにも足りません……」


 口寂しそうに人さし指を下唇にあてて、小さな声でクローディットがつぶやいた。


「それはさぞお辛いことでしょう。良かったらこのシュークリームも食べますか?」


 言いながら、向こう正面に座るツインテ娘が手持ちの洋菓子を差し出す。


 珍しい。常ならば甘味へ異常な執着を見せるラーラが、ずいぶんと太っ腹な発言をしていた。

 学都に来てからというもの甘味三昧ざんまいの時間を過ごして満たされているため、手持ちのスイーツをお裾分けする余裕があるほどに上機嫌のようだ。


「いいんですか!?」


「同じ袋から干し梅を食べた仲。つまりあなたと私は梅姉妹です。遠慮はいりませんよ」


「すばらしい! これぞ神のお導き!」


 そそくさとラーラのそばに寄っていったクローディットが、そのまま口を開けてシュークリームにかぶりつく。


「それでは遠慮なく! あーん! むぐむぐ……あまーい」


 まるで子リスに餌付けするハムスターを見ているようだ。


「幸せそうな顔してるところに水を差すようで悪いが、なんだってあんなところでぶっ倒れてたんだ? まさか本当に甘味が足りなくて動けなくなったわけじゃないだろ?」


 腹が減って動けないというのは聞いたことがあるが、甘味が足りなくて動けないなどと言う話は寡聞かぶんにして知らない。


 何か事情があったのだろうか、という俺の気遣いはあっけなく裏切られた。


「ああしていれば時折親切な方が甘い物をごちそうしてくれるのです」


「って、そんな理由かよ!」


 しかも意図的かつ計画的な行動か、あれは!?


「これを私たちの業界では『托鉢たくはつ』と呼びます」


「俺の知ってる托鉢と全然ちがーう!」


 そもそも『私たちの業界』って、どこの業界だよそれ! お前みたいなのがあちこちに居るのかよ!


「そうすることで私たちは日々、まだ見ぬ甘味と運命の出会いを求めさすらっているのです」


 わけがわからんが、コイツにとっては甘い物をおねだりするための手段ってことか?

 なんという人騒がせなヤツ。


 だったらわざわざこんな事せず、素直にナンパされてごちそうしてもらった方が効率良いんじゃないだろうか。ラーラと同じで黙っていれば可愛い顔しているんだし。

 やむにやまれぬ理由があったのではと勘ぐった自分をあざ笑いたくなってくる。

 あまりにつまらない事実に、俺の肩へ何かずっしりと重い荷物がのし掛かってくるようだった。人はこれを気疲れと呼ぶのだろう。


「はあ……、そんな理由だったのかよ。あほらしい。あんなのに引っかかるヤツなんて、そうそういないだろうが?」


 歩道のど真ん中にぶっ倒れたまま獲物がかかるのを待つなんて、非効率にもほどがあるだろう。普通はスルー一択だろうし。


「だいたい三日に一回くらいは親切な方と巡り会えますね」


「思った通り成功率低いな!」


「ありがたいことに、今日はこうして甘味へありつけました」


「うわあ! そうだった、俺見事に引っかかってんじゃねえか!」


 引っかかるというか、引っかけられたというか、完全に力技で捕まったような気もするが。


「しかし最近は引っかかるお人好しもだんだん減ってきてしまいました」


「臆面もなく自分で『引っかかるお人好し』とか言うんじゃねえ!」


「なので、そろそろ別の町に行かなくてはならないかもしれません」


「行く先々の町で同じ事して回ってんのかよ!」


 デパ地下の試食コーナーでお昼ご飯すませるオバハンか、お前は!


「ですが今はこうして甘い物をいただける幸運に感謝しつつ、恵みのチョコレートクッキーをいただきたく、あーん」


 俺が手に持つチョコレートクッキーを目ざとく見つけ、食う気満々のシスターが口を開けて待つ。

 ラーラのやつが行く店行く店で大量に持ち帰りお菓子を購入するため、午後の俺たちは結構な量のお土産兼おやつを持ち歩いている。


 正直言って買いすぎだ。

 俺自身そこまでお菓子が好きというわけでもないし、多少わけてやるくらいはかまわない。だが――。


「なぜ俺がお前に食べさせてやらんといかんのだ」


 目の前にある箱がクッキーでいっぱいになっているのも見えているだろうに。

 俺の前へ座って食べさせろとばかりに、口を開いて待つその意味が分からない。


 食べたいなら箱から自分の手で取って食べろと告げるが、返ってくる言葉はやはり俺の理解を寄せ付けない。


「何を食べるかではなく、誰が食べさせてくれるかが大事なのですよ」


「そこに自分で食べるという発想はないのか?」


「それでは意味がありません」


「こっちは意味がわかんねえよ」


 どうにも手応えのない無意味な問答に、根負けした俺がクローディットの口へクッキーを突っ込む。


「うーん、ビターなチョコの奥深い味わいと一緒に広がる砂糖の甘み……。噛まずともホロホロと崩れていくような優しい食感。さすがはレビィたん。すばらしい味です」


 俺関係ねえだろ。作ったのはスイーツショップのパティシエだよ。


「シスターちゃん。オレっちのマドレーヌはどうっすか?」


「いただきます!」


 その様子を見ていたエンジが自分もとばかりに手持ちのお菓子を掲げると、エサに食いつく鯉のような機敏さでクローディットが移動する。


「マシュマロはお好きですか?」


「大好物です!」


 ティアの差し出すマシュマロをロックオンし、クローディットがすかさず食いつく。


 ラーラも加わり、円座で腰掛ける俺たちの間をお菓子目当てにシスターは右へ左へちょこまかと動き回る。

 その様子は周囲を好物の木の実で囲まれて目移りする齧歯げっし類のようで、なんとも微笑ましい。


 ただここは誰もが訪れることのできる公共の場であり、周辺には大勢の人間がいる。

 家族連れ、恋人同士、お散歩中のおじいちゃん。それはまだいい。

 問題はこの学都が、純正チート娘すら鼻白はなじろませるほどにナンパ師どもの巣窟であることだ。


 公園の一角で腰を下ろしておやつタイム。しかも淑女然しゅくじょぜんとしたティア、小動物的愛らしさのラーラ、クローディットをはべらせてのことである。

 当然周囲のナンパ野郎どもから見れば、うらやましいことこの上ないだろう。彼らにしてみれば面白くはないはずだ。

 周囲から向けられる嫉妬の視線に気付いたエンジが、今さらながらに狼狽しはじめた。


「兄貴、気のせいっすかね? なんだか視線が刺さって痛いっす」


「気のせいだ、エンジ」


 ある意味当然の、予想された結果だがな。


 お前が調子にのってクローディットにお菓子エサをやりすぎるからだろ。

 ただでさえティアやラーラのように人目を引く女の子と一緒なんだ。もともと嫉妬混じりの視線はスイーツショップ巡りの間ずっと浴びていた。


 ここに来てようやくエンジがそれに気付いたのは、そこへクローディットが加わり、なおかつお菓子を「あーん」で食べさせるという激甘シチュエーションを見せつけたからに他ならない。

 野郎どもからすれば、『キャッキャウフフ』の光景にしか見えないだろうさ。


「兄貴、気のせいっすかね? なんだかすっげえ舌打ちされてるっす」


「心配すんな、人間は舌打ちじゃ死にゃしねえ」


 確かに射殺さんばかりの視線は無数に向けられているが、以前ティアと腕を組んで学都を歩いた時に比べれば大した事はない。

 あの弾幕をくぐり抜けた経験のある俺にしてみれば、こんなのはまだぬるい方である。


 その後、俺とエンジが周囲から不可視の矢をしこたま突き立てられつつも、一見平和なひとときが終わりを迎える。


「とても有意義なひとときでした」


 ようやくクローディットの腹も満たされたのだろう。満足そうな顔で彼女が立ち上がる。

 考えてみればずいぶんと時間を食ってしまったようだ。


 まあ、晴れた公園でおやつタイムというのもたまには良いな。周囲から間断なく射かけられる嫉妬の視線がなければだが。


「折角ですからお礼にお祈りをさせてください」


「いや、別にお祈りとかいらんぞ。お礼は受け取っておくが」


 正直、俺個人としてはお祈りとかどうでもいい。というか、あんだけ食いまくっておいて元手ゼロ円のお祈りですまそうとするあたり、ちゃっかりしてんなコイツ。


「ではレビィたん。『おいしいものを食べると元気が出る』と、十回言ってください」


「またそれかよ!」


「さあ、『おいしいものを食べると元気が出る』ですよ」


「絶対それ、お祈り全然関係無いだろ!」


「さあ、十回言ってみてください」


「くっそ! またこのエンドレスパターンか!?」


「さあ! さあ!」


「わかったよ! 言えばいいんだろ! 言えば! おいしいものを食べると元気が出る、おいしいものを食べると元気が出る、おいしいものを食べると元気が出る――」


 一向に引く気配のないクローディットに、またも根負けした俺が渋々と相手してやる。俺も大概お人好しだな。

 不満を抱えて口にしながらも、ここからどういう引っかけに持っていくのか興味がないといえば嘘になる。俺が日本に居たころも、こんなネタは聞いたことがなかったからだ。


「――おいしいものを食べると元気が出る、おいしいものを食べると元気が出る!」


「だよねー」


 俺が十回口にしたのを見計らって、すかさずクローディットが反応した。

 嬉しそうに顔をほころばせながら、首を傾けて同意の言葉を発する。


 え? それだけ?

 てっきりその後にオチがやって来るのかと思っていた俺は、続く言葉を何も口にせずニコニコと笑顔を浮かべ続けているだけのクローディットに向けて盛大に突っ込んだ。それはもう、力一杯突っ込んだ。


「って、なんだよそれ! オチとかねえのかよ! ただの世間話になっちまってんぞ!」


 斬新だなおい! 十回クイズってそういう落とし方するもんじゃねえだろ!

 十回クイズやるならせめてこっちが納得できるようなオチをつけろよ!

 おまけに俺がアホな自論を大声で主張した――しかも十回も繰り返して――恥ずかしいヤツに見えるじゃないか!

 あと、ある程度予想はしていたけど、案の定お祈りの要素がかけらもねえ!


 駄目だ! うすうす感じてはいたけど、やっぱりこいつポンコツシスターだ!


「な、なんとすばらしい教えでしょうか! これぞ至高の言葉!」


「って、これで感銘受けてるヤツが居たー!」


 こっちのポンコツ魔女も負けてなかった!

 ツッコミに忙しい俺の横から、シスターに負けず劣らずポンコツな空色ツインテ魔女が感激した表情を見せている。


「それではレビィたん。私は仕事がありますのでもう帰りますね」


 帰りたいのはこっちの方だよ。というか、仕事があるなら行き倒れスイーツトラップなんぞで遊ばずに最初から働いてろ。


 疲れのあまり頭を垂れ、手のひらをブラブラとさせて返事をする俺。

 そんな俺の横を通りすぎる一瞬、クローディットがボソリと俺の耳へだけ聞こえる小さな声でつぶやいた。


「あの屋敷では油断禁物ですよ」


「は?」


 慌てて俺は顔を上げる。


「おい! ちょっと待て! それはどういう意味だ!?」


「それでは皆さん。ごちそうさまでした」


 引き留める俺の声を無視して、そそくさと公園から立ち去っていくクローディット。


「どうかされましたか、先生?」


「い、いや……。なんでもない」


 不思議そうな顔を向けてくるティアに返事をすると、俺はクローディットの言葉を脳裏で反芻はんすうする。


 あの屋敷? シュレイダー邸のことか? 油断禁物? どういう意味だ? 何か危険でもあるのか?

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